第6節 星祭り
兄弟愛について殊更あなた方に書く必要はありません。あなた方自身、神に教えられて互いに愛し合っていますし、マケドニア全地方の全ての兄弟達に対してもそれを実行しているからです。
しかし、兄弟の皆さん。その愛を更に益々完全なものとするように勧めます。そして、腰を落ち着けて自分の勤めに専念し、あなた方に命じておいた通り、自分の手で働くように心掛けなさい。
そうしてこそ初めて、外部の人々に対して品位を保つことが出来、また、人の世話にならずに暮らしていけるのです。
【テサロニケの人々への第一の手紙 第4章】
「……」
「そうあからまさに不機嫌そうな顔をされると困るな。まだ一人で浴衣は着られないだろう?エスメラルダは」
大きく開け放った庵の戸という戸から夏を含んだ風が吹き抜けていく。今年は例年より気温が高く真昼の風は熱風と呼んで差支えがないくらいに熱い。それでも幸い今日は比較的涼しいように思える。最も、連日の酷暑のせいで体が暑さ慣れてしまったと同時に感覚が麻痺してしまった、というのも大いに関係してるだろうが―……
「誰もで、出来ないとは言っていませんわ!出来ないのではなく―……そう!そうですわ!まだ覚えている途中なのです!優秀な妾に出来ないことなどありませんもの!」
「ああ。だから言っただろう?”まだ”って。エスメラルダ、両腕を上げて。帯を背中に回すから」
俺の言葉を聞いた彼女―……エスメラルダの白い頬がぷくり、と小さく膨れた。今日は薄く頬紅を差し化粧をしているせいか、そのせいでどこか大人びた雰囲気を彼女から感じていたのだが、その子どもらしい行動によって雰囲気が瓦解していく。
「な、なんで笑うのです!?ふ、不敬ですわ!」
「ん?いや、なに。可愛らしいと思っただけだよ」
「なっ……!」
「動かない。せっかく着付けたのに崩れたら最初からになってしまうよ」
彼女の細い体に着物の丈を調節し合わせ、帯を巻いていく。背中に帯と共に腕を回しながら口に出さずに考えていた。自分の口も大概回るな、っと。
自分は知っているから。こういう事で彼女が大人しく黙る事を。エスメラルダと同居するようになってそれなりになるが―……彼女は自分に真っ直ぐ向けられる好意や厚意に弱い。世辞には慣れた様子だったが。それが彼女が生まれ育った環境に原因がある事は、彼女が口にせずとも薄々は感じていた。
「ふん……!今の妾に媚びを売っても何もなりませんわ」
「媚び、か。確かにそうかもしれないね。貴方が持っている棘が木の芽のように柔らかなものになればと思わなかったことがないかと言われれば嘘になる。……あえて知ったような口で言わせてもらうが、それではあまりに生き辛い」
一瞬の間があった。密着するほど近付いている自分達の間に出来た僅かな隙間に沈黙が蟠る。僅か蟠る沈黙が流れる間にもう一度腕を回し、彼女に背中を向けさせて飾り帯を作った。彼女が今着ている金魚柄の浴衣によく合う、金魚の尾のような飾り帯を。
「でも、可愛いと思ったのは本当だよ。俺は可愛くないと思ったものに可愛いと言える甲斐性がないから。それに、貴方がさっき自分で言ったように貴方の機嫌を取り、立場に取り入ったところで俺には何の利点もない」
……本当は少し憎まれ口を叩かれなくなり着付けがし易くなるという利点があったが―……あえて口にする必要はないだろう。可愛いと思った事に嘘も偽りもないのだから。
「……この服は―……」
「ん?どうしたの?」
「この服も、あなたが織ったのか?」
「そう。エスメラルダに似合うと思ってね。星祭りの日に間に合ってよかった」
紺の薄い布地が風に僅かに靡く。踊る袖の中で錦の絵の金魚が泳いでいた。
じわじわと昼の間鳴いていた蝉達はいつの間にか鳴き止んでおり、代わりに蜩の蝉時雨が一日の終わりを惜しむように降っていた。空が残された昼の青とこれからやって来る夜の紫に染まっている。
「兄弟子さまーあにでしさまー!いらっしゃいますかー!お泊まりに来たのですー!」
「……着付け、終わったよ。ちょうど弟弟子も来たみたいだ。エスメラルダは少しここで待っていて。今日はここに泊まるって言っていたから、まずはシャオフーの荷物を預からないと」
りん、と縁側に取り付けた風鈴が涼し気な音を奏でていた。
++++++++++++++++++++
「あー……また逃げちゃったのです~……金魚さん」
「……店主……もう一回頼む……」
祭囃子の音の振動が、夜の屋台を彩る吊るされた灯りを揺らしている。穴が開いたばかりのポイを代金と共に店主へと渡し、新しいものを受け取れば「まいどあり」と、少し禿げかかった頭にねじり鉢巻きを巻いた屋台の店主は、声を上げて笑った。そりゃあ、笑いたくもなるだろう。このやり取りは既にこれで9回目にもなる。
「兄ちゃんもさっきやってた坊主もポイの使い方が下手なんだな。ズボッ!!って一気に水に入れるからいけねえ。こう、水に対してポイを水平にしずかーーーーーに入れてよ、サーーーーッと金魚に気付かれねえように動かす。で、ポイを金魚の白い腹の下に入れてヒョイっ!!って更に掬うんだ!」
身振り手振り、擬音までたっぷりと混ぜて、取り方のコツを教える店主を苦笑交じりで見上げ、濡れた着物の鯉口をたくし上げ再びポイを構えた。どうやらこちらがカモ過ぎて流石に同情されたらしい。俺もシャオフーの皿の中もまだ一匹も金魚が泳いでない。
「あああああ!!もう!先程から黙って見ていれば……いいえ、もう見ていられませんわ!妾にそのポイ?というものを貸しなさい!」
「へっ?エスメラルダ?」
「ふわ~!お姉さんが取ってくれるのですか!?」
金魚がゆらゆらと尾を躍らせ泳ぐ水面に今までなかった影が映り込む。振り返れば、そこには腰に両手を当てて文字通り仁王立ちし、俺達を見下ろす彼女の姿があった。
「さあ、早く!それをお貸しなさい!」
「……はい。でも結構難しいと思うよ。金魚すくい」
「お姉さん!頑張るのです!僕、応援頑張るのです!」
「オルドローズの家に不可能という言葉はありませんわ。えっと―……これはズボッっと水の中に入れるのではなく、水平に静かに―……」
エスメラルダのポイが悠々と泳ぐ金魚の腹の下に静かに入る。瑠璃色緋色の祭りの灯りの粒が僅かに波立つ水鏡に映り込んでいた。
「えいっ!!!」
水滴がたたらっ……と水面に同心円を描いていた。
≪索冥≫
しかし、兄弟の皆さん。その愛を更に益々完全なものとするように勧めます。そして、腰を落ち着けて自分の勤めに専念し、あなた方に命じておいた通り、自分の手で働くように心掛けなさい。
そうしてこそ初めて、外部の人々に対して品位を保つことが出来、また、人の世話にならずに暮らしていけるのです。
【テサロニケの人々への第一の手紙 第4章】
「……」
「そうあからまさに不機嫌そうな顔をされると困るな。まだ一人で浴衣は着られないだろう?エスメラルダは」
大きく開け放った庵の戸という戸から夏を含んだ風が吹き抜けていく。今年は例年より気温が高く真昼の風は熱風と呼んで差支えがないくらいに熱い。それでも幸い今日は比較的涼しいように思える。最も、連日の酷暑のせいで体が暑さ慣れてしまったと同時に感覚が麻痺してしまった、というのも大いに関係してるだろうが―……
「誰もで、出来ないとは言っていませんわ!出来ないのではなく―……そう!そうですわ!まだ覚えている途中なのです!優秀な妾に出来ないことなどありませんもの!」
「ああ。だから言っただろう?”まだ”って。エスメラルダ、両腕を上げて。帯を背中に回すから」
俺の言葉を聞いた彼女―……エスメラルダの白い頬がぷくり、と小さく膨れた。今日は薄く頬紅を差し化粧をしているせいか、そのせいでどこか大人びた雰囲気を彼女から感じていたのだが、その子どもらしい行動によって雰囲気が瓦解していく。
「な、なんで笑うのです!?ふ、不敬ですわ!」
「ん?いや、なに。可愛らしいと思っただけだよ」
「なっ……!」
「動かない。せっかく着付けたのに崩れたら最初からになってしまうよ」
彼女の細い体に着物の丈を調節し合わせ、帯を巻いていく。背中に帯と共に腕を回しながら口に出さずに考えていた。自分の口も大概回るな、っと。
自分は知っているから。こういう事で彼女が大人しく黙る事を。エスメラルダと同居するようになってそれなりになるが―……彼女は自分に真っ直ぐ向けられる好意や厚意に弱い。世辞には慣れた様子だったが。それが彼女が生まれ育った環境に原因がある事は、彼女が口にせずとも薄々は感じていた。
「ふん……!今の妾に媚びを売っても何もなりませんわ」
「媚び、か。確かにそうかもしれないね。貴方が持っている棘が木の芽のように柔らかなものになればと思わなかったことがないかと言われれば嘘になる。……あえて知ったような口で言わせてもらうが、それではあまりに生き辛い」
一瞬の間があった。密着するほど近付いている自分達の間に出来た僅かな隙間に沈黙が蟠る。僅か蟠る沈黙が流れる間にもう一度腕を回し、彼女に背中を向けさせて飾り帯を作った。彼女が今着ている金魚柄の浴衣によく合う、金魚の尾のような飾り帯を。
「でも、可愛いと思ったのは本当だよ。俺は可愛くないと思ったものに可愛いと言える甲斐性がないから。それに、貴方がさっき自分で言ったように貴方の機嫌を取り、立場に取り入ったところで俺には何の利点もない」
……本当は少し憎まれ口を叩かれなくなり着付けがし易くなるという利点があったが―……あえて口にする必要はないだろう。可愛いと思った事に嘘も偽りもないのだから。
「……この服は―……」
「ん?どうしたの?」
「この服も、あなたが織ったのか?」
「そう。エスメラルダに似合うと思ってね。星祭りの日に間に合ってよかった」
紺の薄い布地が風に僅かに靡く。踊る袖の中で錦の絵の金魚が泳いでいた。
じわじわと昼の間鳴いていた蝉達はいつの間にか鳴き止んでおり、代わりに蜩の蝉時雨が一日の終わりを惜しむように降っていた。空が残された昼の青とこれからやって来る夜の紫に染まっている。
「兄弟子さまーあにでしさまー!いらっしゃいますかー!お泊まりに来たのですー!」
「……着付け、終わったよ。ちょうど弟弟子も来たみたいだ。エスメラルダは少しここで待っていて。今日はここに泊まるって言っていたから、まずはシャオフーの荷物を預からないと」
りん、と縁側に取り付けた風鈴が涼し気な音を奏でていた。
++++++++++++++++++++
「あー……また逃げちゃったのです~……金魚さん」
「……店主……もう一回頼む……」
祭囃子の音の振動が、夜の屋台を彩る吊るされた灯りを揺らしている。穴が開いたばかりのポイを代金と共に店主へと渡し、新しいものを受け取れば「まいどあり」と、少し禿げかかった頭にねじり鉢巻きを巻いた屋台の店主は、声を上げて笑った。そりゃあ、笑いたくもなるだろう。このやり取りは既にこれで9回目にもなる。
「兄ちゃんもさっきやってた坊主もポイの使い方が下手なんだな。ズボッ!!って一気に水に入れるからいけねえ。こう、水に対してポイを水平にしずかーーーーーに入れてよ、サーーーーッと金魚に気付かれねえように動かす。で、ポイを金魚の白い腹の下に入れてヒョイっ!!って更に掬うんだ!」
身振り手振り、擬音までたっぷりと混ぜて、取り方のコツを教える店主を苦笑交じりで見上げ、濡れた着物の鯉口をたくし上げ再びポイを構えた。どうやらこちらがカモ過ぎて流石に同情されたらしい。俺もシャオフーの皿の中もまだ一匹も金魚が泳いでない。
「あああああ!!もう!先程から黙って見ていれば……いいえ、もう見ていられませんわ!妾にそのポイ?というものを貸しなさい!」
「へっ?エスメラルダ?」
「ふわ~!お姉さんが取ってくれるのですか!?」
金魚がゆらゆらと尾を躍らせ泳ぐ水面に今までなかった影が映り込む。振り返れば、そこには腰に両手を当てて文字通り仁王立ちし、俺達を見下ろす彼女の姿があった。
「さあ、早く!それをお貸しなさい!」
「……はい。でも結構難しいと思うよ。金魚すくい」
「お姉さん!頑張るのです!僕、応援頑張るのです!」
「オルドローズの家に不可能という言葉はありませんわ。えっと―……これはズボッっと水の中に入れるのではなく、水平に静かに―……」
エスメラルダのポイが悠々と泳ぐ金魚の腹の下に静かに入る。瑠璃色緋色の祭りの灯りの粒が僅かに波立つ水鏡に映り込んでいた。
「えいっ!!!」
水滴がたたらっ……と水面に同心円を描いていた。
≪索冥≫
