第14章 呪い
それから御子は再び群衆を呼び寄せて仰せになった。
「皆、私の言う事を聞いて悟りなさい。外から人の中に入るもので、人を汚す事のできるものは何一つない。人の中から出て来るものが人を汚すのである」
そして、御子が群衆を離れて家に入られると、弟子達はこの喩えについて御子に尋ねた。すると、御子は仰せになった。
「あなた方も他の者とと同じように悟らないのか。外から人の中に入るものはどんなものでも、人を汚す事は出来ないという事が分からないのか。それは人の心の中に入るのではなく、腹の中に入り、厠へ出されてしまう」
このように、御子は食べ物は全て清いものであると宣言された。またさらに仰せになった。
「人から出て来るもの、それが人を汚すのである。内部、即ち人の心の中から邪念が出る。これらの悪は全て内から出て、人を汚すのである」
【マルコによる福音書 第7章】
「しょうがねーなー」
「わっ……!!?ロ……ロキ君!?い……いつから起きてたの!?」
「ん?誰かさんが寝ている無防備な俺の顔に悪戯しようと顔を近付けた時から?」
「わ……私は悪戯なんて……ただロキ君が疲れたように寝てるから毛布を掛けただけで―……」
カウチのソファーが瞬間沈む。いや、元々寝ていた俺の重みで沈んでいたのだから、更に沈んだ、というのが正しいわけだが。
一瞬、刹那、重なった。影絵という虚像ではなく、実像同士が。当然だ。自分は今、シギュンの細腕を掴み、自分の方へ引いたのだから。彼女の唇に自分の唇で触れたのだから。
腕を離せば、触れただけだというのに、酸欠の金魚のように口をパクパク忙しなく動かしているシギュンがいて、予想を裏切らない彼女の反応に、思わず喉がクツリ、と鳴った。
「ロ、ロキ君!!!」
「ん?おはようのあいさつ。はい、シギュン。りぴーとあふたみーおはよう」
「あっ……おはよう……ってそうじゃなくて!!悪戯したのはロキ君の方じゃない……!そんな事言われても誤魔化されたりなんかしないんだか―……」
彼女の言葉が途中で途切れた。今度は先程より長く俺が触れた事によって。相変わらず触れるだけの軽いキスだが。
唇に唇で触れて、離れると同時に彼女の艶やかな優しい宵闇の色をした髪をわしゃわしゃと雑に撫でる。シギュンはいつか自分の髪の色が地味だと言っていたが、そんな事はない。少なくとも、俺にとっては、な。
「誤魔化すつもりはハナからねーぞ?そんな腰抜けじゃねーし」
「もう……ずるいよ、ロキ君……」
雑に頭を撫でられたせいでずれたヴェールを直すシギュンに「悪ィ」と一言返せば、「ずるい」ともう一度さっきと同じ言葉が更に返って来た。……まあ、それはけして間違っちゃいないわけだが。
さっさと謝っちまえば人一倍お人よしのシギュンが何も言えなくなる事を俺は知っている。子供の頃からシギュンは変わらずそうだ。
「よく言うだろ?卑怯は俺の褒め言葉って」
「それ言うのロキ君だけだよ……」
「まあまあ。細かい事は気にすんなって。……ほれ、それ貸してみ?」
「それって―……はたき?はたきなんて持ってロキ君何するつもりなの?」
「何って、することは決まってんだろ?お前の仕事の手伝いだよ。俺はサボりは全然怖くねーけど、シギュンはそうもいかねえだろ?」
シギュンの大きな青緑色の瞳が数度瞬いた。不思議だとでも言うように。そして、俺はと言えば、彼女が次の言葉を紡ぐその前に、自分の人差し指を彼女の柔らかな唇へと押し当てる。
「星祭り。行きたくね?俺ちょ―――行きたいんだけど。だから、早く祭りに行けるようにシギュンの仕事を手伝う。……ここまではお分かり?」
「う……うん……って、えっ!?ロキ君、今確かに星祭って……」
「気分転換にいいだろ?お互いに、な。……ってわけだから、ヘル、お前も一緒に祭りに行くぞ。んで、シギュンの手伝いをするんだ。早く生きたいならな」
「ヘ……ヘルちゃん!?い、いつからここに……!!?」
僅かに開いていた部屋の扉が音もなく徐々に広がっていく。俺達二人の様子を窺うようにそろり、と部屋の中に入って来たそいつの名前をもう一度呼んでこっちに来るように手で招いた。
「あ、あの……わ、たし……」
「だぁあああああああ!!!物事ははっきり言え!!!腹から声を出せ!!この根暗頭巾!!!」
「きゃああああああ!!!」
罵りとも侮辱とも取れる悪態をヘルに対して吐きながら、わしゃわしゃとシギュンにしたのと同じように雑にヘルの頭を撫でた。撫でた時の勢いでヘルが被ったいたフードが外れ、こちらを不安げに見つめる彼女と視線が合う。
……こうして見ると顔は整っているし、可愛い部類なんだろうが―……こいつの場合、残念な事に愛嬌よりも卑屈の方が勝る。それがこいつに影を落としていた。
その影を憂いがあって好ましいという人間もいるだろう。が、悪趣味だ、と個人的には思う。少なくとも俺とそいつらの価値観は違うし、これから先も相容れる事がないだろう。
子供は素直に笑ってなんぼ、だ。心の底から笑って、泣いて、時々拗ねて親と喧嘩して―……それでいい。押し付けはしないが。
「んじゃ、ヘルはあっちをシギュンと一緒に乾拭きする。俺は高いところの埃をはたきで叩く。よし、決まりだ。んじゃ、解散!散れ!!」
窓から差し込む日の角度は徐々に西へと傾き始めていたが、夕方にあるまではまだ時間がある。シギュン一人では無理でも三人で取り掛かればすぐに終わるだろう。
「困難は分割せよ、ってか?」
まったく、昔の人はうまい事を言ったもんだ。
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祭りの囃子が鼓膜を揺する。雑踏と混ざり更に喧しくなる音を掻き分けながら、三人並んで屋台が並んだ通りを練り歩いた。
「んだから、言ったろ?あんず飴は食べ辛いって」
「だって……氷の上でキラキラして綺麗だったから―……」
「ふふっ……でもヘルちゃんの気持ち、分かるな。あんず飴の屋台って宝石屋さんみたいにキラキラしてるもんね」
案の定、ヘルが食い残した(ヘルは元々食外用に細い。ストローか、こいつの胃は)あんず飴と皿代わりの最中を受け取り、ヘルの代わりに残りを平らげた。溶けかかっていたせいか俺の手もヘルの手も飴でベトベトに汚れている。
「まあ、構わねえけどな。残したら俺が食えばいいだけだし。で、次はどこに行く?」
「あっ、ロキ君!私、かき氷食べたい!今日ムシムシ暑いから……!」
「はいよー」
ベトベトした手は拭わずにそのままヘルと繋いだ。ヘルの指も俺と負けず劣らずベトベトしてるからこのままでもいいだろ。
ヘルを真ん中に俺とシギュンで挟んで歩いた。悪くねえな、と一人心の中で呟いて。
《ロキ・ロプト》
