Scabiosa

*9月*
今年最後のプールの授業。

「あ、藤真くんも見学?」
 あいにく彼女も見学だ。どうやら水着姿は拝めない。無念だ。
 彼女はプールサイドに腰掛けた。足を水につければ、水面に輝く白いまだらな縞模様が揺れた。暑いのはもう散々と思ったているくせに、まだ夏の風景がこうして残っていると嬉しくなる。
 俺も制服のズボンをたくし上げ、彼女の隣に座る。足で銀色の水しぶきを起こせば、顔にかかる水滴が熱を奪って乾いていく。単純に楽しくて、このまま季節が進まなくても構わないとすら思ってしまう。

「うん。ここの傷まだ完治してなくて」
「え?どこ?」
 彼女が覗き込んでくる。正面から彼女の顔を見るのは見慣れない。

「ここだよ」
 彼女の手を取り傷跡に導いた。彼女を驚かせたくて、俺は少しだけ強引に手を引いた。

「本当だ。大丈夫?」
 俺の髪に指を絡め、親指でなぞるように優しく傷口に触れた。そして息がかかりそうな距離まで近づく彼女。パーソナルスペースバグってない?無意識でそれ?
 バランスを崩す。彼女はおそらく傷口をみるのに近づいたに過ぎないのだ。トレーニング不足!フィジカルではなくメンタルの。押し倒されるように、彼女もろともプールに落ちた。景色が暗転し、水しぶきが高く上がる。

「ごめん私が近づいたばかりに。傷大丈夫?」「大丈夫だよ」
「良かった!やっぱり気持ちいいね。プール」
 キラキラとした笑みを浮かべる彼女。つられて俺も笑みが溢れる。
 丸いおでこや薄い耳たぶがあらわになり、水滴がプラチナのアクセサリーのように耳元で輝いた。見えない部分も綺麗なんだなと彼女を見つめていると、目を離すのが惜しくなる。少しだけ左右非対称な二重幅とか、上唇の先が上向きに上がっている様子とか。どれも彼女の魅力になっている。
「藤真くん?何見てんの?」
 先程とは打って変わって、ご立腹の彼女。一瞥するような目でこちらを見ている。まるでゴミでもみているかのようだ。
「いや、何も…」
 気づいた時には遅かった。服が透けた彼女を図らずも凝視していたのだ。シャーベットカラーの下着が脳裏に焼き付いて離れない。見たつもりはないのだが…(←?)

「ジャージ貸してやるから」
 彼女を引き上げ、金網にかけてある大判なタオルを拝借し、彼女にかけてやる。体を十分に覆えるサイズ。ナイスサイズだIKEA。誰のか分かんねぇけど、まあいい。照れを隠すように、彼女の髪を雑に拭いて、タオルごと腕を掴み部室まで手を引いて連れていった。

「これ」
 とジャージを手渡す。俺のジャージでもおう大きいらしく、大きめなジャージを羽織る彼女は、より小さく華奢に見え、守ってやりたいと思わせるには充分だった。可愛すぎる。
 夏の終わりに遠くに聞こえる蝉の声が心地良い。ふたり肩を並べてうとうとしていると、夢を見ているような気分になる。うとうとと先にし始めたのは彼女の方。彼女が寄りかかってもいいようにと、俺は位置を変え座り直した。
 窓から見上げる空の景色、雲は一秒一秒その姿を変えていく。風が部室の中の湿気を払い去るように通り抜けた。眠りに落ちるまであと少し…。


「藤真ー」
 台無しだな…おい。俺を呼ぶ高野の声。心なしか怒りを帯びている。
「俺のタオル、お前持って行っただろ。さみーよ」
 あのタオル高野のか。唇を不気味に変色させた高野が鬼の形相で現れた。俺は一瞬にして現実に引き戻されたのだった。
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