第16章 デミアン


「エリーですか?」

「貴様はいつも一緒にいるだろう?あの者が喜ぶものを知っているのではないのではないか…?」

「えーーーー??何言ってるんですかジル様ーーーー??あなたのほうが私よりもずっと長くエリーと一緒にいるじゃないですかーーー??
普通にエリー本人に聞いてみたらいいじゃないですかぁーーーー??」

「くっ……この女……。」

なんとも可愛げのない返事よ。
そんな事が出来るならばいちいち聞くわけ無かろう。
そんな事も解らんのかこの女は。

事の始まりはこの女の些細な一言から始まった。

『今日はホワイトデーですよー?ジル様ー?エリーに何かプレゼントしないんですかーーー??』

『エリーにだと…?何故私がそのようなことをせねばならんのだ??』

『あーーージル様そのご様子だと何も用意してませんね??知りませんよーーー??エリーに嫌われてもーーー????』

『ふん、くだらん。そのような俗世に染まりきった風習など。私には関係ない。』

その時はそう言ってその場を立ち去ったのだが、使用人の女の一言が妙ーーーーに気になって気になってどうしようも無い。

政務も思うように進まず苛立ちが募る。

「くそっ。マリめ……余計な事を。」

どうせ進まぬ仕事ならばと部屋を飛び出し黒髪のあの女の姿を探して屋敷を歩く。

そしてようやく見つけた女にこう問いかけたのだ。

『エリーの好きなものを教えろ。』と。

するとどういうことかこの女は「ご自分で聞けばいいじゃないですか?」と抜かし始めた。
黒い瞳が弧を描き、面白いものを見たと言わんばかりにニヤニヤと笑みを浮かべながらこちらの顔を覗きこみながら。

腹立たしい……非常に腹立たしい。
なんなのだ?なんなのだこの女は……?

眉間に皺を寄せると同時に額に青筋が浮いたような感覚さえ覚えた。

なんと不遜な態度であろうか。
だが今はこの女に頼る他にない……屈辱だが。

「そのような事が出来るならば貴様を探して屋敷中彷徨いたりいちいち助言を貰おうなどというような事はせん。奇行も良いところだ。」

「はーーーーー…!可愛くないですねーーーほんっっっっと可愛くないですねジル様。」

「……貴様は私の何なのだ?姉か?母親か?
どちらにせよ貴様の態度は使用人が主人に対してとるべき態度のそれではないぞ。」

「仕方ないですねーー私ジル様を御主人様と思ったことがございませんからーー。」

くっ……今すぐ解雇してやりたい……。

ギリリと歯を食い縛りその言葉が口からでないよう堪える。

エリーに言われたのだ……そうやって人を遠ざけてはいけない。
軽々しく縁を切ってはいけない……と。

エリーが側付きの使用人になってからと言うもの私は以前のように使用人を解雇するのをやめた。

苦手なのだ。私は。
エリーのあの顔が……心の底まで見透かすようなあの青い瞳が……哀しみに曇る姿を見たくはないのだ。


「そうですねーーーエリーだったら花一輪でも喜ぶと思いますよーー??」


「花一輪だと……?本当にそんな物でいいのか?」

「何言ってるんですかジル様。こういうのは数じゃないんですよ。ほらほら行った行った!お仕事の邪魔ですよーーー!」

そう言ってバシッバシッと背中を強く叩かれた。
仕事の邪魔だと言いながらモップで私を追い払うその度胸は一体どこから来るのだろうか…?

後日改めて勤務態度について話をせねばならんな。

「貴様の態度はあまりにも目につくところがあるが、今は特別に目を瞑っていてやろう。
私は忙しいのでな。」


そう言って踵を返してその場を立ち去った。


「花一輪……か。」


未だ白い雪が残る風景に鮮やかな赤。

従兄弟の見舞いに訪れた国で花屋に立ち寄り購入した一輪の赤い薔薇。

理解に苦しむ。たった一本の花で喜ぶなどと……そのような事があるだろうか……?

何とも欲の無い事だ。
これまで見てきた貴族の女達はいずれも強欲な女ばかり。

笑顔の裏に別の意図が透けて見える。

私はそういった女が嫌いだ。

国益の為だと言われようとも欲深な女を抱く趣味は無い。

そう言って何人もの縁談を断り続けて来た。

このまま独り身で一生を終える事になろうと構わない。


そう……思っていたのだがな……。


「ふん。たった一輪で想いが伝わるわけがなかろうが……。」

踵を返して先程の花屋へと戻る。

不思議そうな顔をしてこちらを見る店主に左手を真っ直ぐに突き出し薔薇を見せる。

何事かと驚き強ばる店主へ向けて私は堂々と胸を張りつつ言葉を投げた。

「おい店主。これと同じ薔薇をあと10本買おう。この鮮やかな赤が気に入ったのだ。」と。

††††††††††††††††††††††

「まあ、ジル様。お帰りなさいませ。
今日はどちらへ?」

私の姿を見つけたエリーがにこりと微笑みを浮かべてこちらへと歩み寄ってくる。
そんな彼女に自分はまたいつものように顔を背けて心にもない言葉を吐く。

「ふん。下女の貴様には関係なかろう。」

すると彼女はクスクスと肩を微かに震わせ笑いながら言葉を返してくる。

「ふふ。そうですね。

でも、お出掛けになられるときは一言お声をかけてくださいね?ジル様?」

エリーの青い瞳が真っ直ぐに私の瞳を見つめている。

何故だ。

このような扱いを受けて何故そのように微笑むことができる。

今まで出会ってきた女は皆私の言葉に恐れ震え涙を浮かべて去っていったというのに。

お前は何故私のもとから離れようとしないのだ……?


「ああ……次からはそうしよう。」

私はエリーの瞳が苦手だ。

心の底まで見透かして隠し事が出来ぬ。

彼女は賢い。
私が嘘を口にすればたちどころにそれを見抜いてしまう。

彼女に嘘や隠し事は通じない。

だから私はわざと彼女に会わずに屋敷を出たのだ。
従兄弟の見舞いは嘘ではないが…外出した目的は彼女に花を買うためだ…。

さて、彼女はどう思っているだろうか……?

ニコニコと笑みを浮かべている様子を見る限り、嘘をついている…とは思われてはいないようだが、隠し事をしている…ぐらいには察していそうだ……。

「ジル様?どうかなさいましたか?
どこか具合がよろしくないのですか?」

ふいに額にひやりと冷たい感触を覚える。
目の前には心配そうな顔を浮かべるエリーの姿。

トクリと胸の奥で心臓が跳ねる。
なんとも言い難い感情が胸の奥に沸き上がってくる。

「いや。問題ない。そのように心配するな……エリー。」

額に置かれていた手を握り頬へと寄せる。

細く白い手を包むように握る。
ピクリと指先が微かに震えた。

ふと視線を移せば頬を染めるエリーの顔が見えた。

それは今までに見たことのない表情だった。
何かに動揺しているようにも見える。

「……?どうした?」

「いえ……!なんでもありません。」

ふいっと顔を背ける姿にまた胸の奥がトクリと音を立てた。

この感情は一体何なのだ……何とも居心地が悪くなる。

早々に目的を果たしてしまうとするか。

「……エリー。」

「はい?なんでしょうか?」

私の声に答えて顔を上げる彼女の目の前に薔薇の花束を差し出した。

突然の事に驚き瞳を縦に開く彼女だったが、私はそんな彼女にはお構いなしに彼女の白く細い右手に更に小瓶をひとつ手渡した。

中に入っているのは鮮やかな赤いキャンディー。

「まあ……!これは薔薇の花束と……キャンディーですか?とっても可愛らしい…!」

それを見てキラキラと瞳を輝かせる彼女の姿。

また……胸の奥が跳ねた。

「そのようにはしゃぐな。子供でもあるまいに。」

「だってとっても嬉しいんですもの。ジル様から贈り物をいただけると思っていなかったから…。
とても素敵で食べるのがもったいないくらいですわ。」

「そうか……ならばこれならばよかろう?」

小瓶から赤いキャンディーを一つ取り出し、口に含み目の前に立つ彼女を抱き寄せて口づける。

お互いの唾液が混じりあい、口の中の飴がゆっくりと溶けてゆく。

自分でも何故そのような行動をとったのか、全く理解できぬが。
今はこの甘さに暫し浸っていたいとそう思っている……。
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