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あの日と同じ夏の匂いも
今日のような晩夏の匂いも
《リボンシトロン》
「あっつー…」
「仕方ないだろ、千枝?もうすぐ六月も終わりだしな。」
「そうは言ってもさー…泉君、この暑さは異常っしょ?」
先日までの肌寒さはどこに消えたのか。
足早に来過ぎてしまった夏に盛大に文句を付きながら、あたしはこの暑さを生み出している憎き犯人を睨み付けた。
…と、言っても手で影を作りながら、だけれど。
「…確かに急に暑くなったもんな。」
ピッ…という人工音が一つ。
さんさんと無駄に元気に照りつけ続けている太陽から自分の隣へと視線の先を動かせば、何時の間に移動したのか、こちらに背を向けて自動販売機の前に立つ泉君の姿があった。
「…飲む?」
「な、なな何言ってんの!泉君!?だって、もう泉君、その缶に口付けてるじゃん!?」
「…いや、もう一本買ってるけど?…ほら、千枝。」
「わっ…!?冷たッ!!」
彼の手から投げられた缶が綺麗な放物線を描いて落ちる。
慌てて手を伸ばせば、たちまちあたしの手のひらの上に涼が生まれた。
…って、あたし…もしかしなくても今物凄く恥ずかしい事を口走っちゃったんじゃ―…
そろりと彼にバレないように表情を伺えば、口元を押さえて盛大に肩を震わせる彼がいて―…
「…プッ、ハハハッ!ごめん、千枝…ハハッ!」
「わ、笑うことないでしょー!」
冷たいジュースの缶を持っているはずなのにさっきとは比べものにならないくらい顔が暑くって…
その暑さを誤魔化すように一口缶に口を付ければ、シワッという音とともに爽やかなシトラスの香りが口の中で弾けた。
「…千枝?どうしたの?」
「…ん?何だかさ、昔のこと思い出しちゃって。」
細い路地に細長い影法師が二つ浮かび上がる。
夕日を浴びて柔らかいオレンジに染まる空いっぱいに広がるのは夏の終わりを告げるヒグラシの声。
「…昔?」
「うん。ほら、高校の時、泉君と二人でよくあの自販機でジュースを買って飲んだじゃん?」
「あー…、そういえばあったなー…」
もっとも、あの日の空は目が覚める真っ青な空で、鳴いていた蝉の声もヒグラシとは違って暑苦しいものだったけれど。
どこか気だるそうな低い彼の声と所々錆付いた古い自販機はあの日と何ら変わらなかった。
「…久々に飲んでみる?」
ピッ…という人工音が一つ。
声も自販機もあの日と変わらないのに、彼の背中は17歳のあの夏に比べて少し大きくなっていて…時間の流れを感じて少しだけ寂しさを感じた。
「…ほら、千枝!」
「わっ…!冷たッ!」
綺麗な放物線を描いてあたしの手のひらの上に落ちる缶。
心地よい冷たさに、あたしは思わず目を細めた。
「…ほら、さっさと飲む。俺も飲みたいんだから。」
「えっ?あれ、泉君の分は…?」
あの日、二本あったはずのリボンシトロンの缶は今日は一本だけで、不思議に思って顔を上げれば、何故か意地悪な笑顔を浮かべた彼がいて―…
「少しくらい貰ってもいいだろ?“泉 千枝”さん?
…もう千枝も泉なんだけど?…まだ慣れない?」
意地悪に、でも、楽しそうに笑う彼。
顔に集まる熱を誤魔化すために缶に口を付ければ、シワッという音とともに爽やかなシトラスの香りが口の中で弾けた。
…きっと、あたしはこの人には一生かなわないんだろうな…。
…だけど、それもいいか。なーんて自然に思ってしまうのだから、もうどうしようもないのかもしれない。
「…千枝?わっ!ちょ―…!?」
「ぷはー。おいしかった!ごちそうさまでした!」
けど、やっぱりやられっぱなしも悔しいから。これぐらいの意地悪は許してね?
「…さあ、帰ろうか!透君!」
その代わり、あの日と同じ夏の匂いも、今日みたいな晩夏の匂いも―…君の隣で感じてあげるから。
ずっと、ずっと、一緒に。
Fin