第14章 呪い
最後に兄弟達、それではお元気で。不完全なところを改めなさい。励まし合いなさい。思いを一つにしなさい。仲良く暮らしなさい。
そうすれば、愛と平和の源である神があなた方と共にいて下さいます。
聖なる口付けを持って、互いに挨拶を交わしなさい。全ての聖なる人々が、あなた方によろしくとの事です。主の恵み、神の愛、聖霊の交わりが、みなさん一同と共にありますように。
【コリントの人々への第2の手紙 第13章】
カラリ、コロリと聞き慣れない異国の履物が奏でる乾いた音が、自分の足元から、そして彼女の足元からも聞こえてくる。祭りの賑やかな音楽よりも、周りを囲む雑踏の音よりも、ずっと小さな音のはずなのにやけに自分の耳にその音が残っていた。いや、あえてその音を聞こうとしていた。
だって!音に集中でもしてなきゃ絶対そればかりガン見しちまう!!!
劣情に負けてチラリと今日何度目になるか分からない視線を横目で彼女へ向ければ、今度もまず自分の視界に飛び込んできたのは、エテルの細く白い首筋だった。
いつもは薄手のヴェールや着込んだ修道服によって隠されているそこが、浴衣と呼ばれる異国の服を彼女が着ている為に露わになっている。
そして、少し視線を上げれば滑らかな頬と桜色に色付いたぷっくりとした唇が映った。今日は薄く化粧をしているのだろうか?それがいつもよりも彼女を艶だたせている。
そりゃあ、着てくるんじゃないかとは期待はしていたさ!だからこそ、こうして自分も浴衣と対になる甚平とかいう服を着てきたわけだしな。でも……!でもこれは予想以上に―……!
「……?どうしたの、アナム?なんだか顔が少し赤いよ?」
「いや……その……エテルがあんまり綺麗だから目のやり場に困って、な……」
「えっ……!?」
しまった。と思ったのは、次に訪れた沈黙の只中で―……でも、今言った言葉に嘘が一片でもあるわけはない。なら、と一人腹を括る。
「綺麗だ。凄く。いつもだけど今日は特に。……浴衣、着て来てくれたんだな、ありがとう」
嘘も偽りもない。なら、隠す事なく伝える方が自分らしい。恥じる事はない。本当に綺麗だと、美しいと、そう思ったんだから。
赤い鼻緒の小さな下駄も濃紺の浴衣も白いきめ細かな肌も桜色の唇も、そして結い上げられた柔らかな髪も。その全てが酷く扇情的で、艶めかしく、美しい。それでもただ一点、崩れかけている場所があったが。
「エテル」
「は……はい!」
「別にお前を取って食おうと思っているわけじゃねえから安心しろって。……そろそろ花火が上がる時間みたいだから川岸の近くまで行こうぜ?花火はそっちで上がるだろう?」
絡めた指を再び絡め直して、そう彼女に問い掛けた。より強固に手と手を繋ぐ。
繋いでいないとエテルが転ぶというのは体のいい口実―……いや、まあ、さっきも人混みで人とぶつかって金魚が悠々と泳いでいる水槽に頭から突っ込みそうになってたけどよ!?
「アナム?」
「はあ……なんでもねーよ……」
「あっ!さっき私が転びかけた時のこと思い出してたでしょ?だ、大丈夫だよ……!」
「ん?ああ。それなら大丈夫だ。今度は俺がちゃんとお前の手を握ってる。エテルももう物を食ってないから繋げるしな。転びそうになったらちゃんと腕を引くよ」
俺の言葉を聞いたエテルの瞳が数度瞬いた。言葉を咀嚼しているのだろう。そして、理解をすると同時に彼女はくしゃりと破顔し、言葉を紡ぐんだ。「うん……!」っと。
俺はそれが堪らなく可愛らしく思えて、同時に愛おしくて堪らなくなるんだ。
エテルが俺を信用してくれている。頼ってくれている。それが心底、嬉しい。
同僚に知られたら重症だなと鼻で笑われそうだが―……仕方ないだろう?惚れてるんだ、エテルに。彼女に本気で惚れているんだよ、俺は。
カラリ、コロリと再びあの音が俺の鼓膜を揺さぶっていた。
「……花火、綺麗だったね。ドーンッ!パンパンッ!って夜空に火の花が咲いて、散って、また咲いて……」
楽しい時間ってやつはどうしてこう、あっという間に過ぎてしまうんだろうか。花火の打ち上がり始めから、最後の大玉が咲いて散るまでの時間はほんの一瞬だったんじゃないかと、そんな感覚さえ覚える。まあ、実際はけしてそんなわけないのだが。
夜もとっぷり更け始めるこの時間にもなると、流石に昼の暑さも眠りに就く。代わりに、北から吹く夜風が心地良い涼を運んでいた。
茹だる様な日中の暑さの中じゃ実感が湧きにくいが、季節は確実に進んでいるようで、草むらで鳴いているのは夏の蝉ではなく秋の虫達だ。鈴が転がる様な澄んだ音色が風に乗って運ばれて行く。
「アナム、私の話、聞いてる?」
「ん。ああ」
「嘘。絶対今違う事を考えてた。少し上の空だったもん」
「……なんでこんなに早く今日が終わっちまうのかな、って思ってな」
十分ゆっくりと歩を進めていたはずなのに、俺達は気が付けばエテルが暮らしている部屋のすぐそばまで来ていた。下駄が踏む地面も柔らかな土道から硬い石畳に、当に前から変わっている。
別にもう二度とエテルと会えなくなるわけじゃない。それが分かっているのに尚、離れがたく思ってしまうのは、やはり惚れた弱みというものなんだろうか。
「エテル」
「アナム……?んっ……」
彼女の名を紡ぎ、腰を屈め、彼女の唇に自分の唇を重ねた。名残を惜しむように唇を自分の舌先で撫で、拭う。僅かに彼女の唇に残っていた紅が綺麗に落ちた。
「はあ……口紅……とれちゃう……よ……」
「元々取れかけてたって。お前、祭りの屋台で沢山食ってただろう?」
「そ……そんなに食べてたかな?」
「さあ、どうだろうな?」
「もう……からかわないでよ……?これは……?」
少し拗ねたように唇を尖らせた彼女の手に一つ、物を握らせた。ハマグリぐらいの大きさの飾り貝を。金箔と墨と朱墨で彩られた貝の中には、たった今俺が落としてしまったものが入っている。
「遠征先で見つけたんだ。異国の品らしい。本当は祭りの前にエテルに渡せればよかったんだけどな、口紅。エテルに似合うと思って買ってみたんだよ」
「アナム……」
楽しい夏の時間は過ぎてしまったけれど、それはあくまでも今年の分だけだ。
自分はこの先何度でも、何度でもエテルと一緒に夏を迎えたいと、そう思っている。
「来年も一緒に行こう。その時は、それ付けてくれると嬉しい」
≪アナム・メドラウト≫
そうすれば、愛と平和の源である神があなた方と共にいて下さいます。
聖なる口付けを持って、互いに挨拶を交わしなさい。全ての聖なる人々が、あなた方によろしくとの事です。主の恵み、神の愛、聖霊の交わりが、みなさん一同と共にありますように。
【コリントの人々への第2の手紙 第13章】
カラリ、コロリと聞き慣れない異国の履物が奏でる乾いた音が、自分の足元から、そして彼女の足元からも聞こえてくる。祭りの賑やかな音楽よりも、周りを囲む雑踏の音よりも、ずっと小さな音のはずなのにやけに自分の耳にその音が残っていた。いや、あえてその音を聞こうとしていた。
だって!音に集中でもしてなきゃ絶対そればかりガン見しちまう!!!
劣情に負けてチラリと今日何度目になるか分からない視線を横目で彼女へ向ければ、今度もまず自分の視界に飛び込んできたのは、エテルの細く白い首筋だった。
いつもは薄手のヴェールや着込んだ修道服によって隠されているそこが、浴衣と呼ばれる異国の服を彼女が着ている為に露わになっている。
そして、少し視線を上げれば滑らかな頬と桜色に色付いたぷっくりとした唇が映った。今日は薄く化粧をしているのだろうか?それがいつもよりも彼女を艶だたせている。
そりゃあ、着てくるんじゃないかとは期待はしていたさ!だからこそ、こうして自分も浴衣と対になる甚平とかいう服を着てきたわけだしな。でも……!でもこれは予想以上に―……!
「……?どうしたの、アナム?なんだか顔が少し赤いよ?」
「いや……その……エテルがあんまり綺麗だから目のやり場に困って、な……」
「えっ……!?」
しまった。と思ったのは、次に訪れた沈黙の只中で―……でも、今言った言葉に嘘が一片でもあるわけはない。なら、と一人腹を括る。
「綺麗だ。凄く。いつもだけど今日は特に。……浴衣、着て来てくれたんだな、ありがとう」
嘘も偽りもない。なら、隠す事なく伝える方が自分らしい。恥じる事はない。本当に綺麗だと、美しいと、そう思ったんだから。
赤い鼻緒の小さな下駄も濃紺の浴衣も白いきめ細かな肌も桜色の唇も、そして結い上げられた柔らかな髪も。その全てが酷く扇情的で、艶めかしく、美しい。それでもただ一点、崩れかけている場所があったが。
「エテル」
「は……はい!」
「別にお前を取って食おうと思っているわけじゃねえから安心しろって。……そろそろ花火が上がる時間みたいだから川岸の近くまで行こうぜ?花火はそっちで上がるだろう?」
絡めた指を再び絡め直して、そう彼女に問い掛けた。より強固に手と手を繋ぐ。
繋いでいないとエテルが転ぶというのは体のいい口実―……いや、まあ、さっきも人混みで人とぶつかって金魚が悠々と泳いでいる水槽に頭から突っ込みそうになってたけどよ!?
「アナム?」
「はあ……なんでもねーよ……」
「あっ!さっき私が転びかけた時のこと思い出してたでしょ?だ、大丈夫だよ……!」
「ん?ああ。それなら大丈夫だ。今度は俺がちゃんとお前の手を握ってる。エテルももう物を食ってないから繋げるしな。転びそうになったらちゃんと腕を引くよ」
俺の言葉を聞いたエテルの瞳が数度瞬いた。言葉を咀嚼しているのだろう。そして、理解をすると同時に彼女はくしゃりと破顔し、言葉を紡ぐんだ。「うん……!」っと。
俺はそれが堪らなく可愛らしく思えて、同時に愛おしくて堪らなくなるんだ。
エテルが俺を信用してくれている。頼ってくれている。それが心底、嬉しい。
同僚に知られたら重症だなと鼻で笑われそうだが―……仕方ないだろう?惚れてるんだ、エテルに。彼女に本気で惚れているんだよ、俺は。
カラリ、コロリと再びあの音が俺の鼓膜を揺さぶっていた。
「……花火、綺麗だったね。ドーンッ!パンパンッ!って夜空に火の花が咲いて、散って、また咲いて……」
楽しい時間ってやつはどうしてこう、あっという間に過ぎてしまうんだろうか。花火の打ち上がり始めから、最後の大玉が咲いて散るまでの時間はほんの一瞬だったんじゃないかと、そんな感覚さえ覚える。まあ、実際はけしてそんなわけないのだが。
夜もとっぷり更け始めるこの時間にもなると、流石に昼の暑さも眠りに就く。代わりに、北から吹く夜風が心地良い涼を運んでいた。
茹だる様な日中の暑さの中じゃ実感が湧きにくいが、季節は確実に進んでいるようで、草むらで鳴いているのは夏の蝉ではなく秋の虫達だ。鈴が転がる様な澄んだ音色が風に乗って運ばれて行く。
「アナム、私の話、聞いてる?」
「ん。ああ」
「嘘。絶対今違う事を考えてた。少し上の空だったもん」
「……なんでこんなに早く今日が終わっちまうのかな、って思ってな」
十分ゆっくりと歩を進めていたはずなのに、俺達は気が付けばエテルが暮らしている部屋のすぐそばまで来ていた。下駄が踏む地面も柔らかな土道から硬い石畳に、当に前から変わっている。
別にもう二度とエテルと会えなくなるわけじゃない。それが分かっているのに尚、離れがたく思ってしまうのは、やはり惚れた弱みというものなんだろうか。
「エテル」
「アナム……?んっ……」
彼女の名を紡ぎ、腰を屈め、彼女の唇に自分の唇を重ねた。名残を惜しむように唇を自分の舌先で撫で、拭う。僅かに彼女の唇に残っていた紅が綺麗に落ちた。
「はあ……口紅……とれちゃう……よ……」
「元々取れかけてたって。お前、祭りの屋台で沢山食ってただろう?」
「そ……そんなに食べてたかな?」
「さあ、どうだろうな?」
「もう……からかわないでよ……?これは……?」
少し拗ねたように唇を尖らせた彼女の手に一つ、物を握らせた。ハマグリぐらいの大きさの飾り貝を。金箔と墨と朱墨で彩られた貝の中には、たった今俺が落としてしまったものが入っている。
「遠征先で見つけたんだ。異国の品らしい。本当は祭りの前にエテルに渡せればよかったんだけどな、口紅。エテルに似合うと思って買ってみたんだよ」
「アナム……」
楽しい夏の時間は過ぎてしまったけれど、それはあくまでも今年の分だけだ。
自分はこの先何度でも、何度でもエテルと一緒に夏を迎えたいと、そう思っている。
「来年も一緒に行こう。その時は、それ付けてくれると嬉しい」
≪アナム・メドラウト≫
