第7節 パンデミック
久賀さんをはじめとした平塚家の方と過ごした夢のような時間から、また時は流れて。わたしは前とは変わらない日常を送っている。あの夜にあったことは、わたしのなかでは少しずつ“非日常”として消化されようとしていた。あれは、たまたま起こってしまった不幸な出来事だった。
よくある、すべての人に起こるものではないけれど引き当ててしまった、といえるような。そんな、もので。
でも、そのあとの時間はどうしてもっと大切できなかったのかと、今になってすごく後悔している。彼ともっと話をしてみたかったし、助けてもらったお礼だってしっかり伝えていない。
そんな彼との交流は、ゆるやかに続いている。わたしの生活の様子を知った久賀さんが時々様子を見に来てくれていて、その度に花まで持ってきてくれるのだ。手ぶらではなんだから、と。そんなこと気にする必要、全くないのに。
彼への感謝の気持ちは、言葉では伝えきれない。だから、わたしはわたしにできる方法で、感謝を伝えるの。
◇ ◆ ◇
眠気を誘われるような日差しが射し込む昼下がり。千歳はいつもどおりマントを羽織り、つくったアクセサリーをバッグに入れて、家の鍵を閉める。いつもの店までは通りをまっすぐに歩くだけだ。
全身をマントで覆い、ほとんど露出がない千歳とすれ違っても、街の人はちらりと見るだけで後は自分の用事を済ませるために去っていく。
多種多様な種族、混血、外国から訪れる人々。そういう人たちが毎日のように出入りするこの国にとっては、千歳の格好も容姿も目を引くものではないのだろう。
この国は、本当に生きやすい。そんなことを考えながら心持ち早足で歩けば、いつのまにか店に到着していたのだった。
店に入ると店主が分かっていたように待ち構えていて、座るように促す。その言葉に甘えて腰を下ろし、バッグをテーブルに置く。
「中身を確認してもいいか?」
「はい、お願いします」
そんなやりとりもいつもどおりだ。ざっと中身を確認した店主は、にやっと笑って千歳へと向き直る。
「相変わらずな出来で何よりだ。千歳のアクセサリーじゃないと買わない、っていうやつもいるくらいだから、いつも納品が期日通りで助かる」
「……わたしは、これくらいしかできませんから。代金と材料はいつもどおりでお願いします」
「わかった。……なんだ、もう帰るのか?」
そう店主へと伝えて早々に帰る素振りを見せた千歳に、店主はほんの少しだけ目を見開いた。疑問を口にすれば、千歳はこくりとうなずく。
「今日の夕方までに完成させたいものがあって……、だから今日はこれで失礼します」
「そうか、なら無理には引き止めないが……。珍しいな、そんなに急いで完成させたいものがあるなんて」
「……特別、なんです」
マントを羽織り直した千歳が、ふわりと笑う。その表情に店主はしばし瞠目し――そうか、と同じように笑った。
「それなら引き止めるわけにはいかないな。気をつけて帰れよ」
「はい。それでは失礼します」
ぺこりと頭を下げて帰っていった千歳を見送り、姿が見えなくなったところでほう、と息を吐いた。
「……ついに、千歳ちゃんにも春が来たかねえ……」
よかったよかった。そう言って、店主は頭をがしがしとかきながら中へと入っていったのだった。
戻ってきた千歳は、作業台に座ると目の前に進行中のものを置く。銀の土台に黒色の宝石。揺れるタイプでもなければ、ごてごてした装飾もない、いたってシンプルなデザインだ。それが逆に宝石の美しさを引き立たせている。
手元に集中すること、数時間。気が付けば夕方を超え、外は暗くなろうとしていた。机の明かりをつけ、千歳はゆっくりとピアスにキャッチをはめる。
「できた……!」
手元で光る、ひと組のピアス。それをじっくりと眺め、千歳はにっこりと笑った。我ながら、会心のできだ。最後にもう一度全体を見て欠けがないかなどを確認すると、それを小さな袋に入れる。
「これでよし、と」
それを作業台の隅に置いて立ち上がると、別の部屋から水を入れた小さなじょうろを持ってくる。そして作業台の横にある花瓶へと水を注いだ。水を入れた衝撃でゆらりと花が揺れる。柔らかな色の花びらに、千歳の口元がほころんだ。
と、同時に玄関の扉がこんこん、とノックされる。花びらを食い入るように見つめていた千歳は、はっと我に返り、袋を手に持つと、慌てて扉へと向かう。
扉を開けた先には、ひとりの男性が立っていた。
「こんばんは、変わりはないだろうか」
灰色の髪ときりっと立つ狼の耳。かつて見た時とは違う、緩やかな漢服を身にまとった久賀が、右手に花を持って千歳を見下ろしていた。
「こんばんは、久賀さん。こちらは変わりないです」
「そうか、よかった。手ぶらで来るのもなんだからな……、よかったら受け取ってくれ」
「綺麗な花……! ありがとうございます」
紫色の花弁が揺れる花を受け取ると、ふわりといい香りが漂う。つられるように千歳は思わず顔を寄せた。息を吸い込むと、いっぱいに香りが広がる。
「……気に入ってもらえたなら何よりだ」
「っ! すみません、香りに夢中になってしまって……、素敵な花を、ありがとうございます。それで、今日なんですけど」
と、花を片手に抱え直した千歳は、片手ですみません、と詫びつつ久賀の手に先ほどの袋をのせた。
「これ、は?」
「ほんのささやかですけど、わたしからのお礼です。あの時助けてもらったこと、今こうして気にかけてくださっていること……、そのすべてにちゃんとお礼が言えていなかったので……。もうあの日のことが遠い昔のようなんです。それはきっと、こうして久賀さんが来てくれて、気にかけてくださっているから。だから、安心して日常に戻ることができたんです。あの日から今まで……本当にありがとうございました。よければ、これからもよろしくお願いします」
そう言って軽く頭を下げた千歳の手で、ふわりと紫色の花弁が揺れたのだった。
よくある、すべての人に起こるものではないけれど引き当ててしまった、といえるような。そんな、もので。
でも、そのあとの時間はどうしてもっと大切できなかったのかと、今になってすごく後悔している。彼ともっと話をしてみたかったし、助けてもらったお礼だってしっかり伝えていない。
そんな彼との交流は、ゆるやかに続いている。わたしの生活の様子を知った久賀さんが時々様子を見に来てくれていて、その度に花まで持ってきてくれるのだ。手ぶらではなんだから、と。そんなこと気にする必要、全くないのに。
彼への感謝の気持ちは、言葉では伝えきれない。だから、わたしはわたしにできる方法で、感謝を伝えるの。
◇ ◆ ◇
眠気を誘われるような日差しが射し込む昼下がり。千歳はいつもどおりマントを羽織り、つくったアクセサリーをバッグに入れて、家の鍵を閉める。いつもの店までは通りをまっすぐに歩くだけだ。
全身をマントで覆い、ほとんど露出がない千歳とすれ違っても、街の人はちらりと見るだけで後は自分の用事を済ませるために去っていく。
多種多様な種族、混血、外国から訪れる人々。そういう人たちが毎日のように出入りするこの国にとっては、千歳の格好も容姿も目を引くものではないのだろう。
この国は、本当に生きやすい。そんなことを考えながら心持ち早足で歩けば、いつのまにか店に到着していたのだった。
店に入ると店主が分かっていたように待ち構えていて、座るように促す。その言葉に甘えて腰を下ろし、バッグをテーブルに置く。
「中身を確認してもいいか?」
「はい、お願いします」
そんなやりとりもいつもどおりだ。ざっと中身を確認した店主は、にやっと笑って千歳へと向き直る。
「相変わらずな出来で何よりだ。千歳のアクセサリーじゃないと買わない、っていうやつもいるくらいだから、いつも納品が期日通りで助かる」
「……わたしは、これくらいしかできませんから。代金と材料はいつもどおりでお願いします」
「わかった。……なんだ、もう帰るのか?」
そう店主へと伝えて早々に帰る素振りを見せた千歳に、店主はほんの少しだけ目を見開いた。疑問を口にすれば、千歳はこくりとうなずく。
「今日の夕方までに完成させたいものがあって……、だから今日はこれで失礼します」
「そうか、なら無理には引き止めないが……。珍しいな、そんなに急いで完成させたいものがあるなんて」
「……特別、なんです」
マントを羽織り直した千歳が、ふわりと笑う。その表情に店主はしばし瞠目し――そうか、と同じように笑った。
「それなら引き止めるわけにはいかないな。気をつけて帰れよ」
「はい。それでは失礼します」
ぺこりと頭を下げて帰っていった千歳を見送り、姿が見えなくなったところでほう、と息を吐いた。
「……ついに、千歳ちゃんにも春が来たかねえ……」
よかったよかった。そう言って、店主は頭をがしがしとかきながら中へと入っていったのだった。
戻ってきた千歳は、作業台に座ると目の前に進行中のものを置く。銀の土台に黒色の宝石。揺れるタイプでもなければ、ごてごてした装飾もない、いたってシンプルなデザインだ。それが逆に宝石の美しさを引き立たせている。
手元に集中すること、数時間。気が付けば夕方を超え、外は暗くなろうとしていた。机の明かりをつけ、千歳はゆっくりとピアスにキャッチをはめる。
「できた……!」
手元で光る、ひと組のピアス。それをじっくりと眺め、千歳はにっこりと笑った。我ながら、会心のできだ。最後にもう一度全体を見て欠けがないかなどを確認すると、それを小さな袋に入れる。
「これでよし、と」
それを作業台の隅に置いて立ち上がると、別の部屋から水を入れた小さなじょうろを持ってくる。そして作業台の横にある花瓶へと水を注いだ。水を入れた衝撃でゆらりと花が揺れる。柔らかな色の花びらに、千歳の口元がほころんだ。
と、同時に玄関の扉がこんこん、とノックされる。花びらを食い入るように見つめていた千歳は、はっと我に返り、袋を手に持つと、慌てて扉へと向かう。
扉を開けた先には、ひとりの男性が立っていた。
「こんばんは、変わりはないだろうか」
灰色の髪ときりっと立つ狼の耳。かつて見た時とは違う、緩やかな漢服を身にまとった久賀が、右手に花を持って千歳を見下ろしていた。
「こんばんは、久賀さん。こちらは変わりないです」
「そうか、よかった。手ぶらで来るのもなんだからな……、よかったら受け取ってくれ」
「綺麗な花……! ありがとうございます」
紫色の花弁が揺れる花を受け取ると、ふわりといい香りが漂う。つられるように千歳は思わず顔を寄せた。息を吸い込むと、いっぱいに香りが広がる。
「……気に入ってもらえたなら何よりだ」
「っ! すみません、香りに夢中になってしまって……、素敵な花を、ありがとうございます。それで、今日なんですけど」
と、花を片手に抱え直した千歳は、片手ですみません、と詫びつつ久賀の手に先ほどの袋をのせた。
「これ、は?」
「ほんのささやかですけど、わたしからのお礼です。あの時助けてもらったこと、今こうして気にかけてくださっていること……、そのすべてにちゃんとお礼が言えていなかったので……。もうあの日のことが遠い昔のようなんです。それはきっと、こうして久賀さんが来てくれて、気にかけてくださっているから。だから、安心して日常に戻ることができたんです。あの日から今まで……本当にありがとうございました。よければ、これからもよろしくお願いします」
そう言って軽く頭を下げた千歳の手で、ふわりと紫色の花弁が揺れたのだった。
