第13章 来襲
それではどうでしょうか?恵みが増し加わるのを期待して、罪の中に留まるべきだというのでしょうか?決してそうではありません。罪に対して死んだ私達が、どうしてなお罪のうちに生き続ける事が出来るのでしょうか?
それとも、あなた方は知らないのですか。洗礼を受けて御子と一致した私達は、みな、御子の死にあずかる洗礼を受けたのではありませんか。私達はその死にあずかる為に、洗礼によって御子と共に葬られたのです。それは御子が御父の栄光によって死者の中から復活されたように、私達もまた新しい命を歩むためです。
その死にあやかって御子と一体になったとすれば、私達はその復活にあやかって、一体になるでしょう。私達の内なる古い人間が御子と共に十字架につけられたのは、罪に縛られた体が滅ぼされて、もはや罪に仕える奴隷でなくなる為であることを私達はよく知っています。
死んだ者は罪から解放されているのです。あなた方の死ぬべき体を罪に支配させ、その欲望に屈服してはなりません。また、あなた方の五体を罪に仕える邪な事の為に武器にしてはなりません。
何故ならば、罪があなた方を支配することはないからです。あなた方は律法の元にあるのではなく恵みの元にあるのです。
【ローマの人々への手紙 第6章】
「セデル!フルオライトさん……!さっきの音は―……!!?こ、これって……!!!」
黄昏の闇を切り裂くように響く轟音が痛いほど張りつめた冷たい大気を震わせていた。異変に気付き、それぞれの武器を手にピエールさんと刻さんと三人で客室を飛び出し音がした中心部へと駆けつければ、大きな氷柱に姿を変えた一匹の巨大な竜が粉々に砕け霧散するM差にその瞬間だった。夜に氷片が舞い、次の瞬間には風に吸い込まれて消えていく。
この二人がやったのだろうか?フルオライトさんには魔力の余波が光となり発露し、セデルはと言えば剣を手に鞘へと納めてた。ガタガタ大きく震えながら。
「ふん……人の屋敷に馬鹿でかい穴を開けおって……象か何かか、あれは」
「……さささささ、寒い……どどどどうにかしろ、フルオライト」
「そこの壁に防寒用の外套が掛かっている。取りあえずそれを着ろ。……アルフォート?お前達も来たのか」
「さっきの竜は―……ただの竜族ではなかったようだが……お前達二人が倒したのか?竜ではない―……あの禍を斬ったのか?」
舞い上がるほんの少し前まで竜であった氷片を見上げる刻さんの表情が僅か、ほんの僅か曇った。徐々に濃度が濃くなっていく夜の空の向こう、夜の闇とは違う影が羽ばたいていた。遠く、小さく、だが、確かに。山を越えこちらへと向かって生きている。
「どうやらゆっくり話している時間はないようだな。ついてこい……用意していたものがある」
遠い空を睨み付け、踵を返したフルオライトさんの後をピエールさんと刻さんと一緒に震えるセデルを引き摺りながら追う。一瞬、背中の向こうへと視線を向ければ、先程よりも大きくなった影があった。……フルオライトさんが言ったように確かに時間はあまり、なさそうだ。
「これは……?」
「犬ぞりだ。この時期のこの地は雪深い土地なんでな。車輪も馬も役に立たん。これを使って北に行け。そして、この書状を何としてもあの女に届けてほしい。―……最北の地を治めるミルファス伯爵へ。アウラーナからの正式な使者として彼の地へと向かってほしい」
十頭ほどの大型犬が吐き出す息が白い煙となり鼻先から立ち上る。尻尾を大きく振り、一声鳴いた一番先頭に立つ犬を一撫ですると、フルオライトさんは一通の書簡を懐から取り出し、俺に持たせた。
「防寒着と北に行くまでに必要になるであろう物資は使用人に命じてそりの後ろに積んである。……あの竜達は確かに北の山脈を越えてここへ飛んできているようだが―……ミルファスが使役している竜とは違うようだ。北で何かがあった証拠だろう。こうなった以上、一刻の猶予もない。……おい、セデル、いつまでそうやって震えているつもりだ?」
「鼻水が、凍る。……この中を犬ぞりで行けだと?冗談は女性遍歴だけにしろ。吹雪いてはいないが雪が降ってるんだぞ……外」
「……一々ツッコまんぞ、私は」
「ん?何にツッコむと言うんだ?尻か?」
「外に出る前にここで凍らせんぞ、お前」
痛いぐらいに冷えた空気がフルオライトさんとセデルがいる方から漂ってきた気がするが、おそらくそれは気のせいではない。……フルオライトさん、案外面白い人だよな。セデルがおちょくってるだけともいうんだろうけど……あっ、セデルが蹴っ飛ばされた。しかも雑に。
「くだらない事を言ってないで早く乗れ。手綱はそこだ。ピエール、お前は乗らないのか?」
「僕はフルオライトと一緒に残るよ。……さっき見た竜達はこっちに向かってきているようだったしね。屋敷には戦える人もいるだろうけど戦力はあった方がいいだろ?大丈夫、こう見えて僕、弱くはないから。……こっちが落ち着いたら僕も北へ向かう。約束するよ。騎士の誇りに賭けて、ね」
ピエールさんの拳が自分の拳にあたる。穏やかな表情で宣言したピエールさんに「待っています」と言葉を返し踵を返す。用意された防寒着を着こみ、尻をけ飛ばされて前からつんのめるようにしてそりへ乗り込んだセデルに外套をもう一枚と毛皮を巻き付け、荷が途中で振り落とされないようにきつく縛りつけた。
小屋の戸が開くと同時に中へと吹き込んできた雪のつぶてが目蓋を叩く。手綱を先頭で握りしめ真っ直ぐ前を見つめる刻さんの姿が薄く開いた目蓋の先にあった。……酷く落ち着いているな、刻さん。刻さんは異国の出身だ。もしかしたらここと同じ様に雪深い国の出身で犬ぞりを操った事があるのかも―……
「任せたぞ、刻」
「ああ、安心しろ。フルオライト。俺も犬ぞりに乗ったのは初めてだ。故郷は雪とは無縁な土地だったからな」
はっ……?えっ?はっ???嘘だろ、おい……ちょっ……
「行くぞッ!!振り落とされないようにしっかり掴まっていろ!!!」
「マー―――――――――――ジー――――――――――――ーか――――――――――――よ―――――――――――――――!!!!!!?」
根拠のない自信に満ちた刻の声が鼓膜を揺する。小屋を文字通り飛び出すその瞬間、一瞬視界に映ったフルオライトさんと同じ表情を俺はしていたと思う。嘘だろ!!?馬鹿かよ!!?ってか、そもそも犬ぞりの犬ってこんなに爆走するのかよ!!?雪煙舞ってんぞ!!?はぁああ!?
星一つない黒い夜を名残り雪が彩っていた。降り積もる―……という表現が相応しいんだろうが、そんな可愛いもんじゃねえ!!断じて!!!ってか、いてえ!!目に雪が入る!!!!
「段差だ!!飛ぶぞ!!しっかり掴まれ!!」
刻の鋭い声が短く響いた。段差って、この速度で飛んだら慣性で俺達吹き飛ばされる―……!!?
「うわぁあああああああああああああっ!!」
不意に重力の軛から解放され、体が宙へと舞った。しまったと思った時にはもう遅く、体が浮き、そしてすぐさま重力の鎖に捕獲され放物線を描き落ちて行った。
落ちるその最中、久しく見ていなかった、けれど見覚えるのある懐かしい姿が視界に映る。雪の上に落ちると同時に急いで顔を上げ、顔に付いた雪を乱暴に払った。
夕日とよく似た義兄さんの少し癖がある髪が寒風の中、靡いていた。義兄さんが羽織った黒い外套と共に。
「あ、アル……?どうしてお前……ここに……」
「に、義兄さんこそ……どうしてこんなところに……王都にいたんじゃ―……」
「おい、セデル。起きろ、夜だ。寝たら死ぬぞ」
「へぶしっ!!!」
スパアンッ!!と一発、刻がセデルの頬を叩いた小気味いい音が夜に吸い込まれて消えて行った。
《アルフォート》
