第18章 手を取り合って


祭りが盛大に行われる最終日に御子は立って声を張り上げて仰せになった。

「渇いている人は誰でも、私のところに来て飲みなさい。私を信じる人は聖書が言っているように、その人の内から生ける水が川となって流れ出る」

これはご自分を信じる人々が受けるはずの霊の事を仰せになったのである。御子がまだ栄光を受けておられなかったので、霊はまだ与えられていなかったからである。


【ヨハネによる福音書 第7章】






一つ、リュートの弦を指先で弾けば夕間暮れの通りに当然ながら一つ、新しい音が生まれ黄昏の底の空気を揺すった。

周りの人間からすれば演奏前の調律をしているように見えるだろうが、それは半分は正解でありもう半分は否でもある。演奏前の調律をただしているのではなく、その前段階のヘロヘロとした音ですら俺は聴くことを楽しんでいるのだから。客ではなく自分自身が楽しむために音を生み出している。

調律された音だけではなく、されていない音も聴いていたいのだ、俺は。

世界はイメージだ。故にこの世には全てがあるともそしてないとも言える。心がある者が世界を見れば、ここは何一つ不自由がない理想郷だろう。だが、反対に心がない者はどこへいたってどこへ行くことも出来ない。何をすることも出来ない。

この世界は広く開かれてはいるが、主体性がない者に関してはどこまでも残酷極まりない無慈悲な世界でもある。

調律が整ってきたリュートの弦を先程よりも強く爪弾いた。世界に今まで存在しなかった音が生まれ、滲んでいく。白紙の羊皮紙に真新しいインクを垂らした時のようにじわり、じわりと音の粒子が広がって行く。

世界はイメージだ。心がある者はどこにでもいける。だから俺はこいつを弾く。俺が生んだイメージを聴衆と共有できる。……この瞬間が堪らなく愛おしく思えるからだ。共有されたイメージと共に俺は世界のどこへでも駆けていくことが出来る。


「楽器、初めて見ました。また聞かせてください」


この国から遠く遠く離れた国の昔の流行歌―……その最後の和音を奏で終えると同時に俺の耳に届いたのは、見知らぬ一人の女の声だった。黄昏の風に吹かれて女の髪を彩る花の飾りが涼やかに揺れている。

見知らぬその女にいつもしているように目を細め少々草臥れ始めた鍔の広い帽子を差し出せば、彼女は少々慌てた様子でそこに一つ、物を放り込んだ。金貨でも銀貨でも、銅貨ですらない。丸まると大きな芋を一つ。


「……芋、か」


思いもしなかった差し入れを手に一度空へと放れば芋は放物線を描き、そして再び俺に手に帰って来る。芋をくれた彼女は家路を急いでいるのかもうこの場所から去ってしまっているが、先程見上げた彼女の表情を思い出し、そして次に今手にある芋を見つめていると―……自然と自分の口角が三日月形に釣り上がった。


「まあ宿代にならなくとも今日の食費はこれで少し浮くな。しかし芋か……調理場を貸してくれる宿が近くにあるといいんだが……蒸し芋にするか、バターをちょいと拝借して、な」


帽子の中に幾らか溜まった銅貨をポケットに捻じ込み、芋を手に腰を上げる。早々に店じまいしないとおっかない赤軍の役人に目を付けられかねない。ここは演奏禁止だったはずだから、な。


「一度目は偶然だが―……ふふっ……二度目があるだろうか?」


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「んっ?何やら下が賑やかだと思えば―……これじゃおちおち寝てもいられないな」


「きゃぁああああああああっ!!!あ、あなたはあの時の……!!ど、どうしてここに!?」


「ん~……どうしてと言われてもだなあ……客だからとしか言えない、な」


けして穏やかではない音が空を一度切る。二度目の音が空気と共に机を薙ぎ払うその前に不穏な音を生み出している棒を片手で掴めば、驚いたように瞠目する彼女と虚空で視線が交わった。


「おや?君は確か芋の?」


「い、芋?」


「お、お芋ですか……?」


何故この場所で、この流れで”芋”と言う単語が出てくるのか?

そう言いたげな二人の目が俺を見つめ、同時に解せぬと揃って首を傾げている。俺はと言えば、懸命に俺の手から棒を引っこ抜こうとしている女の身体を、棒ごと自分側へと引っ張った。俺の胸板と彼女の鼻先がぶつかる羽目になったが、このまま尻もちをついて床に尻を強打するよりは幾分かマシだろう。……たぶん。


「だ、だから!どうしてあなたがここにいるんですか!あと離して下さい!!」


「ん……だからさっきも言っただろう?客だ。金ならほら、あそこのカウンターの上に置いてある」


片手で彼女の身体と物騒な棒を抑えたまま、もう片方の手を使いカウンターを指さす。そこには差し込んできた細い光を反射して鈍く光る銅貨が数枚、積まれていた。

理由を説明した途端、眉間に皺を寄せられたが―……仕方がないだろう?俺がこの宿に泊まろうと入った時に受付には誰もいなかったんだからな。


「金も払ったし宿の帳簿もつけてあるぞ?勝手にだが―……何か問題でもあるか?」


「も、問題しかないに決まっているでしょう!!私はあの二人が私の目の前に来たらあの方のところに連れていかなくてはならないの……!だから、離して下さい!!」


「あの二人……っていうのはあちらさんのことか?」


視線を彼女から宿の入り口近くに立つ二人組へと移せば、男はまるで俺の視線から女を隠すように背に庇うよう動いた。彼女が今しがた口走った二人と言うのはあの二人組で間違いないのだろう。でなければどちらかがどちらを庇う動作をするわけがないしな。

……ふむ……なるほど……


「では、あの二人が君の前からいなくなれば、君は物騒な棒を振り回す必要もないというわけ、か」


片手を使い帽子を目元深くまで下げる。おそらく男の方だろう。気配で男が構えた事が分かった。

場の空気が底冷えしたものへと変わって行く。ピンッと張った弦のように張り詰めたものへと。その異様な変化に自分の口角が釣り上がった。


「なら。俺が君を誘拐して彼らの前から連れていってしまえば、君は彼らを誘拐する必要がなくなるわけだ。同時に君が彼らを襲う理由もなくなる」


「へっ?」


「はっ?」


「なっ!!?」


三者三様の呆けた声が鼓膜を揺すり冷えた空気を破って行く。彼女の身体をひょい、と脇に抱えれば思った通り、軽い力で彼女の身体は持ち上がった。バタバタと抗議するように彼女の手足は空を掻いているが、生憎こちらも女に力で負けるような鍛え方をしていないから何ら問題はない。


「はーなーしーてーくーださーさーいー!!はーなーせー!!!!」


「荷物は部屋にあるから回収して……金は……こっちもキャンセルするんだから回収だな。んっ?まだいたのか、お二人さん。今のうちだぞ?……何が、とは敢えて言わないが」


一度出会うのであればそれは偶然だろう。ならば二度会う者は?それは偶然ではなく人生の―……必然だ。


≪マナ・ミンストレル≫
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