第7節 パンデミック

早咲きの水仙に手を伸ばし手折った私の前に現れた黒い影。

闇に飲まれ深く深く沈む。
光の届かぬ地の底へ。

朽ちた屋敷、冷たい風、轟く雷鳴

目に映るもの全てがひどく恐ろしく見えた。
きっとここは死の国に違いないと思い込んでしまう程に。

扉を固く閉ざして私は全てを拒んだ。


しかし…ある時私は気づいたのです。


闇は恐ろしいばかりのものでは無かったのだと。

闇の主は私に優しく囁く。
ここで眠れ。ずっと側にいてお前を守ろう。ここにお前を害する者は誰もいない。お前に安らぎの眠りを与えよう。……と。

眠りは一時の死。

私は闇に抱かれて安らかな死を得る。

闇の主の慈愛があればこそ私は再び光満ちる世界へ戻ることができるのです。


瞼をゆっくりと開けて僅かに顔を上へと向ければ未だ静かに安らかな寝息をたてているベリル様のお顔。

まだ少し薄暗い早朝の寝室。
あれから私はベリル様と一緒の寝室で休むのが当たり前の光景になっていました。

同じベッドに二人で並んでベリル様の胸に顔を埋めるようにして眠る。
そして目が覚めたら一番最初に見えるのが貴方の寝顔…私はこの瞬間がとても好きで思わず笑みが溢れてしまうんです。


(朝ごはん作らなきゃ……)

ベッドから離れようと身をよじれば、微かにベリル様の長く美しい睫毛が揺れて、背中へと伸ばされた両の腕に再び引き寄せられてしまう。

きっと無意識なのでしょう。こうして私を抱き寄せてくれた彼の人の瞳は閉じられたまま。ただ静かに寝息をたてて微睡みの中にいる。

整った顔立ちに白い肌。白いシーツの上にさらりと流れる夜明け前の空のような長く美しい紫色の髪。

このままもう少しだけベリル様の寝顔を眺めていたい……。

そんな気持ちもあるのですが、それでは朝の支度が遅れてしまいますね。


「……もう少しお休みになっていてくださいね。」

そう言って頬にかかる髪を指先で優しく撫でるようにして払いのけ、唇に軽く口付けた。

私の黄金色の髪がベリル様の紫水晶の髪へと重なる。

夜闇が去り、光が満ちる。
微かに開いていたカーテンの隙間から柔らかな朝の光が差し込んでいた。

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コトコトコトコトと野菜が柔らかくなるまでじっくりと煮込み続ける。

その間にもう一品。

いつもだったらトーストを焼いてお出しするのですけれど、今日は新しい料理に挑戦してみたい。

ボウルに卵を割り入れてほぐし、牛乳と砂糖を入れてよく混ぜる。

そうして作った卵液を四角く平らな容器に移し、斜めに切り込みを入れた食パンを浸し卵液をよく染み込ませる。

フライパンを温めてバターを溶かして、そこに卵液の染み込んだパンを乗せる。じゅわりと音をたてて甘い香りが周囲に漂う。

弱火でじっくり片面を焼いたらひっくり返してもう片面にも火を通す。

黄色いパン生地に綺麗な焦げ目が広がっているのが見える。

とっても美味しそうに焼けてる。

綺麗に焼けたフレンチトーストを白いお皿に乗せてふるいを使って粉砂糖をかける。

そこにラズベリーを添えたら出来上がり。
メープルシロップを小さな陶器に取り分ける。

ミルクスープとグリーンサラダとカリカリに焼いたベーコン。そこに先程出来上がったフレンチトーストを並べたら、いつもとちょっと違った贅沢な朝ごはんに見えたのです。

甘い香りが漂って本当に美味しそう。
早くベリル様に食べさせてあげたいと胸を踊らせながら銀のトレイを持ち上げた。

美味しいと言ってくださるかしら。
あの方の口に合うかしらと期待と不安が混じりあうふわふわとした心持ちで。ベリル様の部屋へを朝食を運んでいきました。



以前の私ならきっと火加減が解らずに焦がしてしまったかもしれない。
経験を重ねるうちに火加減を覚え、自分が食べたことのある料理を思い出しながら自分でレシピを考えてそれを作ってみようと挑戦してみたり……そうしているうちに手際も良くなってきて、以前よりもあの方に美味しいと微笑んで貰える回数が増えてきたのです。

もっと美味しいと言って貰えるようにこれからも毎日お料理をつくって差し上げたい。

ご迷惑でなければ私はあの方の……ベリル様の妻になりたい。

ベリル様と二人で外に出てみたいと少しだけ我が儘を言ってしまいました。

お部屋の窓から見える景色に胸を踊らせずにはいられなかったのです。


少し前まで真っ白な雪に閉ざされていた世界だったのに……。

目の前に流れている小川へと視線を移せば、そこに咲いていた花に目が止まる。

あのときと同じ、美しい黄色の水仙が咲いていた。

「ベリル様、あの花をひとつ、手折ってもいいでしょうか?」

私がそう問いかけると貴方は優しく微笑んで「ああ…かまわない。」と頷きながら答えてくれた。

水仙の側へと歩み寄り、そっと手を伸ばして指で摘まむとポキリと軽く音をたてて花茎が折れた。

陽の光を沢山浴びて咲いた黄色い水仙。


命あふれる春の訪れを知らせてくれるこの黄色い水仙を私はとても好ましく思うのです。


私はこの花を愛しいあの方に差し上げたい……。


「コレー、おいで」

両腕と外套を広げ、私の名を呼ぶ。

駆け寄ってその胸に飛び込んで頬を寄せる。

お互いの指を絡め合い、引き寄せられるように唇を重ねれば胸の鼓動が更に激しく胸を打つ。

愛しくて……愛しくて……胸の奥が温かく幸せな気持ちで満ちている。

この気持ちをあの方に伝えたい……私の想いをこの黄水仙と共に送りたい……。

「コレー……」


「ベリル様……」

いつもよりも熱を帯びたベリル様の夜の空を映したような青い瞳が真っ直ぐに私の目を捉えて離さない。

いえ……離れたくないのです。

「今夜俺はお前を抱く。だから、俺に恐怖を覚える時は―……その時は俺を拒絶するといい」

貴方が口にした言葉を聞いた瞬間、頬が一瞬にして熱を帯びる。

その言葉の意味を理解できない程私の心は幼くはありません。


私は貴方とならば身体を重ねてもいいと……そう望んでいるのです。

その行為が何を意味するのか……それを知らない程私は無知ではありません。

「貴方となら喜んで……。

私は貴方ともっと深く愛し合いたい……。
拒絶などいたしません。ベリル様と結ばれるなら……この身も心も貴方に全て捧げたい……。」

ベリル様の背に両手を回して強く強く抱き締める。
胸の内に浮かぶ言葉を口にすれば貴方は私を太陽の光から覆い隠すように抱き締めてくれた。

一度身体を離して手にした水仙の花を貴方の目の前へと差し出して言葉を紡ぐ。

「ベリル様にこの花を。

貴方に…捧げたいのです。この黄色の水仙を。
これを私の想いとさせてください。」


この花は私を貴方を繋いでくれた特別な花。

私はこの花を他の誰でもない貴方だけに贈りたい…。

サラリと流れる貴方の髪を指先で撫でるように払い、貴方の唇にそっと口付け、私の想いを乗せた言葉を口にする。

「愛しています。ベリル様。」
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