第19章 死に方の選び方

はっ はっ

 こんなに走ったのは久しぶりだろうか
 他人事のように考えながら、夜の路をただ駆ける。闇と藪に身を隠し背後に光が見えないことを確認しながら。
 シャンはただ逃げていた。

 例えば、案内人としての仕事が減った。
 例えば、街中を歩くと視線を感じるようになった。
 例えば、見慣れないものが庵の周囲をうろつくようになった。
 例えば、馴染みのはずの客でも複数人で薬草を買い求めるようになった。
 翁に救援物資を提供して幾日か。不穏の風の臭いがこちらにも漂い始めた頃。
 兆候は確かにあったし、気づいてもいた。当たり前だ。常日頃から「異教徒」を公言し、刺青を晒す男など現状では周囲の不信しか招かない。異分子は罪で穢れだ。
 昔の自分ならばその空気を察した時点で逃げていただろう。今の今までぐずぐずしていたあたり、平和ボケはしていたと少しばかり後悔する。

 その日、いつものように店を締め、簡単な夕食を摂り寝床に入り眠りに就いた。次に目覚めたときには、異常な熱と臭気と紅蓮に囲まれていた。
 火を点けられたのだ。
 煙を吸い込み昏倒する前に起こしてくれたシェンに感謝するしかない。
 シャンは彼を影に逃がし、枕元から取り出した短剣を夜着の帯に挟み、床へ這いつくばるようにして降りた。袖で口を覆い呼吸をできる限り浅くしながら裏口へと向かう。
 壁越しに分かる喧噪。おそらく取り囲まれているかそれに近い状況だ。少なくとも表は確実に人が待ち伏せているだろう。
 時を切るのは死神の仕事。けれども、此処で死ぬのは少なくとも違うと思う。正しい死に方など分からないが、これは違う。こんな死は受け入れない。

 裏口の戸をどうにか開けて外に転がり出ると同時に、風を切る音が聞こえた。地を転がるような形でその場から逃れると、先ほどまで自分の頭があった場所に太い棒のような物が叩きつけられた。
 本気じゃないか
 舌打ちを打ちながら立ち上がろうとするも、その前に抑え込まれる。
 「っ」
 雑巾を絞るように首を圧迫され声にならない息が漏れた。
 まずい
 火事から逃げた直後で十分に息をできていない上にこれだ。必死に帯を探り、抜いた短剣を腕に思いきり突き刺した。
 突然の反撃と痛みに悲鳴を上げながら手を離したところを抜け出し、蹴りつけて逃げた。

 そして現在に至る。藪で息を整えながら考える。 
 このまま逃げ続けているわけにもいかないだろう。どこか身を隠せるところはあっただろうか。
 アイオーンさんの所はダメだ。こんなときに異物を匿ったと知れたら彼らに迷惑がかかる。友人に火の粉を持ち込むわけにはいかない。
 宛ては正直な所、何処にもなかった。せめて朝まではどこかに身を隠せないだろうか。

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 「ヴァシュタールさん!」
 「ええ!」
 夜鷹の呼びかけに頷いたスレドニは腕を入口へと振るった。彼の腕の上を駆け抜けた黒鼬が飛び上がりながら、その身を大型犬程度の大きさに変化させ今まさに古代図書館から逃げ出そうとする人間の腕に食らいついた。
 「ぃぎゃっ」
 逃亡者は振り払おうとするが、鼬はぎちぎちと歯を食いこませそのまま引き倒した。
 倒れた所をスレドニの靴が踏みつけ、追いついた夜鷹がその手から本を抜き取り中身を確認する。
 「幸い、欠損はありません。持ち出し未遂です」
 「ですって。良かったですねえ。ページを破っていようものなら、先輩は怖いんですよう」
 未遂犯が逃れないように体重を掛けながら、スレドニは肩をすくめた。
 「もう、誤解を招く言い方は止してください。でも運が良いですよ。今からここを出て二度といらっしゃらないでくだされば身の安全は保障できますから」
 女性的ですらある柔和な顔立ちで柔らかく微笑みながら、夜鷹はひたりと未遂犯の目を見つめる。
 「ですから。この本は返してくださいね?」

 「ふう、今日だけで3人目ですね」
 未遂犯が逃げていった扉を見つめながらスレドニはため息を吐いた。
 古今東西の禁書・呪術書を収集・保管する古代図書館は、情勢の影響か毎日のように不正持ち出しを試みようとする不届き者が後を絶えなかった。
 「ええ、もしかしたら一時的に閉館をした方が良いかもしれませんね」
 「残念ではありますが」と夜鷹は唇を噛んだ。
 常に書物から漏れ出る魔力のせいで、幻影が闊歩する古代図書館であるが、近頃はそれらの魔力をカットする一室を設け、児童書や一般書のコーナーとして利用している。評判は上々で子どもたちも訪れるようになってきたというのに。
 「お気持ちはお察しいたします。ですが」
 スレドニは同僚であるミテラやハムスケのことを思い浮かべた。夜鷹も察したようで、頷いた。
 「ええ、戦える職員ばかりではありませんし、それに、一般の方や子どもたちがいらしていた時に今みたいな、いいえ、もっと質の悪い輩が来たら」
 二人の間に沈黙が流れる。
 そのとき入り口のドアが開いた。二人はハッとドアの方に向き直る。
 「や、元気でやっているかな」
 のんびりとした穏やかな声はスレドニがよく知っている者だ。
 「翁……なぜ……」
 「おや、私が図書館に来たら変かね?」
 おどけたように眉を跳ね上げるサクリスに、スレドニはぽかんとした後噴き出す。
 「いいえ」
 張りつめていたものが少しだけ緩んだ。

 再び扉が開く音がした。
 「あ」
 「おや」
 片や気まずそうな声を、片や少し笑みを含めた声を上げた。
 「異端を隠すならば異端の中、というところかな」
 新たな来客ーシャンは眉を寄せながらも、どこか諦めたように
 「ええ、そんなところです」
 とため息を吐いた。
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