第9節 感謝祭&生誕祭
再び、御子は人々にこうお話になった。
「私は世の光である。私に従う者は決して闇の中を歩く事無く、命の光を得るであろう」
すると、ファリサイ派の人々は御子に「あなたは自分の事を自分で証ししているのであなたの証は真実ではない」と言った。御子は彼らに答えて仰せになった。
「たとえ、私が自分の事を自分で証しするとしても、私の証は真実である。私は自分がどこから来たのか、またどこへ行くのかを知っているからである。私は自分の事を証する者である。また、私をお遣わしになった父も、私の事を証して下さる」
【ヨハネによる福音書 第8章】
彼女は一言で言うならば光輝だった。
「おやおや……このような夜更けに……この時間にもなると外はさぞ寒かったことでしょう。どうか今夜はこの宿でゆるりとお休みくださいませ、お客様」
晩秋の風は徐々に寒さを増し、冬の衣を纏い始める。立ち枯れるように裸になった木から落ちたものであろう無数の木の葉の山は、不可視の風の衣の袖に撫でられふわりと渦を描くように舞った。
地上の風が強い影響だろうか?いつも以上に頭上の星々が瞬いている。冬へ向かい徐々に色褪せ死んでいく地上と反比例するように天上の星々は今を盛りにと賑やかに輝いていた。いっそ憎らしいほどに。
「お部屋はいかがしたしましょうか?」
「そうだな……主人、つかぬ事をお聞きするがこの宿には暖炉がついた部屋はあるかい?」
「暖炉のついた部屋、でございますか?ああ……そうですね、今晩は冷えますから。ありますよ。他の部屋よりも少々、値は張りますが―……」
初老の宿の主人はしばし思案するように軽く自分の顎に指を当てると、宿表を確認すると少々言い辛そうに最後は言葉を濁した。
他より値が張るという部分を気にしているのかもしれないが、予約もなく夜もとっぷり更けてから飛び込んできたのは自分の方だ。にも拘らず希望の部屋に泊まれることのどこに不満があるだろうか?今日の自分はどうやらとてもついているらしい。
「食事はどうなさいますか?」
「もう遅い時間だからな……なくても大丈夫だ。その代り―……そうだな……温かいブランデーがあるならそれを一杯貰おうか。できそうかい?」
「ええ、勿論。お代さえいただければすぐにでもお出しいたしますよ」
目尻に刻まれた皺を更に深くして人良さそうに笑う姿に一つ、呆れとは違うため息が一つ、自分の口から零れて落ちた。
「ああ、頼むよ」
++++++++++++++++++++
チロチロと赤い蛇の舌のように細く燻っていた暖炉の中の火はよく乾いた薪へと移り、火の勢いを増していく。時折ぱちり、ぱちりと弾ける火の音が小気味よい。
「……今日は何の本を読んでいたんだ?」
暖炉の前のテーブルで本を読み耽っている彼女へと後ろから静かに近付き、覆い被さるように抱きしめれば、ビクリと彼女の華奢な肩が一度縦に跳ねた。
「ドミトリー……驚かせないでくれ。不意を突かれると心臓に悪い」
「ふふっ……すまない。少し驚く君の顔が見たくてな。……随分熱心に本を読んでいたようだったが?」
「昔から本を読むのが好きだから。……隣、座ってくれ。今何か飲み物を持って来よう。……そうだな……今日は冷えるし……ブランデーでいいか?」
赤々とした暖炉の光と熱が彼女の……オリガの端麗な横顔を、丁寧に編み込まれた髪を黄金色に仄かに照らしている。彼女は光輝だ。文字通り。比喩表現なしに。初めて、一目見た時から変わらずそう思っている。
「今日は随分楽しそうだな、ドミトリー。何か面白いものでも見つけたのか?」
「いや、なに、君の横顔を見ていたのさ。私は君の顔を見るのが好きだからね」
「私の顔を見ても何も……と言うかさらりと……」
「そりゃあいつだって見ているさ、オリガ。君の事は、ね」
「いつもそうやって……いや、ドミトリーはいつも私を見ていてくれている」
分厚い革表紙の本を静かに閉じ俯き一拍置くと、彼女は微かに震える声で言葉を紡いだ。彼女の横顔に暖炉の炎が照らす光以外の朱色が刹那、混じったように見えたのは、自分の願望が見せた幻だろうか?
「オリガ」
「……んっ……」
彼女の細く長い指を自分の武骨な手で捉えるように捕まえ、指と指を絡めた。そのまま彼女を自分の胸へと引き寄せ、しまう。胸の中に光があるからだろうか?とても温かい。
細めた自分の視界に少し驚いた様子でこちらを見上げているオリガの姿が映る。
軽く彼女の唇と自分の唇を重ねるだけの口付け。だが、それだけでも私は十分に満たされていた。先程飲み干した彼女が注いでくれたブランデーの香りが優しく鼻腔を擽っていく。
彼女は私の世界の光だ。その光がある限り私は闇の中を歩く事無く、命の光を得ることが出来る。
++++++++++++++++++++
「……うたたねをしてしまったな……今は何時だ……?」
最後に見た時には間違いなく勢いよく赤々と燃えていたはずの暖炉の火もいつの間にか小さくなり、薪は大量の灰へと姿を変えている。なみなみと注いだ状態で部屋へ持って来たホットブランデーが入ったマグも、今ではすっかり冷めきりただのブランデーになっていた。ブランデー自体の量がそれほど減っていないところを見ると、先程までの眠気は酒によるものではなく日中の疲れによるものだったのだろう。
オリガと彼女の家族は殺された。そう聞かされたのはもう十年も前の事だ。いつも見ていると彼女に言っておきながら一番肝心な時に彼女の傍で彼女を守ってやる事の出来なかった自分の何と愚かしい事だろう。
彼女たちを殺した相手を今だ掴めず復讐する事すら出来ていない自分のなんと不甲斐ない事だろうか。
守ってやることも、無念を晴らすことも出来ない自分のなんと惨めな事か。
ああ……一度は諦めかけた。十年を掛けて何の手掛かりも見つからない。自棄になり……寒風吹きすさぶ荒野にそのまま自分の心も何もかも投げ捨ててやろうとすら思っていた。
だが、あの修道女の―……ロトと名乗った修道女が私に語った話が事実なのだとすれば……
「今度こそ……手を離しものか。十年かけてやっと見つけた光の痕跡―……必ず辿ってやる」
彼女は、光輝だ。
《ドミトリー・メーチ》
「私は世の光である。私に従う者は決して闇の中を歩く事無く、命の光を得るであろう」
すると、ファリサイ派の人々は御子に「あなたは自分の事を自分で証ししているのであなたの証は真実ではない」と言った。御子は彼らに答えて仰せになった。
「たとえ、私が自分の事を自分で証しするとしても、私の証は真実である。私は自分がどこから来たのか、またどこへ行くのかを知っているからである。私は自分の事を証する者である。また、私をお遣わしになった父も、私の事を証して下さる」
【ヨハネによる福音書 第8章】
彼女は一言で言うならば光輝だった。
「おやおや……このような夜更けに……この時間にもなると外はさぞ寒かったことでしょう。どうか今夜はこの宿でゆるりとお休みくださいませ、お客様」
晩秋の風は徐々に寒さを増し、冬の衣を纏い始める。立ち枯れるように裸になった木から落ちたものであろう無数の木の葉の山は、不可視の風の衣の袖に撫でられふわりと渦を描くように舞った。
地上の風が強い影響だろうか?いつも以上に頭上の星々が瞬いている。冬へ向かい徐々に色褪せ死んでいく地上と反比例するように天上の星々は今を盛りにと賑やかに輝いていた。いっそ憎らしいほどに。
「お部屋はいかがしたしましょうか?」
「そうだな……主人、つかぬ事をお聞きするがこの宿には暖炉がついた部屋はあるかい?」
「暖炉のついた部屋、でございますか?ああ……そうですね、今晩は冷えますから。ありますよ。他の部屋よりも少々、値は張りますが―……」
初老の宿の主人はしばし思案するように軽く自分の顎に指を当てると、宿表を確認すると少々言い辛そうに最後は言葉を濁した。
他より値が張るという部分を気にしているのかもしれないが、予約もなく夜もとっぷり更けてから飛び込んできたのは自分の方だ。にも拘らず希望の部屋に泊まれることのどこに不満があるだろうか?今日の自分はどうやらとてもついているらしい。
「食事はどうなさいますか?」
「もう遅い時間だからな……なくても大丈夫だ。その代り―……そうだな……温かいブランデーがあるならそれを一杯貰おうか。できそうかい?」
「ええ、勿論。お代さえいただければすぐにでもお出しいたしますよ」
目尻に刻まれた皺を更に深くして人良さそうに笑う姿に一つ、呆れとは違うため息が一つ、自分の口から零れて落ちた。
「ああ、頼むよ」
++++++++++++++++++++
チロチロと赤い蛇の舌のように細く燻っていた暖炉の中の火はよく乾いた薪へと移り、火の勢いを増していく。時折ぱちり、ぱちりと弾ける火の音が小気味よい。
「……今日は何の本を読んでいたんだ?」
暖炉の前のテーブルで本を読み耽っている彼女へと後ろから静かに近付き、覆い被さるように抱きしめれば、ビクリと彼女の華奢な肩が一度縦に跳ねた。
「ドミトリー……驚かせないでくれ。不意を突かれると心臓に悪い」
「ふふっ……すまない。少し驚く君の顔が見たくてな。……随分熱心に本を読んでいたようだったが?」
「昔から本を読むのが好きだから。……隣、座ってくれ。今何か飲み物を持って来よう。……そうだな……今日は冷えるし……ブランデーでいいか?」
赤々とした暖炉の光と熱が彼女の……オリガの端麗な横顔を、丁寧に編み込まれた髪を黄金色に仄かに照らしている。彼女は光輝だ。文字通り。比喩表現なしに。初めて、一目見た時から変わらずそう思っている。
「今日は随分楽しそうだな、ドミトリー。何か面白いものでも見つけたのか?」
「いや、なに、君の横顔を見ていたのさ。私は君の顔を見るのが好きだからね」
「私の顔を見ても何も……と言うかさらりと……」
「そりゃあいつだって見ているさ、オリガ。君の事は、ね」
「いつもそうやって……いや、ドミトリーはいつも私を見ていてくれている」
分厚い革表紙の本を静かに閉じ俯き一拍置くと、彼女は微かに震える声で言葉を紡いだ。彼女の横顔に暖炉の炎が照らす光以外の朱色が刹那、混じったように見えたのは、自分の願望が見せた幻だろうか?
「オリガ」
「……んっ……」
彼女の細く長い指を自分の武骨な手で捉えるように捕まえ、指と指を絡めた。そのまま彼女を自分の胸へと引き寄せ、しまう。胸の中に光があるからだろうか?とても温かい。
細めた自分の視界に少し驚いた様子でこちらを見上げているオリガの姿が映る。
軽く彼女の唇と自分の唇を重ねるだけの口付け。だが、それだけでも私は十分に満たされていた。先程飲み干した彼女が注いでくれたブランデーの香りが優しく鼻腔を擽っていく。
彼女は私の世界の光だ。その光がある限り私は闇の中を歩く事無く、命の光を得ることが出来る。
++++++++++++++++++++
「……うたたねをしてしまったな……今は何時だ……?」
最後に見た時には間違いなく勢いよく赤々と燃えていたはずの暖炉の火もいつの間にか小さくなり、薪は大量の灰へと姿を変えている。なみなみと注いだ状態で部屋へ持って来たホットブランデーが入ったマグも、今ではすっかり冷めきりただのブランデーになっていた。ブランデー自体の量がそれほど減っていないところを見ると、先程までの眠気は酒によるものではなく日中の疲れによるものだったのだろう。
オリガと彼女の家族は殺された。そう聞かされたのはもう十年も前の事だ。いつも見ていると彼女に言っておきながら一番肝心な時に彼女の傍で彼女を守ってやる事の出来なかった自分の何と愚かしい事だろう。
彼女たちを殺した相手を今だ掴めず復讐する事すら出来ていない自分のなんと不甲斐ない事だろうか。
守ってやることも、無念を晴らすことも出来ない自分のなんと惨めな事か。
ああ……一度は諦めかけた。十年を掛けて何の手掛かりも見つからない。自棄になり……寒風吹きすさぶ荒野にそのまま自分の心も何もかも投げ捨ててやろうとすら思っていた。
だが、あの修道女の―……ロトと名乗った修道女が私に語った話が事実なのだとすれば……
「今度こそ……手を離しものか。十年かけてやっと見つけた光の痕跡―……必ず辿ってやる」
彼女は、光輝だ。
《ドミトリー・メーチ》
