第16章 デミアン
影と言うのは何のことでしょうか?
影と言うのはどんなものでしょうか?
四粒目の石榴が口のなかで音を立てて潰れた。
シーツの海へと身を横たえ、震える声で呼びかける。
「ベリル様……私は……」
舌先で口から溢れた唾液を拭われ耳元でさらりと音を立ててベリル様の紫の髪が私を覆い隠す。
このまま五粒目の石榴を口にする寸前で貴方はそれを躊躇する。
私とは異なる深い青の瞳が露になった私の姿を静かに映したまま。
「コレー……本当にいいのか?今ならまだ引き返せる。影と共に沈むのではなく、白いまま日の元へ帰ることも出来る……」
「……影と言うのは何のことでしょうか?影と言うのはどんなものでしょうか?
ベリル様……貴方はお優しい方です……今この時も貴方は私の心を案じてくださっているのですね……。」
今更戻りたいなどと言うつもりはありません……。
「ベリル様は私を救ってくださいました。
今更貴方の愛を疑う事などありましょうか……?」
私を見つめる青い瞳の奥に切なげに揺らぐ貴方の心を知った。
「コレー……愛しているんだ……言葉では足りない。もっと触れたい、もっと優しくしたい……お前を包みたい」
拒絶などできるわけがありません……誰よりも優しい瞳で……誰よりも優しい声で貴方は私を求めてくれた……愛してくれた……。
貴方の想いに触れて……貴方の腕の温もりを知って……貴方の口付けの甘さを知った……貴方を……深く深く愛してしまった……。
貴方を愛し貴方に愛される喜びを知ってしまった……。
無知だった私に戻ることなどできません。
「私も貴方ともっと触れたい。
貴方と温もりを分かち合いたい。
とても幸せです……愛しています。」
日の光のもとでなく、闇に深く沈む事を望んだのは他ならない私自身です。
「ベリル様はご自身を影だと仰います……影とはどんなものでしょう…?
それは恐ろしいものでしょうか?
私にはそのようには見えません。
貴方は私に安らぎをくれる優しい影です。」
両手を伸ばして貴方の頬へと触れれば貴方は心地良さそうに瞼を閉じる。
再び開かれた瞳に私を映し、微笑みを浮かべながら貴方はそっと私の頬を撫でた。
「影……影だ。お前を包む影になりたい。お前が安心して休める場所に。コレー、幸せか?」
「はい、とても幸せです。
私は貴方のお側にいたい……私が安らげるのは貴方の傍らだけです……ベリル様。」
頬を優しく撫でる手に自身の手をそっと重ねた。
「私は……怖くありません。ベリル様と一緒ならどんな事でも……」
ベリル様はご自身を影だと言います……ですが……私はそれだけではないと思うのです。
貴方は私に安らぎを与えてくれる優しい夜闇です……
月明かりに照らされて優しく微笑む貴方に影は無い。
ベリル様が手にする石榴へ手を伸ばし、その実を一粒指で摘まんで口に含み貴方の唇へと口付ける。
貴方にも食べさせて差し上げたい……
私の想いを知って欲しい……
舌の先で石榴を潰し舌を絡めながら……長い長い口付けを交わす。
甘酸っぱい石榴の味が口の中に広がってゆく。
自分でも驚いているくらいです……恥ずかしいくらいに音を立てて舌を絡めながら貴方のキスを求めているのは私自身……はしたないと思われても構いません……私は貴方ともっと深く愛しあいたい……。
貴方の愛に応えたい……もっと自分の想いを貴方に伝えたい……。
唇を離して息を吸い込み、貴方と視線を交えながら言葉を紡ぐ。
「もっと……食べさせてください。4粒と言わず……12粒まで……。
私は……貴方ともっと深く触れあいたいのです……。」
ひと月……ふた月……いいえ……一年のうちの12の月全て。
貴方の傍らで四季の移ろいを見ていたい。
朽ちた屋敷で二人きり。私と貴方の他には誰もいない。
再び口付けを交わしながら貴方は私に石榴の実を食べさせて優しく撫でるように私の身体に触れて行く。
身体に口付けを落としながらゆっくりと手を伸ばし秘所へと触れる。
くちゅりと淫らな音が響く度に私の頬が熱を帯びた。
唇を離すと同時に声が漏れて恥ずかしい気持ちでいっぱいになる。
私は……こんな声をあげたことがあったでしょうか……。
初めて味わう感覚に乱されて行く。
息を荒げ身をよじり貴方の指を受け入れる。
とても嬉しい……嬉しい筈なのに何故か涙が溢れる。
口の中で12粒目の石榴が潰れた。
「あっ……ベリル……さ、ま……」
「……そのまま腕を回しているといい。爪を立ててもいい。……コレー……」
月明かりに青く照らされる部屋で二人きり。
身体を重ねゆっくりと深く深く繋がる。
爪を立ててもいいと貴方は言いましたが……私は貴方を傷つけたくなくて貴方の背中へを手を回し撫でるようにしながら強く抱き締めた。
愛しくて……愛しくて……貴方の身体を傷つけたくありません……
私はあの日貴方を拒絶し言葉で貴方を傷つけた……
貴方はきっと仕方の無いことだと仰る事でしょう……
ですが……今になってあの日の事を思い返すと……胸の奥が締め付けられるような思いになるのです。
このような地の底のような場所に連れてきて……信じられるわけがない……貴方の何を信じれば良いのですか……と……
貴方の想いを知らず……私はなんて酷い言葉を投げてしまったのだろう……と。
貴方はどんなに苦しい想いをなさった事でしょう……。
貴方の胸中を思えば思うほど……胸の奥が締め付けられるような切ない痛みを感じるのです……。
抱き締める腕に力を込める。離れないように……もっと深く繋がるように……今にも飛んでしまいそうな意識を保ちながら愛しい貴方の名を何度も呼ぶ。
「……ベリルさま……ベリル……さま……」
離さないでください……ずっと一緒に貴方と共に沈みたい……深い深い闇の底に二人で一緒に……。
貴方の頬へと手を伸ばし両手で包みながら自ら口付ける。
貴方が動く度に声が溢れる。でも……今は恥ずかしい気持ちはどこかへ消えて幸せな気持ちで満たされている。
愛しています……愛しています……
うまく声にならない声で何度も貴方に向かって声をあげた。
愛しています……ベリル様……私の愛しい方……私の愛しい影の王様……
未だ残る甘く痺れるような感覚と身体の火照り……自身の乱れた呼吸が耳に届く。
今にも消えそうな意識の中貴方は私を優しく抱き寄せた。
そして私の左手をそっと口元へと運び薬指に強く吸い付いて赤い輪を残した。
これは……まるで指輪のよう……。
「……結婚してくれ、コレー。俺と共に冬も、他の季節も共に歩んでほしい」
嬉しい……とても……。
沈みかけていた意識が微かに戻される。
ベリル様の優しい微笑みを見つめながら微笑みを返し頷くだけで精一杯。
ああ……もっと言いたい事が沢山あるのに……
「愛している、コレー。……俺の……”春”よ」
私も……愛して……います……。
