第14章 呪い

「初めまして、レフ・オオタニ様。
私は春華と申します。
父の勧めによりこの度、貴方様の妻としてオオタニ家にご縁をいただく事と相成りました…。
不束者ではございますが、どうぞよろしくお願いいたします。」

指先を揃え、三つ指を突いて深く頭を下げる。

そのやりとりは僅かな時間だったのですが…私にはひどく長くゆっくりと時が過ぎるようなそんな感覚を覚えていました。

この方と私の間に流れる不思議と澄んだ空気を感じながら私は目の前に揃えられた自分の指先を静かに見つめていました。

『くれぐれも失礼のないように。』

いつかの父様の言葉が脳裏に浮かぶ。

私は今どのような姿に映っている事でしょうか……

†††††††††††††††††††††

『海の向こうに居られるとある人のもとへ嫁いで欲しい。』

そう言われたとき私は突然の事に少々思考が追い付かず、父様の次の言葉を待つことしかできませんでした。

父様は私に向き合うように胡座をかいて座ると、改めて縁談についてのお話を始めたのです。


「見知らぬ人のもとへ故郷を離れて嫁に行く…不安に思うのも仕方ない事だ。
儂も無理を承知で言っている。だが…決して悪い話ではない。
少々大変な思いをするだろうが、お前ならば儂はきっとあの方の助けになれるだろうと……そう思っている。

……行ってくれるか?春華。」

聞けばお相手の方はご病気を煩い不自由な生活を送られているとのこと…。

父の勧めで動くお話ではありましたが……私は二つ返事でこう返したのです。

「父様。この縁談…私は慎んでお受けいたします。
父様が探してくださったご縁ですもの。
きっと良い方に違いないと思うのです。
それに……私はその方の助けになりたい。」

それは憐れみの感情も含んでいたことでしょう。
その気持ちは否定いたしません。

ですが……それとは違う別の感情も私の胸の奥に確かに芽生えていたのです。

私はお会いしてみたくなったのです。
父様が私を送り出しても良いと思ったその方に…

††††††††††††††††††††

少ない荷を持って海を渡り、たどり着いたお屋敷は故郷の屋敷の造りととてもよく似ていて、自分が異国にいるということを忘れてしまっている私がいました。

使用人に案内された部屋から庭先へと目を向ければそこには美しく咲き乱れる華々と花の香りに誘われた白い蝶の姿。

ひらりひらりと舞うように飛ぶ大きな翅を持つ美しい白い蝶に暫し心を奪われていると、程無くしてこのお屋敷の主のいらっしゃるお部屋へと通される事になりました。

後の事は先に述べた通り。

私は三つ指を突き深く頭を下げてご挨拶の言葉を述べました。

しゅるりと布擦れの音が耳に届く。
それと同時に空気の流れが変わって先程よりもわずかに強い香炉の香りが鼻腔に届いてきました。

(ああ……なんて良い香りでしょう。)



「どうか、頭を上げてもらいたい。
遠いところ遥々よくいらしてくれた…春華。」


頭上からかけられた声にゆっくりと面を上げ向かい合う白い衣を纏う殿方の方へと視線を向ける。

口元を隠す布で表情は良く解りませんが……

私の思い込みでしょうか……静かにじっと見つめるその瞳がとても優しいものに見えたのです…。

「今日は長旅で疲れていることだろう。
ゆっくりと休まれるといい。」

ふわりと香る香炉の香り。

緊張で強ばった身体が解けて煩く騒いでいた胸の音が落ち着きを取り戻してゆく。

それは香炉のおかげでしょうか……いえ……きっとそれだけではありません。

この方の口から紡がれる低く落ち着いた声が私にはとても心地よく聞こえるのです。
柔らかく弧を描く暗褐色の両の瞳をしばし見つめ、私は再び頭を下げる。

「お心遣い痛み入ります。
温かく迎え入れてくださったこと、深く感謝致します…レフ様。」







私の為に用意された部屋は、あの方のお部屋のすぐ隣の部屋でした。

襖の向こう側にはあの方が……レフ様が
いらっしゃる……。

そう思うとなかなか寝付くことができませんでした。

昼間見たあの方の優しい眼差しを思い出しては思いを巡らせ、今一度お顔を拝見したいという感情が胸の内に芽生えていて……

布団に横たえていた身体を起こし、ちらりと襖の方へと視線を向ける。

すると襖の隙間から光が漏れて一筋の光がこちらの方へと伸びているではありませんか…。

(もしかして…まだ起きていらっしゃるのかしら……?)

ふと思い出す…父に言われた言葉。

レフ様は病を煩い、誰の手を借りる事も無くお一人で病に立ち向かっていらっしゃる方だと……。

その病は『業病』と呼ばれるもので、前世で犯した罪の報いであり、今生を賭けて清算しなければならない宿業と呼ばれる病である……とも……。

『業』とは何でしょうか……あの方が一人で背負わなければならない業とは一体何でしょうか……?

それを確かめる術など無いというのに…何故あの方がたった一人でそれを背負わなければならないのでしょうか?

襖の隙間から向こう側を伺う。
ちらりと見えた姿は確かに昼間見たあの方の姿……。

やはり起きていらっしゃる…。
毎晩こうして一人で病と向き合っているのですか…?
本当にあったかどうかもわからない『前世の業』をたったお一人で……

チクリと胸が痛む。
この痛みはどこから…?

胸に手を添え改めて自分の胸に問う。

ああ……そうですね……私も病を抱えているのです。

それはきっと……一人では治せない病……。

あの方の……旦那さまの為に私がすべき事は……

自然と足が向く……。
しゅるりと響く布擦れの音。
微かに届く薬の匂いと香炉の香り。
胸の騒ぎを抑えるように呼吸をひとつついて、私は言葉を口にする。

「……旦那さま、お休みになられていなかったのですか?何か私にお手伝いできることはございませんか……?」

私の声に驚いた襖の向こう側にいらっしゃる旦那さまが少々戸惑い気味に返事を返してくださいました。

昼間の改まった挨拶の場で聞いたときとは違う優しい声色で……。

「旦那さま一人では届かないところもございますでしょう?私、お手伝いいたしますよ?私、気にしていませんから……ご病気の事はちゃんと伺っておりますから……旦那さま……」

暫し間を置いて襖がゆっくりと開かれ、それと同時に襖にかけられた手が私の視界に映る。

「見苦しい姿ですまない。もしよければ、背中に薬を塗ってくれぬか?……醜悪な姿だ。けして無理はしなくていい」

旦那さまの心遣いが伝わってくる……赤く変色した旦那さまの腕……
きっと、この腕よりも病はもっと広がっていて、病状もきっと悪くなっている事でしょう……

ここに来たばかりの私を気遣って……

いえ……この方は自らの周囲の人にも一切その姿を見せないようにしていらっしゃる……だからこうしてお一人でお薬を塗っていたのですね……

「旦那さま、お心遣いありがとうございます。私なら大丈夫です、無理などしておりません。……こちらこそ、旦那様の事をまだよく知らない立場で無理を言って申し訳ありませんでした。でも……旦那さまの事を思うとどうしてもここで引き下がれない気持ちが勝ってしまうのです。」

お一人で病に向き合う姿を思うと胸が痛むのです…。

旦那さまは私のことを「優しく温かい」と言ってくださいましたが……誰よりも優しく温かいのは貴方の方です……。

思わず伸ばした手が旦那さまの頬に触れる。

布越しに伝わる旦那さまの輪郭……そしてそっと私の手を包むように添えられた旦那さまの大きな手……

胸の奥で大きく跳ねる鼓動。

きっと惚けていた事でしょう……旦那さまの言葉でようやく意識を引き戻しましたが……自分の欲のままに行動していた事に気づかされて……それがひどく恥ずかしい……。


「本当に申し訳ありません……お恥ずかしいです。もっと近くで旦那さまのお顔が見たくてつい……」


「ふふふっ……いや、すまん。こちらこそつい笑ってしまった。お前があまりに必死な顔をするものだから可愛く思えてしまってな。……そうだな、夫が自分の妻に顔を隠したままと言うのもおかしな話だ……」

そう言って旦那さまは口元の白い布を外し改めて私と向き合う。

月明かりに照らされた旦那さまのお顔……確かに所々爛れてしまっていて…変色してしまっているところも……
ですが……不思議ですね。
私は不快に感じるどころか、先程よりもずっと胸の鼓動が早くなっているのです……

「……旦那さま……」

見苦しいなどと……そんなことはございません。
旦那さまのお顔はとても綺麗なお顔です……。

気がつけば旦那さまの胸に優しく抱き寄せられていました。

今…確信しました。私ははじめから旦那さまに恋をしていたのです……旦那さまにお会いしたときから……いいえ……もっと前から……旦那さまのことをお話に伺っていたときからずっと……。


指が絡み合い、影が重なる。
唇に触れるだけの優しい口づけに心が更に溶かされていく……満たされてゆく……胸の奥がとても…とても温かい……

私は貴方の業を半分背負わせて欲しいのです。

貴方が今生を賭けて清算しなければならないというその宿業を…


「旦那さま……どうかお側に置いてください。
貴方の業をどうか私に半分背負わせてください……。」


貴方が一人にならないように…少しでも軽くなるように…
未熟な私で良ければどうかお側に…。
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