第16章 デミアン
『エテル―……俺はお前の騎士だ。お前を守り、支えよう。騎士の誓いだ。……だから独りで抱え込むな。心配するな。俺がいるだろう?』
彼の、そんな言葉を聞きながらゆっくりと眠りに落ちたはずだった。アナムの翼手に包まれて、腕のなかで体温を感じて。しんしんと降り積もる雪が音を全て吸い取ってしまっていて、まるで世界に私とアナムしかいないような……、そんな錯覚さえ生まれるほどに、静かな夜。それを越えて朝起きるはずだったのに――私は今、目覚めてしまっている。
隣には変わらずにアナムが眠っていて、背中には彼の体、私をおおうように腕がまわされてぴったりと寄り添っている。それがとても暖かくて……幸せだった。
「……雪、やんでる?」
ふと窓を見てみると、雪はやんでいるようだった。かわりに月が顔を出しているようでかすかに雪が月光を反射して輝いている。
「……ちょっとだけ、いいかな」
寝る前も感じていた何の音もない空間。世界にひとり取り残されたような気すらしてくるそんな、世界。なんとなくそれを味わいたくなって、こっそりとアナムの腕を抜け出した。
と、なんとなくアナムが動いたような気がして振り返る。……起きてはいない、かな? 薄く開いた唇からもれる呼気はとても穏やかで、深い眠りについているようだった。
穏やかな表情で眠るアナムだったけれど何か夢を見ているようで、もごもごと口が動いて。
「……エテ、ル……」
と、寝言で私の名前を呼んだ。
「っ……! ほんとうに、もう……」
私を支え、時に導き、守ってくれている私の騎士。そして、私の恋人。どうしよう……。どしようもなく、アナムが愛おしい。愛おしくて、気持ちが溢れ出して、止まらない。
その衝動のままに、寝返りを打って仰向けになった彼の顔にそっと近づいて、……キスをする。かすかなリップ音すらしないような、本当に触れるだけのキス。寝る前にアナムとしたようなキスとは違う、子どものようなキスだけれど……今の私には、まだこれが精一杯だ。
そっと唇を離して肩まで布団を掛ける。それほど長い時間外に出ているつもりもないから、アナムが起きる前に戻ってこよう。
「ふふ……。ちょっとだけ、外に行ってくるね」
いってきます、って小声で言って、ショールをまいて宿を後にする。
外は、一面の銀世界だった。詳しい時間はわからないけどきっと深夜。当たり前だけど、人はひとりもいない。あしあとをつけるときゅっと音がして、それがとても楽しい。月光のした、誰もいないと錯覚するような世界。なんとなく楽しくなってきて、くるくるとまわりながら足跡をつけていく。静かな夜に響く、雪を踏みしめる音が、とても好きだった。
かつて家族と暮らしていた時も、弟とこうして遊んだっけ。何もなかったけど、楽しかったなあ。なんとなく止まって具体的に思い出してみようと思ったけれど、楽しかったって笑う弟の笑顔しか出てこなかった。
ううん、結構小さい頃だったから覚えてないだけかな? そんなことを思いながら、またひとりの世界で遊ぼうとしたとき。
「……――ここにいたのか、エテル」
世界を割くように、アナムの声がした。寝ているって思っていたけれど、起きていたの?
「お前がいないからな、起きたんだよ。どこに行ったのかと思って心配しただろ」
「ごめんなさい……。なんとなく起きちゃったし、せっかくだからあそぼうと思って」
「あのなあ……。気づいてるか? 体が冷えてる」
ぎゅっと抱きしめられてショール越しでも伝わってくるアナムの体温が、体が予想以上に冷えていたことを教えてくれる。自分でも思った以上に長く外にいたみたい。
「あのね、アナム。……こうやって弟と遊んだなって思い出してたの。アナムは何か、そういう家族との思い出、ある?」
なんとなく切り出してしまった、今まで聞いたことがなかったアナムの家族の話。言葉の端々から、家族に対してあまり良い感情を持っていないのかな、とは思っていたけれどちゃんと聞いたことなかったから聞いてみたくて。
今は、せかいにふたりきりだから、聞けるかなって。
後ろから抱きしめられているから表情はよくわからないけれど、アナムは苦笑しているようで、気配が伝わってくる。
「家族、家族なあ……。俺は……まあ、あんまりいい家庭じゃなかったからなあ……」
「そ、そうなの? 変なこと聞いてごめんなさい」
「気にしなくても大丈夫だ。大事があったわけじゃない。……悪い、気を遣わせちまった。でも、エテルはいい家族に囲まれて育ったみたいだな」
よかったな、とぽつりとこぼされた言葉とともにかすかに抱きしめる力が強くなる。落ち込んでいるとか、そういう雰囲気はなかったように感じるけれど。なんとなく遠く感じてまわされた腕にすがるように――そっと手を重ねた。
「さて、ここにいると冷えるからな。中に入ろう。それで、あったかいものでも飲もう」
「うん、飲む。それで……また、一緒に寝ようね」
「! ああ、そうだな」
ちょっと目を見開いて、でもすぐにふわりと笑ったアナムにつられて私も笑う。ぎんのせかいでふたりきり。寒いけれど、とてもあたたかった。
彼の、そんな言葉を聞きながらゆっくりと眠りに落ちたはずだった。アナムの翼手に包まれて、腕のなかで体温を感じて。しんしんと降り積もる雪が音を全て吸い取ってしまっていて、まるで世界に私とアナムしかいないような……、そんな錯覚さえ生まれるほどに、静かな夜。それを越えて朝起きるはずだったのに――私は今、目覚めてしまっている。
隣には変わらずにアナムが眠っていて、背中には彼の体、私をおおうように腕がまわされてぴったりと寄り添っている。それがとても暖かくて……幸せだった。
「……雪、やんでる?」
ふと窓を見てみると、雪はやんでいるようだった。かわりに月が顔を出しているようでかすかに雪が月光を反射して輝いている。
「……ちょっとだけ、いいかな」
寝る前も感じていた何の音もない空間。世界にひとり取り残されたような気すらしてくるそんな、世界。なんとなくそれを味わいたくなって、こっそりとアナムの腕を抜け出した。
と、なんとなくアナムが動いたような気がして振り返る。……起きてはいない、かな? 薄く開いた唇からもれる呼気はとても穏やかで、深い眠りについているようだった。
穏やかな表情で眠るアナムだったけれど何か夢を見ているようで、もごもごと口が動いて。
「……エテ、ル……」
と、寝言で私の名前を呼んだ。
「っ……! ほんとうに、もう……」
私を支え、時に導き、守ってくれている私の騎士。そして、私の恋人。どうしよう……。どしようもなく、アナムが愛おしい。愛おしくて、気持ちが溢れ出して、止まらない。
その衝動のままに、寝返りを打って仰向けになった彼の顔にそっと近づいて、……キスをする。かすかなリップ音すらしないような、本当に触れるだけのキス。寝る前にアナムとしたようなキスとは違う、子どものようなキスだけれど……今の私には、まだこれが精一杯だ。
そっと唇を離して肩まで布団を掛ける。それほど長い時間外に出ているつもりもないから、アナムが起きる前に戻ってこよう。
「ふふ……。ちょっとだけ、外に行ってくるね」
いってきます、って小声で言って、ショールをまいて宿を後にする。
外は、一面の銀世界だった。詳しい時間はわからないけどきっと深夜。当たり前だけど、人はひとりもいない。あしあとをつけるときゅっと音がして、それがとても楽しい。月光のした、誰もいないと錯覚するような世界。なんとなく楽しくなってきて、くるくるとまわりながら足跡をつけていく。静かな夜に響く、雪を踏みしめる音が、とても好きだった。
かつて家族と暮らしていた時も、弟とこうして遊んだっけ。何もなかったけど、楽しかったなあ。なんとなく止まって具体的に思い出してみようと思ったけれど、楽しかったって笑う弟の笑顔しか出てこなかった。
ううん、結構小さい頃だったから覚えてないだけかな? そんなことを思いながら、またひとりの世界で遊ぼうとしたとき。
「……――ここにいたのか、エテル」
世界を割くように、アナムの声がした。寝ているって思っていたけれど、起きていたの?
「お前がいないからな、起きたんだよ。どこに行ったのかと思って心配しただろ」
「ごめんなさい……。なんとなく起きちゃったし、せっかくだからあそぼうと思って」
「あのなあ……。気づいてるか? 体が冷えてる」
ぎゅっと抱きしめられてショール越しでも伝わってくるアナムの体温が、体が予想以上に冷えていたことを教えてくれる。自分でも思った以上に長く外にいたみたい。
「あのね、アナム。……こうやって弟と遊んだなって思い出してたの。アナムは何か、そういう家族との思い出、ある?」
なんとなく切り出してしまった、今まで聞いたことがなかったアナムの家族の話。言葉の端々から、家族に対してあまり良い感情を持っていないのかな、とは思っていたけれどちゃんと聞いたことなかったから聞いてみたくて。
今は、せかいにふたりきりだから、聞けるかなって。
後ろから抱きしめられているから表情はよくわからないけれど、アナムは苦笑しているようで、気配が伝わってくる。
「家族、家族なあ……。俺は……まあ、あんまりいい家庭じゃなかったからなあ……」
「そ、そうなの? 変なこと聞いてごめんなさい」
「気にしなくても大丈夫だ。大事があったわけじゃない。……悪い、気を遣わせちまった。でも、エテルはいい家族に囲まれて育ったみたいだな」
よかったな、とぽつりとこぼされた言葉とともにかすかに抱きしめる力が強くなる。落ち込んでいるとか、そういう雰囲気はなかったように感じるけれど。なんとなく遠く感じてまわされた腕にすがるように――そっと手を重ねた。
「さて、ここにいると冷えるからな。中に入ろう。それで、あったかいものでも飲もう」
「うん、飲む。それで……また、一緒に寝ようね」
「! ああ、そうだな」
ちょっと目を見開いて、でもすぐにふわりと笑ったアナムにつられて私も笑う。ぎんのせかいでふたりきり。寒いけれど、とてもあたたかった。
