第14章 呪い
また、仰せになった。「神の国は人が大地に種を蒔くようなものである。種蒔く人が昼夜、寝起きをしているうちに、種は芽を出し成長する」
「しかし、種を蒔いた人はどうしてそうなるかを知らない。大地は自ら働き、初めに苗、次に穂、次に穂の中に豊かな実を生じる」
「実が熟する、種を蒔いた人は直ちに鎌を入れる。刈り入れの時が来たからである」
また、仰せになった。「神の国を何になぞらえようか。また、どんな喩えで言い表そうか。それは一粒の芥子種のようなものである」
「芥子種は土に蒔かれる時は、地上のどんな種よりも小さいが、蒔かれると、伸びてどんな野菜よりも大きくなり、その陰に空の鳥が宿るほどの大きな枝を張る」
【マルコによる福音書 第14章】
北から激しく吹き付ける風が地に落ち積もった雪を吹き飛ばし視界を奪う。寒さなどとうに超越し、いっそ痛みを伴う熱さをもたらす冷気に、奥歯を強く噛み締め、また一歩雪を掻き分けて歩を進めた。
中々思うように進まない自分の足に苛立ちすら覚えるが、それはあちらも同じ事だろう。ならば、幼少期より雪に慣れ親しみこの土地に土地勘がある自分に分はある。幸いにして今は上空に雪雲が見当たらない。星を頼りに真北に進めばいい。
「コレット……」
彼女の名前を紡ぎ北極星を目指す。天の球のその中心に鎮座する星を目印に、雪を掻き、踏みしめ進む。
アウラーナの地とアローゼの地を徒歩で行き来できる場所は限られている。あちら側とこちら側は周りを山々によって隔てられているからだ。
アローゼの飛竜部隊に連れ戻されたとするならば、こちらに成す術もないが、先程蹴散らした竜は竜族ではない。邪竜だ。邪竜はただ人が扱える代物ではない。……強力な呪いの一種だ。相当魔に精通した……いや、魔導に堕ちた化け物にしか使役は出来ない。
コレットが空を飛んで連れ戻されたとは考え辛い。ならば、あちらも徒歩で移動をしているだろう。この雪深い道を。けしてそう遠くまで行っていないはずだ。旅慣れていないコレットが一緒ならば尚の事だろう。
『……信じてよいのでしょうか?』
『ああ。神とお前自身に誓って』
数刻前、彼女と交わした言葉が脳裏に蘇る。俺を信じていいものかと不安気に揺れていた青い瞳も、少し震えていた声も。……全てが鮮やかに。
彼女から見た自分は憎い闇かもしれない。自分を見知らぬ地へと攫った悍ましい男として映っている事だろう。彼女は本心から家に帰りたがっているかもしれない。……だが、もしそうだとしても……俺は彼女をあの家に帰せない理由がある。
「……して……ッ!」
雪風に紛れ千切れ微かに届いた声に、刹那、自分の瞳が縦に開いた。
「離してッ……!離して下さいッ!!!私は……!私はッ……!」
聞き間違いようがない。この声は彼女のものだ……!
それを認識すると同時に剣を番え、一つ小さく息を吐き出した。術の触媒である愛剣を通じ、自身の中に流れる血潮を一滴、大地へと垂らし込む。純真無垢な柔らかな新雪の上に醜悪で場違いな赤が一つ滲んだ。そして、その点を格に影が……迸るッ……!!!
「これは……まさか……!!」
「遅いッ!!!!!!」
白い雪から無数に生えた影の手が男達の体を這い足を、そして手を掴む。網状に伸び広がった影が奴らの歩みを止めた。
「ベリル様……ッ!!」
銀の半円が虚空に舞う。半月の軌跡を描いて。彼女を縛り上げていた男の毛深い手を下から斬り上げ、蹴飛ばし、腕が緩んだ隙に引っ手繰るように彼女の華奢な体を強く引き寄せた。斬りつけた後、その軌跡に沿うように散った紅が雪の上に模様を残す。
「お前は……!!」
「アウラーナの地で働く狼藉、高くつくぞ。痴れ者よ」
「アウ……らーナ……?ベリル、様……あなたは……まさか……」
腕の中に匿った彼女の身体が僅かに強張ったのが皮膚を通じて伝わって来る。言葉を返す代わりに剣を持っていない側の手で彼女の肩を強く抱いた。
「はっ……狼藉だと?先に仕掛けて来たのはあんたらの方だ。俺達の姫様を家から連れ出したのはあんたらなんだ。……そうだな、言うなら高度な政治的な問題ってやつか?まず非礼を詫びる必要があるのはあんたの方だろう?……まあ、正確に言うとまだ”姫”ではないんだけどな。まだ、な」
「……やはりあの話は本当か。クーデターを起こしアローゼの当主を失脚させようと目論んでいるというのは」
「あの女も中々強情な女でね。こちらも色々手は尽くしてはいるんだが、女の身で酷くしゃしゃる。俺達が―……いや、俺達の依頼主殿はそんな可愛げのない女は望んでいないって事さ」
「……失脚したアローゼの代わりにコレットを傀儡として担ぎ上げる。そして自分自身は摂政となり民を支配する。大方そんなところだろう。……今の王家がそうであるようにな。多少なりとも政治手腕があるミルファスよりは政治経験がないコレットの方が、言いなりにするには容易い」
コレットの体が震えているのが腕を通じ、伝わって来る。彼女のこの震えはけしてこの寒さによるものだけではないのだろ。酷く下卑た笑い声が寒風に乗り響いていた。
「そこまで俺達の事情が分かってんなら話は早い。さあ、姫様をこちらに渡してもらおうか。俺達が金を貰うためにもその女は必要なんだよ。それに女もそれを望んでいると思うぜ?なんたって俺達はその女を”必要としている”んだからな」
「……愚かな。事情を知り過ぎている傭兵風情をあの男が見す見す逃がすと、本当に思っているのか?……ッ!!?コレット!!見るなっ!!!!!!!!」
「へっ……?」
上空に影が走った。俺の影ではない別の影だ。奴らよりも間一髪早くにそれに気付き、コレットを抱えたまま真横へ大きく跳躍した。
六華散る夜の香りに咽返る様な死臭が混じる。ゴキリ……と不快な音が天に霧散していく。噛み千切られた数秒前まで人だったものが重力の軛に引かれボトリ、と落ちた。生臭い邪竜の吐息が、息が当たった部分だけ雪を溶かしていた。
「ちっ!!!!」
最後、僅かにまだ自身の中に残っている魔を練り上げ切っ先に宿す。そのまま舌先ごと喉へと一気に強く突き刺した。影が竜の体内を奔り内側から締め上げる。口の中に怪我を厭わずに腕を突っ込んだからだろうか。右腕が焼けるように痛む。目の前では雪と共に竜だった灰が散っていた。
「ベリル様……腕が……」
「大丈夫……少し、焼けただけだ。やはり口封じ……か……事情を知った者を生かしておくつもりはないらしいな」
焼けた腕に沿うように当てられた雪のような手に、刹那、目を細めた。……今の会話を聞いてなお、俺の戦い方を見てもなお、俺の正体を知ってなおもお前は俺の身を案じてくれるのか……
「ベリル様……私……私は……」
「コレット……」
「ベリル……様……?」
彼女の細い体をもう一度強く胸に抱き、言の葉を紡いだ。彼女の名を紡ぐとともに。
俺がこうする事をお前は望んでいないかもしれない。お前が家に帰るまたとない機会を俺は今潰した。
そう……最初から最後まで俺は俺のエゴに従い動いている。その点で言えば、俺もコレットの父親と大差がないのかも……しれないな。
「……帰ろう。二人で。……あの家に……流石に少し……疲れた」
≪ベリル・M・アウラーナ≫
