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ああ、僕はどうして大人になるんだろう
ああ、僕はいつ頃大人になるんだろう
出典:少年期
作詞:武田鉄矢
作曲:佐孝康夫
編曲:桜庭伸幸
歌手:武田鉄矢
《少年期》
「やあ、久しぶり。」
「ああ、本当だな。」
夕暮れの雑踏を掻き分けるようにして彼はプラットホームの向こうから現われた。
フォーサイドのような都会ほどじゃないけれど、この時間の駅前は帰路を急ぐ人々で溢れ返っている。
時折、むくんだ足を擦りながらもヒールの音を響かせて足早に去っていく女性。
迎えを呼んでいるのだろうか?学生が手慣れた手付きで携帯電話を操作している姿が目に入る。
そして、自分達と同じように、朝はパリッと着ていたはずのスーツがよれよれとしただらしないスーツに様変わりしている男性の姿も。
「まさか、本当に来てくれるとは思わなかったから驚いたよ。」
「僕を呼んだのは君だろ?」
「うーん…。いや、急だったろ?…ありがとう、ジェフ。」
そう答えれば少し疲れたように、呆れたように俺の―…僕の親友は笑った。
どこからともなく美味しそうなコロッケの匂いが漂ってくる。そして、すかさず反応する俺達の腹の虫。
どうやらお互い飼っている虫は正直者のようだ。
あまり彼女を待たせるのは得策じゃないけど、親友との久々の再会だ。少しぐらい引っ掛けたところで罰は当たらないだろう。
「なあ、家に行く前に―…」
「…賛成。」
どちらからともなく笑い声が漏れる。
通りにごった返す影法師。
その中にまた二つ、新しい影が生まれた。
「そっか、ポーラと。」
「うん。三ヵ月後に、式を挙げるよ。」
店内に置かれた蓄音機から流れてくる曲は自分達が子供の頃に流行った流行歌。
二人で入った真新しいバー。
そういえば、昔はここはハンバーガー屋だったな、なんて一人思う。
壁紙もカウンターも、天井までの高さだって子供の時に見た光景と違うのに、店の前の朽ちた電信柱だけはあの頃と何ら変わらなかった。
「プーは?」
「ああ。プーにも声はかけたんだけど。ほら、プーは忙しいだろ?
まあ、プーのことだから式には来てくれると思うんだ。」
琥珀色したウイスキーの中に浮かんでいる氷が音を立てて崩れる。
少しだけ薄まった酒を一口口に含めば、喉の奥は熱くなって、だけど、その熱は一瞬にして消えていってしまった。
「…それで?君のことだからその報告をするためだけじゃないんだろ?」
「あたり。」
子供の頃から聡かった親友は、大人になった今も変わらずに聡いままのようだ。
見透かされているっていうのにそれは全然不快な感覚じゃなかった。
「―…あのさ、ジェフ。」
「なんだい?」
自分でも分かっている。
こんな事馬鹿らしいって事。
俺ももう子供じゃないんだから。
そう。分かってるんだ。
だけど―…
「…子供の時にさ、俺、悲しい事があるとここに来て、店の前にある電信柱の灯り見てたんだ。」
今でも覚えてる。
その日の夕空も。
空気の匂いも。
虫の音も。
「子供の僕にはその灯りが何故か不思議に思えてさ。
いつの間にか悲しいことなんか忘れてただ、黙って見てた。」
瞬きするたびに形を変えて、光は虹の欠けらのようで―…一人、夢を見ているみたいだった。
「俺、時々思うんだ。どうして大人になったのかな、って。
勿論、ポーラのことは好きさ。だけど、思うんだ。
こんな年になって、こんな子供らしい馬鹿みたいな事を考えてる奴が本当に彼女を幸せに出来るんだろうか、って。」
大人の俺と子供の僕。
どっちも自分のはずなのに、迷っている自分がどうしようもなく滑稽に思えた。
「目を擦っても遠すぎて―…。なあ、ジェフ。大人ってなんだろう?」
改めて言葉にすればするほど馬鹿らしい問い。
鼻で笑われたって仕方がない事なのに、ジェフは一切笑わなかった。
その心遣いが嬉しくて―…。俺は、鼻にツンと来るものを隠すようにまた一口酒を煽った。
「なあ、ネス。じゃあ、聞くけど君にとっての大人って何なんだい?」
「…俺にとって?」
「ああ。」
そう言うと、親友はグラスを傾け、僅かに残っていた琥珀色の液体を一気に飲み干した。
…俺に―…いや、僕にとっての大人。
「成人式をすれば大人かい?
酒やタバコが出来るようになったら大人かい?
一人暮らしをするようになったら大人かい?
結婚すれば大人かい?」
ジェフの問いに僕は首を横に振る。
違う。それは“大人”じゃない。
「…だろう?僕、思うんだ。僕達が子供の頃に信じた大人なんて本当はいないんじゃないか、ってね。」
「ジェフ、それって―…」
カラン…と、また一つ。どこかで氷が融ける音がした。
何でも知っていて
何でも出来る
それが“大人”
「僕は子供の頃、大人になるってそういうことだと思ってた。大人はみんなそうなんだと信じてた。
だけど、実際は―…ネスも、僕でさえそんな人間なんかじゃない。
結局、良くも悪くも人間でしかないのさ。大人とか子供じゃなくて、皆、ただの人間―…。」
「…難しいな。」
「そうさ。だから人は、大人になってからも成長できるんだし、大人なってからも楽しいんだよ。
―…さて、と。じゃあ、そろそろ行こうか。」
「…そうだな。ポーラもジェフに会うの楽しみにしてたし。」
「さっきの情けない発言は、彼女には内緒にしておいてあげるよ。」
カラカラと笑うジェフに釣られるようにして、俺も笑ったことは言うまでもない。
壁もカウンターも違う。
天井までの距離だって、あの頃よりずっと近い。だけど―…
「じゃあ、行こうか!ジェフ!」
さっきまで悲しく見えていたその光景が、今はただ愛おしいもののように思えた。
Fin