第6節 星祭り
そこであなた方に言っておく。求めなさい。そうすれば与えられる。探しなさい。そうすれば見出す。叩きなさい。そうすれば開かれる。
誰でも求める者は受け、探す者は見出し、叩く者には開かれる。
あなた方の中に子供が魚を求めているのに、魚の代わりに蛇を与える父親がいるだろうか。あるいは、卵を求める子供にサソリを与える者がいるだろうか。
このようにあなた方は例え悪い者であっても、自分の子供に善い物を与える事を知っている。
それなら、天の父がご自分を求める者に聖霊を与えて下さるのは、尚更の事である。
【ルカによる福音書 第11章】
「そうか、では、シャオフー。その虫籠を貸しなさい」
季節の針は着実に前へと進む。今年も例外なく。夜の時間よりも昼の時間の方が圧倒的に長くなり、昼の日差しが照り付ける角度も天球の中心近くまで高くなった。それに比例し、地表面も強い日差しに暖められ、温度は当然だが暑いものになっている。今日などまだ午前中だというのに何もしていなくてもじっとりと汗ばむぐらいだ。
……にも拘らず、部屋の中央に布団を万年床の上に鎮座するそれに、呆れを通り越して感嘆の息が自分の口元から零れて落ちた。
この暑さの中すっぽりと頭まで布団を被ったそれが時折思い出したように動いていなければ、この中にいる者は死んでいると思われても仕方がないだろう。まあ、今回はちゃんと上下に動いているから中身は生きているんだろうが。
布団に籠る主を起こそうとペチペチ小さな手で布団を叩き、懸命に涙ぐましい空しい努力を続けている弟子に後ろから声を掛けて虫篭を預かった。小さな子供一人が布団に乗ったところでこの男が起きないなど長年の付き合いから理解している。
小さな体を伸ばして後ろから覗き込もうとしている弟子から見えぬように自分の背中で壁を作り、そっと布団の主の耳元で囁いた。
「……いいのか、シャン?このまま起きないとお前の布団の中にゴキブリを放つぞ」
預かった虫篭の中から、今朝シャオフーが家の庭のクヌギの木で捕まえた雌のカブトムシを一匹取り出す。まだ目覚めないシャンの鼻の上で細かな毛とトゲが生えた六本の足がわさわさと動き、甲虫の柔らかな腹がのたうつように波打っていた。
「なんだ、まだ起こし方の事で拗ねているのか?詫びスイカをやっただろうに」
「詫びって事は一応悪い事をしたとは思ってるんですね?」
「まあ、あのまま布団を被って寝ていたらいつかのように熱中症にでもなっていただろうな。むしろ起こしたことに感謝してほしいぐらいだ」
「感謝、ねえ……」
シャンの家の軒下に賭けられたガラス製の風鈴が風の腕に揺らされて涼やかな音を奏でていた。以前、この家に来た時にはなかったはずだが、シャンの話だと、家に押しかけてきた物好きな女が勝手に吊るしていったものらしい。
音が鳴るから涼しく感じるのか、それとも涼しく感じるからこそ音を愛でる余裕が生まれるのか―……涼やかな澄んだ音色を聴きながらまだ未熟な、しかし、爽やかなさっぱりとした甘さの西瓜を一口齧る。喉元をするりと涼が通り過ぎて行った。
「……ずいぶん大きくなりましたね。あの子が初めてここに来た時はまだオムツをしていたはずです」
「ああ。月日と人との縁があの子を成長させてくれている」
ひらひらと優雅に庭を泳ぐシェンを追い掛けるシャオフーの姿を目を細め見つめながら、二人縁側に座り言葉を紡ぐ。”縁”という言葉に僅かに眉を顰めた青年に気付かぬふりをしながら。
「どう足掻いても社会から人は逃げられない。何故なら、人はそう”進化”してきたからだ」
「そう思うと進化とは一種の呪いなのかもしれませんね。肥大し過ぎた大脳は大きな枷です」
「そうだろうか?私はむしろ、それを愛おしいとすら思っている。人を人にしてくれているものは進化した脳だ。そのせいで人は常に悩み、惑う。不変でいたいと願っても不変でいる事は出来ない。それがたまらず愛おしく思える」
くるり、ふわりと空に奇跡を描く大きな尾ひれと、それを追い掛ける小さな背中。その光景に笑みが零れて落ちる。
……そう。シャンが言うようにシャオフーは大きくなった。いや、自らの力で大きくなろうとしている。だがもう一人は―……
「”求めろ。そうすれば与えられる。探せ。そうすれば見出す。叩け。そうすれば開かれる。誰でも求める者は受け、探す者は見出し、叩く者には開かれる”、か」
「アイオーン?」
「何、独り言だ。……さて、そろそろシャオフーを休ませないといけないな。この炎天下の下でいつまでも走らせておくわけにもいかない」
風が間を通り抜ける。チリリ……と頭上で涼しげな夏の音が、響いていた。
《アイオーン・グノーシス》
誰でも求める者は受け、探す者は見出し、叩く者には開かれる。
あなた方の中に子供が魚を求めているのに、魚の代わりに蛇を与える父親がいるだろうか。あるいは、卵を求める子供にサソリを与える者がいるだろうか。
このようにあなた方は例え悪い者であっても、自分の子供に善い物を与える事を知っている。
それなら、天の父がご自分を求める者に聖霊を与えて下さるのは、尚更の事である。
【ルカによる福音書 第11章】
「そうか、では、シャオフー。その虫籠を貸しなさい」
季節の針は着実に前へと進む。今年も例外なく。夜の時間よりも昼の時間の方が圧倒的に長くなり、昼の日差しが照り付ける角度も天球の中心近くまで高くなった。それに比例し、地表面も強い日差しに暖められ、温度は当然だが暑いものになっている。今日などまだ午前中だというのに何もしていなくてもじっとりと汗ばむぐらいだ。
……にも拘らず、部屋の中央に布団を万年床の上に鎮座するそれに、呆れを通り越して感嘆の息が自分の口元から零れて落ちた。
この暑さの中すっぽりと頭まで布団を被ったそれが時折思い出したように動いていなければ、この中にいる者は死んでいると思われても仕方がないだろう。まあ、今回はちゃんと上下に動いているから中身は生きているんだろうが。
布団に籠る主を起こそうとペチペチ小さな手で布団を叩き、懸命に涙ぐましい空しい努力を続けている弟子に後ろから声を掛けて虫篭を預かった。小さな子供一人が布団に乗ったところでこの男が起きないなど長年の付き合いから理解している。
小さな体を伸ばして後ろから覗き込もうとしている弟子から見えぬように自分の背中で壁を作り、そっと布団の主の耳元で囁いた。
「……いいのか、シャン?このまま起きないとお前の布団の中にゴキブリを放つぞ」
預かった虫篭の中から、今朝シャオフーが家の庭のクヌギの木で捕まえた雌のカブトムシを一匹取り出す。まだ目覚めないシャンの鼻の上で細かな毛とトゲが生えた六本の足がわさわさと動き、甲虫の柔らかな腹がのたうつように波打っていた。
「なんだ、まだ起こし方の事で拗ねているのか?詫びスイカをやっただろうに」
「詫びって事は一応悪い事をしたとは思ってるんですね?」
「まあ、あのまま布団を被って寝ていたらいつかのように熱中症にでもなっていただろうな。むしろ起こしたことに感謝してほしいぐらいだ」
「感謝、ねえ……」
シャンの家の軒下に賭けられたガラス製の風鈴が風の腕に揺らされて涼やかな音を奏でていた。以前、この家に来た時にはなかったはずだが、シャンの話だと、家に押しかけてきた物好きな女が勝手に吊るしていったものらしい。
音が鳴るから涼しく感じるのか、それとも涼しく感じるからこそ音を愛でる余裕が生まれるのか―……涼やかな澄んだ音色を聴きながらまだ未熟な、しかし、爽やかなさっぱりとした甘さの西瓜を一口齧る。喉元をするりと涼が通り過ぎて行った。
「……ずいぶん大きくなりましたね。あの子が初めてここに来た時はまだオムツをしていたはずです」
「ああ。月日と人との縁があの子を成長させてくれている」
ひらひらと優雅に庭を泳ぐシェンを追い掛けるシャオフーの姿を目を細め見つめながら、二人縁側に座り言葉を紡ぐ。”縁”という言葉に僅かに眉を顰めた青年に気付かぬふりをしながら。
「どう足掻いても社会から人は逃げられない。何故なら、人はそう”進化”してきたからだ」
「そう思うと進化とは一種の呪いなのかもしれませんね。肥大し過ぎた大脳は大きな枷です」
「そうだろうか?私はむしろ、それを愛おしいとすら思っている。人を人にしてくれているものは進化した脳だ。そのせいで人は常に悩み、惑う。不変でいたいと願っても不変でいる事は出来ない。それがたまらず愛おしく思える」
くるり、ふわりと空に奇跡を描く大きな尾ひれと、それを追い掛ける小さな背中。その光景に笑みが零れて落ちる。
……そう。シャンが言うようにシャオフーは大きくなった。いや、自らの力で大きくなろうとしている。だがもう一人は―……
「”求めろ。そうすれば与えられる。探せ。そうすれば見出す。叩け。そうすれば開かれる。誰でも求める者は受け、探す者は見出し、叩く者には開かれる”、か」
「アイオーン?」
「何、独り言だ。……さて、そろそろシャオフーを休ませないといけないな。この炎天下の下でいつまでも走らせておくわけにもいかない」
風が間を通り抜ける。チリリ……と頭上で涼しげな夏の音が、響いていた。
《アイオーン・グノーシス》
