第15章 極北の地


苦痛にお顔を歪ませ、手にした木の匙がカラリと音を立てて盆の上に落ちた。
ああ……まだ右手が痛むのですね……。

ごめんなさいベリル様、もっと癒しの魔法が上手だったら良かったのですが……私の未熟な魔法ではまだ傷口が痛むのでしょう……。

ベリル様はすぐに良くなる…とはおっしゃいましたが……それでも匙を持てない程に苦痛を感じているのは事実。

気休めにしかならないとは思いつつも、せめて食事の間だけでも痛みが緩和できればとベリル様の手を両手で包み、癒しの魔法をかけようとしましたが、私とベリル様の間にずっと沈黙が広がっていて…。

「……」

「……ベリル様?」

不思議に思いながら面を上げれば、僅かに頬が紅潮したベリル様のお顔……
何か言いたげに、少し困ったお顔を浮かべながら…ベリル様は私の顔をじっと見つめていました。


「コレー……一つ頼みがある。まだ利き手が上手く使えないようだ。だから、その―……あの~……だな……その―……」

一体どうしたというのでしょう……いつものベリル様と少々様子が違います。
私が首を傾げるとベリル様は片手で顔を覆うようにして少し言いにくそうにしながら言葉を口にしました。


「その……食べさせてもらえると……助かる。一人でも持てるようにこれから訓練していくが―……今は……その……お前に助けてほしいんだ……」


「ベリル様……!はい……!喜んでお手伝いいたします……!」

もしかしたら具合が悪いのかと心配していたのですが…よかった。
それならば私にもお手伝いができます。
スプーンでスープを掬い、それをベリル様の口元へと運んでゆく。

私が差し出したスプーンを見つめ、少し頬が紅潮したまま動かないベリル様。

なんだか…食べにくそう…ですよね…。
こういうときはなんと声をかけたらいいのでしょう……?

「えっと…ベリル様、お口を開けてくださいますか…?」

「……ああ……そうだな。」

「はい、ベリル様。あーん…。」

えっと……余計に食べにくくなってしまったような気がします……。ベリル様がまた片手で顔を覆って俯いてしまいました。
心なしか先程よりも頬に朱が差しているような…。
それを目にした瞬間、先程の自分の言葉が再び脳裏に浮かんできて…どんどん頬が熱くなってきました。
緊張でスプーンも少し震えてしまって……

「すみません…ベリル様。
先程よりも食べにくくなってしまいましたよね…」

小さな子にするような言葉かけはかえって逆効果ですよね…。
特にベリル様のような大人の男性には……
これは私の配慮が足りませんでした。

「いや、こちらこそ手間をかけさせてすまない。
食べさせてくれるか?コレー。」

先程までとは違っていつもの落ち着きを取り戻したベリル様が私に視線を向けてくる。

ああ……まだ頬は赤い……でもなんて優しいお顔……。

ごめんなさいベリル様……とても可愛いらしいと思ってしまっている私がいるのです……。

でもこの気持ちは口には出しません。
私の胸にだけしまいこんでおくことにします。

ベリル様のこのようなお姿を見れるのは私だけ……。

私だけが知ってるベリル様のお顔にしたいのです。

「はいベリル様。少し冷めてしまいましたけれど…はい、どうぞ。」

右手でスプーンを差し出して左手を添えてベリル様の口元へと運ぶ。

それをそっと口付けてスープを飲んでくださいました。
ゆっくりとひと匙ずつ食事を進めていく。
何回か繰り返すうちにお互いの気恥ずかしさはどこかへ消えて、あっという間にスープのお皿は空になってしまいました。

ナプキンを取り出して口元をそっと拭って。
再びベリル様と視線が交わる。

どうしてでしょう……なんだか恥ずかしさが込み上げてきます……ベリル様の視線がとても優しくて…口元が緩やかに弧を描いてて……

「あの……ベリル様……お腹いっぱいになりましたでしょうか……?」

「ああ……十分満たされている…。」

そう言って貴方は優しく微笑んでくださるのです……。
なんだか嬉しくて…くすぐったいような…

「ベリル様の手が良くなるまでお手伝いしますね。
お食事だけじゃなくて他にも沢山……。」

貴方の右手を両手でそっと持ち上げて手の甲に優しく口付けを落とす。

貴方の右手が少しでも早く良くなりますように。

「コレー。お前、昨晩はちゃんと寝たのか?昨晩だけじゃない、今日もだ。俺につきっきりだったんじゃないか?」

ランプの灯りに照らし出されたベリル様のお顔……長い髪がさらりと揺れて私の顔を静かに見つめている。
「顔色が悪い」そう仰って私の頬にそっと手を添えながら。

私の髪をひと房手にとって優しく唇を寄せるベリル様のお顔に鼓動が跳ねる。
とても美しくて…見惚れている私がいる…
とても優しく甘い声に酔っている私がいる……

「今日は休め」と言われても私は首を横に振る。
心配だから…というのもありますが、私はベリル様のお側にいたかったから……理由をつけてでもここにいたかったから……。

そんな私を見かねてか毛布を上に上げて壁の方へと身を寄せてベッドを軽くぽんと叩いて私を招く。

ベリル様を前に私は暫し動けずにベリル様のお顔を見つめたままベリル様の言葉を聞いていました。

「ならば、俺のそばなら眠れるか?コレー?」

「で……ですが……」

「俺はコレーにここにいてほしい。勿論、コレーが良ければ、の話だが」

私が良ければ……ベリル様の隣で一緒に眠ってもいいのですか…?

「おいで、コレー」

「はい。ベリル様…。」

とても緊張している…促された位置に手を添えてゆっくりとベッドに入って傍らに身を横たえる。

きしりと音をたててベッドが軽く沈む。

私に優しく毛布をかけてそのまま抱き寄せるベリル様の腕……。

私とベリル様の呼吸の音が耳に届く。

とても近い…とても温かい…

「そう身体を硬くするな。なにもしない。」

頭上からかけられた声に顔を上げれば目の前には夜の空をそのまま映したような深く青い瞳。

唇は緩やかに弧を描いて甘く優しい声を紡ぐ。

とても不思議。貴方の声に私の身体の強ばりが解けてあんなに煩かった心臓の音も今は落ち着きを取り戻してきている。

トクン…トクン…と緩やかな脈を打つ。

「ベリル様……。
今日はありがとうございました。
私のスープを美味しいと言ってくださって……とても嬉しかったです……。」

一人で作ったミルクスープ。
本当はシチューにするつもりだったけれど、小麦粉の分量を間違えてサラサラになってしまったスープ。

それでも美味しく食べてもらいたくて…栄養をとってもらいたくて…ゆっくり煮込んで美味しく味をつけてみたの。

貴方がスープを口にして微笑んでくださった。
その瞬間が…とても嬉しかったのです。
ベリル様はとてもお優しい方…きっと失敗してしまったお料理も貴方は私が作ったものだからとそれを口にして美味しいとおっしゃっていたのかもしれません。

ですが…貴方の微笑みがそれはお世辞では決してないのだと…そう伝わってきたのです。

貴方の為にお料理を覚えたい。
もっと沢山美味しいものを作れるようになりたい。

「次はもっと美味しく作れるように頑張りますね。」

私がそう言うとベリル様はそっと私の髪を撫でながら「今日のスープもまた作って欲しい。」とそう呟いてくださいました。

私を見つめる瞳がとても優しくて。
紡がれる言葉が優しくて。

なんだか胸の奥がくすぐったくて……

私は思わずベリル様の胸に顔を埋めた。

そのとき初めて気づいたのです。

ベリル様の鼓動も少し早い……と。

私よりずっと落ち着いたお声で語りかけてくださっているのに。
私と同じくらい鼓動が早い……。

とても愛おしい……。

この気持ちはどうしたら貴方に伝わるでしょうか……。

「ベリル様。」

「…ん?どうした?」

私の声に応えてくださったベリル様の首へと手を伸ばして軽く引き寄せて唇にそっと口付ける。

頬に触れる貴方の長い髪が少しだけくすぐったい…

ゆっくりと唇を離してもう一度貴方の目を見つめて言葉を紡ぐ。

「今日は…まだ口付けをしていませんでしたので…。

あの……ベリル様……私とっても幸せです。
こうして一緒にいられる事が……とても……。」

私は今とても幸せです……と。
貴方と共に過ごす時間が……貴方が見せるどんなお顔も愛しくて……想いがどんどん降り積もっていくのです……。

「愛しています。ベリル様。」
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