第7節 パンデミック

明日のことの為に今日あれこれと心配しないように。

明日のことは明日自らが心配すればいい。

今日一日の心労は、今日一日だけで十分に足りている。


【マタイによる福音書 第6章】






「痛ぇ……尻が痛ぇ……」


「大丈夫ですか、天青さん……?熱は少し下がってきたみたいですけれど……」


「……白竜か?……あんまり俺に近付かない方がいいぞ……?お前にも移るかもしれねえからな……」


ぐわり、と円を描くように世界が回る。熱がようやく下がり始めたおかげだろう。今日は昨日よりは考える力が戻ってきている。が、今度は昨日までは感じずに済んでいた痛みが自分の体を蝕んでいた。しかも、割とではなくかなり恥ずかしい体の部位がジクジクと痛む。


「むしろこっちにいた方が移らないかもしれないです。ギルドの中で凄く流行っちゃっているので……ギルドの広間や寝室で皆さん寝込んじゃっているんです……今の天青さんみたいに……」


「マジかよ、地獄絵図かよ」


柳眉を八の字に顰めて神妙な声色でそう告げた白竜と共に溜息を一つ突く。溜息を吐くと同時に尻が痛んだ。

つまり、今、あのギルドには溢れているわけだ。尻にあまり刺激を与えないようにするために、うつぶせの状態で尻だけ突き上げた姿勢で唸っている人間が!広間や寝室に!今の俺のような情けない状態で!


「あの……天青さん、ずっとその姿勢でいるのも疲れると思いますし、少し起きられそうですか?ご飯も食べないと……食べられそうですか?」


「熱は下がってきたし確かに腹も空いて来たけどよぉ……その、なんだ……言いにくいんだが、尻を下にして座ると超痛ぇんだよなあ……」


「そうだろうと思ってここに来る途中でこれを買って来たんです。ドーナッツ型のクッション。真ん中の部分が丸く開いてるので座った時も少しは楽なんじゃないかって思うんです」


自分の背中で隠れる位置に置いてあった荷物の袋から何かを取り出し顔の前で抱えると、にこりと彼女は目を細めた。その何かは非常にファンシーなデザインをしたクッションで、ストロベリーチョコがふんだんにかかったドーナッツのようにピンク色をしていた。横にはトッピングのイチゴを模した飾りも付いている可愛い代物だ。


「寝たままだとご飯も食べ辛いでしょうし、少し起きましょう、天青さん」


「随分とまあ……可愛らしいデザインのクッションだな……それ」


「お店の一番人気がこれだって雑貨屋さんが言っていたんです。普段買って行くのは若い女性が中心らしいんですが、今年の冬は男性も沢山買っていっているって言っていました。……確かにデザインは女性向けなんですが、このクッションが一番ふかふかしていて柔らかそうだったので……天青さんは使うの恥ずかしいかもしれませんが……」


少しバツが悪そうに釈明の言葉を並べる彼女の姿に思わず笑みが口から洩れた。別に女物を持って来たことを怒ってるわけでも不愉快に思っているわけでもねえんだけどよ。


「……天青さん?」


「いや、悪い悪い。白竜があまりに必死に説明するもんだからつい、な。……サンキュー、白竜。ありがたく使わせてもらうわ」


身体をベッドから起こし、白竜の手からファンシーなクッションを受け取るとともに彼女の柔らかな髪をクシャリ、と撫でた。撫でている間も尻は痛むが、彼女の手前なんとか平静を装って我慢する。ちなみに背中は熱が出た時とは違う脂汗でぐっしょりと濡れていた。マジで今年の風邪最悪だろ!!?


「……あまり無理はしないで下さいね、天青さん。……台所をお借りしてもいいですか?パン粥を作りますね。少しでも栄養を取った方が治りも早いってギルドのお医者さんもみんなを診察しながら仰っていましたから」


ふわり、と温められた牛乳の香りが部屋の中に広がる。昨日から水分以外はまともに取っていなかったせいもあるが、甘く食欲をそそる香りにぐう……と腹の虫が一声鳴いた。なお、尻の痛みは白竜が持って来てくれたファンシードーナッツクッションと鎮痛薬のおかげでだいぶ軽減している。すげーな……このクッション……座っていて無茶苦茶楽なんだが―……


「はい……!天青さん、出来ましたよ!お野菜とコンソメとベーコンを入れて煮込んで最後に卵も入れてみたんです。ただのミルクパン粥じゃ、天青さんは物足りないんじゃないかって思って……」


「すんげぇええええええええええ!美味そうなんだけど!?これ!!」


優しいパン粥の香りが湯気と共にくゆり立ち上る。さっきよりもずっと大きく腹の中に飼っている虫が鳴いた。「その美味そうなものを早く寄越せ」と。


「味、どうですか?リザさんに教わった通りに作ってみたんですけど……」


「めっっっっちゃ!うめえ!!!これ食えるなら毎日病気しててもいいぐらいだ!!」


「ふふっ……それじゃ困っちゃいますよ、天青さん。……レモネードも飲みますか?ホットレモネードも作ってみたんです。蜂蜜も入れてあるんですけど……天青さんは甘い物大丈夫でしたよね?」


ほんのりレモン色をした液体が入ったマグカップをホッとする温かな笑顔と共に手渡す彼女から、両手で受け取った。笑顔の彼女に釣られるように自分の口角も緩やかな弧を描く。……うん、こっちも超うめえ!


「……さっき言ってたけど、ギルドの連中はみんなこんな感じで尻をやられて寝込んでるのか?」


「みんなってわけじゃないみたいです……グラートさんなんかは相変わらずピンピンしていらっしゃって、今朝もふんどし一枚で外で乾布摩擦をしていらっしゃいましたし……私もまだ移ってませんから、インフルエン痔」


「……どーーにかなんねえもんかねえ……そのふざけまくったネーミング。名前かっこ悪すぎだろ。……どんな病気かはよく分かるけどよ……」


「お医者さんがそう言っていらっしゃいましたから……これ以外に呼びようが……」


ガクリ、と肩から力が抜けていく。今冬、国中のいたるところで流行っているインフルエンザとよく似た病気は、それと似て非なる間抜けな名が付けられていた。まあ、罹患している方はマジでマジでマジで!!辛いんだけどな!!なんでインフルエンザと違って筋肉痛じゃなくて痔痛なんだよ!よりにもよってなんで痛むのが尻の穴周辺なんだよ!?


「ギルドのお医者さんの話だと、普通のインフルエンザと同じように熱が下がってから数日すれば痛みも治まってくるそうですから……少しの辛抱です」


「あー……グラートが羨ましいわ。ってか、なんであいつ俺と一緒に仕事したくせに自分一人だけ無事なんだよ。何で一番薄着のあいつが一番ピンピンしてんだよ」


「それは……グラートさんだから、じゃないでしょうか……?」


「だな。……まあ、俺らが動けなくなってもグラートが動けんなら何かあってもどーにかなんだろ。……たぶん」


またズキリ、と尻が痛んだ。明日の心配は明日すればいいって言うけどよ?俺は今すぐこの痛みとおさらばしたい。いてえ。


≪天青≫
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