第13章 来襲
今年も夏が来ました。
うだるような暑さとけたたましく鳴きわめく蝉の声に夏の到来を感じながらシャオフーはお師匠さまと共に道を歩く。
お師匠さまの手にはひと玉のスイカ。
シャオフーの手にはカブトムシの入った虫籠。
お師匠さまに連れられやって来たのは人里離れた場所に建つ一軒の家。
慣れた様子で足を踏み入れるお師匠さまの後に続き、額の汗をぐいっと小さな拳で拭いながらシャオフーも「ごめんください!」と姿の見えない家主に声をかけながら進んでゆく。
すると廊下の向こうから一匹の青い魚が宙を泳ぐようにこちらへと向かってくる姿が見えた。
「シェンさんなのです!」
耳をピンと立ててシャオフーはその青い魚を見上げる。
シャオフーよりも高い場所をスイスイと泳ぐ青い魚は美しい尾鰭をゆらゆらと揺らし大きく弧を描いて反転し、来た道を戻るように奥の部屋へと姿を消した。
主の代わりに部屋へと招いているかのようなその姿にお師匠さまはくすりと笑って「では遠慮なく行くとしようか」と足を止めたままのシャオフーに声をかけた。
お師匠さまの後ろを一定の距離を保ちながら歩を進める。
「邪魔するぞ。」と言いながら部屋へ足を踏み入れるお師匠さまの後ろからちらりと部屋を覗き込めばそこには山のように盛り上がった大きなお布団。
この暑さの中、異様な存在感を示す布団の中にこの家の主がいるようだ……
額にじわりと浮き出す汗をまた小さな拳で拭いながらシャオフーは布団の主に向かって挨拶をした。
「シャンさん!こんにちはなのです!」
布団はもそりと動くが返事はない。
シャオフーは暫し間を置きながら再び声をかけた。
「シャンさーん!見てください!カブトムシですよ!」
はい!と布団の前に虫籠を置いてみる。
が、布団の主はなにも応えない。
「シャンさーん!お師匠さまとスイカを持ってきたんですよー!」
なんとか布団の主の興味を引こうと声をかけるシャオフーを見ながら後ろに立つお師匠様がくすくすと笑った。
もしかしたら眠っているのだろうかと今度は小さな山のようになった布団の上に登って声をかけてみる。
「シャンさん?夏でもお布団なのです?」
ポンポンと布団を叩きながら声をかける。
「シャンさーーん?おるすですかーー??」
先程よりも大きな声でポンポンと布団を叩きながらシャオフーは問いかけた。
「………………。」
しかし布団の主は応えない。
沈黙を貫く布団の山の上からシャオフーは隣に立つお師匠さまに向かって「おるすなのです。」と一言呟いた。
「ああ……そのようだな。」
くすくすと笑っていたお師匠さまが目尻に涙をひとつ滲ませながらそう答える。
「カブトムシをつかまえたからシャンさんに見せたかったのです。
でも、今日もおるすなのです。」
「そうか、ではシャオフー、その虫籠を貸しなさい。」
耳を僅かに下げながらそう呟いたシャオフーを見てすっと右手を差し出したお師匠さま。
その言葉にシャオフーは虫籠を素直に従い手渡して、布団からするすると降りて後ろに下がり、お師匠さまの様子を伺った。
そんなシャオフーを横目に見ながらお師匠さまはゆっくりと布団の側へと歩み寄り、シャオフーには聞き取れない声で何かを呟く。
するとそれまで沈黙を貫いていた布団をバサッと跳ね退けて布団の主が姿を現したのです。
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不機嫌そうな紫の瞳をお師匠さまに向けながら「ずいぶんと手荒い起こし方をするのですね」と不満を口にする白い肌の青年。
彼がこの家の主でありお師匠さまの友人のシャンさん。
暫しお師匠さまとシャンさんのやりとりを横目で見た後、シャオフーはお師匠さまから虫籠を返して貰い、ゆっくりと布団の主の前へと歩を進めた。
「シャンさん…虫さん苦手なのです?」
「虫は嫌いではないですよ。ええ…嫌いではないですよ。」
「そうですか!良かったのです!
えっと……さっきはごめんなさい。」
少々強引に起こしてしまったことを謝りつつ、シャオフーは向かい合う青年に虫籠を見せた。
餌に食いつくカブトムシを見ながら彼は暫しの沈黙の後ゆっくりと口を開く。
「これは……メスですね。」
「そうなのです!角がないのです!」
誇らしげに虫籠を見せながらシャオフーは答える。
角は無くてもカブトムシはシャオフーにとっては大きな獲物なのだ。
やや興奮しながら答えるシャオフーとは対照的に布団の主は落ち着いた口調で問いかけた。
「ところで、そのカブトムシはどこで捕まえたんですか?」
「きのうの夜お師匠さまのお家のお庭の木で見つけたのです!」
「へぇ。それは幸運でしたね。」
「オスもいないかなーって思って探したんですけど見つからなかったのです。」
「でしょうね。蜜の無いところには来ませんからねぇ。
罠でも仕掛ければもっと来るでしょうけど…」
「わなですか?」
「ええ…罠です。」
シャオフーの問いにシャンさんが答える。
甘い罠を仕掛ければもっと虫が捕れるだろう…と。
その話を聞いたシャオフーは目を輝かせながらこう答える。
「すごいのです!!シャンさん!いっしょに虫とりしてほしいのです!!」
「お断りします。」
にっこりと青年は笑みを浮かべて丁寧に優しい口調でそう返したのでした。
「……それで、シャンさんに『夜はねむいから』ってていねいにおことわりされちゃったのです。」
「ふふ…そうか。」
お師匠さまの背を追うように一定の歩調を刻みつつ右手に虫籠、左手に猫じゃらしを握りしめ、時折それを軽く振ってシャオフーは歩き続ける。
昼間のような暑さは今は無く、蒸せるような暑さではあるものの元気に尻尾を振りながら話を続けていた。
山の向こうから響いてくるヒグラシの鳴き声を聞きながら道端に転がっていた少し大きな石をぴょんっと飛び越える。
そしてお師匠さまの方へとくるりと振り返るとシャオフーは再び口を開いた。
「僕、カブトムシ探ししたいですお師匠さま!」
その言葉にお師匠さまは暫し思考を巡らせるように空を仰ぎ、ふっと軽く笑みを浮かべてこう答える。
「そうだな…ふむ……じゃあ索冥のところに遊びに行くか?」
「兄弟子さまのところにですか!」
「索冥なら一緒に捕りに行ってくれるだろう。どうだ?行ってみるか?」
「行きたい!!行きたいですお師匠さま!!」
お師匠さまの提案に瞳を輝かせながら首を縦に振る。
耳も尻尾もピンと立っているシャオフーの姿にお師匠さまはまあ落ち着けとでも言うようにぽん…と右手を頭に置き、小さな背丈の弟子の目線に合わせるようにその場にしゃがみこんで落ちついた口調でこう問いかけた。
「カブトムシ取りは夜に行くことになるから一人でお泊まりになるぞ?それでもいいか?」
「僕は大きいお兄ちゃんだから一人でおとまりできるのです!!」
「ふふ…そうか。なら大丈夫だな。では索冥に相談しておこう。」
お師匠さまの言葉を聞くが否や家へと伸びる砂利道をシャオフーはタタタッと駆け足で進んでゆく。
そうと決まれば早く帰らねばと言いたげな様子で脇目もふらず駆けていく。
「お家に着いたらおにもつをじゅんびするのです!!」
「こらこら。今晩と決まったわけでは無いぞ。」
せっかちな弟子の姿にお師匠さまは頭をひとかきして苦笑い。
どんどん遠ざかる後ろ姿を見つめ「やれやれ」と呟いてじわりじわりとと闇に染まっていく空を仰ぎ見るのだった。
