第9節 感謝祭&生誕祭
私は教会に少しばかり手紙を書き送りました。ところが、彼らの頭になりたがっている人間は私を受け入れません。
ですから、私はそちらに行った時、彼らの行いを指摘しましょう。彼らは悪意のある言葉で私達を謗っています。それでは飽き足らず、兄弟達を受け入れないばかりか、受け入れようとする人たちの邪魔をし、彼らを教会から追い出しています。
悪する者よ、悪い事を行うのではなく良い事を見習ってください。善を行う人は神から出た者であり、悪を行う人は、神を見た事のない者です。
それは全ての人からも、また真理そのものからも証しされています。私達も証しします。私達の証が真実であることはあなたもご存じのはずです。
あなたに書きたい事はまだ沢山ありますが、インクとペンによるのは止めます。むしろ、近いうちにお目に掛かって直接話し合いたいと思っています。
あなたに平和がありますように。友人達があなたによろしくと言っております。そちらの友人達の一人一人に、よろしくとお伝えください。
【ヨハネの第3の手紙】
砂礫が眼前を舞う。硬く凍る大地の上に申し訳程度に積もっていた砂は、北から吹き付ける風によりいとも容易く空へと消えていった。
暗澹とたれこめた重い雲が幾重にもうねる。今は雪は降っていないが降り出すのも時間の問題だろう。もう暫くもしないうちにここも白い褥の底に沈む。
「……寒いな……」
腰に下げたなめし革の鞄から一本、釘を取りだし真新しい板へと打ちつけた。自分は建築家ではないからその知識はない。ただもう何年も何年もこうしてただがむしゃらに木の板を打ち続けている。この家に中心にいるモノが外へ出てこれないように、と。部屋を増やし、扉を増やし、階段を増やした。この中にいる悪霊が僕を捕まえないようにする、その為に。
傍にあるのは凍てつき身を切る風ばかり、光はこの地のどこにもなかった。ありはしない。
この不毛な地にあるのは自分と悪霊が住む家だけだ。
「……っ……」
不意に親指の皮膚が音もなく横へと裂けた。このところの乾燥のせいだろうか。深いあかぎれの向こうに蠢くような肉が見える。……そう、打ちつけられた板の間から弧を描きこちらを見つめる赤い目とよく似た赤い色をした肉が。
呪われてあれ。
声が聞こえた。悪霊の声だ。子供の頃から自分の耳元について離れない、あの声だ。つかず離れず付きまとう影すら持たない、声。
呪われてあれ、とこしえに。
声を封じるように強く、強く釘を打つ。左胸が連動するように、自分の物とは思えないほど早鐘を打っていた。
この家を捨てて遠くへ逃げる。考えた事は何度もある。だがそれは出来なかった。この家の中心に住む悪霊は僕が家を増築することを止めたその刹那、僕を捕え、僕の中身を喰らい尽くすだろう。
蟻に寄生する蜂のように。虫に寄生する菌類のように。僕の皮を残して僕が死ぬ。
「……そんなのは、嫌だ……」
ガチリガチリと奥歯同士がぶつかり合い不快な音を立てる。先程飛んできた砂礫が口の中にも入ったのだろう。ざらりとした砂の感触が舌の上で広がった。
悴み、軋む両手から木槌が落ちる。そのまま凍った大地の上で力なく尻を着き、膝を両手で抱えるようにして縮こまった。揶揄を含んだ声が砂礫と共に舞っていく。
……日に日に声が聞こえる頻度が増えてきている。それに自分が眠くなる時間も。その時見るのはいつも決まって悪夢だ。
僕はこうして部屋を増やすことで悪霊を封じているつもりでいるが、全てはもう手遅れなのではないだろうか。もうとうの昔に僕の体の隅々まで菌糸は張り巡らされていて、僕の身体は操り人形のように動いているのではないだろうか。……僕は既にここから動けない悪霊の手足となっているのではないだろうか?
『宿に着いたら一緒に部屋取ろ!それがいいよ!わたしはラスのおうちに行かなくていいし。ラスとまだ一緒にいられるし!』
寸毫のぬくもりも寄越さない空からふわり、と一欠けら白く柔らかな雪が降る。その鮮やかな白は残滓となり微かに瞼の裏でちらついた。
もし、僕の身体が既に悪霊の物だとするならば、あの時感じた気持ちも、今僕の胸に灯った気持ちも僕自身のものではないのだろうか?彼女の……纏の、僕の手よりも一回り小さな手を握り返したいと思った気持ちでさえ……
そこまで思考を巡らせ、一拍置いて息を吐き出した。一度は瞑った目を再びゆっくりと開いていく。吐き出したばかりの白い息が、吐き出した傍から天へ向かって昇っていく。
「……かえらなくちゃ……」
僕につきまとう悪霊は僕のくるぶしに結びついている。そう遠くない未来、僕は僕でなくなるだろう。それから逃げる事も、また追いやる事も出来ないということを僕は知っている。その時が来るまでやむなく歩く事しか僕にはできない。
「あっ!ラス~~!!おかえりなさい!ラス、あのね!あのね!!今日も面白い事があってね!!……ラス?」
彼女が仮住まいとして使っている宿の戸を潜れば、潜ると同時に鈍い痛みが体を駆け抜けた。全身で体当たりするように僕を出迎えた彼女の体を体で受け止める。鳩尾のあたりがまだ鈍く痛むけれど、厭わずに彼女の体を抱きしめた。
「ラス、体冷たいね?ずっとお外にいたの?」
「……君を一人に、したくないな……」
残された刻限があと僅かだという事は知っている。抗う事も出来ない事も。でも、でもそれでもと思ってしまうんだ。
あの日、こんな僕を頼りにし、笑顔で話し掛けてくれた纏を一人残していきたくない、って。
《ラス・ヨクラートス》
