第17章 未来潮流
兄弟の皆さん、あなた方の学んだ教えに反して分裂と躓きをもたらす人達を警戒するように私は勧めます。
彼らから遠ざかりなさい。このような人達は私達に仕えているのではなく、自分の腹に仕えているのです。また、上手い言葉や諂いの言葉を持って純朴な人達の心を欺いているのです。
あなた方の信仰による従順は、全ての人に知られています。それ故、私は貴方方の事を喜んではいますが、私の願うところはあなた方が善に聡く、悪には疎くあってほしいということです。
平和の神は、早やかに悪魔をあなた方の足の下で打ち砕かれるでしょう。
私達の主の恵みがあなた方と共にありますように。
【ローマの人々への手紙 第16章】
雷によく似た轟音が晴れ渡り雲一つない戦場に轟いた。その強烈な音と色濃く漂う火薬の臭いに反応し、乗っている馬が驚き、嘶き、反射的に足を止めた。
赤軍陣営から聞えて来たその音は、我々に向けて赤軍が放った兵器もしくは炸裂する魔法が大気を震わせたから―……ではなかった。もし、我々に向けた攻撃の音だとするならば、この一瞬で兵達が動揺し浮足立つわけがない。動揺したのは私も同じだが、あちらに広がった動揺はその比ではない。あれは……そう、奇襲を受けたレベルで混乱をしている。
手綱を握る手に瞬間汗が滲んだ。一体何が起きた?……その疑問はすぐに晴れることになる。
赤軍の後方で翻るあの軍旗は……底が抜けるような今にも落ちて来そうな空に靡いているあの旗の紋章は―……私の記憶が確かならば、あれは……
「わい。わいはおいん敵か?」
「……それはお前の所属次第だ。お前が赤軍に所属している兵ならば、私はお前の敵になる」
ひたり、と冷たい抜き身の鋼が首筋に触れた。気配を消し私の背後を取った聞いた事がない男の声に、振り返らず解を返す。下手に振り返ればその瞬間に首が飛ぶ。纏う殺気に察した。……勿論、こちらとてただでやられるつもりは毛頭ないが。
「なんじゃ、つまらん。つまりわいはおいん敵じゃなか」
背後から殺気が消え、代わりに不釣り合いなどこか陽気ささえ感じるものへと空気が変わっていく。空気が分かったことを確認し、乗った馬ごと振り返れば、そこには異国の鎧を纏った美丈夫が一人、大太刀を背負い佇んでいた。……この身なりと背負った武器―……刻と同郷の人間だろうか。それにしては刻とは違い言葉の癖が酷く強い。
「……敵、か。もし、お前の言う敵が赤軍の兵だというなら、それは私も同じだ。私も赤軍と戦うためにここに残った」
「大将にあまり殺すなと釘を刺されちょっでな。わいは見逃してやっ。……もし保護して欲しかったらあっち行け。マンシュタインの大将がおる」
「……やはりあの紋章はマンシュタイン家の紋章か」
マンシュタインの名に私の中で全てが線で繋がった。各地に敵を作ってきたアローゼ家と最後まで同盟関係にあった名家の名だ。誰かが救援要請を頼み、それに応じ参戦したのだろう。ならば全て合点が行く。
……目を凝らせば、遥か向こうの荒れ地を掛けていく馬が一騎見える。アルフォートが乗った馬だ。戦場を離脱し、ミルファスの元へ向かう後姿がドンドン遠ざかっていく。自然と自分の口元に弧が浮かんだ。
「ん?わいは逃げんのか?」
「ああ。彼が自分の役割を遂行できるように私も私が出来ることをせねばなるまい。……少しでも時間を稼ぐ必要があるからな」
「そうか。おいん邪魔はすっなじゃ」
馬の手綱を片手で握り、剣の柄を持ち直した。一点を見据えて。……邪魔をするな、か。それはこちらの台詞でもある。
「いくぞっ!!!!」
馬の蹄が荒れ野の固い土を浅く削る。剣を構え、異国の剣士と共に私は一気に突撃した。
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「……ここまでか」
誰に聞かせるわけでもなく呟いた言葉は自分の鼓膜のみを揺すり消えていく。自分の後方で杖を奮い、傷病兵を癒し続ける彼女へ、彼女に気付かれぬように肩越しで視線を送り息を吐き出した。
戦闘には流れというものがある。それは小局であろうが大局であろうが同じだ。些細な流れのうちであれば強引に引き戻す事も可能だろう。だが、大きな潮流へと変わってしまった後ではそれも不可能だ。俺と同じ事を感じ取った人間は、現に背を向けて退却を始めている。
……いや、これはハナから退却するように仕組まれていた。と言った方が正しいのかもしれない。少々分かり辛いが一部分だけ手薄な経路がある。
包囲された兵は逃げられないと知ると団結をする。破れかぶれの決死の抵抗をするものだ。だが、わざと一部分を空けておけば?自分だけは先に逃げようと兵は仲間割れを始めるだろう。
ここにいる赤軍の兵達は比較的錬度の高いが、敵が大軍を率いてこっちを挟み撃ちした時点で勝敗は決していた。……随分頭の切れる軍師が向こうにはいるらしい。
それに、だ。こっちの指揮を取る黒衣の男もどうもそれに乗じている気がある。大局が決まった時点で兵を少しずつ逃がすように舵取りをしているように俺には思えてならなかった。手薄な方向へ向かう兵達に対して相手側が迫撃を仕掛けてこない事がそれに拍車をかけていた。
……こっちの指揮官も無駄で無謀な命令を下す馬鹿ではないということか。
「エテル」
「アナム……!あなたも怪我をしてる……!待ってね、今治すか……ら……」
「……悪いなエテル。時間切れだ」
彼女の白く細い首筋に手刀を一度、躊躇うことなく落とした。軽い脳震盪を起こし一時的に気を失った彼女を腕に抱え、主を失くした馬の鐙に足を掛け、その背に彼女ごと乗る。
彼女が目を覚ました時、彼女は間違いなく俺に対して怒るだろう。いや、怒るどころではなく怨まれるかもしれない。「私は戦い抜けるならば、あの場で死んでも構わなかったのに……!大義の為の礎となれるなら死んでも構わなかったのに!」と。
……だが、エテルは知っているだろうか?戦場で敗れた側の女兵士に待っているのは死よりも惨い、その尊厳すら殺す辱めであるということを。……そんな事させやしない、絶対に。そんな事になったら俺は……死んでも死にきれない。
「……悪い。俺を怨んでもいい。……だが、今は俺のエゴを通させてくれ」
「勝鬨を上げろ!我がマンシュタイン軍の勝利だ!!!」
若い男が上げた声が微か、風に乗り届く。遠く戦場から聞こえてくる声を背に俺は馬を走らせた。
≪セデル/メドラウト≫
