第14章 呪い

私は再び、日の下で行なわれる一切のしいたげを見た。見よ、しいたげられている者の涙を。彼らには慰める者がいない。しいたげる者が権力をふるう。しかし、彼らには慰める者がいない。

私は、まだ命があって生きながらえている人よりは、すでに死んだ死人のほうに祝いを申し述べる。また、この両者よりもっと良いのは、今までに存在しなかった者、日の下で行なわれる悪いわざを見なかった者だ。

私はまた、あらゆる労苦とあらゆる仕事の成功を見た。それは人間同士の妬みにすぎない。これもまた、むなしく、風を追うようなものだ。

愚かな者は、手をこまねいて、自分の肉を食べる。片手に安楽を満たすことは、両手に労苦を満たして風を追うのに勝る。

私は再び、日の下にむなしさのあるのを見た。独りぼっちで、仲間もなく、子も兄弟もない人がいる。それでも彼のいっさいの労苦には終わりがなく、彼の目は富を求めて飽き足りることがない。そして、「私はだれのために労苦し、楽しみもなくて自分を犠牲にしているのか。」とも言わない。これもまた、むなしく、辛い仕事だ。

二人は一人よりも勝っている。二人が労苦すれば、良い報いがあるからだ。どちらかが倒れるとき、一人がその仲間を起こす。倒れても起こす者のいない独りぼっちの人は可哀想だ。また、二人がいっしょに寝ると暖かいが、一人は、どうして暖かくなろう。もし一人なら、打ち負かされても、二人なら立ち向かえる。三つ撚りの糸は簡単には切れない。


【コヘレトの書 第4章】






淡く輝く朝の光が小鳥達の囀りと共に窓からするりと入り込んでいた。窓際に飾られた大輪の薄黄色の水仙の花弁を、彼女の背中で波打つ豊かな黄金の髪を、そして自分の手元にある彼女が作ってくれたスープを柔らかな光が照らしている。


「ふふっ……こうして話し込んでいるとせっかくコレーが作ってくれたスープが冷めてしまうな。冷めてしまう前にいただくとしようか―……っう……」


「ベリル様?……どうかされました?まだ傷口が痛みますか?」


スープと共に盆に乗っていた木の匙を右手に手にした瞬間だった。鋭い刺すような痛みが指先から右肩にかけて一瞬走ったのは。……そういえば利き手を怪我していたんだったな……痛みが今までなかったから失念していた。これもコレーが一晩中癒し続けてくれたおかげなのだろうが……きっとコレーが癒してくれなければこの程度の痛みではすまなかったはずだ。


「……大丈夫、少し疼いただけだ。……そんなに心配そうな顔をするな。すぐに良くなる」


「ですが―……」


まるで自分のことのように眉を顰め、痛ましそうな表情で俺の右手を優しく包むように取る彼女の姿に、愛おしさが胸へと去来した。……不謹慎な話だ。彼女はこんなにも胸を痛めているというのに当の俺はと言えば、ただ、ただ嬉しく思っているのだから。コレーが自分の事を心配してくれる、それが嬉しかった。それでも、コレーが作ってくれたスープを一人で上手く掬って飲むことが出来ない事が口惜しい。


「……」


「……ベリル様?」


自分の頬に僅かに熱が集まる。これを面と向かって口にし、彼女に頼むのは少々―……いや、かなり恥ずかしい。だが、彼女がせっかく作ってくれたスープをこのまま食べずに無駄にしてしまう心苦しさは恥に勝る。だから―……


「コレー……一つ頼みがある。まだ利き手が上手く使えないようだ。だから、その―……あの~……だな……その―……」


コレーの春の湖面の様に澄んだ水色の瞳が不思議そうに数度瞬いた。彼女の首の動きに合わせて肩に掛かる髪がさらりと揺れ動く。ああ……どうしようもなく恥ずかしい……いや、むしろ情けない。せめて今の顔を彼女に見られぬようにと片手を使い自分の顔を覆い隠した。


「その……食べさせてもらえると……助かる。一人でも持てるようにこれから訓練していくが―……今は……その……お前に助けてほしいんだ……」


「ベリル様……!はい……!喜んでお手伝いいたします……!」


彼女の愛らしい桜色の唇から楽し気な声が零れ落ちたのはその直後の事で―……そして少し温くなった、でも十分温かな気持ちにさせてくれるスープの味が口の中一杯に広がったのは更にそのすぐ後の事だった。彼女の笑みが、彼女の作ってくれたスープの味が疲れ切っていた自分を癒してくれていた。






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「……すみません、ベリル様。本当はホワイトシチューをお作りしようと思ったんです。ですがソースが上手くできなくて……朝がスープだったのにまたスープになってしまいました……」


「ふふっ……そうだったのか。だが、このスープも十分美味しかったぞ?素朴で優しい味だ。俺はこのミルクスープも好きだ」


夜の帳がは当に落ち、昼は西の山の向こうに没していた。昼の強い日差しに代わり月が、そして無数の銀の星屑達が帳を彩る。

すっかり空になった木の器とそして朝と同じように一匙、一匙掬いながら俺の口へと運んでくれたコレーとを順番に目を細め見つめる。木の器に盛られていたのはホワイトシチュー……になるはずだった一杯のミルクスープ。


「じゃがいもと玉ねぎとベーコンをバターで炒めて入れてみたんです。じゃがいもなら主食の代わりにもなると思って……ベリル様のお口に合って、良かったです……」


ベッドサイドの木のテーブルの上に置かれたランプの灯りが、赤々と燃える暖炉の光がコレーの美しい横顔を照らし浮かび上がらせていた。彼女の頬に今淡く差している朱色の理由はそれらの光に照らされているから、というばかりではないのだろう。本当に愛らしい娘だ。


「コレー……?」


「熱……下がったようですね。昨晩はずっとお辛そうなお顔をしていらっしゃいましたから……」


「……そうか。心配をかけてしまったな」


コレーの白く小さな手の平が不意に自分の額にピタリと重なった。その手の温度の心地良さに自然と瞳が細くなる。昨晩もこうして自分の手を俺の額に当てながら熱を計ってくれていたのだろう。甲斐甲斐しく、健気に看病してくれている彼女の事を思うと胸がじんわりと温まると同時に一つ、疑念が生じた。

……コレーは昨日から今までゆっくり休む事が出来たのだろうか?眠れているのだろうか、と。


「コレー。お前、昨晩はちゃんと寝たのか?昨晩だけじゃない、今日もだ。俺につきっきりだったんじゃないか?」


「あっ……えっと……その……眠りました、よ?いつもよりは少し、ですけど……」


「道理で。少し顔色が悪いはずだ」


「ベリル様の事が心配で……お傍を離れる事が出来なかったんです……ベリル様……」


「ありがとう、コレー。俺は本当に幸せ者だ……」


徐々に声を小さくし俯いてしまった彼女の髪を一房手に取り、そっと唇を寄せた。感謝の気持ちを言葉以外の手段で彼女に伝える、その為に。


「だが、今日はもう休め。お前も疲れているはずだ。あのような事があった直後だ。身体と……何より心を休ませろ」


「ですが、私はベリル様のお傍を離れたくはありません。何かあった時、いなかったなんて嫌なんです……」


ふるり、と首を横に振り意思表示をした彼女を見つめ、一つ息を吐き出した。コレーの気持ちはありがたい。だが、彼女を休ませてやりたいという気持ちはそれに勝る。しかし、この様子では自室に戻れと言ったところで彼女は戻らないだろう。ならば―……


自分の体を覆っている毛布を持ち上げ身を壁側へ少しずらした。何事かと俺の行動の意図が読めず首を傾げている彼女に、数度自分の横のベッドの上を叩き隣へ来るようにと促す。


「ならば、俺のそばなら眠れるか?コレー?」


「で……ですが……」


「俺はコレーにここにいてほしい。勿論、コレーが良ければ、の話だが」


独りでいるよりも二人でいる方がずっと良い。二人で寝ると二人とも暖かいではないか。独りきりで寝て、どうして暖かくなれよう?


「おいで、コレー」


≪ベリル・M・アウラーナ≫
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