第14章 呪い
私を救いに来てくれたのは暗闇を従えた影の魔法使いでした。
どこまでも広がる白い雪原に剣を携え黒い闇を纏い現れた影の主……。
吹き荒ぶ風に紫の髪を靡かせ、見つめた相手を凍てつかせるような澄んだ青い瞳は真っ直ぐにこちらをとらえ……怒りに満ちた表情で剣を振るっていました……
その姿はかつて私が母に読み聞かせてもらったあの絵本の影の国の王様の姿そのものでした。
強引に私を連れ戻そうとした傭兵たちも邪竜に襲われ息絶えた。
すぐそこに死が迫っていた。
辺りに立ちこめる死臭と耳に届く生々しい惨劇の音……恐怖に震える私の身体を強く抱き締め守ってくださったのは父の政敵である『アウラーナの影の魔法使い』でした……。
何が起きたのか良くわからないまま、邪竜は魔を込めた剣に貫かれ灰になって散っていた……
気がつけば白い雪原に残されたのは私とベリル様の二人だけでした……
「ベリル様……私……私は……」
ポロポロと涙が溢れる。
次から次へととめどなく流れてゆく。
それを見て優しく頬に触れてくださったベリル様の焼けた右手に私の涙が伝い流れてゆく。
彼の指を伝って流れた涙はやがて白い雪の上に落ちて消えてゆく。
ごめんなさい…私の為に…こんなにもボロボロになって…
とても胸が痛いのです……貴方が傷ついた姿を見ていると…苦しくて胸が張り裂けそうなのです……
でも……それと同時に胸の奥でとても温かい感情が広がっていく……嬉しいのです……とても……とても……
もう二度とお会いできないと思った……
私を救いに来てくれた……こんなにも傷ついて……また私を引き寄せてくれた……。
「コレット……」
「ベリル……様……?」
名を呼ばれ強く抱き寄せられる。
今までよりもずっとずっと強い力で…
私がここにいることを確かめるかのように……。
「……帰ろう。二人で。……あの家に……流石に少し……疲れた」
本当に…疲れたのですね。
貴方の声はいつもよりも低く弱く聞こえます。
でも…私には貴方の言葉が強く深く心に響いています…
広く大きな背に手を回し強く…強く抱きしめる。
あなたの存在を確かめるように……。
嬉しい…他の何よりも…誰よりも……。
貴方の優しい瞳が……抱きしめてくれる腕の温もりが……貴方の言葉が私を満たしてくれる……。
貴方は私を心から求めてくださっている……。
政治の駒なんかじゃなく……私を私として見つめ、心を向けてくださっている。
貴方の愛を感じます……貴方の愛を信じます……そう……いつだって貴方は真っ直ぐに私に愛を与えてくれたのです……。
「はい…ベリル様。帰りましょう……一緒に。」
パチパチと音を立て薪が燃える。
あの夜の出来事が嘘のように静かで穏やかな時が流れている……。
大きなベッドで身を横たえ、静かに寝息を立てているこの部屋の主の側へと歩み寄る。
手にしたトレイにはパンとスープ。
動けないあの方のお腹を満たしてあげられるならと作ったスープ。
手際よくできなくて遅くなってしまったけど……ちょっと不恰好な切り方だけど……今はとにかく栄養のあるお食事をとってほしい。
無機質な音が部屋に響く。
テーブルに乗せられたトレイの音でベッドに横たわる彼の手がピクリと動いた。
「ベリル様……」
手触りの良い長く美しい宵闇のような髪を撫でるように触れ、額に手を当てて熱を測る。
「よかった……もう熱はないみたい。」
痛みを緩和できればと治癒の魔法をかけ続けたおかげか、右腕の状態も昨晩よりも良くなっているように見えました。
とはいえ私の未熟な魔法では完治には至らない。
ベリル様の傷ついた腕を両手で包むようにしてもう一度治癒の魔法を施していると、微かに睫毛が揺れゆっくりと瞼が開かれ、青い瞳が私の姿を捉えた。
「……ん…っ………コレット……。」
ゆっくりと身を起こしたベリル様の身体を支えるように背中に右手を添える。
微かに放たれた声が掠れて聞こえる。
「ベリル様…はい、お水です…」
乾いた喉を潤すようにとコップに水を注いで口元へゆっくり運べばコクリ…コクリと音を立てて水を飲んでほうっ…と息をひとつ吐く。
その姿に安堵しながら空になったコップをテーブルにそっと置いて改めて彼と向き合う。
「おはようございます…ベリル様。」
「ああ…おはよう。コレット。」
挨拶を交わす。
穏やかな朝を迎えられた喜びを貴方に伝えたくて……。
「ベリル様…お食事…食べられそうですか…?
私、今日は一人でスープを作ってみたんですよ。」
「スープ……コレットが……?」
「はい。少し不揃いな切り方なのですが……今ご用意しますね?」
そう言って苦笑いを浮かべながらテーブルに置かれた食事へ手を伸ばす。
……けれど……
いえ……お食事よりも……どうしても伝えたいことがこの胸に……
「……ベリル様……すみません。少しだけお時間をいただけますか……?」
ベリル様は真っ直ぐに私を見つめている。
私の言葉を待ってくださっている。
「ベリル様に……伝えたいのです……
私の気持ちを……。」
ずっと伝えたかった……いつ伝えようかとずっと迷っていた……
「私の本当の名前を……貴方に伝えたいのです……」
いつか貴方が私にしてくれたように……偽りの自分を捨てて貴方と向き合いたい。
私の気持ちの答えとして受け取ってほしい……。
ゆっくりと歩み寄り、膝をついて視線を交わす。
目を反らさずに真っ直ぐに。
深い青い瞳が私をじっと見つめている。
「知ってほしいのです……他の誰でもない貴方に……飾り立てられた名ではなく私にとって一番大切な本当の名前を……」
父から与えられた偽りの名ではなく、母から頂いた私の命とも言える真名を……
「愛を込めて私の名を呼んでくださるのはこの世で唯一人だけ……
ベリル様……貴方に呼んでほしいのです。
……貴方のお声で……私の本当の名前を………。」
私が生きるべき場所は貴方の傍らただ一つ。
たとえ貴方が影の魔法使いであろうと……常闇の世界の王であろうと……私を真に愛してくださる貴方のもとならば喜んで。
「私の名前は……コレーです。」
どこまでも……どこまでも沈みましょう……深い深い闇の国に……。
貴方が傍にいるならどんなに深い暗闇だろうと私は喜んで沈んでいきます……。
たとえ貴方の姿が闇に包まれて見えなくなっても私は貴方を求めるでしょう。
「ベリル様……お慕いしております。
貴方となら常世の国へまでも共に……。」
