第13章 来襲

体は一つでも多くの部分があり、身体の全ての部分は多くあっても一つの身体であるように、御子の場合も同じです。実に私達はユダヤ人であれ、ギリシア人であれ、奴隷であれ自由な身分の者であれ、洗礼を受けてみな一つの霊によって一つの身体に組み入れられ、またみな一つの霊を飲ませていただいたのです。

確かに体は一つの部分ではなく、多くの部分から成り立っています。たとえ、足が「自分は手ではないから体に属していない」と言ったとしても、それで身体に属さないという事ではありません。また、たとえ、耳が「自分は目ではないから体に属していない」と言ったとしても、それで体に属さないという事ではありません。

もし、体全体が目であったら、どこで聞くのでしょうか?もし、体全体が耳であったらどこで匂いを嗅ぐのでしょうか?

ですから、神はお望みのままに、体に一つの部分を備えて下さったのです。もし、全部が一つの部分であったら、体はどこにあるのでしょうか。

ところが、実際、部分は沢山あっても体は一つなのです。目が手に向って「お前はいらない」とは言えず、また頭が足に向って「お前達はいらない」とも言えません。

それどころか、体のうちで他よりも弱いと見える部分が、むしろずっと必要なのです。


【コリントの人々への第一の手紙 第12章】






「それにしても潤ちゃんが北に向かってたっていうのは本当だったのね。テレーズから聞いた時はびっくりしたけれど」


「はあ……皆さんにお配りしている栄養ドリンクを作ったのは私ですから。栄養面だけを考えて調整してあるものですから味は二の次三の次でして。時間もあまりなかった事ですし、なら運びつつ配りつつ、現地で改良するのもありかな、と。不味くても毒ではありませんしね」


「そうだったの」


西の外れの低い位置に細い月がぽっかりと浮かんでいる。気が付けば今日の陽も山の稜線の奥へと隠れ、頭上には銀屑を散りばめた夜のビロードが広がっていた。今日も夜の帳が落ちる。晴れた空に。

ここは確かに私達の修道院がある街よりも北に位置している。けれど、地形的な理由から山を越えた向こうにあるフルオライト伯爵が治めている地と比較して降雪量は多くはない。もっともそれがこちら側に難民が大量に流入した理由なのだけれど。


「まあ、非常時の食事なんてそんなものかもしれないわね。今、私達が食べてる粘土みたいな携帯食だってカロリーは高いけれど味はそこまでだし。……欲を言うなら、非常時だからこそせめて食事ぐらいもっと美味しい物を出せればいいのだけれど」


「そうですねえ」


「ふふっ……まあ、ごく稀ーにいるわね。潤ちゃんみたいに味にあまり頓着しない変わり者も。……潤ちゃんだけだって聞いたわよ?あの栄養ドリンクを飲んでえずかなかった人」


雪は少ないとはいえ、全く寒くないというわけでもなく、赤々と燃える火で冷えた身体を暖めながら毛布を互いの体に巻き付け、お世辞にもおいしくはない携帯食料を少しずつ齧り胃へと運ぶ。

粘土か土塊のように硬くて、そのくせ後味はもったりとしていて喉に張り付くそれは決して美味しいと言えるものではないけれど、それでも一応お腹には溜まってくれる。空腹はひもじさを呼んで身体を動けなくしてしまうから、こんなものでもないよりはずっとマシだった。

野菜や保存肉、チーズなんかも水と一緒に支援物資として当然持ってきているけれど、難民の救援目的で来た以上、支援を待っていた彼らの為に極力使ってあげたいし、ね。


「アガタさん達が救援隊の第二陣として派遣されてきたという事は修道院の方は―……」


「テレーズが残っているわ。彼女、ああ見えてあそこの院長だから離れるわけにもいかないし。……心配しなくても大丈夫よ。あちらの方は徐々に落ち着いてきたから。復興し始めているのよ。少しずつだけれど。ああ、そうだったわ!潤ちゃんが勤めている研究所の所長さんから伝言を預かって来たの。『栄養ドリンクの増産は順調だ。クソ不味い栄養ドリンクをじゃんじゃん前線に送るかなら!』ですって」


「あの~……研究所の皆さんもここの皆さんも皆さん口を揃えてこれを不味いというのですが―……そんなに不味いでしょうか、これ」


「……そうね。物凄く好意的に解釈するなら個性的な味ね。とても」


私の言葉に「ふむ……苦みがやはり良くないのでしょうか。単シロップでも足してみましょうか」と小さく呟き考え始めた彼に、自分の口から小さな笑みが一つ零れて落ちた。きっと、潤ちゃんの頭の中では現行の栄養剤のレシピが展開していて、そこに次々と改良点が書き加えられているのだろ。紙に書き出さず頭の中で組み立てる人ですもの。この人は。


「でも、栄養ドリンクのおかげで凄く助かっているのよ。衰弱していて固形物を上手に飲み込めない人もいるようだから。……ここで誤嚥を起こして肺炎にでもなったら、それこそ命取りになる」


自分が現地入りしたのは数日前の事だが、ここに到着する前に自分が予想していたよりも皆の健康状態は悪くはない。潤ちゃん達が持って来てくれた栄養ドリンクが一役買っているのは疑いようがない事実だった。それに―……


「はあ……まあ、それよりも赤軍の救援部隊の人達が私達と一緒に働いて下さっているから、というのもあると思いますが……」


「そうね。……不思議だわ。赤軍は王族を否定するのと同じように新教、旧教の区別なく神そのものを否定している。平等を謳う彼らにとってそれは決して看破できるものではない。当然、私達の存在も彼らからすれば否定されるものなのに―……けれどここでは……」


「アガタさん達旧教に属する人達も赤軍に所属している人達も関係なく共に手を取り合って救援活動をしていらっしゃいますね」


潤ちゃんの言葉を聞きながら一度瞳を伏せ、顔を前へと向けた。私達がこうして今ゆっくり喋りながら休憩が取れているのも彼らがいるからに他ならない。


「体は一つでも多くの部分があり、体は全ての部分は多くあっても一つの体、か。……案外、国もそうなのかもしれないわね」


「アガタさん?」


「私達は信仰があるから―……だから、神そのものを否定する彼らの事を理解する事は出来ないわ。けれど、無理に理解する事もされる事もなくていいのかもしれない、って思うのよ。彼らを見ていると。人種も思想も―……核になる信念が違くとも、こうして共に歩む事は出来る。一つの体として。国民として、ね」


風に火が揺れる。赤々とした炎の先で深紅の腕章を付け私達の仲間と共に働く彼らの姿を見ていた。瞳を緩く細めながら。

考えを強要する必要がないように無理に理解せずともいいのかもしれない。干渉する必要はないのかもしれない。ただ、否定せず、そういう考えも自分達の考えの隣にあると認められさえすれば。


「……!!?」


「この声は―……」


静寂を裂くような声が遠くの空で響いた。毛布を捨て、立ち上がり目を凝らせば、銀の夜の衣に不釣り合いな闇が一点、滲み、蠢き、羽ばたいていた。……違う、あれは得体のしれない闇ではない。あれは―……


「あれは……竜か何かでしょうか?」


「みたいね。潤ちゃん、確かあなたと一緒に奏影さんも来たのよね。彼を呼んで来て。私じゃあの人の事見つけられないと思うし。……まだ少し距離はあるけれど、難民を全て安全な場所まで避難させる時間はないわ。赤軍の人達も気付いているようだし―……ここで迎え撃つ」


私達も赤軍側も救援を目的にした編成だ。戦闘向きではない編成でどこまで耐えることが出来るか、それは分からない。けれど。


「やるしか、ないでしょうねえ……これは。奏影ですね。おそらくその辺にいると思いますから連れて来ます」


「ええ。お願いね、潤ちゃん」


≪アガタ・シチリア≫
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