Scabiosa

*8月
 雨上がりの駅のホーム熱風が吹き込んだ。
プラットホームを電車が速度を緩め通り過ぎて行く。泣いている彼女を見た。

ー彼女好きな人がいるー
そのことには俺は少し前から気づいていた。

「どうした?」
 俺は俯いたままの彼女の横に座った。

 話を聞けば彼氏とうまくいかないと。好きな人じゃなくて彼氏か…と落ち込む俺。
 入道雲が余すことなく空に広がり、夏らしさでいっぱいの中、自分たちの周りだけが重苦しい。
 上手くいかない気持ちなら、痛いほどわかるのに、小さく肩を落とす彼女に何も言えず仕舞い。
 代わりにみんなで行くことになっている夏祭りに彼女を誘ってみた。

「夏祭り?」
「恒例の祭りなんだけど、今年は海にウッドデッキが出来たらしい。それが海岸に沿ってじゃなくて、海岸に向かって伸びてるみたいなんだよ」
「橋の先端まで行くと海上にいるみたー「遊泳禁止だよ、はじめに言っておく」
 食い気味にいう彼女。こんな状況でも切れ味は変わらない。最高!
「飛び込まねーよ」
「そこに海があったらやりかねないでしょ?」
「深さねーからやんないよ」
「...飛び込み慣れたひとの言い方だね」

「決定な!じゃあ5時!」
 強引に話を進める。いつだって祭りは胸が騒ぐな。


 葵色に淡く染まった夏の空。あと少しで陽が落ちる。遠くからパトカーの音が風に乗って聞こえる。どこかの不良が追われているのだろう。これも毎年恒例の風景だ。
(注.不良は意外と祭り好きで、祭りには欠かさず姿を現すものなのだ)

「独特のセンスだね」
 会って第一声がこれ。
「なにが?」
 春服、秋服が同じでそれを指摘されたことはある、が、今は夏だ。Tシャツにハーフパンツ、サンダル。間違ってはないだろ?服なんて恥部さえ隠れたら何でも良くない?そもそも誰にも迷惑かけてないんだし。

「藤真くんて制服かユニフォームがいちばん良いよね」
 彼女、知らないうちに矛先を俺に向けてないか?今日ちょっと当たりが強い気がする。

「しかもバッグ…何でそれ?」
 元気のなかった彼女から笑みが漏れた。彼女の持つアラログのカゴバッグだって、蓋が不安定で人混みには不相応。何より持ちにくそうだ。
「それもそれで持ちにくそうじゃん?」
「いいの、オシャレ!藤真くんには分からないだろうけどー」
 笑みを浮かべていう。笑った。さっきまで泣いていた彼女が、ただ笑っただけでいつもの倍は嬉しい。
 
「あっちだって」
 桟橋の先にはDJブースが設けられ、開放的な音楽が流れている。その音に釣られるように足取りも軽くなっていく。ブースに人が押し寄せていく様子を見ながら、急かすように俺は彼女の手を引いた。走り出して、スピードを上げてもそれなりに着いて来れる彼女が好き。

「明るいうちに写真撮ろうぜ」
 誰かがそう呼びかける。
「そうだな、濡れる前に撮っておく?」
「濡れる前??」
「何でもねー」
「やっぱり飛び込む気満々じゃん」
 彼女の疑いの目、ハーフパンツが水陸両用なことはきっと見透かされている。黒い缶のレモンスカッシュを彼女に渡して誤魔化す。
 さらに疑いの目を深める彼女。
「振ってねーよ」
「ほんとに〜?この缶昔からあるよね」
 彼女が缶のタブを開けると、炭酸が少しだけ溢れた。その溢れた炭酸をすくうように、缶に口を近づけレモンスカッシュを飲む。喉元で弾ける清涼感と舌に残る甘みが、この先ずっと記憶に残った。

「はい撮るよ!寄ってー、藤真のとこー」
「ああ」

 俺は彼女の肩に手をかけ引き寄せた。口角が上がった横顔をみて安心する。彼女はカメラに向かい目を細めた。
「無理にでも笑った方がいいよ…今は辛いかもしれないけど」
 耳元で言う。経験上、俺が今唯一できるアドバイスだった。

 帰り際。
「誰かバッグ置きっ放しだったけど」
「誰かな?藤真か?」
 その問いに真っ先に彼女が答える。
「違う違う、藤真くんもっと趣味悪いから、ノースフェイスとか持たないよ」
 趣味悪いからって、もう少し優しく言えない?
「あ、そっか」
 一同揃って納得する様子を見て、風を生むように彼女はふっと笑った。
 小さく揺れるライトと少し控えめな彼女の笑顔。もっと彼女が弾けるような笑顔で笑える日が来るといい。
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