第15章 極北の地

その希望は目に見えているか。もし目に見える希望なら、それはもはや希望ではない。

何故ならば、既に見えているものをなお望みとする人などいないからだ。

私達はまだ見ていない事を望みとする。

そして忍耐を持って、その希望の実現を待つのだ。


【ローマの人々への手紙 第8章】






「……寒い……死ぬ……あり得ない。好き好んでこんな寒い場所に住む人間はどこか頭が狂っていると言わざるを得ない……」


「おい……アルフォート……大丈夫か……セデルとかいうあの男。さっきからずっと暖炉に向かってブツブツ恨み言を言っているようだけど」


「ああ……セデルのあれなら発作のようなもんだから。―……ところでケイオス兄さんこそどうしてあんなところにいたんだ?」


北から吹く強い風が安宿の窓を激しく叩く。冷涼な環境の兼ね合いで森林限界が他の地域よりも低いのだろう。やや遠くに見える山々はだいぶ低い標高から木がなくなり代わりに傘のように白い雪を被っている。そして、宿の周囲に植えてある低木は強い風の影響を受けて風の吹く方向にひしゃげ曲がっていた。

”嵐の大地”と呼ぶ者もいる厳しい土地。それがミルファスが治める領地。言葉ではなく目で視る事で改めてそれを痛感させられる。

北の冬の夜は長い。極夜は既に脱したとはいえまだまだ夜の時間は昼に勝っていた。仮の宿で早く暮れる日を窓越しに兄さんと見つめ一つ息を吐き出した。


「それはこっちの台詞だ、アル。……王都でお前がなんと言われているか、お前は知っているのか?何があった?それを確かめる為にここまで来た。赤軍にお前とルフィールが入隊したことはシャヘルからも聞いていた。が、どうしてお前が今は奴らから賞金首として追われている?ゴイム虐殺の首謀者はお前だと赤軍は主張しているんだぞ?」


兄さんの瞳が睨むように真っ直ぐ俺を見つめていた。偽証は許さない。と、言葉ではなく視線で俺に訴えかけている。



「……今となっては信じてもらうしかないんだけけどさ……兄さん。俺は何もしちゃいないんだ。いや―……何もできなかった、って言うのが正しいな」


『君達が私達を糾弾する?笑わせる。君達とて私と同じではないか。私達が民衆を利用した様に君達は王女を利用する。そして、邪魔になるようならば排除する。ああ、よく分かるさ。それが頂点に立つ者の”血筋”だ。……そう、邪魔になるようであれば排除される。平民と何が違う?』


『……こんな……こんな事が正義だと!!?ふっざけんじゃねえ!!力ない者を踏み躙っておいて何が”大義”だッ!!そのどこに”大義”があるッ!!!』


『だが!?何寝惚けた事言ってやがる!!何かを成す為には対価が必要だ!!それが大きければ大きいほど!!たった今、お前は目を背けた!!お前は現実が見えていない、ただ駄々をこねて逃げ回っている餓鬼と一緒なんだよッ!!!!』


巡る。決して遠くない過去の言葉の一片、そしてまた一片が流れ、記憶が泡のように湧き上がり浮かんで、その刹那弾けて消えて行った。

ケイオス兄さんが知っているように赤軍の掲げる理想に賛同し、ルフィールと共に入隊したこと。ゴイムの虐殺の首謀者は旧教徒の枢機卿でも俺でもセデルでもなく赤軍総帥であるフリードリヒ・コミンテルンであること。順番に整理するように義理の兄へと事の顛末を語った。……自分自身でも話すことで気持ちの整理を付けたかったのかもしれない。


「ゴイムの虐殺はプロパガンダに利用されたんだ。凄惨な殺戮を赤い旗の下に集った英雄が鎮圧する。今の王室と旧教会に反感を持っていた民衆は英雄を諸手を上げて迎え入れる。……今なら分かる。兄さん、この国の人間は英雄の登場を渇望していたんだ。かつてロッテを打ち破った覇王ブルボンのような英雄を。……フリードリヒは国の民衆が望んだものを提供したんだ」


強く握った拳に自分の爪が深く食い込んでいく。一筋、赤い雫が伝い流れて行った。

目蓋の裏、チカリと光が瞬いた。朝焼けの空を貫く様な強い金の輝きだ。あの生意気な―……好きになってしまった女の姿が―……ルマの幻が刹那浮かび散っていく。


「民衆は確かに無責任だ。英雄の登場を今か今かと待ち望むくせに自分自身は決してその英雄になろうとはしない。……フリードリヒやルフィールが言ったように理想ばかり語っていても良い訳がない。綺麗事ばかり言う優等生が嫌われるのと同じだ。赤軍に一度は加担をしておきながら土壇場で裏切った俺達は、フリードリヒ達からすれば確かに無責任で偽善的な卑怯者だろう。だが―……」


「だが?」


「人を欺き利用するどこに”大義”があるっていうんだ!甘ったれの餓鬼と罵られても構わない!……分かったんだ。セデルや刻、ピエールやノルンさん―……ルマと旅をして分かった。自分のした選択はやっぱり間違いなんかじゃなかった。ケイオス兄さん、俺は貴族や平民なんてふざけた枠組みをぶっ壊してやりたいと思っていたんだ。いつでも利用する側には貴族が、利用される側には平民がいると思い込んでいた。でも、それは違った。貴族だろうが王女だろうが利用されるんだ。……ルマがそうだったように。何かを成すためには”犠牲”が必要かもしれない。だけど、俺はそれが許せない。一部の人間の思惑のせいで人々が苦しみ命を落としていく。……それが許せない。世の中を変えたかったんじゃない。俺は許せなかっただけなんだ!」


乾燥した薪が炉の中で小さな音を立てて爆ぜた。落日の光が一条、悲鳴を上げるように沈んでいく。温かな室内の暖気と外の凍てつく冷気とがぶつかり合い、窓に結露を生んでいた。


「ルマ……ルマってアル、お前まさか……それはルマンド姫の事か!?」


「……知っていたのか、アルフォート。彼女の正体を」


「ああ。最初は糞生意気などこかの貴族の娘だと思ってたけど。……セデルやピエールのルマに見せる態度や言葉遣いはただの貴族の娘に対するものとは明らかに違っていたし―……俺だって全くの考えなしの馬鹿じゃない」


「……そうか。そうだな」


今まで暖炉の前に陣取り微動だにしなかったセデルは、俺の言葉を聞くと立ち上がり振り返った。俺とケイオス兄さんと順繰りに見つめると一つ肩を落とし息を吐く。セデルの口ぶりを聞く限り、やっぱりセデルとピエールの二人はルマの正体を知っていたんだと、そう思う。まあ、二人は王宮騎士をしていたって話らしいから知っていて当然と言えば当然かもしれない。


「……話の途中に悪いな。街で話を聞いてきた。やはり今回の邪竜騒ぎはこの地方から始まったらしい。それに―……この地方の貴族の屋敷に赤軍らしい人間が出入りしているのを見た人間がいるようだ。……パイプを持っている奴がいると考えるのが自然だろう」


廊下と通じてる扉が開き、刻と共に冷気が入り込む。刻の言葉を聞くと同時にセデルと二人、顔を見合わせ頷いた。

フリードリヒは”大義”を作ろうとしている。この領地に攻め入る為の”大義”だ。ゴイムの虐殺を起こした時のように。

だが今回は前回とは違う。今ならまだ間に合うかもしれない。……この領地の主であるミルファスが目覚め、この領地の住民が一枚の岩になれば、あるいは―……


「……ケイオス兄さん。兄さんには馬鹿って言われるかもしれないけれど……俺達、行くよ。思い通りにならないのが世の中かもしれないけれど、そう割り切りたくないから」


《アルフォート》
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