第14章 呪い
そしてまた御子は弟子達に仰せになった。
あなた方の誰かに友人がいて、真夜中にその人のところへ行って「友よ、パンを三つ貸して下さい。友人が旅の途中で立ち寄ったが、何も出すものがないから」と言うとする。すると、彼は家の中から「もう戸は閉めたし、子供達と一緒に床に入ってしまった。起き出して貸すわけにはいかない」と答えるに違いない。
しかし、あなた方に言っておく。友人だからと言ってその人が起き出して貸し出してくれることはないかもしれない。しかし、その執拗さに起き出して必要なものを何でも貸してくれるだろう。
そこであなた方に言っておく。求めなさい。そうすれば与えられる。探しなさい。そうすれば見出す。叩きなさい。そうすれば開かれる。
誰でも求める者は受け、探す者は見出し、叩く者には開かれる。あなた方の中に、子供が求めているのに魚の代わりに蛇を与える父親がいるだろうか。あるいは卵を求める子供に蠍を与える者がいるだろうか?
このようにあなた方はたとえ悪いものであっても自分の子供に善い物を与える事を知っている。それなら、天の父がご自分を求める者に聖霊を与えて下さるのは尚更の事である。
【ルカによる福音書 第11章】
「ファティマ……」
貸し与えられた館の一室に朝が差し込む。蒼い朝の光は徐々に光を増し薔薇色に色を変え、ベッドの上に力なく横たわる小さな一人の女を淡く照らし、浮かび上がらせていた。
女の白雪をそのまま固めたような肌を、そして冬の雪に反射する光のような輝くプラチナの髪を朝が薔薇色に染めていく。女はこの世のものとは思えないほど美しい姿をしていた。
『魔女フレーダよ。あなたに呪ってほしいのは他の誰でもありません。私自身です。私の竜の姿をあなたに封じていただきたいのです』
昨晩彼女が紡いだ言葉が蘇り、そして巡っていく。文字通り大きな変化だ。疲弊してしまったのだろう。あれ以降、深い眠りに就いている彼女の酷く華奢な手を取り、細い指と自分の武骨な指とを絡め合わせた。
そのまま手を持ち上げ彼女の手の甲に一つ、口付けを落とす。愛おしさとそして言い様のない申し訳なさが同時に顕在し、俺の胸を満たしていた。
「こんなにちっこくて細かったんだな、お前は。指なんか小枝みてえだ。……俺が強く抱き締めたら折れちまうんじゃないかってぐらいに……」
確かに彼女は他の飛竜と比べて小型な竜だった。だが、こうして同じヒュームの形になった今、彼女のこの姿に改めて思い知らされる。俺はこんなにか細く儚げな女の背に跨り戦地を飛んでいたのか……と。その恐ろしさに今更気付きゾクリと背筋が粟立った。
「すまねえ……ファテイマ。今まで無理をさせて来て……」
「……奥方様はお目覚めになられましたか?」
眠る彼女に向けて小さく言葉を呟いた直後だった。控えめに部屋の扉が叩かれたのは。その音にベッドの横に備えられていた椅子から立ち上がり振り返れば、そこには昨晩も会ったこの館の二人の使用人の姿があった。
「いやまだだ。いや……まだです。何か……用でしょうか?」
「私達のご主人様が貴方様をお呼びです。どうぞ私達と共に来てください」
「ご主人様、昼夜逆転生活をしていますのでもうすぐ就寝の時間になってしまうのです。どうかこのルネとレオラドの後に……」
「……ルネ、なんでお前の名前の方が先なんだ?今日は俺が兄の日だぞ?」
「ご主人様が就寝されるまでは昨日よ、レオラド。だからまだ私がお姉ちゃん。……では、扉の外でお待ちしております。なるべく早めにお願い致しますね」
使用人の女の方は満面の笑みでそう言い切るとスカートの裾を優雅に摘まみ、恭しく一礼をし、踵を返した。一方男の方はと言えば―……そちらはそちらで優美な所作で胸に手を当てやはり一礼をしたのだが―……気のせいだろうか……妙に不満が滲んだ顔をしていたように見えたのは?
「……という事らしいからちょっくら俺だけ行って来る。おそらく報酬の話だろう。……少しの間ここで待っていてくれ、ファティマ」
ピタリと目蓋を閉じ眠る彼女の名を呼び、そっと唇に唇を寄せれば彼女の長い睫毛がふるりと震えた。目蓋の緞帳の下に隠されていた一点の曇りもない彼女の青い瞳に自分の姿が映り込む。「ゲッツ……」と震える声で俺の名を呼ぶ彼女の事を、気が付けば俺は引き寄せ強く抱き締めていた。
……外でまた扉を叩く音がしたが、今は少しこのままでいさせてほしい。
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「元気かしら……?」
「ん?誰がだ?」
「フレーダとルネとレオラド。……あの館を訪れてからまだ一月しか経っていないのに何だか懐かしく思えてしまって……」
蒼い夜に銀の無数の星々が煌めき瞬いていた。風の強い夜だった。窓ガラスの向こうで枝から離れた様々な色をした木の葉達が舞い、すり抜けていく。
あれから―……ファティマが今の姿になってから一月ばかりの時間が流れた。あっという間と言えば簡単な話だが……実際その通りあっという間だったんだ。この一月は。
「フレーダ達に教えたホワイトシチュー……気に入って貰えたかしら?」
「そうだな……あそこの使用人達なら上手に作ってくれるんじゃねえか?少し変わってたが、優秀みてえだしな……」
間借りしたアパートの一室を小さなランプの灯が照らし、影を伸び縮みさせていた。淡い、か細い光がそこだけ闇を払う。夜が……降り積もる。この部屋も仮の宿だが、安らぎと幸せで満ちていた。追われているかもしれないという事実を忘れてしまうほどに。
夜が―……積もる。
「ファティマ……」
「……はい」
「……いいんだな?」
最後の確認の言葉を彼女の耳元で囁き言葉を待つ。ランプの灯が尽き、ただ夜が広がっていた。柔らかな夜が。
控えめに頷きそのまま俯いてしまったファティマの頬に触れ、俯く彼女の顔を上に向かせた。見えない糸を手繰り寄せ彼女の唇を唇で封じる。想いを封じるように。ハラリ、と彼女が纏う衣類が花びらのように落ちた。
「ゲッツ……」
「……ファティマ」
もう一度、先程よりも深く深く……求めるように注ぐように彼女に口付ける。ファティマの薄い桜色の唇を割り、彼女を求め繋がった。絡め、交え、そして彼女の舌を舌で捉えて。
「ファティマ……俺と共にいてほしい。長い長い時間を生きて来たお前の目には俺は頼りなく映るかもしれねえ。だけど―……この想いは本当だ。お前を抱きしめたい。お前と繋がりたい。……お前を守りたい」
互いの肌と肌が触れ合った。いつもより速い彼女の鼓動が手の平を通じて伝わって来る。想いが溢れ……満ちていく。
彼女の白い体に指を、そして唇をそっと這わせた。水の音が微かに響き吸い込まれて行く。ファテイマの滲む青い瞳には余裕がまるでない自分の姿だけが映り込んでいた。彼女はそのまま微かな笑みを浮かべると……そのまま静かに瞳を閉じた。甘美な香りが夜とともに積もっていく。月の光を反射して揃いの銀の輪が輝いていた。
求めなさい。そうすれば与えられる。探しなさい。そうすれば見出す。叩きなさい。そうすれば開かれる。
「ファティマ……愛している……」
