第7節 パンデミック
あなた方も聞いての通り、『あなたの隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、私達はあなた方に言っておく。あなた方の敵を愛し、あなた方を迫害する者の為に祈りなさい。
それは天におられる父の子となる為である。天の父は悪人の上にも善人の上にも太陽を昇らせ、正しい者の上にも雨を降らせて下さるからである。
自分を愛してくれる者を愛したからといってあなた方に何の報いがあろうか?徴税人でさえもそうしているではないか。自分の兄弟だけ挨拶したからといって、何か特別な事をした事になるだろうか?異邦人でさえそうしているではないか。
だから、天の父が完全であるようにあなた方も完全なものとなりなさい。
【マタイによる福音書 第5章】
「あー……食った食った!ごちそーさん!!」
「ふふっ……もうすっかりいつも通りですね、天青さん」
「熱が出て体が怠くなって尻が痛くなってから今日で丸々5日目だからな。……マジできっかり5日なんだな。インフルエン痔の症状が出るの。あと数日休めばギルドに顔を出しに行けそうだ」
大きく開けた窓からこの時期にしてはだいぶ温い風が吹き込み、窓辺の薄手のカーテンを躍らせる。熱が出て寝込んでからというもの数日間締切っぱなしだったこともあり、いつも以上に部屋に吹き込む風が心地よく感じた。白竜が飾ってくれた花が一輪、揺れている。
彼女が来てからこの部屋もだいぶ賑やかになって来たな、と、自分が座っているファンシーなドーナッツクッションを見下ろしぼんやり考えた。
「んでも良かったよ。俺のインフルエン痔が白竜に移らなくてよ」
「ふふっ……だから最初の日に言ったじゃないですか、天青さん。天青さんのお部屋にいる方がもしかしたら移りにくいかもしれません、って」
白竜の瞳がその言葉と共にへにゃりと優しい弧を描いた。俺が熱を出し尻を痛めてからというものこうして彼女は俺の看病をしてくれていた。流石にいつもしているように添い寝をするわけにもいかねーから夜はそれぞれ別々の部屋で寝ていたが、それ以外の時間はこうして世話を焼いてもらっていたように思う。感謝してもしきれない。
「味、どうでしたか?少し濃かったでしょうか?」
「いーや。むしろ調度いいぐらいだったぜ、鍋焼きうどん。それに味付けを濃くしたのはわざとだろ?俺が熱出て汗かいてたから」
白竜が今日の昼飯にと俺に作ってくれたのは小さな土鍋に入った煮込みうどんだった。
少し太めのうどんと一緒にくたくたになるまで煮た大根や人参、蕪やほうれん草、そしてさっぱりとした脂身が少ない鳥のささみが具として入った少し濃い目の味付けの鍋焼きうどん。具材を閉じ込めるように上に乗ったふわふわの卵まで味がよく染み込んでいてとても美味しい。一口噛めば具から出た出汁がじわりと口の中いっぱいに広がった。
パン粥と同じで消化にいいものを作ってくれたんだと思うが、これなら病気じゃない日も普通に昼飯として食べたい。リクエストすれば病気じゃない日も作ってくれるだろうか?
「あの……天青さん?」
「ん、どうした?白竜?」
医者から処方されていた鎮痛剤の最後の一錠をぬるめの白湯で俺が流し終えるのとほぼ同時だった。隣に座っている彼女が少し言い辛そうな様子で顔を赤らめもじり、と、身を捩ったのは。彼女が俺にこういう態度を取る時は何か俺に聞いてほしい事がある時だ。だから、どうした?と一言問い掛けた後は黙って続く彼女の言葉を待った。
「あの……尻尾を……尻尾を少し絡めてもいいですか?」
「尻尾?俺と白竜の尻尾か?」
「はい……5日間天青さんに触れる事が出来なかったので―……だから……あの、せめて尻尾ぐらいなら触れても―……」
彼女が言葉を紡ぎ終えるその前に自分の体が動く。彼女の細い腕を自分側へと引き、柔らかな彼女の体を自分だけのものだと主張するように抱きしめた。勿論、自分の尻尾を彼女の尻尾にぐるりと絡み付けて。
丸々5日間も白竜と触れ合えなくてストレスを感じていたのは何より俺自身に他ならない。正直尻の痛みよりもそっちの方が精神的に堪えたからな。触れたいのに触れられないってマジで拷問だぞ……!?
「ほんっっっっっとうに可愛いな!白竜……!!!」
数日ぶりのすぐそばで香る彼女の香りが、病み上がりの胸を優しく満たしていく。食後の片づけがまだ残っているが、それは彼女を思う存分抱きしめた後にゆっくり二人ですればいいだろう。
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「おう、豆。復帰早々ギルドの奴らにすこーばかり八つ当たりされたらしいな?」
「すこーしなんてもんじゃねえ!!こっ酷くだ!ルーベラ!あいつらマジで人の事ど突きやがって!雑巾じゃねーぞ俺は?」
「はっはっは!まあそんだけ元気ならお前も他の連中も大事はなさそうだな!」
ズキリズキリと拍動するように痛む後頭部を片手で押さえて愚痴を溢せば、まあそうカリカリするな、と、このギルドの柱であるルーベラはデカい体躯を楽しそうに揺らしながら豪快に笑って見せた。ルーベラ自身もいつもと変わらず元気そうだがいつもの豪快な声がこの時ばかりは後頭部に響く。まあ、ルーベラに倒れられるよりはこっちの方がずっとマシだけどよ。
そもそも何故こんなにも後頭部が疼いているかというと、今回のインフルエン痔パンデミックのA級戦犯としてギルドの荒れくれ共にもみくちゃにされたからなんだが―……仮に俺がウイルスをばら撒いた戦犯だとしても俺自身も数日寝込んだんだ。イーブンだろ!?イーブン!それでチャラだ!!あいつらはそれを分かっちゃいねえ!!!尻穴が痛かったんだぞ!!こっちは!!
「俺が戦犯だとしても俺も病み上がりだぞ?」
「それなんだがな~……豆。お前が今回の戦犯だとすると一つみょ~~~なことになる。と、ギルドの医者が漏らしていてだな」
「はっ?妙なこと?んだよそれ?」
「お前は熱を出してすぐ部屋に帰って引きこもっただろ?ここのギルドに長い時間はいなかったはずだ。が、早々に隔離されたにしては異様にギルドの中で流行っちまった。おかげでうちのリザも野郎どもの世話にかかりっきりで俺とあまり一緒にいられない。どうしてくれる」
「いや、前後の話繋がってねーからな?で?」
「だから、早々に隔離されたお前以外に隔離されていない感染源がいてそいつがギルドの中に広めたんじゃねーかって話になったんだよ。おい、豆。お前確か熱が出る前にペアで依頼を受けていたよな?」
ルーベラの言葉にぐるりと思考を巡らせ一巡させる。熱が一番酷かった時の事は意識が朦朧として曖昧だが、その前であれば思い出せそうだ。確かインフルエン痔になる直前に俺と一緒に糞寒い乾燥した場所で依頼を受けていたのは―……
「ルーベラ、すまない。オロナイン軟膏はないか?どうにも数日前から尻の調子が良くない」
音を立てて勢いよくルーベラの部屋の扉が開く。ひらりと赤褌を棚引かせて堂々と現れた男は俺がインフルエン痔に罹る直前に一緒に行動をしていた男だった。
ってことは、何か?今回の騒動の本当のA級戦犯は……?????
《天青》
