第12章 復興、そして北へ


ですから、偽りを捨てて「各々隣人に対して真実を語りなさい」。私達は互いに一つの体の部分だからです。

「腹が立っても罪を犯してはなりません」。あなた方が腹を立てている間に太陽が沈む事があってはなりません。

また、悪魔に隙を与えてはなりません。盗みを働いた者はもう盗んではなりません。かえって、困っている人達に分け与える事ができるように労苦して真面目に働きなさい。

あなた方は悪い言葉を一切口にしてはなりません。むしろ、聞く人々に恵みをもたらすように必要に応じて人を高めるのに役立つ言葉を語りなさい。

神の聖なる霊を悲しませてはなりません。あなた方は「贖いの日」の為に、この聖なる霊によって証印を押されたのです。

全ての苦々しい思い、憤り、怒り、刺々しい声、罵り、全ての悪意と共に取り除きなさい。

そして、互いに親切にし、慈しみの心を持って心から赦し合う者となりなさい。

神も御子と結ばれたあなた方を心から赦して下さいました。


【エフェソの人々への手紙 第4章】






「それから……出来れば貴方と一緒に食事がしたいのです……一人より二人の方が一緒に美味しくお食事ができるでしょう?」


少しずつ夜の底に沈んでいた世界を暖め始めた朝の白い光がガラス窓から差し込み、彼女の波打つ豊かな金の髪に反射し煌めいていた。風に撫でられ踊る小麦の穂のように彼女の動きに合わせ背中で揺れている。

瞬間、時が止まったような気がしたのは、思わず目を細めてしまったのは、金の髪に反射した光があまりに眩しかったからだろうか。


「あっ……ご迷惑なら無理はしないでいいんです。だ、大丈夫ですから……っう……」


彼女の華奢な肩がその言葉と共に縦に跳ねた。酷く緊張していたのだろう。彼女の手から先程渡した小さな果物ナイフが滑り落ちていく。カラリ、という乾いた音の上にポタリ、と赤い雫が追うように落ちた。


「っう……!?」


反射だった。指を切った痛みで僅かに眉を寄せ顔を顰めている彼女の細腕を手に取り、引き寄せて、赤い血が滲んでいる白い指先を自分の口元へと運び舌先で赤い雫を拭う。微かに鉄錆のような味を舌先で感じた。痴れてしまいそうな味が口内に広がって行く。

手の力を緩め解放し離せば、顔から指先までほんのりと朱色に染めてこちらを見上げている彼女がいた。何故だろうか……その姿が堪らなく可愛らしいものに思えて思わず笑いたい気持ちになる。いや、実際、この時自分は笑いを堪え切れずに吹き出した。目を細め彼女を見つめ、微かに口角を上げて。


「わ……笑う事……ないじゃないですか……は、恥ずかしい、ですわ……」


「……すまない。指は……大丈夫か?」


「……血は、止まったみたいです……そこまで深く……なかったですから……」


「そうか」


床に落ちた果物ナイフを屈んで拾い台の上に置く。もし彼女が本当に俺と一緒に料理をしたいと言うのならば、次はもっと彼女に気を掛けてやらねばならないな……と銀の刀身に反射する朝の光を見て思い、自嘲して。


「……食事の件だが―……けして無理はしなくていい。だが、俺も出来ればお前と一緒に食事をしたいと……その……思っている……」


彼女がどういった意図で申し出てくれたかは、それは自分には分からない。憐れみか嘲りか気紛れか―……だが、そのいずれでもないと確信している自分もいた。

自惚れかもしれない。だが、今、彼女は自分に歩み寄ろうとしてくれたのではないのか、と。そう都合よく考える自分がいた。


「俺が教えられることは限られている。それほど凝った事ができるわけでもない。だが、それでもいいとお前が言ってくれるなら、作ろう。一緒に……」


都合のいい解釈だと何より自分自身が分かっていた。そうであってほしいと願う自分がいた。






++++++++++++++++++++


北方の山々から吹き降ろす風がガラス窓を揺する。この前の嵐の時ほど騒がしくはないが、今夜も静寂な夜とも言えない。風が強いからだろうか。森の木々の隙間から見える星々はいつもよりも強く瞬いているように見えた。

風が奏でたものではない。控えめに誰かが部屋の扉を叩いた音が自分の耳へと届き鼓膜を揺する。誰か、などこの屋敷には自分以外は一人しかいないわけだが―……

窓の外から音がした方向へと視線を動かし体ごと向ければ、扉の影から夜でも煌めく光を纏った波打つ金の髪が見え隠れしていた。俺の後姿を伺う様な薄い透明な青の瞳と共に。


「あっ……あの……」


「……入るといい。最近暖かくはなって来たが、この地方の夜はまだ冷えるから」


彼女の肩に自分が纏っている外套を羽織らせ彼女のほっそりとした指先を自分の手の平の上に乗せて導く。「はい……」と控えめな笑みを見せる彼女の姿にじわりとした温かい感情が胸に去来したのを感じていた。

乾いた音を立てて炉の火が燃え、薪が灰へと変わっていく。彼女と二人並んで同じ火を見つめながら蟠る沈黙の底にいた。

ふっ、と自分の指先に何かが触れる。一瞬、刹那とも呼べるような時間だったが、自分の体温とは違う温度が指先を伝い、自分を満たしていく。離れて行こうとする細い指先に今度は自分から指を重ね、小さな手を自分の骨ばった手を使い包んだ。もっと自分とは違う体温を肌を通じて感じたい―……その一心で。

酷い欲だ。だが、そうせずにはいられなかった。この甘美な温度と共に優しい沈黙の底にいたいという想いが勝ってしまった。彼女と共に。


「あなたは―……」


「……ベリル」


「……えっ?」


「……俺の本来の名前だ。普段は偽名を名乗っている。生家に迷惑を掛けるわけにもいかないのでな。名は家を出る時にそこに置いて来た。が―……お前には偽りの方ではなく本名の方を知っていて貰いたい」


身内の贔屓目というものもあるが、俺は俺が生まれたあの家の事を誇りに思っている。だからこそこうしようと決めたその時に俺は家を捨てた。当主から名を抹消する許可を貰い、そしてお前を攫った。

そうすれば何か咎を賜う事になったとしても、それを受けるのは自分だけで済む。俺はもう、あの家の一員ではないのだから。

窓際に飾った黄色の水仙が視界の外れに移る。彼女があの日、詰んでいた花が。


「俺はお前の事を以前から知っていた。お前は俺を知らなかっただろうが。……ある意味で俺はお前が知る以上にお前の事を知っている。だからお前を攫って来た。……あの”家”から」


偽りを捨て各々隣人に対して真実を語れ。

自分自身敬虔な教徒というわけではないが―……あの書の一説が脳裏を過って行った。


「……明日は一緒に外に出ようか。ここに連れて来てからというものずっとお前を閉じ込め続けてしまった。外と言っても庭先だが―……明日の朝には風も止んでいるだろう」


≪ベリル≫
38/38ページ
スキ