第18章 手を取り合って
このことの為に私は御父の前に膝を屈めて祈ります。天と地にある全ての「家族」という呼び名は、この「父」に由来しています。御父が、ご自分の栄光の豊かさに従い、内なる人間に働きかけるご自分の霊によってあなた方に力を与え、強めてくださいますように。
信仰によって、あなた方の心のうちに御子が住まわれますように。あなた方が愛に根差し、愛に土台を据え、その広さ、長さ、深さがどれほどのものであるかを、聖なる人々と共に理解し、人智を遥かに超えた御子の子の愛を悟ることができますように。
あなた方が、髪の溢れる豊かさによって満たされますように。
私達のうちに働く力によって私達が願い、かつ、思う事の全てを遥かに超えて、それ以上の事を行われるその方に、教会において、また御子において輝く栄光が代々限りなくあらゆる世代に渡ってありますように。
【エフェソの人々への手紙 第3章】
空は暗澹と垂れ込め、重い鉛色で世界を覆い尽くしていた。寄せては返す痛みの波の狭間、僅か、ほんの僅かに痛みが引いたその刹那、私は雨の音を聞いた。
全身を刃物のような風に切り裂かれたかのようだった。ここは屋内であり風が吹く余地などない。にも拘らず、私は風の只中にいたのだ。荒涼たる荒れ地を往く風の只中に。じとりと粘つく汗が背中を伝い落ちていく。
光は空にはなくましてや地にもあるはずもない。乱れる呼吸の中、痛みの中、一つの確信が私の脳裏を過って行った。
これは自らに課せられた呪いなのだ、と。
あの方からの寵を、慈悲を争い、そして私は彼女を―……彼女が宿した子ごと憎み嵐の夜に放逐した。あの方の御子を彼女が身籠ったから。自分の腹を庇うように、或いは愛おしむように手で覆う仕草を見た刹那、私の中にあった澱が弾け決壊した。
これは呪いだ。その呪いを私に課したのが彼女なのかあの御方なのか―……それとも自分自身の内から湧く罪の意識からなのか……それは分からなかった。分かる事と言えば、それが私の踵に結び付き、私が塵と果てるまでけして離れる事がないだろうということ。
呪われてあれ。呪われてあれ。
幾重にもうねる痛みの中でその声だけが明瞭だった。
「……子……わたくしの……おこは……あの方の御子は……御無事で……しょうか……」
「……残念ながら……長い分娩に御子は耐えられなかったようです。ご遺体は侍女に命じてすでにお隠し致しました」
「そ、んな……」
産褥の床で聞く寸毫のぬくもりもない事実。告げられた現実に私はただ軋む両手で自分の顔を覆う事しかできなかった。
呪われてあれ。呪詛がこだましていく。
「これはとても由々しき事態です。王は世継ぎを―……いや、家族を熱望されております。ロアンヌ様亡き今、貴方様が御産みになられた御子まで死産であったと知ったらどれほど王は落胆するでしょうか?……まして、ロアンヌ様を城から追放されたのが他ならぬ貴方だと知った時は尚のこと、でございましょう」
弾かれたように顔を上げれば、窓から差し込む光輝が私の目を焼いた。男の背後から光輝が押し寄せている。若い僧が紡ぐ言の葉は礫となって私の皮膚を裂いていく。
「……ですが、家族を与える事を諦めるには早計というもの。絶望する必要などないのですよ……王妃様。実は数日前、私にも一人子供が生まれました。髪の色は貴方様とは異なる金糸ですが、王の髪の色も金糸です」
「そ……れ……は……」
「私の子は純血のヒュームですから貴方のような羽根は生憎ついてはおりませんが、血が薄まれば獣人の形質が出ない者も数多くいます。……賢い貴方様ならば何が最善で何が最良であるか……もう既にお分かりかと思われます」
呪われてあれ、とこしえに。
酷く蠱惑的な若い僧の囁きは私の心の一番弱い部分を擽る。ああ……やはりこれは呪いだ。私を姉のように慕ってくれていたロアンヌを追放した……その罰。
「……今私の子をこちらへ連れてまいります。いいですか?何が最善で何が最良か―……それをよくお考え下さい。これでいいのですよ。誰も傷付かず犠牲にもならない、夢のような唯一の方法です」
若い僧の長い白い髪が男の動きに合わせるように微かに動いた。光輝に照らされ空ける髪の向こう、その光に一筋涙が伝い落ちていく。
光輝があった。影があった。清らかな午後の日差しが赤黒い影を露わにする。影―……濃い、罪の色の影が私を覆っていた。
「もうしわけ……もうしわけありません……王……」
私は貴方の家族を……三人も殺してしまった……
++++++++++++++++++++
時間にしてどれぐらいになるだろうか。教皇が俺達に話した話はにわかには信じがたい、例えるならお伽噺のような話だ。
だがここにいる誰一人として、たった今語られた話が嘘だとは思わなかったはずだ。荒唐無稽な話だと切り捨てる事ができなかったからだ。
むしろ真実がそうであるならば、何故目の前の男が異様は早さで出世を果たし、その歳で教皇の座まで上り詰める事ができたのかその説明ができる。
俺自身教会の歴史に明るいわけではないが……組織のトップとして立つにはブランチュールは若すぎるんだ。だってそうだろう?旧教会にはこいつよりも歳が行った枢機卿も数多くいる。
なのに何故そいつらを差し置いてブランチュールが教皇の座に就いているのか……理由は一つ、特別な何かがあったからに他ならない。
「……王妃とその子は……どうなった」
澱があった。沈黙の澱が。長く蟠るそれを破ったのはルマだった。彼女の手が微か震えている事に気付き、彼女の手を強く握る。
最後に別れた時は長かった彼女の金糸の髪は今は短く切り揃えられているが、それでも俺の位置から今の彼女の表情を伺う事は出来ない。前髪が落とす、濃い、影がルマを覆っていたから。ざらざらとした目に見える影が。
ルマの様子を確認すると教皇は目を閉じて一息に立ち上がった。瞳の奥に浮かんだ焼き付いた光景を目蓋の下で反芻するように。過去の残滓をたどるように。
「ロアンヌ様……側室様のその後の行方は分かりません。御生まれになられたのはどうやら王子のようでしたが、ね。クラウン様はその後すぐにこの世を去りました。……勘違いなさらないで下さい。私が直接手を下したわけではありません。元々クラウン様―……王妃様はお身体が弱い方だったのです。だからこそ中々懐妊する事ができずに焦っておられたわけですが」
「答えろ。王妃が産んだ赤ん坊がその後どうなったかを。……私は、誰だ」
「……貴方は勘がいい方ですね、ルマンド様。ええ、そうです。貴方が考えている通り王妃の産んだ子供は死産ではありませんでした。少なくともその時は生きていた。白い翼が生えた王女でした。生きていれば今は17になるはずです。生きていれば、ですがね。捨てた王女が今生きているとも思えませんが」
ざらざらとした影があった。目に見える影が。
呪われてあれ。とこしえに。
「はじめまして、と言うべきでしょうかね。我が娘よ」
≪???/アルフォート≫
信仰によって、あなた方の心のうちに御子が住まわれますように。あなた方が愛に根差し、愛に土台を据え、その広さ、長さ、深さがどれほどのものであるかを、聖なる人々と共に理解し、人智を遥かに超えた御子の子の愛を悟ることができますように。
あなた方が、髪の溢れる豊かさによって満たされますように。
私達のうちに働く力によって私達が願い、かつ、思う事の全てを遥かに超えて、それ以上の事を行われるその方に、教会において、また御子において輝く栄光が代々限りなくあらゆる世代に渡ってありますように。
【エフェソの人々への手紙 第3章】
空は暗澹と垂れ込め、重い鉛色で世界を覆い尽くしていた。寄せては返す痛みの波の狭間、僅か、ほんの僅かに痛みが引いたその刹那、私は雨の音を聞いた。
全身を刃物のような風に切り裂かれたかのようだった。ここは屋内であり風が吹く余地などない。にも拘らず、私は風の只中にいたのだ。荒涼たる荒れ地を往く風の只中に。じとりと粘つく汗が背中を伝い落ちていく。
光は空にはなくましてや地にもあるはずもない。乱れる呼吸の中、痛みの中、一つの確信が私の脳裏を過って行った。
これは自らに課せられた呪いなのだ、と。
あの方からの寵を、慈悲を争い、そして私は彼女を―……彼女が宿した子ごと憎み嵐の夜に放逐した。あの方の御子を彼女が身籠ったから。自分の腹を庇うように、或いは愛おしむように手で覆う仕草を見た刹那、私の中にあった澱が弾け決壊した。
これは呪いだ。その呪いを私に課したのが彼女なのかあの御方なのか―……それとも自分自身の内から湧く罪の意識からなのか……それは分からなかった。分かる事と言えば、それが私の踵に結び付き、私が塵と果てるまでけして離れる事がないだろうということ。
呪われてあれ。呪われてあれ。
幾重にもうねる痛みの中でその声だけが明瞭だった。
「……子……わたくしの……おこは……あの方の御子は……御無事で……しょうか……」
「……残念ながら……長い分娩に御子は耐えられなかったようです。ご遺体は侍女に命じてすでにお隠し致しました」
「そ、んな……」
産褥の床で聞く寸毫のぬくもりもない事実。告げられた現実に私はただ軋む両手で自分の顔を覆う事しかできなかった。
呪われてあれ。呪詛がこだましていく。
「これはとても由々しき事態です。王は世継ぎを―……いや、家族を熱望されております。ロアンヌ様亡き今、貴方様が御産みになられた御子まで死産であったと知ったらどれほど王は落胆するでしょうか?……まして、ロアンヌ様を城から追放されたのが他ならぬ貴方だと知った時は尚のこと、でございましょう」
弾かれたように顔を上げれば、窓から差し込む光輝が私の目を焼いた。男の背後から光輝が押し寄せている。若い僧が紡ぐ言の葉は礫となって私の皮膚を裂いていく。
「……ですが、家族を与える事を諦めるには早計というもの。絶望する必要などないのですよ……王妃様。実は数日前、私にも一人子供が生まれました。髪の色は貴方様とは異なる金糸ですが、王の髪の色も金糸です」
「そ……れ……は……」
「私の子は純血のヒュームですから貴方のような羽根は生憎ついてはおりませんが、血が薄まれば獣人の形質が出ない者も数多くいます。……賢い貴方様ならば何が最善で何が最良であるか……もう既にお分かりかと思われます」
呪われてあれ、とこしえに。
酷く蠱惑的な若い僧の囁きは私の心の一番弱い部分を擽る。ああ……やはりこれは呪いだ。私を姉のように慕ってくれていたロアンヌを追放した……その罰。
「……今私の子をこちらへ連れてまいります。いいですか?何が最善で何が最良か―……それをよくお考え下さい。これでいいのですよ。誰も傷付かず犠牲にもならない、夢のような唯一の方法です」
若い僧の長い白い髪が男の動きに合わせるように微かに動いた。光輝に照らされ空ける髪の向こう、その光に一筋涙が伝い落ちていく。
光輝があった。影があった。清らかな午後の日差しが赤黒い影を露わにする。影―……濃い、罪の色の影が私を覆っていた。
「もうしわけ……もうしわけありません……王……」
私は貴方の家族を……三人も殺してしまった……
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時間にしてどれぐらいになるだろうか。教皇が俺達に話した話はにわかには信じがたい、例えるならお伽噺のような話だ。
だがここにいる誰一人として、たった今語られた話が嘘だとは思わなかったはずだ。荒唐無稽な話だと切り捨てる事ができなかったからだ。
むしろ真実がそうであるならば、何故目の前の男が異様は早さで出世を果たし、その歳で教皇の座まで上り詰める事ができたのかその説明ができる。
俺自身教会の歴史に明るいわけではないが……組織のトップとして立つにはブランチュールは若すぎるんだ。だってそうだろう?旧教会にはこいつよりも歳が行った枢機卿も数多くいる。
なのに何故そいつらを差し置いてブランチュールが教皇の座に就いているのか……理由は一つ、特別な何かがあったからに他ならない。
「……王妃とその子は……どうなった」
澱があった。沈黙の澱が。長く蟠るそれを破ったのはルマだった。彼女の手が微か震えている事に気付き、彼女の手を強く握る。
最後に別れた時は長かった彼女の金糸の髪は今は短く切り揃えられているが、それでも俺の位置から今の彼女の表情を伺う事は出来ない。前髪が落とす、濃い、影がルマを覆っていたから。ざらざらとした目に見える影が。
ルマの様子を確認すると教皇は目を閉じて一息に立ち上がった。瞳の奥に浮かんだ焼き付いた光景を目蓋の下で反芻するように。過去の残滓をたどるように。
「ロアンヌ様……側室様のその後の行方は分かりません。御生まれになられたのはどうやら王子のようでしたが、ね。クラウン様はその後すぐにこの世を去りました。……勘違いなさらないで下さい。私が直接手を下したわけではありません。元々クラウン様―……王妃様はお身体が弱い方だったのです。だからこそ中々懐妊する事ができずに焦っておられたわけですが」
「答えろ。王妃が産んだ赤ん坊がその後どうなったかを。……私は、誰だ」
「……貴方は勘がいい方ですね、ルマンド様。ええ、そうです。貴方が考えている通り王妃の産んだ子供は死産ではありませんでした。少なくともその時は生きていた。白い翼が生えた王女でした。生きていれば今は17になるはずです。生きていれば、ですがね。捨てた王女が今生きているとも思えませんが」
ざらざらとした影があった。目に見える影が。
呪われてあれ。とこしえに。
「はじめまして、と言うべきでしょうかね。我が娘よ」
≪???/アルフォート≫
