第7節 パンデミック
人に何かを与える時は不平を混ぜてはならない。
贈り物と一緒にそっと辛辣な言葉を付け加えたりしてはならない。
その時に相手に何を言うか、まさに相手への言葉は贈り物よりも価値あるものなのだ。
本当に愛情から何かを与えるなら、贈り物と善い言葉を贈る。
その言葉はどんな豪華な贈り物よりも尊いものなのだから。
【シラの書 第18章】
「あれ~?キョンキョン~?今日もレフさんのお使い~?」
「いや、今日は個人的な用事だよ。大谷様ならそのうち自分から来ると思うぞ?あの人ここの菓子の事気に入ってるしな。そうだ、シレネ、ここの店って中で甘味を食べることってできるよな?」
「うん~席は少ないけどね~。あれ、キョンキョン?後ろの女の人ってもしかしてキョンキョンの彼女さん~?」
「まっ、そんなとこだ。じゃ、汁粉二つ頼むわ」
「は~い。お汁粉が二つね。奥の席にどーぞー」
西の端に残っていた名残日が散り、世界が紫紺の夜の底へと沈んでいく。一年のうちで最も賑やかで明るい星々が、そんな夜の水面を彩り飾っていた。
通された席に十六夜と向かい合わせで腰掛けて汁粉が来るまでの間、ぼんやりと窓が切り取る風景を彼女と二人ぼんやりと眺めていた。
「あの、キョウさん……本当に私もいただいてしまっていいのでしょうか……?」
「何言ってんだ?いいに決まってんだろ?その為に十六夜をここに連れて来たんだからよ。……ここの甘味はうめーぞ?俺の上司もここの店の常連だしな。まっ、俺もその上司からここの店は教えて貰ったんだが―……いいから一口食べてみろって。きっとびっくりするぞ?美味しくてな」
顔の前で一度両手を合わせ「いただきます」と言葉を口にし、パキリと小気味いい音を立てて木の箸を割る。甘く煮詰めた小豆の汁の底に沈んでいる白い餅を箸で摘まみ伸ばし、口へと運べば上質な甘さが舌の上いっぱいに広がった。
おはぎや饅頭類も美味しい店だが、寒い中を歩いてきたせいもあってか今日は一段と汁粉の甘さが身に染みる。
「あっ……美味しい……」
「だろ?ここの店は餡子が美味いんだ。しっかり甘いんだがしつこく舌に残るくどい甘さじゃなくて、風味だけ残してすっ……と溶けていくって言えばいいのか?とにかく甘さが上品なんだ」
汁粉を一口口にした十六夜の瞳が僅かに大きく見開いた。箸を持っていない方の手で口元を隠し、驚いたように呟いた彼女の姿に一人目を細める。ほら、言っただろ、美味いって。っと言う代わりに。
「やっぱり錦江に連れて来て正解だったわ。ここには連れて来ようって考えてたからな。甘味もこの通り美味いんだが―……いい雰囲気の店だろ?そうだな、帰りに饅頭も買っていくか。十六夜の父上にお土産として持って行ってくれ」
「ありがとうございます、キョウさん!父もきっと喜ぶと思うんです……!ふふっ……明るくて、でもとても落ち着いた雰囲気で……店員さん達も優しそうな方々ですね」
白木の梁と柱、そして店の随所に飾られた調度品が調和した店内。店主の感性がいいおかげだろうが、とにかくこの店にいると不思議と落ち着く。
最近は花瓶によく菊の花が活けられている気がするが、店主の好きな花なのだろうか?……以前は他にも花が飾れれていたような気がするが……今飾れれている菊も綺麗だから気にするまでもないだろう。
「テンチョー、最近ここに来るお客さん増えてなーい?賑やかになって嬉しいんだけど!」
「そうだねえ、賑やかなのはいいことだね、だけど少しばかり忙しくなってるからそろそろ人手がほしいね」
店に来る人の流れが少し落ち着いたのだろう。カウンター越しに楽し気に会話している錦江の従業員二人を横目でチラリと見つめ、残っていた汁粉の汁を残さず啜った。やはりこの店の菓子は美味い。
「ごちそーさま。あっ、薄烟 。饅頭を4つばかり貰えるか?一緒に会計してくれ」
「ふふっ、はいよ、まいどあり」
星灯りの幻燈が夜を照らす。淡い光が溶けた冬空の空気を吸い込み、そして白い息を吐き出し、刹那目を閉じた。
陽が沈んだせいもあり刺すような寒さだが、彼女と繋いだ手のおかげだろうか?不思議と寒さは感じない。寒さは隣にあるにもかかわらず寒くないのだ。我ながら随分と矛盾した事を言っていると思わなくもないが、事実としてそうなのだから他に言いようがない。
「キョウさん……」
「ん?どうした……?」
立待の月が空に笑う。家までの帰り道で不意に彼女に名を呼ばれ足を止めた。
「キョウさん……私、とても嬉しいんです。こうして好いた人と一緒に歩いてお買い物をするのが……ずっと……夢だったんです。このまま貴方と一緒にいられたらどんなにいいだろうって……ずっと考えていたんです。ご迷惑でなければ……貴方に買われている間だけでも夫婦の真似事をしていてもいいでしょうか……?」
頬に何かが触れた。柔らかくて温かな何かが。その何かが彼女の桜色の唇であったことに俺が気付くまで暫く時間が掛かったように思う。突然の、思ってもいない彼女の行動に瞳が縦に見開いた。
「本当なら身体で払のが私の仕事なのでしょうけれど……キョウさんがそれを望まないので……これでお許しください」
「……十六夜」
「は、はい……申し訳ありません……いきなり貴方に触れてしまって……」
「……少し触れるぞ。俺もお前に触れたい」
ビクリ、と強く彼女の細肩が縦に跳ねた。可哀想なぐらい震え俯いてしまった彼女の腕を引き、自分の腕と翼で彼女の細い身体を覆い隠す。昨晩も感じたあの艶やかな花の香りが優しく俺の鼻腔を擽った。
「……十六夜。お前にとって俺はただの客の一人かもしれない。お前とは昨晩会ったばかりの他人だ。だが、それでもお前さえ良ければ真似事ではなく本当の夫婦になってもいいと―……そう思っているんだ。……軽い男と言われるかもしれないが……冗談で言っているわけじゃない」
儚い身の上の彼女に同情したからだろうか?彼女の器量が良かったからだろうか?……取り繕う事はしない。それも当然あるだろう。だが、それだけじゃない。それだけでは説明がつかないんだ。自分の内側に灯ったこの気持ちの熱さが。自分を突き動かしている熱情の源について。……同情だけでは……足りない。
「……帰ろう。家に。十六夜が作る鍋、楽しみだ」
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東の空に控えめに浮かんでいた満月を少し過ぎ欠け始めた月が西へと傾き始める。月と共に徐々に移ろう星々が見える窓から、昨晩同様、自分の横で静かに眠る彼女へと視線を戻し、白く、そしてややこけた頬にそっと触れた。
……よく寝ている。こうして俺が触れても起きないところを見るに、やはり疲れていたのだろう。当然だ。昼は親の介護と家の仕事に追われ、そして夜は金を稼ぐために俺のところにわざわざ来て働いてくれたのだから。彼女が作ってくれた豆腐と油揚げと野菜の鍋はとても美味しかった。思わずお代わりをするぐらいに、な。
「十六夜……」
「んっ……」
俺と彼女の距離が徐々に近付いていく。俺が彼女に触れる事で。お互いの吐息が触れるくらい近い距離まで。
両の目蓋を降ろし、休む彼女の唇に触れるか触れないか―……まで近付いてから、唇ではなく頬に軽く触れた。今日の夕方、十六夜が俺にしてくれたように指先ではなく唇で彼女の頬に触れた。
「……本当はもっと違うところに口付けしたいんだがな……意識がないお前にしちまうのは襲うようで不誠実だろ?だから―……」
彼女は夜鷹だ。そして、俺は彼女を金で買った。仮に俺が彼女に無体を働いたとしても彼女はそれを咎められる身分ではない。だが、それはしたくないんだ。けして。
「俺が欲しいのはそれじゃないんだ。それだけじゃ意味がない。……おやすみ、十六夜。いい夢を」
夫婦の真似事に酔っているのは―……他ならぬ俺自身。
≪キョウ≫
