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本当に王子が悪かったのだろうか?
何も知らず、奪っていった王女が悪かったのだろうか?
ううん。本当に本当に悪かったのは―…
《人魚姫》
5月3日 憲法記念日 快晴
去年の今日、何をしていたのかなんてはっきりと覚えていないけど、それでもあの時よりもずっとずっと平和な今日に心の底から感謝する。
何が何でも晴れてほしいというあたしの願いは無事聞き届けられたのか、部屋の窓が切り取った空は目が覚めるような底無しの青。
よっしゃ!と小さく呟けば、カーテンレールに吊らされた白い小さなてるてる坊主が風でわずかに動いた。
高三にもなって年甲斐もなく作ってしまったけど、こいつにもお礼を言わなきゃいけないななんて一人考える。
さあ、今日は最高の笑顔で迎えなきゃ。
パチンと一度、頬をたたいてあたしはドアノブに手を掛けた。
彼があっちに帰ってからまだほんの一月ほどしか経っていないってのに、彼の顔はあの日よりずっと大人びて見えた。
でも、菜々子ちゃんを見た瞬間にダラリと惜し気もなく、情けなく垂れ下がった目尻。
そして、自分に引っ付いてきたクマをうっとおしそうにでもどこか嬉しそうに引き剥がす彼の姿は、この人がやっぱり彼である事を言外に伝えていて―…
泉君だ。
「ただいま、千枝。」
「うん。お帰り!泉君!」
あたしに向けられた彼の色素の薄い灰色の瞳が、他の人に向けられたものより優しいもののように思えたのはあたしが傲慢なせいだろうか。
「ちょっと、花村!それどーゆうことよ!!」
「うっせーな!泉こっちに帰ってきたばっかなのに地獄見せるわけにはいかねーだろ!ムドカレー事件…忘れたとは言わせねーぞ!!」
所変わって堂島家。
ここは田舎だから改めて見て回る場所なんかほとんどなくて、あたし達は堂島さんのお言葉に甘えて早々に押し掛けていた。
堂島さんはこれから手が放せない仕事が待っているらしくって、むしろ、その方が有り難いなんて豪快に笑う。
…そうか、今日はあの人の―…
「甥っ子がわざわざ遠いところから遊びに来たばっかりだってのにそれ?
…分かった。帰りは、明日?何か作っておく。何がいい?」
言葉こそ少し刺のあるものだけれど、泉君の口から出たその音は暖かくて―…
「…そうだな。麻婆豆腐頼めるか?」
「そんな簡単なもので?…りょーかい。」
麻婆豆腐が簡単って―…おいおい…。
「はは、楽しみにしてるよ。じゃ、行ってくる。」
…どうやら泉君は更に主夫に磨きをかけて帰ってきたらしい。
そんな彼の言葉に沸々と焦燥感が沸き上がってきた事は言うまでもない。
いや…立つ瀬ないでしょ、これ。
そんなやり取りがあったのはほんの三十分程前。
そして、今。
あたしと雪子。そしてりせちゃんの三人と花村と完二の、所詮、睨み合いという名の攻防戦が人様の家のおまけに台所で繰り広げられていた。
「ムドカレーですって!?どーゆう言い草よ!花村!!」
「事実を言って何が悪いっつーんだよ!俺、生まれてこの方臭いカレーなんて食ったことねーし、軽く臨死体験しかけたっつーの!なっ、泉!!」
花村がそう言えば、途端に一点に集まる視線。
焦点にいるのは勿論、我らがリーダーその人。
皆が息を呑んで答えを待つ。
考える事数秒。
泉君は考え耽けるように下に向けていた顔を上げ、きっぱり一言。
「いや、あれはムドオンだった。」
スパーンっと小気味いい音をたててあたしの投げた新聞紙の束は、彼の顔面へと吸い込まれていった。
「ひっどーい!!何さ、何さ!あの言い草!」
「ま、まあ、久慈川さん落ちつい―…」
「りせ!!もう、直斗君いつになったら名字読み止めてくれるのー?次、名字読みしたらミニスカ履かせるから!」
「あははー。それいいじゃん!花村と完二君鼻血吹いて喜ぶよー。セクハラ魔神だから。」
女人台所立ち入り禁止令が発令されてしまい、特にやる事もないあたし達は、ここぞとばかりに思い思い言いたいことを言いたいだけ口に出しながらリビングでくつろいでいた。
ちなみに、リビングと台所の間には仕切りなんて存在しないからあたし達の会話は台所で何の嫌味かカレーを作っている男性陣に筒抜けである。
「里中さーん。聞こえてますよー。」
「だって、聞こえるように言ってるんだもん。わざわざ。」
「ぶっ…!ぶはっ!!あはははは!!」
わざわざ抑揚のない声で引きつり笑いをする花村にそう返せば、一体どこでどう笑いのスイッチ踏んでしまったのか分からないけれど、親友である雪子の馬鹿笑いがけたたましく響いた。
ほーんと…我が親友ながらこればっかりは雪子の笑いのスイッチだけは分からない。
今だに馬鹿笑いの止まる気配がない雪子を横目で見ながら、こっそりため息を吐いたのはみんなには秘密。
…しっかし、何もしないままただ料理が出来るのを待っているっていうの中々暇だなぁ。と、そう考えたその時だった。
「そうだ!ねえ、お姉ちゃん!菜々子ね、絵本読んでもらいたい!」
不意に今までにこにこと笑いながら会話を聞いていた菜々子ちゃんが、いい事を思いついたといわんばかりに目を輝かせて立ち上がる。
その顔には弾けんばかりの眩しい笑顔。
この子の笑顔はいつもお日様で、あたし達はいつもその笑顔に救われて癒されているなんてきっと本人は知らないんだろうな。なんて、一人思った。
「絵本…ですか?」
「うん。絵本!菜々子、絵本大好き!…ダメ?直斗お姉ちゃん?」
「いいじゃん!絵本!私も小さい頃好きだったなー。
ねえ、雪子先輩、千枝先輩!どうせやるなら本格的にやりましょうよ!」
またこの子は…。夢見る乙女から一転、有無を言わさないと言わないばかりの後輩の勢いに負けてあたしも雪子も顔を引きつらせる。
「…ほ…本格…?ちょ…ちょっとりせちゃん?」
「きーまり、きーまりっと!…っというわけで!今から役割決めたいと思いまーす!あっ、台本は絵本ね。」
一度、火のついてしまった後輩を止める手段は、生憎、あたしも雪子も持ち合わせていなくて…
仕方ないか、なんて互いに目配せをして肩をすくめた。
演目は…人魚姫。
「あれ、泉君。起きてたの?皆は?」
「…俺の部屋を占拠して雑魚寝中。それより千枝こそ起きてたのか?他の女子は?」
「菜々子ちゃんと一緒に寝てる。はしゃぎ疲れちゃったみたい。」
「…そうか。」
…沈黙。隣の家から漏れ聞こえる生活音がやけに大きく耳に張りつく。
二人並んで縁側に腰掛ければ、冷たい夜風が彼の色素の薄い髪を弄び流れていった。
「…泉君、寝れないの?」
「そっちこそ。」
何だか続かない会話。
でも、彼と一緒にいる時はこんな沈黙ですら心地よかった。
「あのさ、千枝。」
「…うん?」
「千枝ってさ、人魚姫嫌いだろ?」
「は?な、何?いきなりどーったの?」
彼の口から出る言葉は、時々唐突だ。
脈絡がないとも言える。
だけど―…
「さっき、顔しかめてたから。そう思った。…何かあった?」
さっきとは夕飯時のあの時のことだろうか?
あの時は、こっちをじっくり見ている暇はないと思ったのに…彼の相変わらずの観察眼に心の中で舌を巻く。
どうやら、我らがリーダーの鋭さは今も健在のようだ。
そんな彼に返事の代わりに一つ息を吐いて、あたしは軽く目を閉じた。
「あのね、泉君。人魚姫に出てくる人の中で一番悪いのって誰だと思う?」
「…誰?」
「うん。」
人魚の声を奪った海の魔女?
人魚と人間の恋を認めなかった父王?
助けてもらっておきながら何も気が付かなかった王子?
何もしていないのに王子を取っていった王女?
…きっと、どれも違う。本当に―…本当に悪かったのは―…
「…人魚姫自身。」
花菖蒲の青い香りが心地よく鼻をくすぐっていった。
言葉は、なんだか気の抜ける声として返ってきた。
「…俺、思うんだけどさ。自分を受け入れられないってそんなに悪いことか?」
灰色の瞳は相変わらず揺るがない。
虚空でかち合う視線。
彼のこの目が大好きで、でも少し苦手だった。
「俺、ずっと思ってたんだ。無理に受け入れなくてもいいんじゃないかって。
そりゃあ、受け入れられるのならばそれに越したことはない。でも、無理に認めてどうする?結局、嘘を吐いてるだけだ。
…それに、誰でも仮面なんて被ってる。服と一緒だ。素っ裸じゃ生きてけないだろ?大切なのは―…」
何のために仮面を被るのか。
「千枝も花村も他の皆だって仮面を被ってた。
でも、それは自分を傷つけないためっていうのもあるだろうけど、周りを傷つけないためでもあったろ?
…仮に千枝があの時、影が言っていたことと同じ事を天城に面と向かって言っていたら?天城は幸せだったと思うか?
腹の内じゃ何考えてるか分からない?分かるほうが怖いだろ?そんなの。」
ああ…どうしてこの人は…
「…ずるい。」
どうして、いつも、あたしが一番欲しい言葉をくれるんだろう。
「…それに、俺だって被ってる。」
「…えっ?」
音が止まった。
ううん。自分の心臓の音だけがやけに煩くって耳に付く。
一瞬だけ、重なるあたしと彼の影。
いつの間にか彼の顔はすぐ傍にあって…
暖かくて、くすぐったくて…
自分とは違う彼の優しい匂いに酔いそうになって…目を閉じる。
「…ほら、そろそろ部屋に戻るぞ。」
「…う、うん。」
実はすぐ後ろで花村とクマが覗いていた事とか…
何故か次の日、二人がボロボロになっていた事とか…
少し赤くなった彼の顔に不覚にも見とれていたあたしが知ったのは、全部あとになってから。
Fin
何も知らず、奪っていった王女が悪かったのだろうか?
ううん。本当に本当に悪かったのは―…
《人魚姫》
5月3日 憲法記念日 快晴
去年の今日、何をしていたのかなんてはっきりと覚えていないけど、それでもあの時よりもずっとずっと平和な今日に心の底から感謝する。
何が何でも晴れてほしいというあたしの願いは無事聞き届けられたのか、部屋の窓が切り取った空は目が覚めるような底無しの青。
よっしゃ!と小さく呟けば、カーテンレールに吊らされた白い小さなてるてる坊主が風でわずかに動いた。
高三にもなって年甲斐もなく作ってしまったけど、こいつにもお礼を言わなきゃいけないななんて一人考える。
さあ、今日は最高の笑顔で迎えなきゃ。
パチンと一度、頬をたたいてあたしはドアノブに手を掛けた。
彼があっちに帰ってからまだほんの一月ほどしか経っていないってのに、彼の顔はあの日よりずっと大人びて見えた。
でも、菜々子ちゃんを見た瞬間にダラリと惜し気もなく、情けなく垂れ下がった目尻。
そして、自分に引っ付いてきたクマをうっとおしそうにでもどこか嬉しそうに引き剥がす彼の姿は、この人がやっぱり彼である事を言外に伝えていて―…
泉君だ。
「ただいま、千枝。」
「うん。お帰り!泉君!」
あたしに向けられた彼の色素の薄い灰色の瞳が、他の人に向けられたものより優しいもののように思えたのはあたしが傲慢なせいだろうか。
「ちょっと、花村!それどーゆうことよ!!」
「うっせーな!泉こっちに帰ってきたばっかなのに地獄見せるわけにはいかねーだろ!ムドカレー事件…忘れたとは言わせねーぞ!!」
所変わって堂島家。
ここは田舎だから改めて見て回る場所なんかほとんどなくて、あたし達は堂島さんのお言葉に甘えて早々に押し掛けていた。
堂島さんはこれから手が放せない仕事が待っているらしくって、むしろ、その方が有り難いなんて豪快に笑う。
…そうか、今日はあの人の―…
「甥っ子がわざわざ遠いところから遊びに来たばっかりだってのにそれ?
…分かった。帰りは、明日?何か作っておく。何がいい?」
言葉こそ少し刺のあるものだけれど、泉君の口から出たその音は暖かくて―…
「…そうだな。麻婆豆腐頼めるか?」
「そんな簡単なもので?…りょーかい。」
麻婆豆腐が簡単って―…おいおい…。
「はは、楽しみにしてるよ。じゃ、行ってくる。」
…どうやら泉君は更に主夫に磨きをかけて帰ってきたらしい。
そんな彼の言葉に沸々と焦燥感が沸き上がってきた事は言うまでもない。
いや…立つ瀬ないでしょ、これ。
そんなやり取りがあったのはほんの三十分程前。
そして、今。
あたしと雪子。そしてりせちゃんの三人と花村と完二の、所詮、睨み合いという名の攻防戦が人様の家のおまけに台所で繰り広げられていた。
「ムドカレーですって!?どーゆう言い草よ!花村!!」
「事実を言って何が悪いっつーんだよ!俺、生まれてこの方臭いカレーなんて食ったことねーし、軽く臨死体験しかけたっつーの!なっ、泉!!」
花村がそう言えば、途端に一点に集まる視線。
焦点にいるのは勿論、我らがリーダーその人。
皆が息を呑んで答えを待つ。
考える事数秒。
泉君は考え耽けるように下に向けていた顔を上げ、きっぱり一言。
「いや、あれはムドオンだった。」
スパーンっと小気味いい音をたててあたしの投げた新聞紙の束は、彼の顔面へと吸い込まれていった。
「ひっどーい!!何さ、何さ!あの言い草!」
「ま、まあ、久慈川さん落ちつい―…」
「りせ!!もう、直斗君いつになったら名字読み止めてくれるのー?次、名字読みしたらミニスカ履かせるから!」
「あははー。それいいじゃん!花村と完二君鼻血吹いて喜ぶよー。セクハラ魔神だから。」
女人台所立ち入り禁止令が発令されてしまい、特にやる事もないあたし達は、ここぞとばかりに思い思い言いたいことを言いたいだけ口に出しながらリビングでくつろいでいた。
ちなみに、リビングと台所の間には仕切りなんて存在しないからあたし達の会話は台所で何の嫌味かカレーを作っている男性陣に筒抜けである。
「里中さーん。聞こえてますよー。」
「だって、聞こえるように言ってるんだもん。わざわざ。」
「ぶっ…!ぶはっ!!あはははは!!」
わざわざ抑揚のない声で引きつり笑いをする花村にそう返せば、一体どこでどう笑いのスイッチ踏んでしまったのか分からないけれど、親友である雪子の馬鹿笑いがけたたましく響いた。
ほーんと…我が親友ながらこればっかりは雪子の笑いのスイッチだけは分からない。
今だに馬鹿笑いの止まる気配がない雪子を横目で見ながら、こっそりため息を吐いたのはみんなには秘密。
…しっかし、何もしないままただ料理が出来るのを待っているっていうの中々暇だなぁ。と、そう考えたその時だった。
「そうだ!ねえ、お姉ちゃん!菜々子ね、絵本読んでもらいたい!」
不意に今までにこにこと笑いながら会話を聞いていた菜々子ちゃんが、いい事を思いついたといわんばかりに目を輝かせて立ち上がる。
その顔には弾けんばかりの眩しい笑顔。
この子の笑顔はいつもお日様で、あたし達はいつもその笑顔に救われて癒されているなんてきっと本人は知らないんだろうな。なんて、一人思った。
「絵本…ですか?」
「うん。絵本!菜々子、絵本大好き!…ダメ?直斗お姉ちゃん?」
「いいじゃん!絵本!私も小さい頃好きだったなー。
ねえ、雪子先輩、千枝先輩!どうせやるなら本格的にやりましょうよ!」
またこの子は…。夢見る乙女から一転、有無を言わさないと言わないばかりの後輩の勢いに負けてあたしも雪子も顔を引きつらせる。
「…ほ…本格…?ちょ…ちょっとりせちゃん?」
「きーまり、きーまりっと!…っというわけで!今から役割決めたいと思いまーす!あっ、台本は絵本ね。」
一度、火のついてしまった後輩を止める手段は、生憎、あたしも雪子も持ち合わせていなくて…
仕方ないか、なんて互いに目配せをして肩をすくめた。
演目は…人魚姫。
「あれ、泉君。起きてたの?皆は?」
「…俺の部屋を占拠して雑魚寝中。それより千枝こそ起きてたのか?他の女子は?」
「菜々子ちゃんと一緒に寝てる。はしゃぎ疲れちゃったみたい。」
「…そうか。」
…沈黙。隣の家から漏れ聞こえる生活音がやけに大きく耳に張りつく。
二人並んで縁側に腰掛ければ、冷たい夜風が彼の色素の薄い髪を弄び流れていった。
「…泉君、寝れないの?」
「そっちこそ。」
何だか続かない会話。
でも、彼と一緒にいる時はこんな沈黙ですら心地よかった。
「あのさ、千枝。」
「…うん?」
「千枝ってさ、人魚姫嫌いだろ?」
「は?な、何?いきなりどーったの?」
彼の口から出る言葉は、時々唐突だ。
脈絡がないとも言える。
だけど―…
「さっき、顔しかめてたから。そう思った。…何かあった?」
さっきとは夕飯時のあの時のことだろうか?
あの時は、こっちをじっくり見ている暇はないと思ったのに…彼の相変わらずの観察眼に心の中で舌を巻く。
どうやら、我らがリーダーの鋭さは今も健在のようだ。
そんな彼に返事の代わりに一つ息を吐いて、あたしは軽く目を閉じた。
「あのね、泉君。人魚姫に出てくる人の中で一番悪いのって誰だと思う?」
「…誰?」
「うん。」
人魚の声を奪った海の魔女?
人魚と人間の恋を認めなかった父王?
助けてもらっておきながら何も気が付かなかった王子?
何もしていないのに王子を取っていった王女?
…きっと、どれも違う。本当に―…本当に悪かったのは―…
「…人魚姫自身。」
花菖蒲の青い香りが心地よく鼻をくすぐっていった。
言葉は、なんだか気の抜ける声として返ってきた。
「…俺、思うんだけどさ。自分を受け入れられないってそんなに悪いことか?」
灰色の瞳は相変わらず揺るがない。
虚空でかち合う視線。
彼のこの目が大好きで、でも少し苦手だった。
「俺、ずっと思ってたんだ。無理に受け入れなくてもいいんじゃないかって。
そりゃあ、受け入れられるのならばそれに越したことはない。でも、無理に認めてどうする?結局、嘘を吐いてるだけだ。
…それに、誰でも仮面なんて被ってる。服と一緒だ。素っ裸じゃ生きてけないだろ?大切なのは―…」
何のために仮面を被るのか。
「千枝も花村も他の皆だって仮面を被ってた。
でも、それは自分を傷つけないためっていうのもあるだろうけど、周りを傷つけないためでもあったろ?
…仮に千枝があの時、影が言っていたことと同じ事を天城に面と向かって言っていたら?天城は幸せだったと思うか?
腹の内じゃ何考えてるか分からない?分かるほうが怖いだろ?そんなの。」
ああ…どうしてこの人は…
「…ずるい。」
どうして、いつも、あたしが一番欲しい言葉をくれるんだろう。
「…それに、俺だって被ってる。」
「…えっ?」
音が止まった。
ううん。自分の心臓の音だけがやけに煩くって耳に付く。
一瞬だけ、重なるあたしと彼の影。
いつの間にか彼の顔はすぐ傍にあって…
暖かくて、くすぐったくて…
自分とは違う彼の優しい匂いに酔いそうになって…目を閉じる。
「…ほら、そろそろ部屋に戻るぞ。」
「…う、うん。」
実はすぐ後ろで花村とクマが覗いていた事とか…
何故か次の日、二人がボロボロになっていた事とか…
少し赤くなった彼の顔に不覚にも見とれていたあたしが知ったのは、全部あとになってから。
Fin