第13章 来襲
終わりにあたって言います。主に結ばれ、その力強い威力を預かって強くなりなさい。悪魔の策略に対してしっかりと立つ事ができるように、神の武具を身に付けなさい。
何故なら、私達にとって戦いとは、血と肉からなる人間相手のものではなく、支配の霊や権威の霊に対するもの、言わばこの闇の世界の権力者達に対するものであり、天の者達の間にいる邪悪な霊に対するものだからです。
ですから、邪悪の日にこれらのものに立ち向かう事ができ、また全てを成し遂げてしっかりと立つ事ができるように、神の武具を取りなさい。真理で腰回りを堅め、正義の胸当てを身に着けてしっかりと立ちなさい。
また、平和の福音を告げる為の準備と足ごしらえとし、全てにおいて信仰の盾を翳しなさい。
この盾で、悪いものが放つ全ての火矢を消す事ができます。救いの兜を頭に戴き、神の言葉である霊の剣を取りなさい。
あらゆる祈りと願いを持って、どんな時にも霊によって祈りなさい。その為にも聖なる人々の為に根気強く祈りつつ、目を覚ましていなさい。
また、私の為にも祈って下さい。私が口を開く時、語るべき言葉が与えられ、大胆に福音の神秘を知らせることが出来ますように。
この福音の為に、私は鎖に繋がれた大使となっているのです。
また、私が福音を知らせるにあたって、語らなければならないように、大胆に語る事ができるように祈って下さい。
【エフェソの人々への手紙 第6章】
「ああ……ベリル様……このお庭は……」
「昨夜も雪が降っていたからな。さして珍しい光景というわけでもないが―……」
黒の森の木々の間、雲の切れ端を縫うようにして降りて来た光の柱が、一面の白銀に反射し煌めく。歌うかのように朝の光を纏い煌めく雪を見つめ、感嘆したように息を細く吐き出した彼女を、自分はその横で見ていた。目を細めながら。
「……ベリル様?」
「手を。雪の上は滑りやすい」
吐き出したその先から白く煙る息が視界の先に広がる。言葉と共に手を差し出せば、少しの間の後、「……はい」という小さな返事が返って来た。
柔らかな言葉と共に白くほっそりした指が自分の手の平の上に重なる。昨夜感じたものと同じ心地良い熱が手を通じ伝わってくる。控えめに手を握り返されてじわりとした温かい感情が胸に去来した。
サクリ、さくり……と音を立てて染み一つない残雪の上に足跡を刻んだ。一つではなく二人分。一歩、そしてまた一歩彼女の手を引き雪原を歩く。ピンと張り詰めた空気が朝の光と共に徐々に弛緩していくのを感じていた。
「ふふ……なんだか不思議です……」
「……どうした?」
「私、ずっとこの場所の事、怖いところだと思っていました。貴方に連れて来られてからというものずっと……。ここは寒く暗い地の底に違いないと、そう思ってました。ですが―……」
俺の手の中からするり……と彼女の指先が抜けて離れていく。数歩俺より前へと進み足を止めると、彼女はこちらに振り返り瞳を細めた。彼女の動作に合せて波打つ金の長い髪が光の軌跡を空へ描く。
「どれも違いました。ここは地の底ではありません。光も届けば寒いだけの場所でもない。……不思議です。あんなに怖かったはずなのに。嘆いて部屋の中に閉じ籠っていた時はただただ怖いだけの場所だったはずなのに」
透明な湖水色をした彼女の瞳。そこには恐怖や嫌悪の感情は見て取れなかった。少なくとも自分の目では。
「鳥の声……ふふっ……そうですよね。ここは冥府じゃありませんもの。鳥だって歌いますよね。……貴方以外誰もいないと思っていました。でも……違った」
ゆるりと瞳に弧を描き、穏やかに言葉を紡ぐ彼女の姿。彼女が語る言葉の一つ一つが俺の心の内へと入って来る。
自分を誘拐した男でもこうして彼女は微笑んでくれるのか、と驚いていた。こちらはなじられ叩かれる事も覚悟していたというのに。……いや、だからこそ、か。
彼女だからこそ、人へ憎悪ではなく笑顔を渡す彼女だからこそ、俺はあの場所から彼女を連れ出す事を決めた。この笑顔が永久に見られなくなることを恐れ、攫った。
純真で無垢な彼女を利用させなどしない。政戦の駒に使わせはしない。……これが自分の身勝手な善意の押し付けだと知っている。いや、善意すらないかもしれない。けれど―……
「コレ……」
光の柱の下で微笑む彼女へと腕を伸ばそうとしたその時だった。足元の雪が陰ったのは。飛ぶ一羽の魔鳥が一つの封書を雪の上へと落とす。
封蝋の刻印もなければ宛名も差出人の名前すらない。だが、それが誰が宛てたのものか察するのは簡単だった。
「……ベリル様……?」
「……すまない。火急の用事が出来た。すぐに戻ってくる。お前は屋敷の中に戻っていてくれ。……大丈夫、今日の夕方には戻る」
彼女の滑らかな白い頬に自分の手を添える。瞬間、瞳を閉じて開き、俺を見上げる彼女の表情が僅かに陰る。
「……信じてよいのでしょうか」
「ああ。神とお前自身に誓って」
雲の流れと共に光の柱が薄くなり消えていく。純白の世界に彼女の金の髪と俺が纏う黒の外套がはためいていた。
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降りしきる雪、降りしきる。夜を覆いつくさんとばかりに降る今年最後の白の欠片達を見上げ、睨みつけた。白の欠片と共に北の山脈を越えてやって来る翼の生えた無法者共たちを。
俺がそれに気付き急ぎ屋敷に戻った時、すでにそこに彼女の姿はなかった。あったのは僅かに争った形跡だけ。
……迂闊だった。冷静になればあの手紙が偽の書状である事を見抜けたはずなのに。強く感じる後悔に奥歯が擦り合わさり不快な音を奏でた。
彼女は連れ戻された。あの家の者達に。今日は嵐までは行かないが雪が降っている。まだ遠くへは行っていないだろう。
大口を開けて急降下する魔に汚染された竜の口を影を束ね練成した魔槍で貫く。新月の影の下、赤ではない血が滲み、槍を引き抜くと同時に視界が染まった。
彼女を一刻も早く追わなければならない。が、その為にもこの邪竜共を蹴散らさなければ―……
雪原の上を自分を核とし網目状に影が這い覆っていく。そこから伸びる不可視の腕が領土へと侵入しようと飛ぶ邪竜の首を締め上げた。
「……誰がこの地へ入る事を許可した?」
この分だと他の場所からも邪竜はこの地に飛来しているだろう。一人で出来ることなど限られている。自分一人で何でもできると思うほど俺は若くもなければ愚かでもない。それでも―……
「行かせはしない。弟の―……フルオライトのところへは」
弟が表の舞台で民草を導くならば、俺は裏で奴を支える。家を捨てる時、奴にそう誓った。その約定を今ここで果たすまで。
「来い。アウラーナの地で働く狼藉……高くつくぞ?」
≪ベリル・モルフィ・アウラーナ≫
