第7節 パンデミック
次の安息日には殆ど町中の人が、主の言葉を聞きに集まって来た。しかし、ユダヤ人達はこの群衆を見て妬ましさのあまり口汚く罵り、その語る事に反対した。そこで、パウロとバルナバは断固としてこう語った。
「神の言葉はまず、あなた方に語られなければならなかったのです。ところが、あなた方はそれを拒み、自分達を永遠の命を受けるに値しない者としてしまっている。そこで、今私達は異邦人の人達の方に向っていきます。主は私達にこう命じられておられます」
『私はあなたを異邦人の光として立てた。あなたが地の果てまでも救いをもたらすために』
異邦人達はこれを聞いて喜び、主の言葉を讃えた。そして、永遠の命を預かるように定められていた人々は皆、信仰に入った。このようにして主の言葉はその地方に広まっていった。
しかし、ユダヤ人達は、神を崇める貴婦人達や、街の主だった人々を扇動し、パウロとバルナバに対する迫害を起こし、その地方から二人を追い出した。二人は彼らに対して足の塵を払い落とし、イコニオンに行った。他方、弟子達は喜びと聖霊とに満たされていた。
【使徒言行録 第13章】
「おや、今日は君が私の世話係なのかい?」
「そのように仰せつかっておりますので。今日一日侍女を務めさせていただきます。フリードリヒ様」
「ああ、知っているとも。だが、私は貴族でも枢機卿でもない。堅苦しい事は少々嫌いでね。同志と思って君も楽にしてくれると嬉しいのだが―……」
「立場上それは出来かねます。どうかご了承くださいませ、フリードリヒ様」
少し霞みがかった青が天球を支配し、埋めている。安息日の気だるげな街に、どこかの教会が鳴らした鐘の音が一つ響いた。
「まあ、君はそう言うだろうとは思っていたがね。君の勤勉さは昔からこの城にいる者ほど雄弁に語ってくれる。一度断られた以上、砕けた態度を君に強要するつもりはない。安心するといい」
「食後のお飲み物はいかがいたしましょうか?」
今しがた終えたばかりの朝食の皿を慣れた手付きで手際良く片付け、淡々と自分がすべき仕事を進める彼女の姿に自然と唇が弧を描いた。
怠惰は悪徳だが勤勉さは美徳だ。故に職務を全うしようとする彼女の態度は自分の目には好ましいものとして映る。
「そうだな……では紅茶をいただこうか。……茶葉の種類は何があるんだい?」
「ダージリン、アッサム、アールグレイをご用意してあります。それからウバも」
「……なら今日はウバをいただこうか。ああ、勿論、ミルクを入れたミルクティーにしてもらえると嬉しい。それからソーサーとカップは二つ用意してもらえるかい?」
「二つ……ですか?これから誰かの訪問があるのでしょうか?」
「ああ、前々から話してみたいと思っていた人でね。やっと話せる場を設けることが出来た」
伏せていた顔を上げ、数度不思議そうに瞬きをする彼女の目元に、彼女の長い睫毛が影を落としていた。しばし、思案するように瞬きを繰り返した後、彼女が優雅な所作で一礼をし、一度部屋を退出した。……当然だろう。予め用意されていたカップとソーサーは一組だけだったのにも関わらず、私の我がままでもう一つ必要になってしまったのだから。
さて、これから私と話すその人間は私になんと語ってくれるだろうか。期待が私の顔に笑みを浮かべさせていた。
「紅茶の準備が整いました」
「そうかい。それは丁度いい。待ち人も今部屋に来てくれた事だしね」
「……フリードリヒ様の他には誰もいないようにお見受けしますが―……」
彼女の動きがその言葉と共に刹那止まる。こちらを真っ直ぐ見つめる彼女に対し、私はと言えば席を立ち向かいの椅子を引く事で彼女にそれを促す。
「待ち人は君だよ。エリカ君。さあ、座り給え。そして、老人のつまらない戯言に少々付き合ってほしい」
白磁のカップから柔らかな白い湯気が細く天井へと昇っていく。彼女が淹れてくれた茶は香りも味もどちらも一級品だった。これだけでも彼女の侍女としての能力の高さが垣間見れる。
「ふふっ……すまないね。老人の我がままに付き合わせてしまって。以前はエテルやラシュクーレ、ルフィールに茶の相手をしてもらっていたんだが―……生憎彼らは所用で不在にしていてね。そうして私は暇を持て余してしまったというわけだ」
「そう……ですか……」
語らいはいい。それも少人数で密室での語らいは尚の事良い。誰しも、いくら取り繕うとも本質を垣間見せる。
「君は確かブルボン王の時代から長年この城に仕えているそうだね。これは一緒に茶を飲む者達全てに話している事なのだが―……エリカ君、君主とは、国の主席として求められる気質として恐れられる事と愛される事と、さて、どちらがいいと君は思う?冷酷さと憐れみ深さと、どちらがより好ましいだろうか?」
「……憐れみ深さ、ではないでしょうか?恩情を持った君主を民衆は歓迎するでしょう」
「そうだね。では、これならばどうだろうか?民衆に甘いばかりに混乱を招き、やがては殺戮や略奪を欲しいがままにする君主と比べれば、最初から冷酷な君主の方は、ごくたまの見せしめの残酷さを示すだけで、ずっと憐れみ深い人間になれるのでは?」
茶葉の香りが、湯気がくゆる。ウバの茶葉自体の苦みを柔らかなミルクが覆い隠していた。甘さに隠れた渋みが私の喉を潤してくれる。
「そもそも人間は恩知らずでむら気で猫かぶりの偽善者だ。身の危険を振り払おうとし、欲得には目がないものだ。そして、人間は恐れている人よりも愛情を掛けてくれる人を容赦なく傷付ける。それもいとも容易く、ね。その理由は一つ、人間が元々邪な存在だからだ。ただの恩義の絆で結ばれた愛情などは、自分の利害の絡む機会がやってくればたちまち断ち切られてしまう。ところが、恐れられている人に対しては処刑の恐怖が付きまとうから見放される事もない」
まだ半分ほど中身が残っているカップソーサーを静かに横へと追いやり自分の顔の前で腕を組み机の上へ乗せた。眦と唇で弧を描き、彼女を逃さぬように真っ直ぐと見つめながら。
「冷酷さと憐れみ深さ。恐れられるのと愛されるのと……さてどちらがいいと思う。長年にわたり権力者の近くで仕えて来た君は私の問にどう答える。……君の考えを是非私に聞かせてほしい」
≪フリードリヒ・コミンテルン≫
「神の言葉はまず、あなた方に語られなければならなかったのです。ところが、あなた方はそれを拒み、自分達を永遠の命を受けるに値しない者としてしまっている。そこで、今私達は異邦人の人達の方に向っていきます。主は私達にこう命じられておられます」
『私はあなたを異邦人の光として立てた。あなたが地の果てまでも救いをもたらすために』
異邦人達はこれを聞いて喜び、主の言葉を讃えた。そして、永遠の命を預かるように定められていた人々は皆、信仰に入った。このようにして主の言葉はその地方に広まっていった。
しかし、ユダヤ人達は、神を崇める貴婦人達や、街の主だった人々を扇動し、パウロとバルナバに対する迫害を起こし、その地方から二人を追い出した。二人は彼らに対して足の塵を払い落とし、イコニオンに行った。他方、弟子達は喜びと聖霊とに満たされていた。
【使徒言行録 第13章】
「おや、今日は君が私の世話係なのかい?」
「そのように仰せつかっておりますので。今日一日侍女を務めさせていただきます。フリードリヒ様」
「ああ、知っているとも。だが、私は貴族でも枢機卿でもない。堅苦しい事は少々嫌いでね。同志と思って君も楽にしてくれると嬉しいのだが―……」
「立場上それは出来かねます。どうかご了承くださいませ、フリードリヒ様」
少し霞みがかった青が天球を支配し、埋めている。安息日の気だるげな街に、どこかの教会が鳴らした鐘の音が一つ響いた。
「まあ、君はそう言うだろうとは思っていたがね。君の勤勉さは昔からこの城にいる者ほど雄弁に語ってくれる。一度断られた以上、砕けた態度を君に強要するつもりはない。安心するといい」
「食後のお飲み物はいかがいたしましょうか?」
今しがた終えたばかりの朝食の皿を慣れた手付きで手際良く片付け、淡々と自分がすべき仕事を進める彼女の姿に自然と唇が弧を描いた。
怠惰は悪徳だが勤勉さは美徳だ。故に職務を全うしようとする彼女の態度は自分の目には好ましいものとして映る。
「そうだな……では紅茶をいただこうか。……茶葉の種類は何があるんだい?」
「ダージリン、アッサム、アールグレイをご用意してあります。それからウバも」
「……なら今日はウバをいただこうか。ああ、勿論、ミルクを入れたミルクティーにしてもらえると嬉しい。それからソーサーとカップは二つ用意してもらえるかい?」
「二つ……ですか?これから誰かの訪問があるのでしょうか?」
「ああ、前々から話してみたいと思っていた人でね。やっと話せる場を設けることが出来た」
伏せていた顔を上げ、数度不思議そうに瞬きをする彼女の目元に、彼女の長い睫毛が影を落としていた。しばし、思案するように瞬きを繰り返した後、彼女が優雅な所作で一礼をし、一度部屋を退出した。……当然だろう。予め用意されていたカップとソーサーは一組だけだったのにも関わらず、私の我がままでもう一つ必要になってしまったのだから。
さて、これから私と話すその人間は私になんと語ってくれるだろうか。期待が私の顔に笑みを浮かべさせていた。
「紅茶の準備が整いました」
「そうかい。それは丁度いい。待ち人も今部屋に来てくれた事だしね」
「……フリードリヒ様の他には誰もいないようにお見受けしますが―……」
彼女の動きがその言葉と共に刹那止まる。こちらを真っ直ぐ見つめる彼女に対し、私はと言えば席を立ち向かいの椅子を引く事で彼女にそれを促す。
「待ち人は君だよ。エリカ君。さあ、座り給え。そして、老人のつまらない戯言に少々付き合ってほしい」
白磁のカップから柔らかな白い湯気が細く天井へと昇っていく。彼女が淹れてくれた茶は香りも味もどちらも一級品だった。これだけでも彼女の侍女としての能力の高さが垣間見れる。
「ふふっ……すまないね。老人の我がままに付き合わせてしまって。以前はエテルやラシュクーレ、ルフィールに茶の相手をしてもらっていたんだが―……生憎彼らは所用で不在にしていてね。そうして私は暇を持て余してしまったというわけだ」
「そう……ですか……」
語らいはいい。それも少人数で密室での語らいは尚の事良い。誰しも、いくら取り繕うとも本質を垣間見せる。
「君は確かブルボン王の時代から長年この城に仕えているそうだね。これは一緒に茶を飲む者達全てに話している事なのだが―……エリカ君、君主とは、国の主席として求められる気質として恐れられる事と愛される事と、さて、どちらがいいと君は思う?冷酷さと憐れみ深さと、どちらがより好ましいだろうか?」
「……憐れみ深さ、ではないでしょうか?恩情を持った君主を民衆は歓迎するでしょう」
「そうだね。では、これならばどうだろうか?民衆に甘いばかりに混乱を招き、やがては殺戮や略奪を欲しいがままにする君主と比べれば、最初から冷酷な君主の方は、ごくたまの見せしめの残酷さを示すだけで、ずっと憐れみ深い人間になれるのでは?」
茶葉の香りが、湯気がくゆる。ウバの茶葉自体の苦みを柔らかなミルクが覆い隠していた。甘さに隠れた渋みが私の喉を潤してくれる。
「そもそも人間は恩知らずでむら気で猫かぶりの偽善者だ。身の危険を振り払おうとし、欲得には目がないものだ。そして、人間は恐れている人よりも愛情を掛けてくれる人を容赦なく傷付ける。それもいとも容易く、ね。その理由は一つ、人間が元々邪な存在だからだ。ただの恩義の絆で結ばれた愛情などは、自分の利害の絡む機会がやってくればたちまち断ち切られてしまう。ところが、恐れられている人に対しては処刑の恐怖が付きまとうから見放される事もない」
まだ半分ほど中身が残っているカップソーサーを静かに横へと追いやり自分の顔の前で腕を組み机の上へ乗せた。眦と唇で弧を描き、彼女を逃さぬように真っ直ぐと見つめながら。
「冷酷さと憐れみ深さ。恐れられるのと愛されるのと……さてどちらがいいと思う。長年にわたり権力者の近くで仕えて来た君は私の問にどう答える。……君の考えを是非私に聞かせてほしい」
≪フリードリヒ・コミンテルン≫
