第19章 死に方の選び方


私が父の元からあなた方を遣わす弁護者、即ち、父の元から出る真理の霊が来られる時、この方が私について証して下さる。また、あなた方も証をするであろう。初めから私と共にいたからである。

あなた方が躓く事のないように、私はこれらの事を話して来た。人々はあなた方を会堂から追放するであろう。それどころか、あなた方を殺すものが皆、自分は神に仕えているのだと思う時が来る。

彼らがこのような事をするのは、父をも私をも知らないからである。

しかし、あなた方にこれらの事を話したのは、その時が来た時、私が言った事を思い起こさせる為である。


【ヨハネによる福音書 第16章】


「なんで……なんで!私は、赤軍として大義の礎になるって決めたの!その為ならば……最悪あの場で殉じても構わなかった!それを、どうして!!」


それはまるで荒涼とした立ち枯れた大地で吹きすさぶ乱れた突風だった。


「私は赤軍衛生兵のエテル・ベネディ!赤軍の礎となる一兵士であると決めて、”エテル”であることすら捨てようと思っていたのに!なのにどうして……私を、助けたの……」


駆け抜けるのは刃物のような風ばかり。ごうっ、と耳の傍を通り抜けて行った風に煽られて彼女が常日頃身に着けている薄手の純白のヴェールが吹き飛んでいった。

蒼白な顔を両の手で覆い、文字通り泣き崩れ落ちた彼女を、俺は乾いた唇を強く噛みながら見下ろしていた。細い肩を小刻みに痙攣させ嗚咽を垂れ流す彼女の肩も抱けず、ただ見下ろしていた。そんな自分に嫌悪感を感じながら。


「……エテル、立てるか」


「いや……戻って……アナム……私をもう一度あの戦場へ連れて行って……」


「無駄だよ、エテル」


泣き腫らした彼女の赤い瞳が動揺したように震えていた。その瞳に浮かんだ感情の名は―……縋りつくような懇願。


「どうして……どうしてなの……アナム……」


彼女のしゃくりあげる声の合間合間から苦し気に紡がれる言葉一音一音が、見えない石礫となり俺の身体を強く打ち付けていた。それから逃れるように一度目を閉じ一息吐き出してみたが、瞳の奥に焼き付いたエテルの泣き顔を払う事ができない。


「……ここまで来るのに馬を使って一昼夜掛かってる。馬一頭でここまで休まず駆けて来た。……エテル、エテルは頭がいい。だから、俺が何を言いたいか分かると思う」


「……」


言葉が不意に途切れた。この沈黙は肯定の沈黙だ。

仮に俺が彼女の容貌を受け入れ馬を走らせたとして、この馬は既に乗り潰したと言っていいほど走ってくれている。ゆっくりとなら歩く事も出来るが、また直ぐに来た時と同じ速度で走らせることは不可能だ。馬は乗り継いで使っていくものだからな。それだけで戻るまでに来た時以上に時間が掛かってしまう。彼女が俺と別れて徒歩で戻ろうとすればさらにそれ以上の時間が掛かるだろう。

そうして時間をかけて戦場になった荒野に戻ったところでそこにあるのは寒風にそよぐヒースの枯れ草だけだろう。両軍ともにすでに撤退を終えているはずだ。


「……取り敢えず、また馬に乗ってくれ。走るのは無理でもゆっくり歩かせる事ならできる。……行くぞ」


「どこ、へ……いこうって……いうの……」


「……街だ。戦場に戻れない以上、エテルは赤軍の支部と合流したいだろう?俺はあんたの身体を安全な街で少しでも早く休ませてやりたい。……どっちにこんな荒野の途中の何もない場所じゃ何もできない」


ズキリ、と痛むのは真新しい戦傷の疼きか、それとも彼女の心や決意を自分のエゴを理由に踏み躙った後悔からか―……答えを出せず、答えてくれる存在もなく、ただ傍らを空気でさえ凍結させるような寒気が貫いていった。






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「アナム!どこへ行っていたの?傷は塞がったけどまだ寝てなきゃダメじゃない!」


「買い出し。……もう熱も下がったし、傷の痛みも自制内で落ち着いたからな。これ以上ベッドの上で寝ていたら筋力が落ちて寝たきりになっちまう」


長期で借りた町の宿の一室へ戻れば、戻って来て早々少々耳の痛い小言が俺を出迎えた。何も言わずに出掛けてしまったから彼女が心配するのも当然と言えば当然なのだが……

市で買ったばかりの真っ赤な林檎とパンを部屋の木のテーブルの上に置き、息を吐き出した。

傷自体はそれほど深い傷ではなかったが化膿してしまったのだろう。この街に着くなり発熱し、倒れてしまった俺を看病してくれたのはエテルだった。……俺の事を憎んでも、嫌っても不思議ではないのに、それでも彼女は夜通し魘される俺を看病してくれた。こうして後遺症の類なく回復したのは全て彼女のおかげだ。彼女の癒しの手の力で今の俺がある。


「……ありがとな」


「どうしたの?」


「怪我……ずっと見てくれて、ありがとうエテル」


俺の言葉に瞬間彼女は大きく目を見開くと、次の瞬間には緩やかな弧を目元に浮かべて彼女は微笑み、そして緩やかに首を横に振った。「私は何もしていない」と言いたいのだろうが、何も、どころかこうして俺は彼女に助けられているんだ。何もないわけがない。


「なあエテル……お前、これからまた赤軍へ戻るつもりか?あの声明を見た今になってもそれは揺るがないか?」


市で買った艶やかな赤い林檎、磨かれた鏡のような林檎の表面に自分の顔が逆さまに映っていた。立ち尽くすエテルの姿と一緒に。


各宗派のトップとそして王女の連名で発表されたあの声明は、プロパガンダの為に作られた嘘で塗り固められた作り話ではなくおそらく事実だ。あの時、ゴイムの虐殺が起きた時に一番得をしたのは疑いようがない……赤軍だろう。新教徒の虐殺を行ったところで教皇一派にメリットなど塵ほどもなかったはずだ。あの日を境に、この国は変化を余儀なくされた。


「エテル、確かにゴイムの虐殺以降、この国は変わった。良くも悪くもフリードリヒという男のおかげで変化を余儀なくされた。……フリードリヒという劇薬のせいで、な。毒と言い換えてもいい」


貧富の差の是正、富の再分配―……なるほど目指す理想は崇高だ。だが、人はそこまで完璧になれるのだろうか?富を再分配するならば一度は中央に集積させる必要がある。それを着服し、私腹を肥やす者が出てこないとどうして言えるだろうか?


「エテル、あんたは人が人として自由に生きていける―……生きているだけで存在が肯定される生存権が約束された世の中になって欲しいと願って赤軍へ入隊したんだろう?だが、理想に至るまでの過程について考えた事はあるか?……俺だって頭が湧いた理想主義者じゃない。何かを成すためにはそれ相応の対価を支払わなければならないという考え方はもっともだとも思う。だが、だからといって平然と非道を行う組織に未来はあるのか?理想を成す為の敷石として多数の市民を犠牲にするやり方は、貧困層を犠牲に搾取していた腐りきった貴族と何が違うんだ?」


エテルはフリードリヒを慕っている。信頼している。それが彼女が心の底からのものか組織ぐるみの洗脳によるものか―……それは不明だ。

俺が言葉を突きつける事で今まさに彼女を傷付けているということは理解している。だが、言わなければいけない。彼女が赤軍へ再び戻ろうと考えているならば尚のこと。新たに決意をし直さなければならない。

間違いなくこの先赤軍は民に畏怖されるか、もしくは迫害される。戦いに勝てば恐怖の対象になり、負ければ石礫を投げつけられ追放されるだろう。殺そうと考える人間もごまんと出てくるはずだ。エテルをエテルとして見てくれる人間はいなくなる。それを分かった上で道を選ぶ必要があるんだ。


「エテル……あんたにとっての正義って―……なんだ」


彼女がどんな選択をしようが俺の答えは決まっている。エテルの答えに依存しているわけではない。俺は俺自身の意思でこの道を選んだんだ。決意と言っていい。

例え世間が、赤軍が、世界が彼女の敵になろうが、俺だけは敵にならない。俺はエテルの……騎士だ。


≪アナム・メドラウト≫
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