ファ・ディール編(聖剣LOM)
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「……女ッ!!貴様、いったい何をッ!!」
もう、頑張るの止めよう。なぜかそんな言葉が頭をよぎった。
《Tales of Mana》
「ししょー、この間から何の本読んでるんだ?」
「んー……ちょっとね。調べもの」
寒さの底の底をようやく過ぎて、でもやっぱり春の足音はまだまだ先だなと感じる……そんな昼下がり。まあ、暖房をがんがんと惜し気もなく使っているおかげで今日も今日とて室内は暖かいんだけれど。暖房費がかさむというのはかなりの難点だけが、寒さと飢えに震えるのだけは嫌だから、それには黙って目を瞑るしかないだろう。
そんな暖かな室内で、少々行儀は悪いけれど机に足を盛大に投げたし、食い入るように読み耽っていた本から目を離せば……何時の間に書斎にやってきたのか、同居人兼弟子の少年が首を傾げながら興味深気にこちらを見つめている姿が目に入った。
食い入るようにしてあたしが本を読み耽っているわけ…それは―……あんな事……と、言うのも言葉は悪いかもしれないけれど、どうも最近自分の周りがきな臭い気がしてならなかったため。……だった。
そして、それは珠魅族にも深く関わっているような……そんな気がして。
「“妖精と人間”?……どうしてこんな本を?」
「この前、ドミナに行商に来ていた商人から買い取ったのよ。……さっきも言ったでしょ?少し調べ物してるって」
……生憎、一番期待していた珠魅に関する文献がなかったのは少々……いや、かなり期待外れも甚だしいんだけどさ!贅沢も言っていられないというやつである。
あー……でも、あの商人の顔おもしろかったなー。腹いせに値切りに値切ってやったんだっけ。理不尽?いいえ。値切りはバザーの基本よ。基本。
「……ふーん。でも、なんで妖精なんだ?」
「……少し気になることがあって、ね。ねえ、バド?バドは妖精がどれぐらいまで生きるか知ってる?」
「うぇ……!?妖精が?」
バドからすればあまりに突拍子もない質問だったのだろう。いきなり話を振られた本人は、頭の中にある知識の引き出しから記憶を引き出そうと考え耽っているようだった。うーん……という可愛らしい呻き声のオマケ付きで。
「……たしか、俺達の時間感覚で言うと一万年は楽に―……」
「……そうね。一万は軽く行くでしょうね。もっとも人間でそれを直に確かめられた人はいないだろうけど。この本によると現在の妖精の女王は二万歳をゆうに越えているみたい」
前もどこかで言ったかもしれないけれど、そもそもあたし達人間と妖精は“完全に”異なる種族だ。
妖精達が住むと言われている妖精界とあたし達が暮らす人間界。同じファ・ディールに存在しているということには変わりがないのだけれど、二つの世界の次元は互いに少しだけズレているのだと……そう信じられている。そして、二つの世界では時の流れ方も異なっているのだとか……ここら辺は確かめる手段もないからかなりの眉唾物ではあるけど。
「……って、ししょー?さっきの質問の答えになってなくないか?それ」
「……言わなきゃダメ?」
「ダメ」
例えるならばもはや音速。即座に返ってきたバドの言葉に心の中でため息を吐きながら、あたしは今まで読んでいた本を閉じて……すでにうず高く積まれた山の最上段へと本を積み上げた。
どうにもこうにも……きな臭い事だからあまり言いたくはないんだけど……と、こっちがいくら思ったって、このバドの目はあたしから答えを聞きだすまではテコでも動かないと語っているようなものだし。……本当、この二人のこんなところは彼らの両親にそっくりだった。
しっかし、どうしたもんか―……あくまで憶測…いや、もはや憶測ですらなくただの杞憂の可能性が高いし……いっか、言っても。
それにそろそろ話を切り上げて食事の準備をしないと……あたしもバドもコロナも揃ってお腹の虫を鳴らす羽目になりそうだ。
「……サンドラと妖精達……うーん、正確に言えば妖精界ね。何か関係あるのかなって思ったのよ」
「……サンドラってあの?」
壁に掛けられた小さな鳩時計が鳴って十二時を告げる。……ああ、やっぱりもうそんな時間か。
「興味本意ってやつ?ほら、あまりにサンドラって変わってるじゃない?今と昔で。別人って考えるのが一番手っ取り早いんだけど……仮に同一人物でしたって考えた時……じゃあ、どうしてそんなに長く現役で怪盗なんてやってられるんですか?って思うじゃない?」
人間の寿命なんてせいぜいどう頑張ったって百年程度。……まあ、バドやコロナみたいな森人はまた話は違ってくるんだろうけど、その話は置いておくとして、だ。
仮に同一人物だと考えた場合、サンドラは妖精界に入り浸っていたと―……そう考えることは出来ないだろうか?
どうやって?までは知らない。少なくとも、今まで読んだどの文献にもそんな記述は載っていなかったから。だけど、人物の中に流れる時間を変えるなんて方法……妖精界に行くかはたまた光速で動く物体に乗るか―……それぐらいしか思いつかなかった。まあ、後者はあくまで数式上は可能というだけだし、実行しようにも光速で動く物体は質量が無限大になるから動かすこと自体が不可能なわけだけど。
「……なあ、ししょー」
「……ん?どうしたの珍しく真剣な顔して。今朝飲んだ牛乳でお腹でも壊したの?」
「……ポルポタでの事、気にしてるのか?」
「……そう、かもね」
バチッ……と部屋を暖める役目を終え、炭へと姿を変えた薪がまた一つはぜる。ああ……薪を足さなきゃ。……なんてどこかずれた事を考えながら、気が付けば私の口は自然と動き、言葉を紡いでいた。
「さあ!もうお昼の時間よ!さっさとシチュー食べちゃおっか!」
「……ししょー、それって昨日の夕飯の残りもんじゃ―……」
「そんな事言ったって勿体ないじゃない」
深ーく、深ーくため息を吐く弟子を尻目にあたしはリビングへと繋がるドアへと手を掛けた。……シチューは煮込んだほうがおいしいのよ。うん。断じて手抜きなんかじゃありませんとも。ええ。
++++++++++++++++++++
「さっきっから同じところをグルグルグルグルッ!!だぁああああああッ!!ここどこよ!!」
「……落ち着いて、マナ。頭に血が上ると、せっかく覚えた道も忘れちゃうわ」
「……んな事言ってもダナエッ!文句の一つや二つこぼしたくも―……うわッ!!」
ぎゃあ、ぎゃあとドミナで聞こえてくるものよりもだいぶ低く、そして大きな鳥の鳴き声が頭上から降ってくる。背の高い木々に光を遮られ昼でも薄暗いジャングルの奥地。ぬかるんだ腐葉土に足を取られながら少々の恨みを込めて天を仰げば、まるで嘲笑うかのように一羽の極楽鳥が悠々と枝から飛び立つ姿が見えた。
なんで、こんなに泥だらけになってタダでジャングルに潜らなきゃ―……これもどれも!あのギョウ虫検査薬野郎のせいだ!!
事の起こりは何時ものごとく数時間前。あたしの家に一羽の森ペンギンとド派手な―……まるでギョウ虫検査薬のような名前を持った鳥人の男が訪ねてきた事から始まった。
ギョウ虫検査薬―……またの名をポキールって言うのだけれど―……この際、いいや、ギョウ虫検査薬で。
厄介で迷惑極まりない話だが、このド派手な格好をしたギョウ虫検査薬は昔っから度々あたしの家へとフラリとやって来ると意味の分からない事をぬかして帰っていくのが常なのだ。……ここしばらく来ないと思ってればこれだよ。
いや、別に事前に来るって言ってもらえば嫌がりませんよ?たぶん。きちんと玄関から入ってくるんだったら文句は言いませんよ?たぶん。
……想像してみてほしい。リビングへと通じる扉を開けた瞬間、まるであたかも自分の家であるかのようにソファーに体を深く埋め、優雅に紅茶を啜っている不振人物がいるという光景を。
「……そんな事言ったって、マナ?君、僕が来ると分かったら玄関に鍵を掛けるだろう?君ぐらいなもんだよ?賢人を蹴っ飛ばして追い出す人間は。まあ、だから君らしいのだし、僕も退屈しないんだけどね」
にゃろう。本当に蹴っ飛ばしてやろうか?
そんなあたしの考えを知ってか……知らずか。世界を導くと言われる偉大な偉大な七賢人の男は、ただ静かに笑うのだった。
「でっ?愚かーで矮小な人間に賢人様が一体何の用なわけ?」
紅茶の匂いが鼻腔をわずかにくすぐる。
白く暖かな暖かな湯気が誘惑するかのように芳香を撒き散らしていくけれど、ここで飲んだら負けのような気がするので意地でも飲んでなんかやらない。
「せっかく君達のために淹れたというのに君は飲まないのかい?バドとコロナ……だっけ?彼らを見てごらんよ。それにほら、このしるきーだって美味しそうに飲んでいるじゃないか?冷めたらせっかくの美味しい紅茶も台無しだよ?」
「あははははははっ!ポキールの入れる紅茶おいしいですよー!」
「ししょー!本当においしいぜ!これ!」
「マナさん!飲まなきゃそれこそ勿体ないですよ!」
味方はいないのか。ここには。
……うっ……。たしかにすごくおいし―……いやいやいやッ!!
「……んな事より!!ポキール!本当に一体何の用かって聞いてるの!それとも何?一人の人間をわざわざからかいに来るほど賢人って暇人なわけ?」
一瞬、頭をよぎった考えを払うように二・三度横に振って、今度は少々言葉強めに話を戻せば―……相も変わらずににこにこと笑っている奴の姿。……昔からそうだけど、この男の考えは全く読めなかった。
詩人のポキール。
ポキールは由来すら全く分からない賢人で、同じくマナの七賢人の一人であるガイアに等しい知識量を持っていると言われている語り部だった。もっともこいつの場合、詩にして言うもんだから、それが真実を語っていたとしても大体が意味不明な言葉の羅列にしか聞こえないんだけど……
ええ……そりゃあもう。一歩間違えれば思春期特有の病気にかかってんじゃねーのかってくらいポキールの言葉は意味が分からないのだ。
かつて起きた妖精と人間の戦争。
他の賢人たちと同様、ポキールも英雄としてたいそう活躍したそうなんだけれど―……正直、今のこいつを見ていると昔の人全員がグルになった盛大な嘘なんじゃないかと思えてくるから不思議なもんである。
「……そんなに毛嫌いしないでくれよ、マナ。いつも言っているだろう?僕の役目は“共に歩む”事。君達と……君と一緒に歩む事が僕の役割なんだ。導く事じゃなくて、ね」
「……だ・か・らッ!!それがいい迷惑だっていっつもいっつも言ってるだろうがッ!!」
「まあまあ。ああ、そうそう。さっきの質問の答えだけれど……今日、君に用事があったのは僕じゃなくてロシオッティの方さ。なあ、しるきー?」
あたしの怒鳴り声を何時ものようにサラリと受け流すと、ギョウ虫検査薬は自分の隣に腰掛けている―……しるきーと呼んだペンギンへと視線を動かした。
「あははははははっ!はじめまして、わたしはしるきー、こんにちは!ジャングルで七賢人であるロシオッティ様にお仕えしている森ペンギンの一人です!……ロシオッティ様は知ってらっしゃいますね?」
「……ロシオッティねぇ……」
同姓同名がいるかどうかは知らないけれど、この世界でロシオッティと言えば一般的にあの七賢人の一人を指すものだろう。それに以前、大量の小屋ダケをジャングルから持って帰ってきたあの時、ロシオッティが居を構える座にはしるきーと同じような森ペンギンがいたはずだ。……第一、このギョウ虫検査薬まで出てきたとなると―……しるきーの言うロシオッティ様とは賢人と考えて間違いないだろう。
返事をする代わりに首を短く縦に振れば、途端に響く甲高い笑い声。ポキールのように意味が分からない奴を相手にする時もそうだけれど、しるきーのようなタイプも真面目に相手をしていると思わず頭を抱えたくなってくる。……もちろん、後者は物理的な事が原因なわけだけど。
「あははははははっ!それなら話は早いわ!実は、ジャングルの奥の奥は妖精の森って言って妖精の国に一番近い場所なの」
「……妖精?でも、妖精の住んでいる世界ってここと違うんじゃ―……」
「正確に言うと違うんじゃなくてズレているのさ。二つの世界は一緒だよ。傍観者から見れば、ね。ただ、互いの視点が違うだけ」
……また、始まったよ。意味のまったーく分からない賢人様の崇高なお言葉は全部無視するとして、だ。
考えるために一度落とした視線を戻し再びしるきーを見つめれば、しるきーは待っていましたとばかりに素早く口を開く。
「そう!妖精の森!でも近ごろ、妖精達がヘンなの。なんかヘンな動きを感じるの。それを調べてほしいの。……はい、調べてきます。じゃあ、お願いします。あははははははっ!」
「……はあ!?ちょ……ちょっと誰がやるだなんて―……!!」
「いやー…さっすがマナ!話が早いね。僕も少し気になっていたから君がそう言ってくれて助かったよ。……そう言う事で、バドとコロナ、だったね?君達のお師匠さんを少し借りて行くよ?」
「……まっ!?ふざけ―……!!」
バシッ!っと、破裂音に似た乾いた大きな音が鼓膜を強く揺さ振る。思わず耳を塞いで反射的に目を瞑り―……そしてあたしが再び目を開ければそこは―……
「あははははははっ!ただいまー!ジャングル!おかえりー、しるきー!あははははははっ!」
一体、何だっていうのよッ!!
思わず口を突いて出た悲痛な叫び声は、しるきーの馬鹿笑いにより完封なきまでに相殺され……響く事すらなく、ただ虚しく消えていくのだった。
「……ししょー消えちゃった。ポキールの仕業か?」
「……たぶん」
「……そう言えば、ししょー……昼飯どうするんだろう?」
「……そう。そんな事があったの」
……あなたも災難ね。と、言外にそんな意味がこもっているような、まるで同情するかのように引きつった笑みを浮かべてダナエは言葉を紡いだ。
「……はあ。もう嫌……まあ、引き受けたつもりはないけど……やる事はやるつもり。……そういうダナエは?何時もならガトの寺院の警備でしょ?今日は休み?」
「……うーん。本当は休みというわけじゃないんだけれど……少し気になることがあって。……だから今日は無理を言って休みを貰ったの。それでジャングルに来てみれば……そうしたらマナ、あなたに会うんですもの。私、びっくりしたわ」
「……あたしのせいじゃない。全部ぜーんぶ!あのギョウ虫検査薬のせいッ!!」
「……フフッ。そうね。でも、何だか嬉しいわ、私」
そこまで言うとクスクスと……、あたしの目の前の猫の獣人は口元を押さえて優雅に……そしてわずかに笑い声をこぼす。動きに合わせるようにチリン……と一つ、彼女の首に掛けられた大玉の鈴は涼しげな音をかすかに奏でた。
「……本当はね、マナ。私、不安で不安でたまらなかったの。……来ない方が、知らない方がいいのかもしれないって……一人だと余計に不安で、分からなくなって。そんな時にマナ、あなたが来たのよ。そうしたら、少し楽になって―……マナ、あなたは妖精について調べているのよね?」
「……う?うん。一応そうなってるけど……」
「……なら、行きましょう。目的は違うかもしれないけれど……それにほら。この森の中をこれ以上迷うのは懲り懲りだもの」
たしかに。すでにグルグルと二人して迷い続けているけれど―……一刻も早く用事を済ませてしまいたいのはあたしも同じだった。
「……っし!分かった!んじゃ、ちゃっちゃか行きますか!」
いつの間にか顔に張り付いていた乾いた泥を乱暴に手で拭って……あたし達は再び森の更に奥へと向かって足を進めるのだった。
++++++++++++++++++++
「……チッ。まさか、こんな事になるなんて……」
あれからどの位経ったのだろう?随分と長い間歩いたような気もするけど実際はそう長い時間は経っていないかもしれない。
時間を確かめる術はないし……何よりこのぬかるんだ足場に何時も以上に体力を奪われるせいか、疲れからおおよその目安を立てることもできない。
あたしは一人……おそらくしるきーが妖精の森と呼んだ森の入り口付近にたたずんでいた。さっきまでのジャングルと全く同じ植生の木々が立ち並ぶ森だけれど……漂っているマナが違う。だから、容易にそうだと分かった。それに―……
「しっかし……あんの、根性悪妖精めッ!!会うなりアレはないだろうがッ!!」
一人悪態を吐いたところでどうしようもない事は百も承知だけど……吐かずにはいられなかった。何故って?妖精の魔法のせいでダナエとはぐれたからでーす。……本当になんなんだよ!この森はッ!!
相変わらずぬかるむ地面に内心盛大に舌打ちをしながらずるずるとあたしは歩を進める。迷った時はその場から動かないっていうのがセオリーだけど……この場所ではそんな悠長な事を言っていられなかった。
噂としては知っていたけど……さっきの出来事であたしは一つの確信を持ったから。
妖精は人間を憎んでいる。ここはあたし達が立ち入っていい場所じゃない。
姿こそ上手に隠しているが……まるで皮膚を貫くように浴びせられる無数の殺気達がそれを裏付けていた。ここは危険だとどこからともなく警鐘が響く。……それは無意識から来る本能的なものだった。
ダナエの事ももちろん気掛かりだけれど……このままここにとどまっていれば自分の身すら危うい。
この森の暑さのせいか……それとも別の何かか……ヒヤリとした冷たい汗が一筋、背を伝って落ちていった。
「……早く、早くダナエと合流しなくちゃ―……」
「キャアアアアアアアアッ!!!」
バサバサッ、と木陰に隠れていた多くの鳥達が声を合図として一斉に飛び立つ!つんざくように響いた、平時のジャングルであれば酷く場違いな叫び声は若い女性のものだった。
「……ダナエッ!?」
心臓がうるさく騒ぐ。一瞬よぎった不吉な考えを振り切るようにあたしはぬかるむ地面を全力で蹴った。
奥に……先に進むたびに強くなる殺気達。……でも!早くッ!もっと早く行かなくちゃッ!!……もう、妖精の殺気云々なんて気にしていられなかった。
「……違う。こいつは精霊力を持っていない……こんなクズはいらん!!我らの女王となる者はもっと強い力を持つはずだ。司祭を連れてこい!」
「……司祭は100000歳を過ぎたような年寄りだ。ソイツでいいのか?」
「……いや、黒竜王アーウィン様の話では、その女は26歳のハズ……」
声の聞こえた方向に、ただがむしゃらに走れば、最初は微かだった何者かの話し声がどんどん大きく、鮮明となり―……方向は間違っていなかった。この先に何かいるッ!そしてそれは……!
「……ッ!?」
「……黒竜王様の間違いではないのか?来る日の女王となる方だ。26歳のハズがない。前の女王は28732歳だったではないか」
「新しい女王は妖精ではない。人間はせいぜい500年くらいしか生きん」
反射的に、木陰へと自分の身を潜らせれば聞こえてきたのは複数の声。あたしの視界の先、少し開けたその場所にはいつかのキルマ湖で見たものとほとんど変わらない姿の……妖精達がふわふわと浮かび上がり、そして、更にその先には気を失ったように倒れこんでいる一人の女性の姿があった。それは、その人は―……ダナエじゃ……ない!!
……それが分かって不謹慎だけれど少し安心してしまった自分に少しだけ嫌悪感を抱きながら、再び息を殺して視線を向ける。幸いにも倒れている女の人は気を失っているだけのようだし―……それは、彼女の胸が静かに上下に動いていることからも容易に分かる。死んだものはけして動かない。
……だけど、この妖精達何かがおかしい。話を聞くかぎり何かを探しているみたいだけれど―……
本当はさっさと女の人を連れてここから一刻も早く立ち去りたかった。ここはあたし達の領域じゃないから。だから、騒ぎとなるような事はなるべく避けたいというのも本音だった。
それこそ一人殺したことを引き金に何が起こるか分からない。小さな火種が大きな災いをもたらすなんて事、古今東西、あらゆる歴史書が物語っているありきたりの展開だった。
あくまであたしの勝手な推測でしかないけれど……おそらくしばらくは彼女は無事だろう。
現にパラパラと……彼女を取り囲むようにして浮かんでいた妖精達は一人……また一人と森の奥へと消えていく。興味をなくしたといわんばかりに。
いざとなったら無理矢理でも助けるつもりだけど……少なくとも今の様子を見るかぎり妖精がいなくなった後に彼女を回収するのが無難だろう。……そう考えた……まさにその時だった。
「お前達ッ!!何をしているッ!!」
ヒュッ……!と何かが短く風を切る音が耳を掠める!
「……なッ!?」
それは鍛え上げられた鋼の大剣が下段から上段へと高速で振り上げられた圧力により生み出された音だった。刄の冷たく輝いた切っ先は正確に妖精の体を捕え袈裟型に切り裂き―……ハラハラと、一枚、透き通った羽が空に舞い……そして、それは重力に導かれるようにして真っ黒な腐葉土の泥へと沈み、消えた。……さきに沈んでいった絶命した本体の後を追うように。
「……おい。お前で最後だ。そこにいるのは分かっている。いい加減姿を見せたらどうだ」
低い……男の声。
今まで聞いたこともないような冷たい声が男の背中ごしに発せられて……まるで貫くようにあたしの隠れている場所へと向かってくる。
……バレてたのか。……そういや、一瞬声出しちゃったんだっけ。自分でしでかしたことだけど、詰めの甘さが嫌になるね。ホント。……さて、どうするべきか。
「……来ないのか?ならば、叩き斬るまで……!」
殺気を存分に含ませて、男はそう吠えた。……選択肢なし、か。
「……わかった。わかった。今出ますよ、と。だから、その物騒なものしまってくれないかな?」
「……なっ!?お……お前、人間かッ!?しかも、女?何故、人間の女が妖精の森なんかに……!!」
信じられないものを見たと言わんばかりに、男はその鋭い瞳孔を僅かばかり見開く。でも、それはすぐに元の厳しいものへと戻り、そして射ぬくような男の視線があたしへと注がれた。
男の長い銀の髪が木々の間から吹く温い風によってわずかに揺らぐ。整った顔をしているが……眉間には深々と皺が刻まれ……言葉に出さなくとも、あたしの存在を歓迎していないということが手に取るように伝わってきた。
……ここまではいいのだ。ここまでは。いや、自分に対して敵意をバッシバシと向けてくる相手に対していいも何もないのかもしれないけど……!……ええい!いいのよ!!いいの!ここまでだったら。
「……人間がこの森に一体何の用があるッ!!答えろッ!女ッ!!」
「き……ッ!!」
無意識のうちにあたしは行動を起こしていた。……いや、起こさざるえなかった……!!
「キャアアアアアアッ!!来るなッ!来んなッ!こんの猥褻物!!!」
「……なっ!?……ぶッ!!」
思いっきり振りかぶってゼロ距離から投げ付けたそれは見事男の顔面へと当たり、ズルズル……力なく落ちていく。何の考えもなしにとっさに拾い投げたものは、熟れ過ぎて木から落ちたと思われる腐りかけたロケットパパイヤの実で。顔面にぶち当たって砕けたことにより、鼻を突くような腐敗臭が男から立ち上り、思わず自分の鼻を手で押さえずにはいられなかった。
……今、巷では男子にだって様々なファッションが溢れている。それは、あたしだって知っている。……だが、ちょっと待ってほしい。そして、ぜひ考えてみてほしい。今、あたしの目の前にいるのは―……!
銀の長髪。
目付きは悪いが顔は整っている。
そして、自慢げに出された腹筋は六つに割れ、体は均整がとれてたいそう男らしい。
んでもって……
ぴちぴちス パ ッ ツ 。
……何を言っているか分からないかもしれない。
現にあたしは何が起こっているのか理解できていないし、したくもない。したら負けかなってぐらいに思ってる。
だが、目の前にいる男は確かにスパッツを着用しているのだ。しかもピチピチした。夢?……いいや、これは現実だった。……ハーフタイツか、これ?って、そんな事じゃなくてェエエエ!!
「……女ッ!貴様一体何をッ―……!」
語気の怒りを更に強め、男はあたしににじり寄る。……そして、必然的に近づくスパッツ。
もう、頑張るのやめよう。
何故かそんな言葉が頭をよぎった。
「……痛いッ!!……腕触んなッ!近づくなッ!こんの変態ッ!!猥褻物陳列罪でお上に突き出してやるッ!!」
「……貴様ッ!!さっきから黙って聞いていればッ!!」
「……あの」
ふと……聞こえた声にあたしも……そして、目の前の変態も一時的に動きが止まった。
何時の間に気が付いたのだろう?その声は妖精に囲まれ気を失っていた修道女のものだった。
何かを伺うような小さな声だったけれど……それで十分!彼女のおかげで変態の気が一瞬逸れたのだ。そして、あたしを拘束していた力も僅かばかり弱まり……ッ!!
「はなせっつーのッ!!!」
ここぞとばかりに……マナの力を込めて放たれたあたしの左拳は寸分狂わずに男の鳩尾へとめり込んでいった。……正当防衛よ。正当防衛。
「……でっ?大丈夫、あなた?怪我はない?」
「……は、はあ。私は大丈夫ですが……あの……失礼ですがそちらの方は―……」
「……知らない。こんな猥褻物、あたしは知らない」
ブツブツと、まるで呪咀のようにあたしがそう繰り返せば―……言葉の代わりに修道女はひどく引きつった乾いた笑みをもらす。否定をしないあたり彼女もそう思ったのだろう。これを猥褻物と言わない女の人がいるのならば是非ともそのご尊顔を拝みたいところだから、当然と言えば当然の反応だった。
「……でも、どうしてあなたはここに?あなたってガトの修道女でしょう?」
「……実は、私もよく分からないんです。何時ものように瞑想しようと寺院の祈りの間に入ったのは覚えているんですが……気が付いたら森の中で―……」
「……そして、妖精に囲まれていた、と」
「……ええ。彼らは私と誰かを間違えたようですわ」
……誰か、か。
きっと、それはガトの司祭のことだろう。さっき聞いた妖精達の話を思い出せば確信を持つには十分だった。
妖精の話?……そうだ。
「……ねえ?“アーウィン”って名前、何か知らない?」
「……アーウィンですか?すみません。私、寺院に入ってからまだ日が浅いのものですから―……」
「……ううん。責めてるわけじゃないんだけど……さっきの妖精達が気になることを言ってたもんだから。黒竜王アーウィンがどうたらこうたら、って」
「……黒竜王……そうだ!そうです!思い出しました!妖精ではなく……彼らと一緒にいた……あれは悪魔だったと思うんですが―……」
アーウィン様は我らの王だ。
10年程前より、妖精界で傷を癒されていた。
彼は悪魔の血を引き、妖精でもなく、人間でもなく、そして絶対の力を持っておられる。
彼こそは両界を統べる王になるだろう。
「……そう、妖精は言っていたのかしら?」
「……今回の異変には妖精だけじゃなく悪魔も絡んでるみたい。……彼女の話だとね」
あたしは、朽ちた遺跡の最奥の―……ロシオッティの座と呼ばれる賢人の居住地へとやって来ていた。修道女と別れて、そして依頼主の元へと。今回起こった事をありのままに伝えるために。
ここまで話を聞くと、しるきーは考え込むように顔を伏せ深く息を吐いた。もう前のような甲高い笑い声は聞こえてこない。代わりに聞こえてきたのは落胆の色が濃く滲んだため息だけだった。
「……妖精の中には、人間に反感を持つ者もたくさんいるの。……分かってはいたけれど……悪魔まで出てくるなんて……ところで、マナさん?そこに倒れている男の人は?」
「ああ、この猥褻物?……別に捨てといても良かったんだけど……」
チラッと、目線だけを動かせば今だに気を失っているのか、微動だにしないスパッツ男の背中が目に映る。本当に捨てといても良かったんだけど……さすがに妖精の森に放置して、万が一何かがあったら目覚めが悪いったらない。だから、連れてきたんだけど……まったく、重い思いをしてわざわざ担いでやってきたんだから感謝の一言でも言ってもらいたいもんだ。まあ、この猥褻物が倒れる原因を作ったのはあたしなんだけどね。
「……さて、と。用も済んだ事だしそろそろ帰るわ。……ところで!本当にダナエはジャングルの入り口にいるんでしょうね?」
「……ええ。妖精に飛ばされた者はみんなそこに行くわ。……でも、不思議ね。どうしてあなたは大丈夫だったのかしら?」
「さあ?妖精にでも聞いてみて。んじゃ、またね。……そっちで寝腐っている賢人にもそう言っておいて」
「あははははっ!!まあ、なるようになるわよね!じゃあね、マナ!!」
++++++++++++++++++++
「……という事があったわけ。って、サボテン、あたしの話聞いてる?」
森人の姉弟が寝静まった頃。大きな木の下の小さな家。その二階にあたしの声が響く。
「妖精の森は楽し?」
そんな、あたしの話を聞いたサボテンは一言、そう呟いた。
《サボテンくんにっき》
ようせいさんのもりにいったらしい。
なんだか、やっかいなことが
はじまりそうな、やなかんじ。
いやん。