第16章 デミアン
陽の光が差し込む窓の側で一通の手紙に目を通す。
長く家に帰らないまま何処にいるのか生きているかも解らなかった双子の兄からの手紙だった。
そこにはこう書かれていた。
『北の地の国境にて赤軍との衝突が予想される。至急援軍を要請する。』と……。
あまりにも唐突だ。
こちらは何も聞かされていないと言うのに……勝手に出ていって騎士の役目も家を守る役目も放り投げて一体どこをほっつき歩いているかと思えばこのような厄介な事に巻き込まれているとは……。
我が兄ながら……なんとも短絡的というか……。
あいつの事だ。大局を読むよりも義理人情で動いたに違いない。
ああその浅はかな考えのせいでこちらがどれ程胃を痛めたかあいつは解っていないのだろうな……。
さて、どうしたものか……。
控えめにコンコンと軽く扉を叩く音が響き渡ったのは手紙を読み終えた直後の事だった。
僕は机の引き出しに手紙を隠し、扉の向こう側にいるであろう訪問者へ向けて声をかけた。
「どうぞ。」
「失礼いたします。シャルトリューズ卿。」
音を立てて開かれた扉の向こうから現れたのは小柄な体格の麗しい騎士の姿だった。
「ああ、君か。ラシュクーレ。」
被っていた帽子を手にとって胸元に当ててこちらを真っ直ぐに見つめてくる小さな白騎士。
初めて会ったときから彼女のこの真っ直ぐな瞳に自分は惹かれていた。
自分の信じる正義を信じて疑わず、真っ直ぐに前を見据えるその強い光を宿した瞳に……
「ふふ……今日も君の凛々しい姿を見れて嬉しい。
もうすっかり王都には馴れたようだね。ラシュクーレ。」
「はい、シャルトリューズ卿……ですが、私は暫しここを離れる事になります。
赤軍の前線基地へ支援に行こうと思っているのです。」
「前線へ……」
頭を強く打たれたような衝撃が走った。
彼女が赤軍として前線へ立つ。
彼女は危険を承知でそこへ赴くつもりなのだろう。
彼女の信じる正義を貫く為に。
私に彼女の決断を止める事はできない。
こんなにも穢れのない瞳で真っ直ぐに見つめてくる彼女の決意を……今の僕には止める権利なんか……
「色々お世話になりました。
シャルトリューズ卿。」
深々と頭を下げて礼を述べ、彼女はくるりと踵を返して扉の方へと歩きだす。
待て……行くな……
懸命に伸ばした右手で立ち去る彼女の手を強く掴んでそのまま胸へと引き寄せる。
驚き声をあげる彼女の声には答えずに強く強く抱き締めた。
それが君の選択ならば……僕に止める権利は無い……ラシュクーレ……君の歩む道が例え困難なものだと解っていたとしても今の僕にはそれを止める事はできないんだ……。
だから……
「ラシュクーレ……これを。」
「これは……?」
「ずっと君に贈ろうと思っていたものだ。
どうか受け取ってほしい……。」
手渡した小箱に入っているのは太陽を象った金のネックレスだ。
いつか彼女に渡そうと密かに買っておいた贈り物だ。
「きっと護ってくれる事だろう。
君の行く道に太陽の加護があらんことを……。」
祈りを込めてそっと彼女の額に口づけた。
どうか彼女を護ってほしい……とそう願いながら。
「あ……ありがとうございます……シャルトリューズ卿。」
頬を真っ赤に染めて言葉を口にする彼女の姿がとても愛らしく見えた。
いつもの凛々しさはどこかへ消えて、そこには騎士ではなく、一人の乙女の姿があった。
「ふふ……。『シャルトリューズ卿』……そう呼ぶのは君だけだ。ラシュクーレ。」
「えっ……?」
「そういえば、僕の名前をちゃんと教えていなかったね……。」
君だから……君だからこそ伝えたいんだ。
僕の名前を。
兄の代行者であり、影武者の姿である『シャルトリューズ卿』ではなく、僕自身の名前を……本当の僕の姿を知る君だからこそ伝えておきたいんだ。
もう一度そっと彼女を抱き寄せて耳元でそっと囁くように口にする。
「僕の名前は…ロジャー・シャルトリューズだ。」
「やあ!ロジャー!久しぶり。」
「相変わらず呑気なやつだなピエール。全く持って憎らしい。
君のおかげで僕の仕事が倍になった事、許してはいないからね?」
「ああーー……その件は本当に済まなかった…!」
全く、解っているのかこの男……。
目の前で両手を合わせて拝むような仕草をしてはいるが……これがまた自分と瓜二つな顔をしているものだから余計に滑稽で腹が立つ。
「今すぐそれをやめろピエール。
同じ顔でヘラヘラ笑うんじゃない。
今は戦前だ。そのような緩んだ顔を見せては示しがつかないというものだろう?
仮にもお前は次期当主なのだぞ?放り出した期間が長すぎてその小さな脳ミソから当主の自覚が消えてしまったというのなら何度でも教えてやろうか?嫌味混じりに??」
「君僕に対してだけ辛辣じゃない??」
「さあ?何の事やら?」
これくらいでは足りないくらいだ。
僕がどれだけ苦労したと思っているんだ。
こいつが失踪してからというもの、騎士の仕事は倍になり、失踪した事が表沙汰にならないよう兄の服を着て1日を過ごす事もあった。
スケジュール調整を重ねてなんとか凌いだものの、最近あの双子が二人並んでいる姿を見たことがないと怪しまれ初めた時にはどうしようかと……
いつか胃に穴が開いてしまいそうだと思いながら日々を過ごした。
まあ、そんな日々の中にも救いの光はあったわけだが……。
だが……もしこいつが騎士の責務を放り投げて反逆者……アルフォートの仲間として行動していたと表に知れ渡ったとしたら……?
ああ……キリキリと胃が痛む……そんな時に友軍支援をよこせだと??
ラーメン屋の出前とは訳が違うんだぞ??本当に解っているのかこいつは…!
「お前が家に帰ったら絶対今度は僕が出ていくからな!!
今まで好き勝手してきたんだから文句は言わせないからな!!!!」
「どうしたんだよ急に!?」
「むしろこれくらいで済んでよかったと感謝してもらいたいものだ。
怨み事が一言二言で済んでるだけでも有り難いと思え。
言いたいことはまだまだ山ほどあるんだからな。」
「一言二言……?いや、もっと言ってたよね?
もう……いつからこんなに口が悪い子になったんだろ?お兄ちゃん、いつか君がフルオライトと同じになるんじゃないかと思うとすっごく心配…!」
「誰ですかそれは……?」
とりあえずその名前の人物も大層ストレスを溜めやすい人間だと言うことだけは理解できた。
ああ、おそらくこいつも迷惑をかけたことだろう。激しく同情する。
「まあ、僕の手紙に応えて友軍支援に来てくれて本当に感謝してるよロジャー。
長いこと留守にしてて苦労をかけた……本当に済まないと思っている。」
「……ピエールの為だけじゃないさ。
僕は僕の為にここに来た。」
ああ……僕もピエールの事を全て悪く言えないんだ。
僕もまた大局よりも己のエゴを優先したのだから。
「僕も護りたい人がいるんだ……今ここに。」
長く家に帰らないまま何処にいるのか生きているかも解らなかった双子の兄からの手紙だった。
そこにはこう書かれていた。
『北の地の国境にて赤軍との衝突が予想される。至急援軍を要請する。』と……。
あまりにも唐突だ。
こちらは何も聞かされていないと言うのに……勝手に出ていって騎士の役目も家を守る役目も放り投げて一体どこをほっつき歩いているかと思えばこのような厄介な事に巻き込まれているとは……。
我が兄ながら……なんとも短絡的というか……。
あいつの事だ。大局を読むよりも義理人情で動いたに違いない。
ああその浅はかな考えのせいでこちらがどれ程胃を痛めたかあいつは解っていないのだろうな……。
さて、どうしたものか……。
控えめにコンコンと軽く扉を叩く音が響き渡ったのは手紙を読み終えた直後の事だった。
僕は机の引き出しに手紙を隠し、扉の向こう側にいるであろう訪問者へ向けて声をかけた。
「どうぞ。」
「失礼いたします。シャルトリューズ卿。」
音を立てて開かれた扉の向こうから現れたのは小柄な体格の麗しい騎士の姿だった。
「ああ、君か。ラシュクーレ。」
被っていた帽子を手にとって胸元に当ててこちらを真っ直ぐに見つめてくる小さな白騎士。
初めて会ったときから彼女のこの真っ直ぐな瞳に自分は惹かれていた。
自分の信じる正義を信じて疑わず、真っ直ぐに前を見据えるその強い光を宿した瞳に……
「ふふ……今日も君の凛々しい姿を見れて嬉しい。
もうすっかり王都には馴れたようだね。ラシュクーレ。」
「はい、シャルトリューズ卿……ですが、私は暫しここを離れる事になります。
赤軍の前線基地へ支援に行こうと思っているのです。」
「前線へ……」
頭を強く打たれたような衝撃が走った。
彼女が赤軍として前線へ立つ。
彼女は危険を承知でそこへ赴くつもりなのだろう。
彼女の信じる正義を貫く為に。
私に彼女の決断を止める事はできない。
こんなにも穢れのない瞳で真っ直ぐに見つめてくる彼女の決意を……今の僕には止める権利なんか……
「色々お世話になりました。
シャルトリューズ卿。」
深々と頭を下げて礼を述べ、彼女はくるりと踵を返して扉の方へと歩きだす。
待て……行くな……
懸命に伸ばした右手で立ち去る彼女の手を強く掴んでそのまま胸へと引き寄せる。
驚き声をあげる彼女の声には答えずに強く強く抱き締めた。
それが君の選択ならば……僕に止める権利は無い……ラシュクーレ……君の歩む道が例え困難なものだと解っていたとしても今の僕にはそれを止める事はできないんだ……。
だから……
「ラシュクーレ……これを。」
「これは……?」
「ずっと君に贈ろうと思っていたものだ。
どうか受け取ってほしい……。」
手渡した小箱に入っているのは太陽を象った金のネックレスだ。
いつか彼女に渡そうと密かに買っておいた贈り物だ。
「きっと護ってくれる事だろう。
君の行く道に太陽の加護があらんことを……。」
祈りを込めてそっと彼女の額に口づけた。
どうか彼女を護ってほしい……とそう願いながら。
「あ……ありがとうございます……シャルトリューズ卿。」
頬を真っ赤に染めて言葉を口にする彼女の姿がとても愛らしく見えた。
いつもの凛々しさはどこかへ消えて、そこには騎士ではなく、一人の乙女の姿があった。
「ふふ……。『シャルトリューズ卿』……そう呼ぶのは君だけだ。ラシュクーレ。」
「えっ……?」
「そういえば、僕の名前をちゃんと教えていなかったね……。」
君だから……君だからこそ伝えたいんだ。
僕の名前を。
兄の代行者であり、影武者の姿である『シャルトリューズ卿』ではなく、僕自身の名前を……本当の僕の姿を知る君だからこそ伝えておきたいんだ。
もう一度そっと彼女を抱き寄せて耳元でそっと囁くように口にする。
「僕の名前は…ロジャー・シャルトリューズだ。」
「やあ!ロジャー!久しぶり。」
「相変わらず呑気なやつだなピエール。全く持って憎らしい。
君のおかげで僕の仕事が倍になった事、許してはいないからね?」
「ああーー……その件は本当に済まなかった…!」
全く、解っているのかこの男……。
目の前で両手を合わせて拝むような仕草をしてはいるが……これがまた自分と瓜二つな顔をしているものだから余計に滑稽で腹が立つ。
「今すぐそれをやめろピエール。
同じ顔でヘラヘラ笑うんじゃない。
今は戦前だ。そのような緩んだ顔を見せては示しがつかないというものだろう?
仮にもお前は次期当主なのだぞ?放り出した期間が長すぎてその小さな脳ミソから当主の自覚が消えてしまったというのなら何度でも教えてやろうか?嫌味混じりに??」
「君僕に対してだけ辛辣じゃない??」
「さあ?何の事やら?」
これくらいでは足りないくらいだ。
僕がどれだけ苦労したと思っているんだ。
こいつが失踪してからというもの、騎士の仕事は倍になり、失踪した事が表沙汰にならないよう兄の服を着て1日を過ごす事もあった。
スケジュール調整を重ねてなんとか凌いだものの、最近あの双子が二人並んでいる姿を見たことがないと怪しまれ初めた時にはどうしようかと……
いつか胃に穴が開いてしまいそうだと思いながら日々を過ごした。
まあ、そんな日々の中にも救いの光はあったわけだが……。
だが……もしこいつが騎士の責務を放り投げて反逆者……アルフォートの仲間として行動していたと表に知れ渡ったとしたら……?
ああ……キリキリと胃が痛む……そんな時に友軍支援をよこせだと??
ラーメン屋の出前とは訳が違うんだぞ??本当に解っているのかこいつは…!
「お前が家に帰ったら絶対今度は僕が出ていくからな!!
今まで好き勝手してきたんだから文句は言わせないからな!!!!」
「どうしたんだよ急に!?」
「むしろこれくらいで済んでよかったと感謝してもらいたいものだ。
怨み事が一言二言で済んでるだけでも有り難いと思え。
言いたいことはまだまだ山ほどあるんだからな。」
「一言二言……?いや、もっと言ってたよね?
もう……いつからこんなに口が悪い子になったんだろ?お兄ちゃん、いつか君がフルオライトと同じになるんじゃないかと思うとすっごく心配…!」
「誰ですかそれは……?」
とりあえずその名前の人物も大層ストレスを溜めやすい人間だと言うことだけは理解できた。
ああ、おそらくこいつも迷惑をかけたことだろう。激しく同情する。
「まあ、僕の手紙に応えて友軍支援に来てくれて本当に感謝してるよロジャー。
長いこと留守にしてて苦労をかけた……本当に済まないと思っている。」
「……ピエールの為だけじゃないさ。
僕は僕の為にここに来た。」
ああ……僕もピエールの事を全て悪く言えないんだ。
僕もまた大局よりも己のエゴを優先したのだから。
「僕も護りたい人がいるんだ……今ここに。」
