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…ねえ?デニム君。一つ聞いていいかしら?
彼は―…
僕は…彼女達のようになれるのだろうか?
《ミヤコワスレ》
「ここにいたんですね。」
乾期の染み一つない晴れ渡った青い天球を無色の風が渡っていく。
眼下には無数の赤茶けた煉瓦造りの民家が広がり無数の人々が行き交い、そしてその逆の方向、城壁の外には広大な平野がどこまでも続いていた。
そんなどこまでも青い空に、まるで夕空を切り取り、そのまま溶かしたような色が舞う。
風に遊ばれ踊る緋色の長い髪。
煩わしそうに髪を押さえて、彼女はゆっくりとした動きで振り返った。
「…デニム君?一体どうしたの?」
「…カノープスさんが教えてくれたんです。アロセールさんならここにいるって。」
「そうだったの?」
市を行き交う人々の楽しげな雑踏は、町中を縦横無尽に駆け巡り、響き、消え、そしてまた新たな雑踏が次々と駆け巡る。
その声は、ここ、町外れの城壁のうえにも例外なく届いていた。
「…ずっと探していたんです。どうしてもアロセールさんに言わなくちゃいけないことがあって。」
「…私に?あなたが?」
「…はい。」
不思議そうに首を傾げ、彼女は僕を真っすぐ見据えた。
…覚悟はとうに決めていたはずなのに、情けない話だが、彼女の強い瞳にその覚悟はいともたやすく揺らいでしまう。
そんな自分を叱責して、僕は漸く言葉を紡いだ。
「レオナールさんの事…伝えなくちゃいけないと思ったんです。」
「……。」
市が開かれている場所も、行き交う人々の量もさっきまでと何ら変わらないはずなのに、あんなにもうるさかった雑踏がやけに遠くに感じた。
あの日―…今日と同じように穏やかな青に包まれたコリタニ城で、僕はレオナールさんを討った。
…仲間に黙って独断で行った一騎打ちだった。
あの時、二人きりで決着を付けようという彼の提案に僕は何の迷いもなく剣を手に取り…そして、僕の剣は彼を貫いた。
「…すみませんでした。」
「……。」
後悔はないはずだった。
レオナールさんに譲れない信念があったように、僕にもけっして譲れない信念があったから。
後悔なんてあるはずないのに―…
「…すみません。卑怯ですよね。こんなの、今更あなたに許しを乞うなんて真似。」
…分かっている。これが卑怯だということを。
…分かっている。これが自分が楽になりたいがための独り善がりな贖罪であると。
…だけど、それ以上に―…
「…だけど、どうしてもあなたに伝えなくちゃいけないと思ったんです。
アロセールさん。レオナールさんはあなたの事を―…」
「…ねえ、デニム君。」
続きを遮るように紡がれた彼女の言葉。
彼女は僕を一瞥すると再び背を向け、踊る髪を片手で押さえた。
「…あの町。ほら、海の近くにある町がわかる?」
背を向けたまま、彼女は自身の細くしなやかな指を伸ばす。
彼女が指差すその先にあるのは荒野で、そして、荒野のはるか向こうには海と港町が広がっていた。
「…クリザローの町、ですね。」
「そう。私の生まれた町。…私とレオナールはあの町で出会ったの。」
乾いた風が荒野を行く。
彼女の髪がマントが棚引く。
…彼女が今どんな表情を浮かべているのか…生憎、僕の位置からは伺うことは出来なかった。
「…いつか話したわよね?私の兄はバルマムッサで殺されたって。」
「…はい。」
「私と兄は両親を殺されたことを期に二人で解放軍に入隊したの。そこでレオナールと出会った。
兄とレオナール…本当に仲が良かった。実の兄弟のように。でも、兄はレオナールを庇って怪我をし、ガルガスタン軍の捕虜になった。
そして、バルマムッサの町に強制収容されて―…あとは…あなたも知ってのとおりよ。」
「……。」
「…だから、あなたが私に対して罪悪感を感じる必要はない。謝罪する必要なんかない。
確かに、私にとってレオナールは誰よりも愛しい人だった。
だけど、それと同じくらい憎い―…愚劣極まりない計略のために兄の命を奪った仇。
…もし、あの時、あなたが彼を討たなければ私が彼を殺していた。たとえ、刺し違える事になろうとも。
…そして、それは彼も同じ。きっと、私が相手だったとしても彼は容赦なく私を斬り捨てようとしたでしょうね。」
声に重さなどあるはずがないにも関わらず、僕に重くのしかかる彼女の言葉。
そのあまりの重さと静かさに思わず僕は息を飲み込んだ。
そして、思った。
もし、僕が彼女やレオナールさんと同じ立場に立った時、立たされた時―…どうするのか、どうすべきなのか。
…いや、すでに“もし”ではない。
おそらく僕は、そう遠くない未来、姉と呼び慕っていた女性と斬り合う事になるだろう。
理想と現実。
倒すべき敵。愛する人。
両者の間に流れる深い溝に僕は飲み込まれないでいられるのだろうか。彼女達のように。
「…辛くはなかったんですか?苦しく…なかったんですか?」
だから、聞いてみたくなったんだと思う。
その時、どう思い、どう考え、何故その道を歩もうと決心したのかを。
「…そうね。辛くなかったかと言えば嘘になる。
そんなちっぽけな感情で私は彼を愛したわけじゃないから。
でも、私に出来たことは、兄と…そして、あの日、バルマムッサで惨たらしく散っていった同胞の無念を晴らしてやることぐらい。
だから、私はこの道を選んだ。自分の信念と相容れない愚劣な信念とはけして迎合しない。
…そんな私だからこそ…そんな私だから彼は好いてくれたから。」
やや傾いた場違いな午後の柔らかな日差しが白い光で荒野を照らす。
そんな麗らかな風景を一瞥して、彼女は一つ息を吐いた。
「…レオナールも引くわけにはいかなかったんでしょうね。
多くの同胞の血を吸い黒く染まった彼は引けなかった。引くわけにはいかなかった。ガルガスタンとバクラムを倒し、暗黒騎士団を追い出すまで。
…たとえ、全てが終わったその時、全ての罪を被り死ぬつもりだったとしても。」
…その瞬間、音が…消えた。
いや、実際には消えていないのだろう。
だけど、僕の耳は、脳は、彼女の言葉以外の音を認識出来なかった。
…そんな、レオナールさんは―…
振り返ったアロセールさんは、そんな僕の様子に困ったように苦笑を浮かべる。
「…あの人はとっくに死ぬ覚悟が出来ていた。虐殺を実行しようと心に決めた時、死を覚悟したはずよ。
全てが終わったその時、全ての罪を一人で被り、最後には死ぬ。大方そんなシナリオを考えていたでしょうね。
…愛した人のことだもの。それぐらい分かるわ。」
「…アロセールさん。」
「…あの人らしいでしょう?誰よりも法と秩序を重んじ、己が守るべきものをけして見失わない。自らの境遇を嘆かない。そんな彼だから、私は惹かれたのね。
私は、バルマムッサの人々の命と共に彼に棄てられてしまったけれど―…。
おかしな話よね?仇と、裏切り者と憎しみ続けたにもかかわらず、今だに彼を愛する私がいる―…。」
今にも泣きだしそうに歪んだ顔に無理矢理笑顔の仮面を被せて、彼女は語る。
でも、不恰好な仮面で隠せるような悲しみじゃないから―…
そんな彼女の表情に心がキシリ…と痛んだ。
「…ねえ?デニム君。一つ聞いていいかしら?彼は笑っていた?穏やかな顔をしていた?
…最期の…その時に。」
―…アロセール…愛する…君と…―
「…はい。レオナールさん…笑っていました。」
…それは事実だった。
あの時、今際のあの時、彼は穏やかに笑っていたのだ。
愛する女性の名を呟いて、眠るように息を引き取った。
「…そう…。そう…だったの…。」
僕の言葉を自身の中で咀嚼して、アロセールさんは呟く。
笑顔の仮面は―…とうに剥がれ落ちていた。
「…デニム君。ありがとう、教えてくれて…。伝えてくれて。」
「…いいえ。僕こそ…。遅くなってしまって申し訳ありません。」
泣き腫らした赤い瞳に穏やかな色を湛えて…そして、彼女はその双眸を閉じた。
「…私もレオナールも自分の思う通りに、思ったように生きて、選択した。
だから、デニム君。あなたもあなたが感じた通りに生きなさい。そして、その道を選択したのなら最後まで走りぬきなさい。
彼が―…レオナールがそうであったように。」
―…果たして僕はそうなれるだろうか?
彼女の最後の言葉が心の中を反芻する。
…選択の時は―…決断の時は間近まで迫ってきていた。
Fin