第14章 呪い

あれほどうるさかった風の音もいつの間にか静まり、ふと窓へと視線を向ければ東の空はうっすらと白み始めていた。

「朝か…。」

手にした筆を走らせていると己がつい先程書き記したばかりの文字がぼんやりと霞んで見えなくなる。
ああ…限界かと思いながら目頭を指で押さえる。

「ちっ…寝ている暇など無いというのに…」

領地周辺の情報収集、領地内の治安の維持、同盟国との情報の共有…

今あげたものはまだほんの一部に過ぎない。

北方が不穏な動きを見せている今、私はできる限りの軍備を整えこの国の守りを強固にしておかなければならない。

もし、ここが落とされたら…

そう思うだけで頭が痛む。

北の軍勢はこの地を落とすのを皮切りに次々と戦火を広げていくだろう。

平穏な村を焼き払い、奪い、多くの民を苦しめる事だろう。

ああ…考えただけでも目眩がする…

確か引き出しの中に栄養剤がまだあった筈だと手を伸ばす。

「…あと二本…か…」

蓋を開け、一気に飲み干す。

空になった瓶から口を離し、大きく息を吐く。
そして新しい空気を吸い込んだと同時に何とも言えない苦味と甘味が混じりあった強烈な味と匂いが口の中一杯に広がる。

「……何本飲んでも慣れない味だな……」

はぁ…と大きく溜め息を吐き、椅子に背を預けて天を仰ぐ。

少しだけ瞼を閉じよう。
少しだけ休めばまた仕事ができる…

…少しだけ……。


瞼を閉じる。見えるものは何もなくただ闇が広がるのみ。

意識が深い闇に沈んでゆく。

コツ…コツ…と廊下から何者かの足音が耳に届く。

ああ……使用人の見廻りか。

いつもこうだ…一晩中一人で執務をこなし、朝の訪れと同時に仮眠をとる。

眠気に抗えず目を瞑るが、誰かの足音で意識が引き戻される。

いや……違う。
私自身が意識を引き戻しているのだ。

誰とも解らぬ足音に耳を傾け傍らに置かれた剣に手を伸ばしているのは他ならぬ私自身だ。


「………お兄…様…?」

「……リチアか…!?」

一瞬だった。
誰かが執務室へ入ってきた気配に目を覚まし、左肩に触れられた次の瞬間、私は相手を確認するより速く剣を抜いていた。

小さな悲鳴にはっとして見上げた先に居たのは我が妹…リチアの姿だった。


真っ直ぐに伸ばした剣先が妹の首筋をとらえていた。

幸いにも妹の後ろに立つ誰かがこの剣を止めてくれたから事なきを得たようだが…

「……何故執務室へ来た…人払いをしていた筈だ…」

機嫌の悪さも相まって私は剣を鞘に納めると謝罪よりも先に叱責の言葉を口にしていた。

言葉だけならともかく…睨み付けてさえいた。

私の言葉に「申し訳ございません」と少々体を縮めて答える妹。

なんとも嫌な空気だ…
こうなることを知っていたから人払いをしていたというのに…。

「リチアが独断で言いつけを破って来たとは思いがたい。
一体何の赴きがあってここへ来た。」

「私が彼女に案内を頼んだ。」

「その声はセデルか…。

先程リチアに向けた剣を止めたのは…成る程お前か。」

「不機嫌なお兄様の所へ行くのは自殺行為と言われたんだが…私が護ろうと言って無理を承知で案内して貰った…と言うわけだ。」

「その言葉は少々脚色も入っているようだが…?」

だが否定はしない。セデルがいたからこそ大事には至らなかったのだからな…。
あと少しで首が飛ぶところだった。

「……申し訳ございません……お客様がお兄様にお会いしたいと仰っていましたので……」

「…………すまなかったリチア。
客人の案内……ご苦労だった。
だが…次は無いと思え。
気が立っていた私も悪かったが、このような状況だ…私も自分の身を守るので手一杯なのだ。」

「はい……私こそ…本当に申し訳ございませんでしたお兄様。」

そう言うとリチアは一礼をして部屋を後にした。
私は深いため息をひとつ吐いて椅子の背もたれに身を預けた。

「全く…寿命が縮む。
このようないかにも面倒事を持ち込みそうな男を私のもとへ案内してくるとはな…なあ、セデル?」

「お前の数少ない友がこの雪の中わざわざ訪ねてくれたというのに…随分な言い様だな?フルオライト。」

皮肉には皮肉を返される。ああ知ってるとも。
お前はそういう男だ。

変わらない旧友の笑みに安堵すると同時に私は理解した。

この男がわざわざ私の元へ足を運ばなければならない程の理由を抱えて来たのだと言うことを。

「ねぇフルオライト?君は邪竜がここに来ること、知っていたのかい?」

「ああ、兄上から北がキナ臭い動きをしていると聞いた。
民を逃がしたのも被害を押さえるための苦肉の策だ。」

「そっか。逃がして正解だったかもねぇ。」

「戦乱を予期しておきながら民を逃がさない君主など無能にも程があるだろう。

こちらには国を守るだけの戦力はあるが、民を守りながらではそれだけ戦力が削がれてしまうからな。
後顧の憂いは未然に絶たせてもらった。」

あらかた片付いた…とはいえ邪竜はまだ空を悠々と飛んでいる。

あの一体を仕留めさえすれば…終わりなのだが…兵も疲弊しきっている。

さてどうするか…。

「ピエール、まだ戦えるか?」

「正直言うと、もう動きたくは無いかなー?
雪には慣れてなくてね。
ほら、見てよ。邪竜の炎で黒焦げさ。」

そう言いながらピエールは黒く焼けたマントの裾を摘まんでヒラヒラと広げて見せた。



……満身創痍……か。

「ふん、ならば囮くらいにはなってもらおうか。」

「君、耳ちゃんと聞こえてる?僕の言ったことちゃんと聞いてた??」

ああ聞こえているとも。
だからこそ私が出なければなるまいよ。

「無駄話に使う体力があるなら動け。
お前がそれくらいでへばる男じゃ無いことくらい私は知っている。」

ああ知ってるとも。お前はもしもの事態に備えて余力を残す男だと。
まだその槍の穂先が残っているうちは戦い続ける男だと。

「もう…しょうがないな。
全部終わったらご馳走してよね?」

「足手纏いになりたくなければキビキビ動け。あと一体だ。あと一体仕留めたら終わりだ。」

「大丈夫大丈夫!きちんと働くから!」

そう言うとピエールはポンと私の肩を叩いて「死ぬのはなし…だからね?」と…いつになく低い声色で呟いてその場を離れていった。

ああ、わかっている。
命を投げ出すような事はしない。

すうっ…と息を深く吸い込んで、辺りに漂う冷気を己の身体に取り込んでゆく。


右手の杖を真っ直ぐに地面に突き立て周囲に満ちる魔力を杖に集中させ左手に集めてゆく。

魔力を含んだ風に雪が舞う。

私の左手に満ちる魔力で地面に突き立てられた金の杖がピキピキと音を立てて凍てついてゆく。

まだだ…もっと集めるんだ。

左手の感覚が麻痺していく。
もはや冷たさなど微塵も感じない。

白く白く凍りついてゆく左手。

まだだ…もっと…もっと…

この国の未来を守れるなら…私がここで立つことであの若者に未来を託す事ができるなら…私の左手など惜しくはない。


「今だ!!!フルオライト!!!!!」

ピエールの声を合図に私は全ての魔力を込めて空へ向けて魔力を解き放つ。
音を経てて砕けた左手にもはや感覚は無く、ふらつく足をグッと踏みしめ空を見上げた。


魔力によって産み出された氷柱が邪竜を貫き、邪竜は成す術もなく落ちて行く。

轟音と共に地に叩きつけられ、動かなくなったそれを無言で見つめていると、ピエールが傍らへ駆け寄ってきた。

「フルオライト!」

ああ…そう騒ぐなちゃんと聞こえている。

「あいつで最後だ!もう邪竜はいない!」

ああそうか…これでしばらくは安心できるな。

「フルオライト!!しっかりしろ!!」

しばらく休ませてくれないか?左手を犠牲にして大魔法を撃ったんだ

…休ませてくれ。





これでしばらくゆっくり眠ることができる。

あとは頼みます……兄上。
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