大団円では終われない
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#三年、秋
「〇〇、手紙だ」
私はげえっと顔を歪める。思わず出てしまった表情に、山田先生は眉を顰めた。
「お前、そりゃあないだろう。親御さんからのありがたいお手紙だ。」
「先生、中身を見られたのですか?」
「いいや。だが大体書いてあることはわかるさ。私も人の親だからな。」
はぁ、と内心ため息をついて手紙を受け取る。山田先生のような、忍者の子供に生まれたなら、どんなに良かっただろう。
部屋に戻り薄目で開くと、恐れていたことは書かれておらず、そろそろ作物の収穫の時期だから村に戻りなさいとのことだった。私はそれが気休めだったとしてもほっと胸を撫で下ろす。どうせ両親が私に言いたいことは山ほどあるのだ。だが、私がこれからもこの生活を続けるためには対峙しなければならない。再度部屋を出て、山本シナ先生に外出届を頂きに向かった。
「〇〇先輩、実家に帰られるんですか?」
伊作が目を丸くした。先輩方と医務室で軟膏を練っているときだった。
「うん、明後日くらいに出る予定だよ」
手早く混ぜていく。のんびり混ぜていると薬が水分を含んでびちゃびちゃになる。長持ちしないのだ。
「な、なんで急に?」
伊作は目を丸くした。すると、奏呵先輩が大きく口を開けてガハハと笑った。
「伊作、別に〇〇は学校を辞めるわけじゃない。里帰りだよ、ただの」
「え!伊作、寂しがってくれたの?!」
にわかに気色立つ。伊作はパチクリ目を瞬かせた。
「いや、その、びっくりして、」
「違うよ〜!うちの親は農家をやっててね。収穫祭があるから手伝いに帰るんだ。丁度秋休みでしょう?」
「お祭り?」
私はうん、とニコニコ返す。
「神様に今年も豊作をありがとうございます、って感謝するお祭り。うちのとこが今年幹事だから忙しいみたいで……」
「へえ!面白そうじゃないか!」
振り向くと、先輩方が目を輝かせていた。
「でも全く大したことないですよ、小さな村だし」
「私たちが行くのはやめた方がいいのかな?」
「蝶子保健委員長まで!…大したものではないですが、それでもよければ…」
じゃあ行こう、と先輩方が笑う。伊作もなんだかワクワクしていた。そんなにすごいものじゃないのにな、と恐縮してしまう。そして、私の村は閉鎖空間だから、きっと親にも近所の人にも何かと言われるのだろう、そうげんなりした。
ぞろぞろと、先輩方と後輩、総員6名で連れ立って歩く。ちょっとした遠足のようだ。
「〇〇先輩、宜しかったのですか?」
ひょっこり顔を出すのは、二年ろ組、七松小平太だ。こんなときに限って保健体育委員会の名の通り、皆が勢揃いしていた。ちなみに体育委員会も今年新入生はおらず七松小平太が最下級生だ。
「いいよ、でもがっかりしないでね、全く大したことないんだから。」
「いえ、私は里帰りすると外に出たりはしないので。とても楽しみです!」
にかっと太陽のように笑う。伊作とはまた違う可愛らしさを覚えて思わず笑顔が溢れた。
伊作はと言うと、灰先輩に肩車されている。灰先輩はいつも体育の方ばかりやっているから伊作のことが珍しいのだろう。伊作も伊作できゃらきゃら笑って楽しそうだった。
しばらく山を歩いて、川で休む。昼ごはんを食べるとあともう少しだ。
なぜか瓜坊と猪が出てきて迂回を余儀なくされたり、山賊が出て先輩方がひいこら退治されるなど多数の不運トラブルはあったが、やっと郷里が見えてきた。それなのに、思わず足を止めそうになる。小平太が笑って見上げてくるのを見て、張り詰めた笑顔で足を交互に前に置いた。
「ただいま戻りました」
家の戸の前で声を上げると、中から母がひょっこり顔を出した。
「あら、お客さんがいっぱい」
「こちら、私の委員会の方たちだよ。お祭りを見にきてくださったの。」
「まあまあ!それならそうと手紙をくれたら良かったのに。ぜひ上がってくださいね。狭いところですけど…そうね、明日からが祭り本番だから雑魚寝でもいいかしら?」
「ちょっと母さん!変なところで大雑把なんだから!」
おほほ、冗談よ、とひらひら手を出して母は引っ込んでいった。
先輩方は挨拶しそびれた…と呆気に取られている。母は昔から人の話を聞かないから…思わず苦笑してしまった。
「祭りは明日の夕方からなんです。明日昼までが収穫の日。よければ畑を見て行かれますか?」
「いや、少し休ませてくれないか?」
「あっ、ごめんなさい、お母さん!もう入っていい?」
折角だからと委員会のみんなが収穫に協力してくれる。収穫時に沼に嵌ったり、各自どろどろになったもののようやく仕事が終わった。私は一足先に抜けて、家に戻って炊事の手伝いをしていた。外が段々と騒がしくなり、男衆が畑から収穫物を抱えて帰ってきたのがよくわかった。
「〇〇先輩!」
ぱ、と戸をみると、小平太と伊作が戸から顔を出していた。
「これ、僕たちが収穫したお野菜です。何か手伝いましょうか?」
「いいよ、明日はみんなおうちに帰るでしょ?お祭り楽しんでおいで」
はぁい、と二人はニコニコ笑って外に駆けていく。
私も軽く手を振って、彼らから受け取った野菜を抱え直した。
「可愛い子ね」
母が笑う。本当に、と、母に対して久しぶりに素直に声が出た。
「委員会の後輩なの。いつも支えてくれて…」
「保健委員会、ね?さっきの左の子が伊作くん?」
「ううん、右の子」
「おとなしそうな子の方ね、」
母は手を拭いて、奥に置いてあった棚から紙を取った。
「……何?それ」
「何って…あなたの人間関係についての走り書きよ、」
私は顔を顰める。母は私に手紙を出すが、私からの返信がなければひどく機嫌が悪くなる。そのとき誰と、何をしていたか、詳細に聞いてくるのを疑問に思っていたが…全部書き留めているのだろうか。
「どうせ他愛もないことだらけだし、覚えてなくてもいいんだよ」
そう苦笑いすると、母は目を釣り上げた。
「何言ってるの。あなたは将来お嫁に行くんだから、絶対に間違いがあっちゃいけないのよ。そのためにはあなたが誰と仲を深めているか把握しておかなければ。これは母の務めです。あなたもいつかは私のようになるのだから覚えておきなさい。」
ずん、と肩が重くなる。ああ、地雷を踏んでしまった。
「それで、他の子はいつ辞めるの?」
「行儀見習いの子?」
夏に辞める子もいるけど、とは口が裂けても言えない。ややあさっての方を見て、いつだったっけ、それぞれ家の事情があるから…と濁した。母はふうん、と納得してるんだかわからない口調で頷いた。
「じゃあ、この夏休みで辞めてもいいのね?」
「えっ?!なんで、急すぎるよ、手続きもあるんだから」
「だってそろそろあなたに家のことも仕込みたいし…相手のこともあるし…」
「ま、まってまって、相手って、いるの?!」
「何のために行儀見習いに出したと思ってるの。…ただ、この村じゃ男子も少ないからね、まだ進めてはいないわ。あなた、学園に出自のいい方はいらっしゃらないの?先生でもいいわよ?」
げえっ!と思わず喉の奥がうめいた。先輩方も、先生方だって、尊敬している素晴らしい方ばかりだ。だけど、急に恋愛できるか聞かれても、胃が縮こまってしまう。
「い、いないよ、そんなの!考える暇もないし!」
「じゃあやっぱり帰ってきた方がいいわ、あなたお世辞にも器用とは言えないんだから。殿方のためにこの家でどう振る舞うかは私が教えるしかないし…」
ああ!これだから!同室の彼女より何倍もたちが悪い。母が心配性なのはわかるが、だからって私の話を聞かないのはいただけない。こうなったらなあなあに流すしかない。
「か、母さん、早く準備しなきゃお祭りに間に合わないよ、」
へらへら笑うが母は手紙をめくる手を止めない。
「ほら、今いらしてる、保健委員会委員長?の方も。ずーっと学園に残ってたらあんなふうになっちゃうわよ?」
一瞬、何を言っているのかわからなかった。
どす黒い感情が一気に胸と喉を駆け巡って、脳裏が焼けて、頭が空っぽになる。
「、え?」
「お嫁の貰い手がなかったのかしら、かわいそうに…あんなに可愛らしいお顔をしていらっしゃるのにねえ。それとも、ご兄弟で何か…」
「……蝶子保健委員会委員長は、ご自分で選ばれて学園に残ったんだよ、」
「あら!奇特な方ね!そう言えば言葉遣いも何だか粗野で可笑しかったわね…早く嫁に入って殿方に仕えることこそ女の務めなのに…そんな無責任な…」
「…………母さんは、女性は家に入らなければならないと思ってるの?」
何言ってるの!母は怒ったように目を釣り上げた。
「当たり前でしょう!あんな野蛮な学校、お父様が行儀を気にされなかったら行かせたくもなかったわ!そうよ、縁談もそろそろ組まないと…」
パン、と頭の中で何かが弾けた気がした。
体が思うように動かない。なのに、口だけ開く。やめろ、やめなきゃ、おかあさんに、従わないと、
でも、
「……私、くのいちになりたい」
「は?」
「忍術学園を、卒業したい、絶対に途中で退学したくない」
がらり、と、戸の方から音がした。
お父様、と、母が呟いた。
気づくと家の外にいた。外はもう真っ暗で、奥に祭りの松明の火が見える。頬が腫れて、じんじんとくすぶる熱を持っていた。
三角座りで地面を見ていると、かさり、と音がする。気配で大体わかっていた。伊作だ。
恐る恐る近寄る彼に、腫れた頬を見せないよう顔を傾けて、ん?と笑いかけた。
「先輩、お水です、」
「ありがとう」
伊作は優しいね、そう笑うと、伊作はむむむ、と、難しそうな顔をした。眉が顰められる。
「先輩、お母様と喧嘩されたのですか?」
どこまで聞いたのか。つくづく運が悪い、あなたも、私も。
「あはは。…そうだよ、喧嘩しちゃった。お母さんも頭が固いから。私の言うこと全く聞いてくれないの。でもお父さんが言い争ってる時いなくてよかった、」
「どうしてですか?」
「そりゃあ、」
私は、開いた口をそのまま閉じて、不自然じゃないように、努めて、また開いた。
「……お母さんにぞっこんだからさ、私の味方してくれないの。」
「仲がいいんですね、お二人とも」
「そーね、参っちゃうよ」
さくさくさく、と誰かが歩く音がする。自然と二人口を閉じた。だが、ただ通り過ぎるだけで、私たちの前には一瞥もくれなかった。
ぽつん、両親が祭りで駆り出された後、ここには二人だけだ。ぼんやりと闇に私たちの輪郭も溶け込んだような気分になって、少し身震いして、細く息を吐いた。
伊作、小平太とお祭り回らなくていいの?
囁くように呟いたら、伊作は、はい、もう疲れちゃったので、と静かな声で返してきた。
何が楽しかった?そう聞くと、ええと、と考え込む。思わず笑いそうになる。伊作がここに現れたのは祭りが本格化する直前だ。準備中のところも多かったろうに。
本当に優しい子だ。伊作が、私を見ずにまっすぐ前を見つめているのを盗み見て、少し心が和らいだ。
「伊作、やっぱり今から行っておいで?」
明るい声を出すと、伊作は、私をびっくりしたように見上げて、それから迷ったように目を落として、首をふるふる振った。
「……行きたくないの?楽しみにしてくれてたのに」
「ち、違います、でも、先輩がいないのに、楽しむのは、違うなって思うから」
胸が締め付けられる。純粋に、嬉しかった。不安定にぼやけていた私の輪郭が、何だかはっきりしてくる。
「……伊作、少しだけお願いしてもいい?」
最悪だ。ぽろっと声が溢れてしまった。はっと口を抑えるけど、伊作は、はい、何でしょう?と優しく声をかけてくれる。
「……」
「先輩?」
顔を覗き込む彼から、必死に腫れた頬を隠して、私は口を開いた。
「……もし、よかったら、少しだけ手を握ってもいいかな」
「……」
引かれた。ごめん気持ち悪い先輩で。内心さめざめないていると、伊作がすっと立ち上がった。目の前が完全に闇になる。粗い布の感触。
「先輩、いたいのいたいの、飛んでいけ。」
ぼろ、と、びっくりして大粒の涙が溢れてしまった。
震える手を宙に浮かせると、私の頭を抱えて抱きしめていた彼の手が、私の腕を掴んで、彼の体に沿わせる。
「先輩が、元気になりますように。早くかさぶたができますように。」
「…うう、ゔゔーっ、」
ふーっ、ふーっ、と、息を止めて、泣き声を抑える。伊作はくすくすと笑った。それから、私の頭を撫でる。
それから、静かな声が耳元で響いた。
「先輩、学校、辞めるんですか?」
か細く、不安そうな声だった。
「……置いていかれるのは、怖いです」
私は酸欠の疲れた頭で、ぼんやりと、納得していた。
前保健委員会委員長、陽太郎先輩。伊作が、大好きだった人。
二年の時の私のように、伊作も卒業された先輩を慕っていた。
「私、伊作を置いていかないよ」
ふと、私をおぶった先輩の、優しい声が響いた気がした。涙で濡れたまなじりの暖かさまで、にわかに蘇る。
そうか、伊作は、ずっとずっと寂しかったのか、
だから、学校を辞めたかったのか。
私は、彼の服の裾を掴んだ。
「…学校を、辞めたくないよ…」
よかった、と伊作が笑った。
それから、先輩方と小平太が戻ってきて、私は頬の腫れをこけてできたことにして、皆を寝床に案内した。
皆、朝早くに出られるらしい。寝床を示した後、私は母と父の布団のそばで、小さくなって眠った。
「〇〇、〇〇」
二度、布団を叩かれる。先輩の声だ。条件反射で目が冴える。
「は、はい!くのたま三年、」
「しぃーっ」
は、と口を押さえる。奏呵先輩だった。
辺りを見渡すと、まっさらで、布団すら見当たらなかった。
「伊作も小平太も、もう送ってきた。よおく寝ていたな、疲れていたんだなぁ」
先輩はいつものようにからからと陽気に笑う。私は、お礼もろくに言えなかった、と少し落ち込んでしまった。
「ああ、ああ、そんなに悲しそうな顔するな。お前のお母上はお父上と共にもう出られたようだ、なぁ、少し出ないか?」
私ははい、と声を出して勢いよく立った。昨夜泣きすぎたせいで、少し立ちくらみがした。
「この村は本当に小さいな」
私と連れ添って歩きつつ、先輩は言った。
「子供も少ない。幼なじみはいないのか?」
「います、けれど…私が一人で村を抜けて学園に行ったから、あまりいいふうに思われてないと思います。」
「あー、難しいなぁ、こればっかりは。街道の途中にあるから人が根付きにくいんだろうしな」
「まあ。でも、その分物と情報だけはよく流れてくるので…」
秋の空は朝でも青く澄んでいる。私が起きるのが遅かったとは言え、いつ頃皆さん出られたのだろう。
「…そう言えば、先輩はご実家に戻られなくていいのですか?」
「大丈夫だ、あいつが先に行ってる」
おそらく保健委員長のことだ、私は肩をすくめた。
「先輩は、委員長と離れてても怖くないんですか?」
「なんだ?藪から棒に」
先輩は私を見下ろして怪訝な顔をした。私は口を抑えて、言ってはいけなかったことだったのか、と青ざめる。その様子に先輩は一瞬目を見開いて、口元を緩めて微笑んだ。
「俺からしたら、お前のほうがすごいと思うよ」
「え?な、なぜですか?」
「くのたまの行く末を知らないわけではないだろう?お前は、学園に残りたいんだよな?」
「は、はい……」
「俺は卒業後城のために命を捧げることは覚悟して生きてきた。それこそ、入学する前からだ。だが、あいつは、お蝶は、違った。」
「保健委員長、ですか」
「……あいつは、本当は三年の時に退学する予定だった。それが俺に付き合ってここまできてしまった。俺のため、なんて言うつまらない見栄のせいで」
私は胸が痛くなるのを感じた。ぐ、と拳が自然と固くなる。
「そんなこと、蝶子保健委員長だって覚悟されて…」
「そう思うか?忍者になるってことは尊厳も幸せもかなぐり捨てて影になるってことだぞ、それに男も女も関係無い。…俺は、あいつには別の道で幸せになって欲しかった。」
私だって、先輩方には幸せになってほしい。そう思うけど、今それを言うのはあまりにも軽薄だと理解していた。
「…〇〇。もし、お前がくノ一になりたいなら。このまま学園に帰れ。村から出られなくなる前に。」
先輩は何を言っているのか、私は呆気に取られて足を止めてしまった。先輩が背中をポンと叩く。
「お前の頬、わからないとでも思うか。お前のお父上も、お前がくノ一になることを許していないんだろう?」
「……はい。多分、言ってしまったら、家から出してもらえなくなると思います。」
「そうか。いやぁ、その点うちの学園は優秀だ。どんな出自の人間だろうと、生徒でいるうちは、忍びのたまごとして守ってもらえる。」
その言葉に、胸の重みがとれたように、さっぱりした思いと、少しの後悔が頭を占めた。
このまま学園に"帰る"と言うことは、私の両親から守ってもらえる場所に"逃げる“、と言うことだ。
がさり、草木の中を掻き分け入っていく。
これで良かったかなんて、これ以上何も考えたくなくて、先輩に必死についていく。
「……あ」
目の前に、誰か倒れていた。私が焦って荷物から包帯を取り出そうとすると、奏呵先輩はす、と腕を上げて制した。
「もう、死んでる」
「…!」
先輩は目の前にしゃがんで、手を合わせた。私も慌ててそれに倣う。近くで恐れつつ見ると、虫がふらふら飛んでいた。
…私が村を見捨てれば、私の心は助かるかもしれない。だが、両親はどうだろう。私を信じて送り出した両親が、私を頼りにしていた二人が、いつか、私に裏切られた時。その、末路。
「私、両親を嫌いなわけではないんです」
骸から目を離せないまま、ぼろっと言葉が溢れる。釈明するには遅すぎた言葉だった。
唐突な言葉だったが、先輩は少し笑ってくれた。
「…〇〇。あいつは、お蝶は、新野先生からも医療班としてお声がけされていてな。学園に残るすべもあったんだ。」
「え、」
私は先輩を振り返って思わず叫んだ。
「凄いじゃないですか!」
「だが、あいつは…俺のそばにいるってさ。」
私は、開いた口をそのままに奏呵先輩を凝視した。
「何を執着しているんだろうな」
先輩が無表情にごちる。
そのまま、私の顔を斜めに見下ろした。顔に影がかかっていた。
「……忍者は情報を取捨選択しなければならない。知りたくもない真実を知って、その真価を見極めなければならない。わかるか?」
私は、急に変わった話に驚きつつ、頷いた。その様子に先輩が形だけ、にこりと笑う。
「……あいつから聞いたようだから言うけどな。入学する道で、俺たちは山賊に襲われた。なぁ、それが、仕組まれた物だったらどうする?」
私は、きょとんと目を瞬かせた。
「あいつは死ななかった。だから、危険な忍務に連れ出した。」
段々と脳が理解してくる。手の先が冷たくなる。この先輩は、いったい誰だろう。
あの日、私が背負った伊作を抱えてくれた、優しい先輩は、本当にこの人なのか。
「なんで、そんなことを、実の妹なのに、」
先輩は虫が飛び回る骸の前で、呵呵大笑した。
怪物のようだった。
私は口を引き結ぶ。真価というものを、必死に見極めようとしていた。
「〇〇、手紙だ」
私はげえっと顔を歪める。思わず出てしまった表情に、山田先生は眉を顰めた。
「お前、そりゃあないだろう。親御さんからのありがたいお手紙だ。」
「先生、中身を見られたのですか?」
「いいや。だが大体書いてあることはわかるさ。私も人の親だからな。」
はぁ、と内心ため息をついて手紙を受け取る。山田先生のような、忍者の子供に生まれたなら、どんなに良かっただろう。
部屋に戻り薄目で開くと、恐れていたことは書かれておらず、そろそろ作物の収穫の時期だから村に戻りなさいとのことだった。私はそれが気休めだったとしてもほっと胸を撫で下ろす。どうせ両親が私に言いたいことは山ほどあるのだ。だが、私がこれからもこの生活を続けるためには対峙しなければならない。再度部屋を出て、山本シナ先生に外出届を頂きに向かった。
「〇〇先輩、実家に帰られるんですか?」
伊作が目を丸くした。先輩方と医務室で軟膏を練っているときだった。
「うん、明後日くらいに出る予定だよ」
手早く混ぜていく。のんびり混ぜていると薬が水分を含んでびちゃびちゃになる。長持ちしないのだ。
「な、なんで急に?」
伊作は目を丸くした。すると、奏呵先輩が大きく口を開けてガハハと笑った。
「伊作、別に〇〇は学校を辞めるわけじゃない。里帰りだよ、ただの」
「え!伊作、寂しがってくれたの?!」
にわかに気色立つ。伊作はパチクリ目を瞬かせた。
「いや、その、びっくりして、」
「違うよ〜!うちの親は農家をやっててね。収穫祭があるから手伝いに帰るんだ。丁度秋休みでしょう?」
「お祭り?」
私はうん、とニコニコ返す。
「神様に今年も豊作をありがとうございます、って感謝するお祭り。うちのとこが今年幹事だから忙しいみたいで……」
「へえ!面白そうじゃないか!」
振り向くと、先輩方が目を輝かせていた。
「でも全く大したことないですよ、小さな村だし」
「私たちが行くのはやめた方がいいのかな?」
「蝶子保健委員長まで!…大したものではないですが、それでもよければ…」
じゃあ行こう、と先輩方が笑う。伊作もなんだかワクワクしていた。そんなにすごいものじゃないのにな、と恐縮してしまう。そして、私の村は閉鎖空間だから、きっと親にも近所の人にも何かと言われるのだろう、そうげんなりした。
ぞろぞろと、先輩方と後輩、総員6名で連れ立って歩く。ちょっとした遠足のようだ。
「〇〇先輩、宜しかったのですか?」
ひょっこり顔を出すのは、二年ろ組、七松小平太だ。こんなときに限って保健体育委員会の名の通り、皆が勢揃いしていた。ちなみに体育委員会も今年新入生はおらず七松小平太が最下級生だ。
「いいよ、でもがっかりしないでね、全く大したことないんだから。」
「いえ、私は里帰りすると外に出たりはしないので。とても楽しみです!」
にかっと太陽のように笑う。伊作とはまた違う可愛らしさを覚えて思わず笑顔が溢れた。
伊作はと言うと、灰先輩に肩車されている。灰先輩はいつも体育の方ばかりやっているから伊作のことが珍しいのだろう。伊作も伊作できゃらきゃら笑って楽しそうだった。
しばらく山を歩いて、川で休む。昼ごはんを食べるとあともう少しだ。
なぜか瓜坊と猪が出てきて迂回を余儀なくされたり、山賊が出て先輩方がひいこら退治されるなど多数の不運トラブルはあったが、やっと郷里が見えてきた。それなのに、思わず足を止めそうになる。小平太が笑って見上げてくるのを見て、張り詰めた笑顔で足を交互に前に置いた。
「ただいま戻りました」
家の戸の前で声を上げると、中から母がひょっこり顔を出した。
「あら、お客さんがいっぱい」
「こちら、私の委員会の方たちだよ。お祭りを見にきてくださったの。」
「まあまあ!それならそうと手紙をくれたら良かったのに。ぜひ上がってくださいね。狭いところですけど…そうね、明日からが祭り本番だから雑魚寝でもいいかしら?」
「ちょっと母さん!変なところで大雑把なんだから!」
おほほ、冗談よ、とひらひら手を出して母は引っ込んでいった。
先輩方は挨拶しそびれた…と呆気に取られている。母は昔から人の話を聞かないから…思わず苦笑してしまった。
「祭りは明日の夕方からなんです。明日昼までが収穫の日。よければ畑を見て行かれますか?」
「いや、少し休ませてくれないか?」
「あっ、ごめんなさい、お母さん!もう入っていい?」
折角だからと委員会のみんなが収穫に協力してくれる。収穫時に沼に嵌ったり、各自どろどろになったもののようやく仕事が終わった。私は一足先に抜けて、家に戻って炊事の手伝いをしていた。外が段々と騒がしくなり、男衆が畑から収穫物を抱えて帰ってきたのがよくわかった。
「〇〇先輩!」
ぱ、と戸をみると、小平太と伊作が戸から顔を出していた。
「これ、僕たちが収穫したお野菜です。何か手伝いましょうか?」
「いいよ、明日はみんなおうちに帰るでしょ?お祭り楽しんでおいで」
はぁい、と二人はニコニコ笑って外に駆けていく。
私も軽く手を振って、彼らから受け取った野菜を抱え直した。
「可愛い子ね」
母が笑う。本当に、と、母に対して久しぶりに素直に声が出た。
「委員会の後輩なの。いつも支えてくれて…」
「保健委員会、ね?さっきの左の子が伊作くん?」
「ううん、右の子」
「おとなしそうな子の方ね、」
母は手を拭いて、奥に置いてあった棚から紙を取った。
「……何?それ」
「何って…あなたの人間関係についての走り書きよ、」
私は顔を顰める。母は私に手紙を出すが、私からの返信がなければひどく機嫌が悪くなる。そのとき誰と、何をしていたか、詳細に聞いてくるのを疑問に思っていたが…全部書き留めているのだろうか。
「どうせ他愛もないことだらけだし、覚えてなくてもいいんだよ」
そう苦笑いすると、母は目を釣り上げた。
「何言ってるの。あなたは将来お嫁に行くんだから、絶対に間違いがあっちゃいけないのよ。そのためにはあなたが誰と仲を深めているか把握しておかなければ。これは母の務めです。あなたもいつかは私のようになるのだから覚えておきなさい。」
ずん、と肩が重くなる。ああ、地雷を踏んでしまった。
「それで、他の子はいつ辞めるの?」
「行儀見習いの子?」
夏に辞める子もいるけど、とは口が裂けても言えない。ややあさっての方を見て、いつだったっけ、それぞれ家の事情があるから…と濁した。母はふうん、と納得してるんだかわからない口調で頷いた。
「じゃあ、この夏休みで辞めてもいいのね?」
「えっ?!なんで、急すぎるよ、手続きもあるんだから」
「だってそろそろあなたに家のことも仕込みたいし…相手のこともあるし…」
「ま、まってまって、相手って、いるの?!」
「何のために行儀見習いに出したと思ってるの。…ただ、この村じゃ男子も少ないからね、まだ進めてはいないわ。あなた、学園に出自のいい方はいらっしゃらないの?先生でもいいわよ?」
げえっ!と思わず喉の奥がうめいた。先輩方も、先生方だって、尊敬している素晴らしい方ばかりだ。だけど、急に恋愛できるか聞かれても、胃が縮こまってしまう。
「い、いないよ、そんなの!考える暇もないし!」
「じゃあやっぱり帰ってきた方がいいわ、あなたお世辞にも器用とは言えないんだから。殿方のためにこの家でどう振る舞うかは私が教えるしかないし…」
ああ!これだから!同室の彼女より何倍もたちが悪い。母が心配性なのはわかるが、だからって私の話を聞かないのはいただけない。こうなったらなあなあに流すしかない。
「か、母さん、早く準備しなきゃお祭りに間に合わないよ、」
へらへら笑うが母は手紙をめくる手を止めない。
「ほら、今いらしてる、保健委員会委員長?の方も。ずーっと学園に残ってたらあんなふうになっちゃうわよ?」
一瞬、何を言っているのかわからなかった。
どす黒い感情が一気に胸と喉を駆け巡って、脳裏が焼けて、頭が空っぽになる。
「、え?」
「お嫁の貰い手がなかったのかしら、かわいそうに…あんなに可愛らしいお顔をしていらっしゃるのにねえ。それとも、ご兄弟で何か…」
「……蝶子保健委員会委員長は、ご自分で選ばれて学園に残ったんだよ、」
「あら!奇特な方ね!そう言えば言葉遣いも何だか粗野で可笑しかったわね…早く嫁に入って殿方に仕えることこそ女の務めなのに…そんな無責任な…」
「…………母さんは、女性は家に入らなければならないと思ってるの?」
何言ってるの!母は怒ったように目を釣り上げた。
「当たり前でしょう!あんな野蛮な学校、お父様が行儀を気にされなかったら行かせたくもなかったわ!そうよ、縁談もそろそろ組まないと…」
パン、と頭の中で何かが弾けた気がした。
体が思うように動かない。なのに、口だけ開く。やめろ、やめなきゃ、おかあさんに、従わないと、
でも、
「……私、くのいちになりたい」
「は?」
「忍術学園を、卒業したい、絶対に途中で退学したくない」
がらり、と、戸の方から音がした。
お父様、と、母が呟いた。
気づくと家の外にいた。外はもう真っ暗で、奥に祭りの松明の火が見える。頬が腫れて、じんじんとくすぶる熱を持っていた。
三角座りで地面を見ていると、かさり、と音がする。気配で大体わかっていた。伊作だ。
恐る恐る近寄る彼に、腫れた頬を見せないよう顔を傾けて、ん?と笑いかけた。
「先輩、お水です、」
「ありがとう」
伊作は優しいね、そう笑うと、伊作はむむむ、と、難しそうな顔をした。眉が顰められる。
「先輩、お母様と喧嘩されたのですか?」
どこまで聞いたのか。つくづく運が悪い、あなたも、私も。
「あはは。…そうだよ、喧嘩しちゃった。お母さんも頭が固いから。私の言うこと全く聞いてくれないの。でもお父さんが言い争ってる時いなくてよかった、」
「どうしてですか?」
「そりゃあ、」
私は、開いた口をそのまま閉じて、不自然じゃないように、努めて、また開いた。
「……お母さんにぞっこんだからさ、私の味方してくれないの。」
「仲がいいんですね、お二人とも」
「そーね、参っちゃうよ」
さくさくさく、と誰かが歩く音がする。自然と二人口を閉じた。だが、ただ通り過ぎるだけで、私たちの前には一瞥もくれなかった。
ぽつん、両親が祭りで駆り出された後、ここには二人だけだ。ぼんやりと闇に私たちの輪郭も溶け込んだような気分になって、少し身震いして、細く息を吐いた。
伊作、小平太とお祭り回らなくていいの?
囁くように呟いたら、伊作は、はい、もう疲れちゃったので、と静かな声で返してきた。
何が楽しかった?そう聞くと、ええと、と考え込む。思わず笑いそうになる。伊作がここに現れたのは祭りが本格化する直前だ。準備中のところも多かったろうに。
本当に優しい子だ。伊作が、私を見ずにまっすぐ前を見つめているのを盗み見て、少し心が和らいだ。
「伊作、やっぱり今から行っておいで?」
明るい声を出すと、伊作は、私をびっくりしたように見上げて、それから迷ったように目を落として、首をふるふる振った。
「……行きたくないの?楽しみにしてくれてたのに」
「ち、違います、でも、先輩がいないのに、楽しむのは、違うなって思うから」
胸が締め付けられる。純粋に、嬉しかった。不安定にぼやけていた私の輪郭が、何だかはっきりしてくる。
「……伊作、少しだけお願いしてもいい?」
最悪だ。ぽろっと声が溢れてしまった。はっと口を抑えるけど、伊作は、はい、何でしょう?と優しく声をかけてくれる。
「……」
「先輩?」
顔を覗き込む彼から、必死に腫れた頬を隠して、私は口を開いた。
「……もし、よかったら、少しだけ手を握ってもいいかな」
「……」
引かれた。ごめん気持ち悪い先輩で。内心さめざめないていると、伊作がすっと立ち上がった。目の前が完全に闇になる。粗い布の感触。
「先輩、いたいのいたいの、飛んでいけ。」
ぼろ、と、びっくりして大粒の涙が溢れてしまった。
震える手を宙に浮かせると、私の頭を抱えて抱きしめていた彼の手が、私の腕を掴んで、彼の体に沿わせる。
「先輩が、元気になりますように。早くかさぶたができますように。」
「…うう、ゔゔーっ、」
ふーっ、ふーっ、と、息を止めて、泣き声を抑える。伊作はくすくすと笑った。それから、私の頭を撫でる。
それから、静かな声が耳元で響いた。
「先輩、学校、辞めるんですか?」
か細く、不安そうな声だった。
「……置いていかれるのは、怖いです」
私は酸欠の疲れた頭で、ぼんやりと、納得していた。
前保健委員会委員長、陽太郎先輩。伊作が、大好きだった人。
二年の時の私のように、伊作も卒業された先輩を慕っていた。
「私、伊作を置いていかないよ」
ふと、私をおぶった先輩の、優しい声が響いた気がした。涙で濡れたまなじりの暖かさまで、にわかに蘇る。
そうか、伊作は、ずっとずっと寂しかったのか、
だから、学校を辞めたかったのか。
私は、彼の服の裾を掴んだ。
「…学校を、辞めたくないよ…」
よかった、と伊作が笑った。
それから、先輩方と小平太が戻ってきて、私は頬の腫れをこけてできたことにして、皆を寝床に案内した。
皆、朝早くに出られるらしい。寝床を示した後、私は母と父の布団のそばで、小さくなって眠った。
「〇〇、〇〇」
二度、布団を叩かれる。先輩の声だ。条件反射で目が冴える。
「は、はい!くのたま三年、」
「しぃーっ」
は、と口を押さえる。奏呵先輩だった。
辺りを見渡すと、まっさらで、布団すら見当たらなかった。
「伊作も小平太も、もう送ってきた。よおく寝ていたな、疲れていたんだなぁ」
先輩はいつものようにからからと陽気に笑う。私は、お礼もろくに言えなかった、と少し落ち込んでしまった。
「ああ、ああ、そんなに悲しそうな顔するな。お前のお母上はお父上と共にもう出られたようだ、なぁ、少し出ないか?」
私ははい、と声を出して勢いよく立った。昨夜泣きすぎたせいで、少し立ちくらみがした。
「この村は本当に小さいな」
私と連れ添って歩きつつ、先輩は言った。
「子供も少ない。幼なじみはいないのか?」
「います、けれど…私が一人で村を抜けて学園に行ったから、あまりいいふうに思われてないと思います。」
「あー、難しいなぁ、こればっかりは。街道の途中にあるから人が根付きにくいんだろうしな」
「まあ。でも、その分物と情報だけはよく流れてくるので…」
秋の空は朝でも青く澄んでいる。私が起きるのが遅かったとは言え、いつ頃皆さん出られたのだろう。
「…そう言えば、先輩はご実家に戻られなくていいのですか?」
「大丈夫だ、あいつが先に行ってる」
おそらく保健委員長のことだ、私は肩をすくめた。
「先輩は、委員長と離れてても怖くないんですか?」
「なんだ?藪から棒に」
先輩は私を見下ろして怪訝な顔をした。私は口を抑えて、言ってはいけなかったことだったのか、と青ざめる。その様子に先輩は一瞬目を見開いて、口元を緩めて微笑んだ。
「俺からしたら、お前のほうがすごいと思うよ」
「え?な、なぜですか?」
「くのたまの行く末を知らないわけではないだろう?お前は、学園に残りたいんだよな?」
「は、はい……」
「俺は卒業後城のために命を捧げることは覚悟して生きてきた。それこそ、入学する前からだ。だが、あいつは、お蝶は、違った。」
「保健委員長、ですか」
「……あいつは、本当は三年の時に退学する予定だった。それが俺に付き合ってここまできてしまった。俺のため、なんて言うつまらない見栄のせいで」
私は胸が痛くなるのを感じた。ぐ、と拳が自然と固くなる。
「そんなこと、蝶子保健委員長だって覚悟されて…」
「そう思うか?忍者になるってことは尊厳も幸せもかなぐり捨てて影になるってことだぞ、それに男も女も関係無い。…俺は、あいつには別の道で幸せになって欲しかった。」
私だって、先輩方には幸せになってほしい。そう思うけど、今それを言うのはあまりにも軽薄だと理解していた。
「…〇〇。もし、お前がくノ一になりたいなら。このまま学園に帰れ。村から出られなくなる前に。」
先輩は何を言っているのか、私は呆気に取られて足を止めてしまった。先輩が背中をポンと叩く。
「お前の頬、わからないとでも思うか。お前のお父上も、お前がくノ一になることを許していないんだろう?」
「……はい。多分、言ってしまったら、家から出してもらえなくなると思います。」
「そうか。いやぁ、その点うちの学園は優秀だ。どんな出自の人間だろうと、生徒でいるうちは、忍びのたまごとして守ってもらえる。」
その言葉に、胸の重みがとれたように、さっぱりした思いと、少しの後悔が頭を占めた。
このまま学園に"帰る"と言うことは、私の両親から守ってもらえる場所に"逃げる“、と言うことだ。
がさり、草木の中を掻き分け入っていく。
これで良かったかなんて、これ以上何も考えたくなくて、先輩に必死についていく。
「……あ」
目の前に、誰か倒れていた。私が焦って荷物から包帯を取り出そうとすると、奏呵先輩はす、と腕を上げて制した。
「もう、死んでる」
「…!」
先輩は目の前にしゃがんで、手を合わせた。私も慌ててそれに倣う。近くで恐れつつ見ると、虫がふらふら飛んでいた。
…私が村を見捨てれば、私の心は助かるかもしれない。だが、両親はどうだろう。私を信じて送り出した両親が、私を頼りにしていた二人が、いつか、私に裏切られた時。その、末路。
「私、両親を嫌いなわけではないんです」
骸から目を離せないまま、ぼろっと言葉が溢れる。釈明するには遅すぎた言葉だった。
唐突な言葉だったが、先輩は少し笑ってくれた。
「…〇〇。あいつは、お蝶は、新野先生からも医療班としてお声がけされていてな。学園に残るすべもあったんだ。」
「え、」
私は先輩を振り返って思わず叫んだ。
「凄いじゃないですか!」
「だが、あいつは…俺のそばにいるってさ。」
私は、開いた口をそのままに奏呵先輩を凝視した。
「何を執着しているんだろうな」
先輩が無表情にごちる。
そのまま、私の顔を斜めに見下ろした。顔に影がかかっていた。
「……忍者は情報を取捨選択しなければならない。知りたくもない真実を知って、その真価を見極めなければならない。わかるか?」
私は、急に変わった話に驚きつつ、頷いた。その様子に先輩が形だけ、にこりと笑う。
「……あいつから聞いたようだから言うけどな。入学する道で、俺たちは山賊に襲われた。なぁ、それが、仕組まれた物だったらどうする?」
私は、きょとんと目を瞬かせた。
「あいつは死ななかった。だから、危険な忍務に連れ出した。」
段々と脳が理解してくる。手の先が冷たくなる。この先輩は、いったい誰だろう。
あの日、私が背負った伊作を抱えてくれた、優しい先輩は、本当にこの人なのか。
「なんで、そんなことを、実の妹なのに、」
先輩は虫が飛び回る骸の前で、呵呵大笑した。
怪物のようだった。
私は口を引き結ぶ。真価というものを、必死に見極めようとしていた。