とうらぶ
変換無し
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桜の花びらが弾け、はらりと舞い散る中現れた京極正宗をひと目見た瞬間。
その光景を昨日のことのように思い出せるし、その時のことは生涯忘れることはないだろう。そう断言出来てしまうくらいの衝撃で。
一目惚れだなんて綺麗な言葉で形容するには申し訳ない程、酷く浅ましい欲を抱いた日だった。
うちの本丸は基本的に、来たばかりの刀はまず手練れの者と組み、隊長を担いながら危険性の低い合戦場へ赴いてもらうことになっている。
そして、練度がそれなりに達してから暫くの間近侍を任せる。その間に刀のことを知り、本丸のことを知ってもらいながら適材適所を見定めて、向いていそうな内番や遠征へも時々入ってもらいつつ徐々に馴染んでもらうのだ。
そのため序盤は戦闘に入ってもらう事が圧倒的に増えるわけなのだが、京極正宗は短刀なので夜戦へと多く出向く事となる。そうなると、主に昼間活動している私は当然本丸内にて姿を見掛ける機会も減るわけで。彼のことを考える回数は日に日に少なくなっていった。
毎日やりたいこともやらなければいけないことも沢山ある。きっと、それに救われていた。
しかしながら欲というものは、一度でも抱いてしまえばそれを完全に消し去ることは難しい。
近侍となる日をまだかまだかと待ち望んでいる自分もいれば、その日が来なければいいのにと願う自分もいた。矛盾しているけれど、どちらも紛れもない正直な私の気持ちだった。
考えるだけで自己嫌悪してしまうようなこの薄汚い欲望も、いつか時間が忘れさせてくれるのだろうか。
*
一ヶ月が経ち、とうとうその日はやってきた。
彼と出会ってからというものの、今日という日がくるまで中々眠りにつくことが出来ない日が続いていた。ようやく寝れたかと思えば夜中に何度も目が覚めてしまう始末。
こんなどうしようもない私情で業務に支障をきたすなんて、流石にありえない。不眠の理由は分かりきっていたからすぐに医者へとかかり、上手く寝付けないとだけ話して軽い薬を貰い、どうにか眠りにつけるようにした。薬に頼らないと眠れないなんて事は今まで一度もなかったから、今の私は本当にどうかしていると思う。
この一ヶ月を軽く振り返りながら、彼の部屋へと足を進める。
これからは毎朝執務室へ来てもらう事になるのだが、初日だけは刀の部屋にお邪魔して自己紹介を兼ねた会話をしてから近侍としての任を始める手筈となっている。
私が普段居る執務室から目的地までの距離はそこまでない筈なのに、果てしない道のりのようにも思えて不思議だ。
足を止める。心臓が、うるさい。
すう、鼻からたっぷりと息を吸い込んで。口からゆっくりと吐き出した。
障子を隔てた廊下から名を呼び、挨拶をする。やがて障子はゆっくりと開いた。
「あるじさま」
勝手にはやまる心臓の音を無視して、なるべく冷静であるよう努めながら頭を下げる。
よろしくお願いします。今まで何度も発したはずの言葉なのに、乾いた口内からは、かさついたぎこちない音がでていった。
今まで目の前の刀をもとに様々な想像を働かせていたことを思うとどうにも気まずくて、顔を上げた後もしっかりと目が合わせられなかった。
「ふふ、こちらこそ。とりあえずお座りになって」
横にずれてくれたのを見て一礼をして、促されるままに一歩踏み出す。そして私が室内へ入るのを確認してから障子を閉めてくれた。ありがとうございます、とお礼を伝えてから改めて部屋を見渡す。
彼は普段、同じ刀派である二振りと同じ部屋で過ごしている。同じく短刀でありながら極となり、現在同じ部隊で活躍してくれている日向正宗と、すれ違った時や食事の時間が被った際に彼らの話を聞かせてくれている石田正宗。彼らはしっかりとしているから、忙しいだろうに、部屋も綺麗に整頓されている。
この三振りでの生活の様子を思い浮かべて微笑ましく思う一方で、ふと違和感に気付く。
ものがあまりない部屋のまんなかにぽつんと置いてある座布団は、どう見てもひとつで。これは私のために用意してくれたのだろうか。でも、主だからといって部屋の主である彼を差し置いて一つしかない座布団へ座ってしまうのはどうだろう。元からそこへ座る気なんてなかったくせに、下手くそに迷ってみせてから、直に畳へと腰を下ろした。それを眺めきった彼は何も言わずに座布団を踏みしめ、私と向き合うようにして正座をした。
「いいこね」
緩く細められた双眸が私を捉える。
いいこ。
今私は『いいこ』と言われた?
殆ど夜戦であった彼との会話なんて、顕現した時と、厨房でたまたまあった時と、歓迎会でほんの数分話した程度。まだそれくらいの関係なのに。そもそも私はこの刀の主なのに。まるで幼子に対するような言葉を受けて、薄暗いよろこびがおなかの底から湧き上がる。
あるじさま。ふと凛とした響きに呼ばれて、跳ねるように顔を上げる。
「わたくしに、何か言いたいことがあるのではなくて?」
ほんのわずか、首を傾けた姿は愛らしさの中にも少しの艶やかさが混じっていて、思わず唾を飲み込む。口の中は、卑しくもいつの間にか潤っていたようだ。
何も言うことが出来ず沈黙が続けば、ふふ、と軽やかな笑い声が聞こえる。
彼は唐突に足を崩し、右足の太ももに手を伸ばした。絶対領域に目がいってしまいあまりにも目に毒だ。いや薬だ。なんて、唖然としながらもあれこれと余計なことがたくさん浮かぶ。そして、私が制止をかける間もなく靴を脱ぎさってしまった。
露わとなったまっしろな生足が視線を誘うも、直視しすぎるのもどうかと思い、不自然なくらい横へと逸らす。どう声をかけるべきなのかと考えあぐねていれば、目前へと足が差し伸べられた。
これはいったいどういう意図なのだろうか、と疑問に感じはしたが、なんとなく言わんとすることは理解出来る。いや、理解したというよりかは、ただ欲に従ったという方が正しい。
おそるおそる、伸ばされた足の側面をやさしく両手で包み、添える。そして口元を寄せ、爪先へと口付けた。
これで、いいのだろうか。ふと気になって窺うように視線だけを上げると、目が合う。どうやら思ったよりもだいぶ涼やかな視線で見下げられていた、らしい。その表情には特に何の色もなく、普段よりも下がった睫毛が肌へと影を落としていて。その美しさから目が離せないまま唇を開いて親指を咥えた瞬間、冷たく瞳が細まる。冷えた眼差しを向けられた私の身体は相反して、熱くなっていく。各部屋はそれぞれ適温になるよう調節されているはずなのに、ずっと身体があつくてたまらない。
唇に触れたままであった爪先がそっと離れて、それからまた近付いて。足の甲が私の片頬にひたりと触れる。
「……まあ、あつい」
淡々と呟かれた言葉は小さな棘が如く胸へと刺さり、そこから毒が侵食していくかのようにじわりと胸を蝕んだ。
「まるで、うまれたばかりの薔薇のような色ね」
薔薇って、成長によって色の濃淡が変わるんだっけ。あまり花に詳しくない私は急な例えにきょとんとする。そして少し冷静さを取り戻したことによって、痴態と呼んでもおかしくないような事をしていることが急激に恥ずかしくなってくる。
冷えた頭が勝手に思考を始めた。
きっと、京極正宗に対して抱いている欲を見透かされている。たぶん、いや、間違いなくばれているのだ。でないと、こんなことをさせられるわけがない。
この刀は、自分がどう見られているか全て分かったうえで私にこんなことをさせているのだ。
そう思うと、お腹の底のあつさが増していく。
もぞりと膝を擦り合わせると畳のささくれがすねを刺激して、ちいさな痛みが走る。ごめんなさい、とか細い声で伝えれば細く長いため息が頭上から聞こえた。
「勝手に謝罪をして興奮を得ているの?」
美しい唇が薄く、蔑むように弧を描く。
「だめなひと」
もっと、と伸ばしかけてしまった手のひらをたしなめるように、足の先でかるく払われる。すぐにごめんなさいと小さく呟けば、続けて熱いため息が勝手に漏れ出てしまって、さらに謝罪を告げる。
欲というものは尽きる事がないのだろうなと、どこか他人事のように思った。
24/08/03
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