大団円では終われない
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#三年、夏
季節が巡り、私は無事進級し、その代わりに六年生の先輩方が御卒業された。今年は残念なことに、当委員会に新入生はいなかった。保健委員会は実はかなりの重労働である。予算委員会では不運で負けるし、やんちゃざかりの生徒たちのために薬草や包帯はどんどん減っていくから休みの日のたびに採取しにいったり、物品を売ったり買ったりする。新入生がいないだけで人手が足りずおおわらわなのだ。あっという間に夏になった。今度こそは沢山薬草が見つかればいい。私はまだ、薬草の見分けがはっきりしない。
木の上でぼーっとしていると肩を叩かれた。
「ねえ!聞いてるの?!」
「うんうん聞いてる聞いてる……」
至近距離から発されたきんきん声にうんざりと振り返る。同室の彼女がふくれていた。そんな顔すら綺麗だ。
「忍たまの先輩であんただったら誰がいいの?」
「私はいいって……」
そう、彼女は絶賛惚れた腫れたの真っ只中なのだ。綺麗だから告白もされるし一丁前に恋もしている。その、やや自慢も混ざった恋の話は最後は全て私に垂れ流されているのだからうんざりもする。ひらひら手を振って私は口を開いた。
「そんなんでいいの?あんた今年で辞めるんでしょ」
む、と彼女にしては痛い所をつかれた顔をしたが、すぐ飄々と笑う。
「いいのよ。家に帰ればどうせ決められた人間と一緒になるんだから。今だけは好きなことしたいの。あんたこそ、今年で辞めないの?」
「……辞めない」
「あんたの親厳しいんでしょ。逃げないで話をなさいよ。」
ベーっと可愛らしく舌を出し、彼女はしなやかに木から降りて行った。私は一人大きなため息をつく。
家に戻りたくない。保健委員会にいて、誰かの役に立ったり、先生の授業を受けて、新しい知識を手に入れる方がよっぽど楽しい。でも、親と決めていたのは、「実家に帰ることを前提に授業料を出してもらう」ということだった。一人娘の私はその頃、家からとにかく出たくて、閉鎖空間のような村以外に私の存在する場所を作りたくて、その提案を藁にも縋るように受け入れたのだ。
三年にもなればちらほらと友人達の将来の話が耳に入る。特にくのたまは顕著だ。女は弱いと、守られなければ生きていけないと、今後のことをうろうろと迷って、気にする。早い子は、今年の夏休みを境に学園を辞める。
私も傷が浅いうちに、いっそ……
「……やっぱり、いやだ」
ひどく悲しい気持ちになった。こんな、追い詰められて選ぶのなんて。本当に自分が惨めで仕方がない。
どうせ短い命だ。私は、私が選んだ道で、人生を送りたかった。
「〇〇先輩!!」
感傷的になっている中、まだ少し高い男の子の声がして、少し驚く。見下ろすと、見慣れない顔だ。
「誰?」
「あなたは〇〇先輩であってますか?!」
「うん」
「……!よくも!俺と勝負だ!!」
そのまま突進して木を揺さぶる。やめなさい、全然びくともしてません。
「まず名乗るのが礼儀だよ。あなたの名前は?」
「二年は組、食満留三郎です!!下りてきてください!俺と勝負してください!!」
「なんで??」
飛び降りて彼の前に立つと、彼は唇を振るわせた。
「だって、だって、伊作が……」
「伊作?!何かあったの?!」
思わず肩を掴むと、顔を真っ赤にして振り払われた。
「伊作が、学園を出てくっていうんだ!!先輩が付きまとうからじゃないんですか?!」
目にパッと閃光が走った。衝撃である。
「伊作、どこ?」
探せども彼の姿はない。どんどん思考が悪い方によっていって、目の前がくらくらする。
医務室に入ると、新保健委員会委員長の蝶子先輩が薬研で薬をすりつぶしていた。
「先輩、伊作を知りませんか?」
「さあ……知らない。どうかしたの?」
「じつは伊作が……」
喉が詰まって、本当のことがどうにも言えない。
怪訝な顔をした先輩に、ぐ、と無理やり口を開いた。
「あの、保健委員会を辞めるって……」
「何?!」
びくりと震えると、衝立の向こうに人影が見えた。新委員長の双子の兄上の、奏呵先輩だ。上半身に包帯が巻かれており、血が滲んでいた。知り合いの男の人の肌を至近距離で見、ぎょっとして目をうろつかせてしまう。
途端、蝶子保健委員会委員長の目が細くなり、まだ寝てて!と鋭い声が上がる。
「わ、わかったよ。でもどうしてだろう?」
「……〇〇、あなたなら、伊作の居場所わかるんじゃない?」
私は目を瞬かせる。すっ、と血が緩やかに戻っていく。なぜか穏やかな気持ちになっていた。
先輩はくすりと笑った。
「だってあんなにひっついてるんだから。面倒をみるって張り切って。」
「そ、それは先輩方も、」
「なんにせよ!今年新入生が零だった我が委員会でこれ以上の欠員を出すわけにはいかん!!頼んだぞ、〇〇!」
私は飛び上がってはい!と返事をして医務室を飛び出した。
「伊作、伊作〜?」
口元に手を当てて、できるだけ遠くまで音が通るように声を出す。校庭脇まで来ていた。まぁ、恐らく、この辺りか。目印が崩れている先を見ると、案の定ぱっかり落とし穴が口を開けていた。
「見つけた!」
覗き込むと、しゅんと足を折り畳んで頭を埋めている伊作がいた。
「伊作、大丈夫?登っておいで!」
縄を垂らすが、彼はぴくりともしない。どこか怪我をしているのか、少し緊張して「待ってて、すぐ先輩呼ぶからね」と声を出すと、初めて彼が顔を上げた。
「いやです」
「わあ、」
思わず声が漏れる。彼は顔をパンパンに腫らして泣いていた。
「こっちに来ないでください…」
ム、として、それから息を吐く。その上で、よし、と気合いを入れた。
「動かないでよ」
「え、わっ!」
身を投げ出して穴に入る。不運にも穴に落とされることは数あれど、自ら落ちるのは初めてだった。
なんとか着地に成功し、安堵する。伊作は何か変なものを見るような目でへたり込んだまま私を見上げていた。
「虎穴に入らずんば虎子を得ず!ね、伊作、先輩には言わないからさ、このまま話そうよ」
「……」
彼は、ひどく困ったように眉を下げて、また俯いた。私は、その無言を肯定とやや強引に捉えて、伊作の隣にしゃがみ込んだ。ひんやり、土の湿った匂いがする。これはお尻が汚れるなあと呟くと、だから言ったのに…と拗ねたような声がした。
「ねえ、私は伊作が大好きだからさ、こうやって近くにいたいけど、たくさん話したいけど、……もし嫌なら止めるよ。伊作がそれで学校やめるくらいなら、委員会でも話しかけないから。」
「……」
「新野先生にこの前調合教えていただいていたでしょう。伊作、すごく楽しそうだった。私は難しくてよくわからないけど、伊作は興味あるんでしょう?……だって、私より薬草見つけるの、上手いじゃない?」
「……」
伊作はずっと黙っていた。焦ったいが、少しわかる。私だって、一年生の頃、六年の先輩に叱られている時は頭が真っ白になってしまって何も言えなかった。私は怒ってはないけど、気にさせてしまったかな。
「……」
伊作をちらっと見下ろす。と、何か違和感がした。ああ、と心が凪いで、冷静に努めようと頭が動くのを感じる。私は自身の頭巾を外した。
「伊作、動かないでね。」
「……え、わあ!」
伊作の足に触る。右足は擦りむいて、左足の先は手で押さえられていた。
「捻った?」
「う、はい……」
「だからか。ごめんね、縄を登ってこいなんか言って。ちょっと痛いかもだけど、我慢してね。」
右足の血は止まっていた。無理に布で抑えて細菌が入ると危ない。処置は左足だけにする。
「他には痛いところはない?」
「……肩が…」
ばっと襟を開く。伊作が外気に触れた肩をすくめた。赤い点と、その周りが円状に腫れている。
「虫に、刺されて」
「ちょっとごめんね、」
見るが針は無い。自然と顔を顰め、道具がないのを悟り、肩に顔を近づける。
「あえ、先輩?」
「ちょっと痛いけど我慢してね」
赤い点に口を寄せて、毒をきつく吸い出す。伊作が体をこわばらせた。口を外してはぺっと吐き出し、何度か繰り返す。冷やすものがないから井戸水を使うにしてもとにかく出るしかない。
伊作はだんだん動かなくなって、ぐったりし始めた。もしかしたら熱が出るのかもしれない。
「伊作、大丈夫だからね、少し体から力抜いててね」
故郷の村で赤ちゃんの面倒を見ていた頃のように、伊作の懐から縄を取り出して伊作を背中に縛る。
「…うっ……」
一歳しか年が変わらないのだ、思った以上に体が重い。冷や汗をかきながら、でも私が、保健委員会のひょっこができることは、彼をなんとか医務室まで連れて行くことだ、歯を食いしばって先ほど垂らしていた縄を握りしめる。誰だこんな深い塹壕にしたの!
手に縄の跡がつく。それどころじゃない、血が滲む。それでも、体を持ち上げて行く。
「ふーっ、ふーっ、」
ようやっと体を地上に上げたとき、ぶちっと嫌な音がした。背中の縄からだ。
「伊作!!」
彼はすでに意識を失っていた。頭が真っ白になる。全てがゆっくりに見えて、泣き出しそうになった時、大きな影がよぎった。伊作がぷらりとぶら下がる。
「間に合ったな」
「奏呵先輩、」
「やっぱり、期待通り見つけてくれたね。よく頑張ったね、〇〇」
「蝶子保健委員会委員長…!」
六年生の先輩方だ。なぜか木の枝や包帯が体のあちこちに引っ掛かっているが、なんてことないように笑っている。その余裕が格好良くて、私はやっぱり未熟で、思わず涙が溢れた。
「あれ、びっくりした?」
「わた、私、伊作を医務室に連れてくことすらできなくて……」
「なーに言ってんだ!いいか?一年から二年になるとな、忍たまの制服は濃い青色になる。一年の時より、かなり探しにくくなる。だから、お前が気づいてくれて本当に助かったんだよ。さ、状況整理!」
慰めはここまでと、きっぱり告げられた声に条件反射で背筋が伸びる。
「はい!患者一名、忍たま二年生善法寺伊作、症状右足擦過傷、左足捻挫、肩口毒虫刺され、現時点で出血は止まっており捻挫は固定済み、肩口は毒の吸い出しまで処置済みです!現在発熱有りかと思われます!」
「よくやったね。私はこれから井戸水を持っていく!〇〇あなたは兄について行って。伊作の処置とあなた自身の手当もするよ。恐らく伊作は今夜中熱が上がるだろうから新野先生に医務室を使う許可をもらっておいて。」
「わかりました!」
「急ぐぞ!」
医務室の甕の中の水で私自身の傷の手当てをして、伊作が処置されているのを尻目に医務室を早々に飛び出す。
新野先生を探して、状況を伝えると、優しいお顔がやや凛々しくなってわかりました、と頷かれた。
「すぐ私も行きましょう」
頭を下げ、そのまま駆け出して、今度は食堂に向かう。伊作の夕飯はお粥にしてもらうようお願いした。
そのまま駆け巡り、今度は忍たま長屋に着く。足踏みしながら誰か通りかかるのを待つ、が、誰も来ない。
「誰か、誰か……」
ああ苛々する!私が忍たまだったらすぐ入れるのに!
その時、ぴんと天啓が降りた。
「け、けまとめさぶろうくん!いませんか?!」
声が上擦りながらも、必死に口を開ける。
「けまくん!いませんか?!」
「〇〇先輩?」
振り向くと、二年ろ組七松小平太だ。ほぼ体育の方で活動しているが、面識はあった。良かった、と胸を撫で下ろす。
「ごめん、伊作が熱を出して今夜は部屋に戻れないの。寝巻きと手拭いを持ってきてもらえない?」
小平太は目をまんまるくして、うん、と音もなく頷いた。
そのまま忍たま長屋を駆け抜けて、勢いよく戸を開ける。そしてどたばた音をさせて、多すぎるくらいの荷物を抱えて飛び出してきた。何故か忍たまの友も挟まっていた。
「これでいいですか?」
「うん、嬉しい。良かった、小平太がいて。助かったよ。」
「いえ。他には何か?」
「今は大丈夫。強いて言うなら、伊作の同室に伝えておいてほしいな。」
「食満留三郎にですか?」
目を丸くする。は組と言っていたからまさかと思ったが、彼が伊作の同室だったのか。
「伊作の同室、けまくんだったんだ。うん、お願いね」
小平太は真剣な顔で頷いた。私は安心して、彼に背を向けて医務室へひた走る。
医務室の近くに来ると、速度を緩めて、静かに廊下を進む。
中から先輩と先生の声がした。
「君も今日はここで……」
「いや、俺は部屋に戻ります。もう痛みも引いていますし、妹も心配しますし、何より…上級生がいたら、伊作が気にして休めないかもしれない。」
入るのが気まずくて、うろうろしてしまう。すると、入りなさい、と声が響いた。
「失礼します……」
奏呵先輩がにっこり笑っている。新野先生はこちらを見ずにテキパキと薬を片付けていた。
「伊作の荷物です。」
「よく入れたな?誰かに手伝ってもらえたのか?」
「はい、七松小平太に……」
「おや、食満留三郎くんはいなかったのですか?」
新野先生とようやく目が合う。私ははい、と頷いた。
「あと、食堂のおばちゃんにお粥をお願いしたのでまた取りに行ってきます。」
「うん、食べられるかはわからないが水分は取るべきだしな、上出来だ。」
偉いな、と温かな声が響いて、私は袴の裾を掴んだ。
「いえ、結局私は先輩方がいらっしゃらなければ何もできませんでしたし……」
「そんなことはない!」
後ろから急に響いた声に体がすくむ。振り返ると普段体育委員会の方で動かれている五年灰水之進先輩だった。
「お前の見立ては正しかったぞ、毒をあらかた抜いたおかげで腫れも続かないだろうし、捻挫の固定もできていた。二年になると慣れが出てきて、だいたいこの時期に体調を崩したり、怪我をするやつが多いんだ。そうならないように体を鍛えはしているがな!」
「こら。声が大きい」
「すみません!」
彼のすぐ後ろには蝶子保健委員会委員長が立っていた。
「水甕を運ぶの手伝ってもらったの。何回も汲みに行くの面倒だったから。新野先生、もう大丈夫です。」
「そうですか。それでは、私はここで失礼しますね。」
先生が部屋を去る。その姿をぼんやり見るが、先生と目が合うことはなかった。
戸が閉まって、しばらく経ってから私は口を開く。
「新野先生、いてもらわなくて良かったのですか?」
「重要な処置は確認していただいたし、大丈夫だ。」
よっ、と奏呵先輩が服を脱ぐ。わあっ、と声を上げると、同時に蝶子保健委員会委員長が兄である奏呵先輩の頭を手刀で叩いた。
「あたっ」
「〇〇、あなたも保健委員なのだから顔見知りだとしてもある程度は慣れて。怪我した時は下半身もみれなきゃいけないんだから。」
すると男の先輩二方が同時に顔を赤くした。
「ま、そうならないように怪我しないでよ。さあ兄さん、見せて。さっき伊作を担いだとき体の軸がぶれていた。筋を違えたね?」
既に蝶子先輩は薬草棚からいくつか取り出している。そのまま受け取れるよう私は薬研を引っ張ってきた。
「〇〇、俺がすり潰すよ」
灰先輩に恐縮しつつ、薬研を渡す。蝶子先輩は薬研の中に薬草を入れて、他の棚からは作っておいた軟膏を取り出し始めた。
手持ち無沙汰でいると、上半身を晒して少し背中を曲げた奏呵先輩が、こっち、と手をひらひらさせた。
「なんでしょう?」
「新野先生の話なんだけどな。あくまで、この学園は自主自立を重んじている。新野先生は、最後の手段でないとダメだ。」
ごくり、と喉を鳴らして、私は頷いた。
「上級生になると過酷な課題もある。傷ついた顔見知りに、冷酷と言えるほど冷静に対応するのが俺たちだ。そして、俺たちは仏様じゃない。助けたいと思っても、どうしようもない時もある。それは、先生も同じだ。だから、だからな、先生に頼ってはいけないよ。先生に頼って、助からなかったとしたら、それは自分の力が足りなかったんだ。」
「奏呵先輩……?」
「だから俺は今日嬉しかったんだ。お前、俺から言われた時状況を全部述べることができたろ?他の忍たま、くのたまであそこまで言えるのは中々いない。お前に期待しているんだ。」
先輩は豪快に笑って、私の頭を優しくポンポンと二回叩いた。
なぜだか、解けるように安心して、また目の前が潤んでぼやけてしまった。
陽が段々と落ちていき、茜色が目に眩しくなって来た。
最後は私と蝶子先輩の二人になって、私は眠る伊作のそばで手を添えていた。
「夕食食べ損ねるよ、もう行きな。」
私がうろうろと黙っているのを見て、先輩はため息をついた。
「泊まることはできないよ」
弾かれたように顔を上げる。先輩は私を見下ろし、目を細めていた。
「付き添いで医務室に泊まることは禁じられている。ここにいていいのは病者と委員長だけ。あなたにできることはもうない。」
「…あの、伊作のご飯は……」
なんとか絞り出した声に合わせて、先輩はそのまま、伊作を見下ろした。
「まだ目覚めないとは思うけど、夜中に起きた時がね…。貰っておいで、そこまでだよ。あなたも休まないと倒れてしまう。」
「はい!」
頭を下げて、医務室を出る、と、どんと誰かにぶつかった。
「わっ、」
「……」
見下ろすと、見覚えのあるきつい眦にギザギザの髪の毛。
「けまくん?」
「……はい」
彼は悔しそうに唇を噛んでから私に向き直った。
「俺のせいです、伊作がこんなことになったの。……俺が、辞めるなって伊作を問い詰めたから……」
「……伊作のために何かしたい?」
こくり、と頷く彼に、わたしは努めて微笑んだ。
「食堂のおばちゃんにお粥もらってきて。もう頼んであるから。あとお水もね!」
「…俺、さっきまで伊作のこと探してばっかで、何もできてなくて、」
「あなたを信用してないから簡単なことをお願いしてる訳じゃないよ、あとは伊作がゆっくり休んで治すだけなの。伊作、同室のあなたがしょんぼりしてると悲しむんじゃないかな」
彼はぐ、と拳を握って、俯いたまま食堂の方へ向き直り、とたたと廊下をかけていった。
「いいの?」
先輩が部屋の中から私に声をかける。わたしは曖昧に笑った。
「私より、同室からもらった方が嬉しいです、きっと」
先輩はやれやれと肩をすくめて、私のそばに立った。きょとんと見上げると、手が伸びてくる。
「隙あり」
「あたっ」
「手を伸ばしてくる人がみんなあなたを撫でてくれるって頭を預けちゃいけないよ、兄も人が悪い。……過度に謙遜しなさんな、忍者は情報を届けるものだ。目が曇ると真実がわからなくなる。身動きがとれなくなるよ」
伊作は可愛いからね、まさかこんなにあなたが可愛がるとは思ってなかったけど。そう先輩は笑う。
「……私、後輩が入ってきたら、うんと面倒見てやろうって決めてたんです。沢山保健委員の活動を教えて、仲良くしようって」
「うんうん、そうかそうか」
「先輩、私がやっていることは、間違っていますか?」
先輩は、私と目を静かに合わせた。
「どうしてそんなことを?」
「郷里から手紙が来るのです。いつ実家に戻ってくるのか、行儀見習いは終わったか、何を遊んでいるのだと。私は、ここで学ぶこと、体験すること全て善いものだと思っているのに、間違っているのでしょうか。私がこうして油を売っているから、伊作だって、私に付き纏われて迷惑しているのかもしれない」
「……謙遜は毒だと言っただろう」
その冷たい温度に、私は、ぐっと唇を噛み締めた。
それでも、何かこの暗闇に、答えが欲しかった。
「……お願いします、教えてください、先輩。先輩はなぜ、六年までこの学舎に残られたのですか?」
伊作の寝息以外聞こえなくなって、静かに風がそよいだ。
やがて、先輩はゆるりと口元だけで微笑んだ。
「今夜、私の部屋に来なさい。」
寝巻きに着替えるべきか、私服に着替えるべきか、忍び装束は汚れているし…と迷いつつ唸っていると、同室が寝ぼけ眼で声を変えてきた。
「寝ないの?」
「先輩に呼ばれて……」
「は、はぁ?夜這い??」
「ばっ、馬鹿!蝶子保健委員会委員長よ!」
あー…と寝転びながら頬杖をついて、彼女は片頬を上げた。
「怒られるのね?」
「怒られるのかなぁ…でも、相談に乗ってくださるみたいだし……」
彼女はん?と眉を顰めた。悩み事あるの?と声をあげる。
「いや、別に……」
彼女は綺麗な瞳で私を睨んで、フン、と鼻息を鳴らした。
「さっさと行きなさいよ。」
「だって、服どうしようか迷ってて……」
「忍び装束は汚れてるし、私服でしょ。寝巻きなんて先輩の前で失礼よ」
「で、でも私服もそんなに上等なのじゃないし…」
む、と彼女は大きく口を開けて、文句を言う顔になって、それから気付いたように口を窄めた。ぶつぶつと、彼女らしくなく口を開く。
「……じゃあ、私服着て浴衣も持って行きなさいよ、」
なるほど、と頷いて、そうする。と言うと、彼女はやっといつものようにニヤリと笑った。
「そーそー。じゃあ、先輩に失礼ないようにね、説教中にうっかり寝ないのよ、あんた鈍臭いから」
はあ?と文句を言うと、ひらひらかわされた。
私は唸りながら部屋を静かに出た。
「先輩、〇〇です。」
「よく来た」
す、と戸が開くと、蝶子先輩はおや、と私の服を見、目を瞬かせた。そしてふわりと笑う。
「気を遣わせたね。入りなさい。」
静かに入ると、先輩が戸を閉める。部屋の衝立の向こうには、誰の気配もない。
「ああ、同室には今夜は席を外してもらった。私たち二人だよ。」
先輩はどっかと足を崩して座る。まぁ座りなさい、飲み物はこちらだ。そう差し出された盆に椀が二つ乗っている。
夜に溶け込むような声色に、引き込まれるように座った。
「ん、その手の浴衣は?」
「あ、その、服をどうしたらいいかわからなくて…」
「浴衣でもいい、が…今から着替えるのも緊張するだろう、そのままでいいよ。」
はい、と縮こまると先輩は肩をすくめてやれやれと笑った。
「さて、何から話をしようか……なぜ、私が六年まで残って、しかもこの不運な保健委員会で、委員長までしているか。」
先輩は綺麗な顔で微笑んだ。なぜだかまるで造花のようだ、と思った。
「少女時代への執着だよ」
「私には双子の兄がいるでしょう?私と兄は、二人で家督を継ぐことになっている。兄は、表で当主を、私は裏で、くの一を。二人で家を守る。」
「そうなんですね…」
「うん。ただ、兄は……ふふ、思いもよらないだろうけど、臆病でね。私も男として表に立って欲しいと、そう望んでいる。」
「先輩が女性だからですか?」
「そうだよ。私は兄を一人にしたくなかった。兄は繊細なんだ。」
先輩は部屋に置いてあった皿の上の火を、ふ、と吹き消した。煙たい筋が目前を横切る。
先輩が戸を静かに開ける。
「今夜は、月が出ていない。忍者には良い夜だ。」
目を凝らすと、闇に慣れて、ゆっくりと目の前が見えてくる。
「〇〇、」
先輩は硬い声で私の名を呼んだ。
「どうか、怖がらないでくれ。」
その時、私は奇妙なものを見た。
先輩が、自身の頬に両手を添える。そして、先輩の顔が、静かに、輪郭をなくしていく。
私はすんでのところで悲鳴をかき消した。
面を外し、そこにあったのは、夜闇で朧げにしか見えないが、いくつもの刀傷を負った可愛らしい女性の顔だった。
「私は、忍術学園に入学する道で、兄と一緒に暴漢に襲われた。私は兄を庇った。当主である兄を死なせるわけにはいかなかった。すんでのところで命を取り留めたが、私は…私は…。もとは行儀見習いで通うはずだった。だが、もう、嫁には行けないだろう。だから、実家ではくの一として、兄を支えることに決まった。……それに加えて、一人でも身を立てられるように、保健委員会に入った。不運委員会の名の通り、色々と苦労した。でも、よかったよ。毒も薬も知識を身につけられた。耐性もできたしね。」
先輩は静かに微笑んだ。
初めて見る先輩の素顔は、傷跡ばかりで、ひどく恐ろしくて、一方で安心するような顔だった。
先輩の、冷たく透き通る顔の裏の素顔を見れた気がした。
先輩の手が伸びてくる。私はぎゅっと目を瞑って身構えた。額への衝撃に備えて、眉間に皺を寄せていると、ふっと息を吐く音がした。
頭にぽすっと手が置かれる。
「そう、それでいい。」
くしゃくしゃと撫でて、私から離れていく。
私が目を開けると、先輩はいつもの顔に戻っていた。
「私は、卒業したらこの顔を捨てる。兄の影武者として生きる。でも、卒業するまでは、私は私でいられる。」
「……どうして先輩が、先輩自身の人生を諦めなければならないんですか?」
「兄は私の傷を自分のせいだと思ってるんだ。…兄が死ねば、私は当主にならざるを得ない。たとえ偽っても。だから、兄は自分が死ねばいいと思っている。」
ひゅっと喉の奥が鳴った。あんなに元気で明るい先輩が、どうして。
「毒に耐性があると言ったでしょう。兄が当主となれば毒味役は私がすることになっている。だが、私が本当の当主になれば、まずは毒味で死ぬ心配はない。」
まぁそれ以外にも死ぬ要因など幾つもあるけれど…。先輩は苦く笑った。
「でもこの学園では、生徒は教師によって平等に守られている。ここ以上に安心できる場所はなかった。実家よりもね。…私のままで、身分を気にせず、兄と共にいられた。だから、ここにいたかった。……兄は、学園にいるうちに、私と危険な忍務をしたがった。」
先輩は、仕方がない、本当に愛おしいものを見るような目をした。
「兄も、私を一人にしたくなかったんだ。」
私はもう何も言えなかった。先輩が受け止めている現実を、どうこう言うことはできなかった。
「どうしてそこまで教えてくださったのですか?」
「ん?違うよ。この話の中から真実を見つけるのはあなた自身だ。」
え、え、私は口をぽっかり開けた。
先輩は、吹き出すように笑った。
「ああ、面白い。ね、あなたが間違っているか、わかる人間はいない。少なくとも、こどもにはわからない。でも、あなたも、あなた自身でいられるのが今なのだったら……後悔しないようにね。」
後悔しないように、その言葉が耳に通り、私はやっと現実に戻る。かさかさと虫の音が聞こえた。先輩の顔がはっと明るくなる。
「私に、先輩の様な覚悟は、ないです」
「いいんだ、でも私は知ってるよ。あなたは、大事なもののために力を振り絞れる人間だ。…新野先生を、灰水之進を、善法寺伊作を、保健委員会を、宜しくね。」
ぐ、と何も言えなくなる。私には、そんな力はないのに。先輩は、今更気づいたとでも言う様に、わざとらしく、月が雲の間から出てきてしまったね。と呟いた。
「もう眠ろうか」
「えっ?!」
「ん?浴衣を持ってきたと言うことは、一緒に眠るんだろう?」
「あ、えっと、」
先輩は首を傾げる。私は目をうろうろさせた。
「……もし、嫌なら…」
「嫌じゃないです!……でも、失礼かなって、」
「……いや、あなたが嫌じゃなければ。夢だったんだ、妹と寝るの。」
好きな先輩にそう言われて、拒む後輩がどこにいるのか。衝立の向こうで急いで着替えて先輩の布団に突入した。
先輩は非日常に緊張し浮き足立つ私に、からからと珍しく笑った。
「……そうだ、子守唄がわりに、お話をしてあげよう。五年生になったら、くのたまは課外実習があるんだ。」
「何をするんですか?」
「対人での実習。くのたまの髪にさしている花を奪う。多く奪えたものが勝ち。武器はなんでも使っていい。罠も仕掛けていい。ただし先生は手出し無用。チームになるものもあれば、孤軍奮闘するものもいる。共通しているのは、だれからも一本も奪えないくのたまは、学園を辞めている。」
私は身を震わせた。先輩は、歌うように唇に音を乗せる。
「通称、花あつめ」
季節が巡り、私は無事進級し、その代わりに六年生の先輩方が御卒業された。今年は残念なことに、当委員会に新入生はいなかった。保健委員会は実はかなりの重労働である。予算委員会では不運で負けるし、やんちゃざかりの生徒たちのために薬草や包帯はどんどん減っていくから休みの日のたびに採取しにいったり、物品を売ったり買ったりする。新入生がいないだけで人手が足りずおおわらわなのだ。あっという間に夏になった。今度こそは沢山薬草が見つかればいい。私はまだ、薬草の見分けがはっきりしない。
木の上でぼーっとしていると肩を叩かれた。
「ねえ!聞いてるの?!」
「うんうん聞いてる聞いてる……」
至近距離から発されたきんきん声にうんざりと振り返る。同室の彼女がふくれていた。そんな顔すら綺麗だ。
「忍たまの先輩であんただったら誰がいいの?」
「私はいいって……」
そう、彼女は絶賛惚れた腫れたの真っ只中なのだ。綺麗だから告白もされるし一丁前に恋もしている。その、やや自慢も混ざった恋の話は最後は全て私に垂れ流されているのだからうんざりもする。ひらひら手を振って私は口を開いた。
「そんなんでいいの?あんた今年で辞めるんでしょ」
む、と彼女にしては痛い所をつかれた顔をしたが、すぐ飄々と笑う。
「いいのよ。家に帰ればどうせ決められた人間と一緒になるんだから。今だけは好きなことしたいの。あんたこそ、今年で辞めないの?」
「……辞めない」
「あんたの親厳しいんでしょ。逃げないで話をなさいよ。」
ベーっと可愛らしく舌を出し、彼女はしなやかに木から降りて行った。私は一人大きなため息をつく。
家に戻りたくない。保健委員会にいて、誰かの役に立ったり、先生の授業を受けて、新しい知識を手に入れる方がよっぽど楽しい。でも、親と決めていたのは、「実家に帰ることを前提に授業料を出してもらう」ということだった。一人娘の私はその頃、家からとにかく出たくて、閉鎖空間のような村以外に私の存在する場所を作りたくて、その提案を藁にも縋るように受け入れたのだ。
三年にもなればちらほらと友人達の将来の話が耳に入る。特にくのたまは顕著だ。女は弱いと、守られなければ生きていけないと、今後のことをうろうろと迷って、気にする。早い子は、今年の夏休みを境に学園を辞める。
私も傷が浅いうちに、いっそ……
「……やっぱり、いやだ」
ひどく悲しい気持ちになった。こんな、追い詰められて選ぶのなんて。本当に自分が惨めで仕方がない。
どうせ短い命だ。私は、私が選んだ道で、人生を送りたかった。
「〇〇先輩!!」
感傷的になっている中、まだ少し高い男の子の声がして、少し驚く。見下ろすと、見慣れない顔だ。
「誰?」
「あなたは〇〇先輩であってますか?!」
「うん」
「……!よくも!俺と勝負だ!!」
そのまま突進して木を揺さぶる。やめなさい、全然びくともしてません。
「まず名乗るのが礼儀だよ。あなたの名前は?」
「二年は組、食満留三郎です!!下りてきてください!俺と勝負してください!!」
「なんで??」
飛び降りて彼の前に立つと、彼は唇を振るわせた。
「だって、だって、伊作が……」
「伊作?!何かあったの?!」
思わず肩を掴むと、顔を真っ赤にして振り払われた。
「伊作が、学園を出てくっていうんだ!!先輩が付きまとうからじゃないんですか?!」
目にパッと閃光が走った。衝撃である。
「伊作、どこ?」
探せども彼の姿はない。どんどん思考が悪い方によっていって、目の前がくらくらする。
医務室に入ると、新保健委員会委員長の蝶子先輩が薬研で薬をすりつぶしていた。
「先輩、伊作を知りませんか?」
「さあ……知らない。どうかしたの?」
「じつは伊作が……」
喉が詰まって、本当のことがどうにも言えない。
怪訝な顔をした先輩に、ぐ、と無理やり口を開いた。
「あの、保健委員会を辞めるって……」
「何?!」
びくりと震えると、衝立の向こうに人影が見えた。新委員長の双子の兄上の、奏呵先輩だ。上半身に包帯が巻かれており、血が滲んでいた。知り合いの男の人の肌を至近距離で見、ぎょっとして目をうろつかせてしまう。
途端、蝶子保健委員会委員長の目が細くなり、まだ寝てて!と鋭い声が上がる。
「わ、わかったよ。でもどうしてだろう?」
「……〇〇、あなたなら、伊作の居場所わかるんじゃない?」
私は目を瞬かせる。すっ、と血が緩やかに戻っていく。なぜか穏やかな気持ちになっていた。
先輩はくすりと笑った。
「だってあんなにひっついてるんだから。面倒をみるって張り切って。」
「そ、それは先輩方も、」
「なんにせよ!今年新入生が零だった我が委員会でこれ以上の欠員を出すわけにはいかん!!頼んだぞ、〇〇!」
私は飛び上がってはい!と返事をして医務室を飛び出した。
「伊作、伊作〜?」
口元に手を当てて、できるだけ遠くまで音が通るように声を出す。校庭脇まで来ていた。まぁ、恐らく、この辺りか。目印が崩れている先を見ると、案の定ぱっかり落とし穴が口を開けていた。
「見つけた!」
覗き込むと、しゅんと足を折り畳んで頭を埋めている伊作がいた。
「伊作、大丈夫?登っておいで!」
縄を垂らすが、彼はぴくりともしない。どこか怪我をしているのか、少し緊張して「待ってて、すぐ先輩呼ぶからね」と声を出すと、初めて彼が顔を上げた。
「いやです」
「わあ、」
思わず声が漏れる。彼は顔をパンパンに腫らして泣いていた。
「こっちに来ないでください…」
ム、として、それから息を吐く。その上で、よし、と気合いを入れた。
「動かないでよ」
「え、わっ!」
身を投げ出して穴に入る。不運にも穴に落とされることは数あれど、自ら落ちるのは初めてだった。
なんとか着地に成功し、安堵する。伊作は何か変なものを見るような目でへたり込んだまま私を見上げていた。
「虎穴に入らずんば虎子を得ず!ね、伊作、先輩には言わないからさ、このまま話そうよ」
「……」
彼は、ひどく困ったように眉を下げて、また俯いた。私は、その無言を肯定とやや強引に捉えて、伊作の隣にしゃがみ込んだ。ひんやり、土の湿った匂いがする。これはお尻が汚れるなあと呟くと、だから言ったのに…と拗ねたような声がした。
「ねえ、私は伊作が大好きだからさ、こうやって近くにいたいけど、たくさん話したいけど、……もし嫌なら止めるよ。伊作がそれで学校やめるくらいなら、委員会でも話しかけないから。」
「……」
「新野先生にこの前調合教えていただいていたでしょう。伊作、すごく楽しそうだった。私は難しくてよくわからないけど、伊作は興味あるんでしょう?……だって、私より薬草見つけるの、上手いじゃない?」
「……」
伊作はずっと黙っていた。焦ったいが、少しわかる。私だって、一年生の頃、六年の先輩に叱られている時は頭が真っ白になってしまって何も言えなかった。私は怒ってはないけど、気にさせてしまったかな。
「……」
伊作をちらっと見下ろす。と、何か違和感がした。ああ、と心が凪いで、冷静に努めようと頭が動くのを感じる。私は自身の頭巾を外した。
「伊作、動かないでね。」
「……え、わあ!」
伊作の足に触る。右足は擦りむいて、左足の先は手で押さえられていた。
「捻った?」
「う、はい……」
「だからか。ごめんね、縄を登ってこいなんか言って。ちょっと痛いかもだけど、我慢してね。」
右足の血は止まっていた。無理に布で抑えて細菌が入ると危ない。処置は左足だけにする。
「他には痛いところはない?」
「……肩が…」
ばっと襟を開く。伊作が外気に触れた肩をすくめた。赤い点と、その周りが円状に腫れている。
「虫に、刺されて」
「ちょっとごめんね、」
見るが針は無い。自然と顔を顰め、道具がないのを悟り、肩に顔を近づける。
「あえ、先輩?」
「ちょっと痛いけど我慢してね」
赤い点に口を寄せて、毒をきつく吸い出す。伊作が体をこわばらせた。口を外してはぺっと吐き出し、何度か繰り返す。冷やすものがないから井戸水を使うにしてもとにかく出るしかない。
伊作はだんだん動かなくなって、ぐったりし始めた。もしかしたら熱が出るのかもしれない。
「伊作、大丈夫だからね、少し体から力抜いててね」
故郷の村で赤ちゃんの面倒を見ていた頃のように、伊作の懐から縄を取り出して伊作を背中に縛る。
「…うっ……」
一歳しか年が変わらないのだ、思った以上に体が重い。冷や汗をかきながら、でも私が、保健委員会のひょっこができることは、彼をなんとか医務室まで連れて行くことだ、歯を食いしばって先ほど垂らしていた縄を握りしめる。誰だこんな深い塹壕にしたの!
手に縄の跡がつく。それどころじゃない、血が滲む。それでも、体を持ち上げて行く。
「ふーっ、ふーっ、」
ようやっと体を地上に上げたとき、ぶちっと嫌な音がした。背中の縄からだ。
「伊作!!」
彼はすでに意識を失っていた。頭が真っ白になる。全てがゆっくりに見えて、泣き出しそうになった時、大きな影がよぎった。伊作がぷらりとぶら下がる。
「間に合ったな」
「奏呵先輩、」
「やっぱり、期待通り見つけてくれたね。よく頑張ったね、〇〇」
「蝶子保健委員会委員長…!」
六年生の先輩方だ。なぜか木の枝や包帯が体のあちこちに引っ掛かっているが、なんてことないように笑っている。その余裕が格好良くて、私はやっぱり未熟で、思わず涙が溢れた。
「あれ、びっくりした?」
「わた、私、伊作を医務室に連れてくことすらできなくて……」
「なーに言ってんだ!いいか?一年から二年になるとな、忍たまの制服は濃い青色になる。一年の時より、かなり探しにくくなる。だから、お前が気づいてくれて本当に助かったんだよ。さ、状況整理!」
慰めはここまでと、きっぱり告げられた声に条件反射で背筋が伸びる。
「はい!患者一名、忍たま二年生善法寺伊作、症状右足擦過傷、左足捻挫、肩口毒虫刺され、現時点で出血は止まっており捻挫は固定済み、肩口は毒の吸い出しまで処置済みです!現在発熱有りかと思われます!」
「よくやったね。私はこれから井戸水を持っていく!〇〇あなたは兄について行って。伊作の処置とあなた自身の手当もするよ。恐らく伊作は今夜中熱が上がるだろうから新野先生に医務室を使う許可をもらっておいて。」
「わかりました!」
「急ぐぞ!」
医務室の甕の中の水で私自身の傷の手当てをして、伊作が処置されているのを尻目に医務室を早々に飛び出す。
新野先生を探して、状況を伝えると、優しいお顔がやや凛々しくなってわかりました、と頷かれた。
「すぐ私も行きましょう」
頭を下げ、そのまま駆け出して、今度は食堂に向かう。伊作の夕飯はお粥にしてもらうようお願いした。
そのまま駆け巡り、今度は忍たま長屋に着く。足踏みしながら誰か通りかかるのを待つ、が、誰も来ない。
「誰か、誰か……」
ああ苛々する!私が忍たまだったらすぐ入れるのに!
その時、ぴんと天啓が降りた。
「け、けまとめさぶろうくん!いませんか?!」
声が上擦りながらも、必死に口を開ける。
「けまくん!いませんか?!」
「〇〇先輩?」
振り向くと、二年ろ組七松小平太だ。ほぼ体育の方で活動しているが、面識はあった。良かった、と胸を撫で下ろす。
「ごめん、伊作が熱を出して今夜は部屋に戻れないの。寝巻きと手拭いを持ってきてもらえない?」
小平太は目をまんまるくして、うん、と音もなく頷いた。
そのまま忍たま長屋を駆け抜けて、勢いよく戸を開ける。そしてどたばた音をさせて、多すぎるくらいの荷物を抱えて飛び出してきた。何故か忍たまの友も挟まっていた。
「これでいいですか?」
「うん、嬉しい。良かった、小平太がいて。助かったよ。」
「いえ。他には何か?」
「今は大丈夫。強いて言うなら、伊作の同室に伝えておいてほしいな。」
「食満留三郎にですか?」
目を丸くする。は組と言っていたからまさかと思ったが、彼が伊作の同室だったのか。
「伊作の同室、けまくんだったんだ。うん、お願いね」
小平太は真剣な顔で頷いた。私は安心して、彼に背を向けて医務室へひた走る。
医務室の近くに来ると、速度を緩めて、静かに廊下を進む。
中から先輩と先生の声がした。
「君も今日はここで……」
「いや、俺は部屋に戻ります。もう痛みも引いていますし、妹も心配しますし、何より…上級生がいたら、伊作が気にして休めないかもしれない。」
入るのが気まずくて、うろうろしてしまう。すると、入りなさい、と声が響いた。
「失礼します……」
奏呵先輩がにっこり笑っている。新野先生はこちらを見ずにテキパキと薬を片付けていた。
「伊作の荷物です。」
「よく入れたな?誰かに手伝ってもらえたのか?」
「はい、七松小平太に……」
「おや、食満留三郎くんはいなかったのですか?」
新野先生とようやく目が合う。私ははい、と頷いた。
「あと、食堂のおばちゃんにお粥をお願いしたのでまた取りに行ってきます。」
「うん、食べられるかはわからないが水分は取るべきだしな、上出来だ。」
偉いな、と温かな声が響いて、私は袴の裾を掴んだ。
「いえ、結局私は先輩方がいらっしゃらなければ何もできませんでしたし……」
「そんなことはない!」
後ろから急に響いた声に体がすくむ。振り返ると普段体育委員会の方で動かれている五年灰水之進先輩だった。
「お前の見立ては正しかったぞ、毒をあらかた抜いたおかげで腫れも続かないだろうし、捻挫の固定もできていた。二年になると慣れが出てきて、だいたいこの時期に体調を崩したり、怪我をするやつが多いんだ。そうならないように体を鍛えはしているがな!」
「こら。声が大きい」
「すみません!」
彼のすぐ後ろには蝶子保健委員会委員長が立っていた。
「水甕を運ぶの手伝ってもらったの。何回も汲みに行くの面倒だったから。新野先生、もう大丈夫です。」
「そうですか。それでは、私はここで失礼しますね。」
先生が部屋を去る。その姿をぼんやり見るが、先生と目が合うことはなかった。
戸が閉まって、しばらく経ってから私は口を開く。
「新野先生、いてもらわなくて良かったのですか?」
「重要な処置は確認していただいたし、大丈夫だ。」
よっ、と奏呵先輩が服を脱ぐ。わあっ、と声を上げると、同時に蝶子保健委員会委員長が兄である奏呵先輩の頭を手刀で叩いた。
「あたっ」
「〇〇、あなたも保健委員なのだから顔見知りだとしてもある程度は慣れて。怪我した時は下半身もみれなきゃいけないんだから。」
すると男の先輩二方が同時に顔を赤くした。
「ま、そうならないように怪我しないでよ。さあ兄さん、見せて。さっき伊作を担いだとき体の軸がぶれていた。筋を違えたね?」
既に蝶子先輩は薬草棚からいくつか取り出している。そのまま受け取れるよう私は薬研を引っ張ってきた。
「〇〇、俺がすり潰すよ」
灰先輩に恐縮しつつ、薬研を渡す。蝶子先輩は薬研の中に薬草を入れて、他の棚からは作っておいた軟膏を取り出し始めた。
手持ち無沙汰でいると、上半身を晒して少し背中を曲げた奏呵先輩が、こっち、と手をひらひらさせた。
「なんでしょう?」
「新野先生の話なんだけどな。あくまで、この学園は自主自立を重んじている。新野先生は、最後の手段でないとダメだ。」
ごくり、と喉を鳴らして、私は頷いた。
「上級生になると過酷な課題もある。傷ついた顔見知りに、冷酷と言えるほど冷静に対応するのが俺たちだ。そして、俺たちは仏様じゃない。助けたいと思っても、どうしようもない時もある。それは、先生も同じだ。だから、だからな、先生に頼ってはいけないよ。先生に頼って、助からなかったとしたら、それは自分の力が足りなかったんだ。」
「奏呵先輩……?」
「だから俺は今日嬉しかったんだ。お前、俺から言われた時状況を全部述べることができたろ?他の忍たま、くのたまであそこまで言えるのは中々いない。お前に期待しているんだ。」
先輩は豪快に笑って、私の頭を優しくポンポンと二回叩いた。
なぜだか、解けるように安心して、また目の前が潤んでぼやけてしまった。
陽が段々と落ちていき、茜色が目に眩しくなって来た。
最後は私と蝶子先輩の二人になって、私は眠る伊作のそばで手を添えていた。
「夕食食べ損ねるよ、もう行きな。」
私がうろうろと黙っているのを見て、先輩はため息をついた。
「泊まることはできないよ」
弾かれたように顔を上げる。先輩は私を見下ろし、目を細めていた。
「付き添いで医務室に泊まることは禁じられている。ここにいていいのは病者と委員長だけ。あなたにできることはもうない。」
「…あの、伊作のご飯は……」
なんとか絞り出した声に合わせて、先輩はそのまま、伊作を見下ろした。
「まだ目覚めないとは思うけど、夜中に起きた時がね…。貰っておいで、そこまでだよ。あなたも休まないと倒れてしまう。」
「はい!」
頭を下げて、医務室を出る、と、どんと誰かにぶつかった。
「わっ、」
「……」
見下ろすと、見覚えのあるきつい眦にギザギザの髪の毛。
「けまくん?」
「……はい」
彼は悔しそうに唇を噛んでから私に向き直った。
「俺のせいです、伊作がこんなことになったの。……俺が、辞めるなって伊作を問い詰めたから……」
「……伊作のために何かしたい?」
こくり、と頷く彼に、わたしは努めて微笑んだ。
「食堂のおばちゃんにお粥もらってきて。もう頼んであるから。あとお水もね!」
「…俺、さっきまで伊作のこと探してばっかで、何もできてなくて、」
「あなたを信用してないから簡単なことをお願いしてる訳じゃないよ、あとは伊作がゆっくり休んで治すだけなの。伊作、同室のあなたがしょんぼりしてると悲しむんじゃないかな」
彼はぐ、と拳を握って、俯いたまま食堂の方へ向き直り、とたたと廊下をかけていった。
「いいの?」
先輩が部屋の中から私に声をかける。わたしは曖昧に笑った。
「私より、同室からもらった方が嬉しいです、きっと」
先輩はやれやれと肩をすくめて、私のそばに立った。きょとんと見上げると、手が伸びてくる。
「隙あり」
「あたっ」
「手を伸ばしてくる人がみんなあなたを撫でてくれるって頭を預けちゃいけないよ、兄も人が悪い。……過度に謙遜しなさんな、忍者は情報を届けるものだ。目が曇ると真実がわからなくなる。身動きがとれなくなるよ」
伊作は可愛いからね、まさかこんなにあなたが可愛がるとは思ってなかったけど。そう先輩は笑う。
「……私、後輩が入ってきたら、うんと面倒見てやろうって決めてたんです。沢山保健委員の活動を教えて、仲良くしようって」
「うんうん、そうかそうか」
「先輩、私がやっていることは、間違っていますか?」
先輩は、私と目を静かに合わせた。
「どうしてそんなことを?」
「郷里から手紙が来るのです。いつ実家に戻ってくるのか、行儀見習いは終わったか、何を遊んでいるのだと。私は、ここで学ぶこと、体験すること全て善いものだと思っているのに、間違っているのでしょうか。私がこうして油を売っているから、伊作だって、私に付き纏われて迷惑しているのかもしれない」
「……謙遜は毒だと言っただろう」
その冷たい温度に、私は、ぐっと唇を噛み締めた。
それでも、何かこの暗闇に、答えが欲しかった。
「……お願いします、教えてください、先輩。先輩はなぜ、六年までこの学舎に残られたのですか?」
伊作の寝息以外聞こえなくなって、静かに風がそよいだ。
やがて、先輩はゆるりと口元だけで微笑んだ。
「今夜、私の部屋に来なさい。」
寝巻きに着替えるべきか、私服に着替えるべきか、忍び装束は汚れているし…と迷いつつ唸っていると、同室が寝ぼけ眼で声を変えてきた。
「寝ないの?」
「先輩に呼ばれて……」
「は、はぁ?夜這い??」
「ばっ、馬鹿!蝶子保健委員会委員長よ!」
あー…と寝転びながら頬杖をついて、彼女は片頬を上げた。
「怒られるのね?」
「怒られるのかなぁ…でも、相談に乗ってくださるみたいだし……」
彼女はん?と眉を顰めた。悩み事あるの?と声をあげる。
「いや、別に……」
彼女は綺麗な瞳で私を睨んで、フン、と鼻息を鳴らした。
「さっさと行きなさいよ。」
「だって、服どうしようか迷ってて……」
「忍び装束は汚れてるし、私服でしょ。寝巻きなんて先輩の前で失礼よ」
「で、でも私服もそんなに上等なのじゃないし…」
む、と彼女は大きく口を開けて、文句を言う顔になって、それから気付いたように口を窄めた。ぶつぶつと、彼女らしくなく口を開く。
「……じゃあ、私服着て浴衣も持って行きなさいよ、」
なるほど、と頷いて、そうする。と言うと、彼女はやっといつものようにニヤリと笑った。
「そーそー。じゃあ、先輩に失礼ないようにね、説教中にうっかり寝ないのよ、あんた鈍臭いから」
はあ?と文句を言うと、ひらひらかわされた。
私は唸りながら部屋を静かに出た。
「先輩、〇〇です。」
「よく来た」
す、と戸が開くと、蝶子先輩はおや、と私の服を見、目を瞬かせた。そしてふわりと笑う。
「気を遣わせたね。入りなさい。」
静かに入ると、先輩が戸を閉める。部屋の衝立の向こうには、誰の気配もない。
「ああ、同室には今夜は席を外してもらった。私たち二人だよ。」
先輩はどっかと足を崩して座る。まぁ座りなさい、飲み物はこちらだ。そう差し出された盆に椀が二つ乗っている。
夜に溶け込むような声色に、引き込まれるように座った。
「ん、その手の浴衣は?」
「あ、その、服をどうしたらいいかわからなくて…」
「浴衣でもいい、が…今から着替えるのも緊張するだろう、そのままでいいよ。」
はい、と縮こまると先輩は肩をすくめてやれやれと笑った。
「さて、何から話をしようか……なぜ、私が六年まで残って、しかもこの不運な保健委員会で、委員長までしているか。」
先輩は綺麗な顔で微笑んだ。なぜだかまるで造花のようだ、と思った。
「少女時代への執着だよ」
「私には双子の兄がいるでしょう?私と兄は、二人で家督を継ぐことになっている。兄は、表で当主を、私は裏で、くの一を。二人で家を守る。」
「そうなんですね…」
「うん。ただ、兄は……ふふ、思いもよらないだろうけど、臆病でね。私も男として表に立って欲しいと、そう望んでいる。」
「先輩が女性だからですか?」
「そうだよ。私は兄を一人にしたくなかった。兄は繊細なんだ。」
先輩は部屋に置いてあった皿の上の火を、ふ、と吹き消した。煙たい筋が目前を横切る。
先輩が戸を静かに開ける。
「今夜は、月が出ていない。忍者には良い夜だ。」
目を凝らすと、闇に慣れて、ゆっくりと目の前が見えてくる。
「〇〇、」
先輩は硬い声で私の名を呼んだ。
「どうか、怖がらないでくれ。」
その時、私は奇妙なものを見た。
先輩が、自身の頬に両手を添える。そして、先輩の顔が、静かに、輪郭をなくしていく。
私はすんでのところで悲鳴をかき消した。
面を外し、そこにあったのは、夜闇で朧げにしか見えないが、いくつもの刀傷を負った可愛らしい女性の顔だった。
「私は、忍術学園に入学する道で、兄と一緒に暴漢に襲われた。私は兄を庇った。当主である兄を死なせるわけにはいかなかった。すんでのところで命を取り留めたが、私は…私は…。もとは行儀見習いで通うはずだった。だが、もう、嫁には行けないだろう。だから、実家ではくの一として、兄を支えることに決まった。……それに加えて、一人でも身を立てられるように、保健委員会に入った。不運委員会の名の通り、色々と苦労した。でも、よかったよ。毒も薬も知識を身につけられた。耐性もできたしね。」
先輩は静かに微笑んだ。
初めて見る先輩の素顔は、傷跡ばかりで、ひどく恐ろしくて、一方で安心するような顔だった。
先輩の、冷たく透き通る顔の裏の素顔を見れた気がした。
先輩の手が伸びてくる。私はぎゅっと目を瞑って身構えた。額への衝撃に備えて、眉間に皺を寄せていると、ふっと息を吐く音がした。
頭にぽすっと手が置かれる。
「そう、それでいい。」
くしゃくしゃと撫でて、私から離れていく。
私が目を開けると、先輩はいつもの顔に戻っていた。
「私は、卒業したらこの顔を捨てる。兄の影武者として生きる。でも、卒業するまでは、私は私でいられる。」
「……どうして先輩が、先輩自身の人生を諦めなければならないんですか?」
「兄は私の傷を自分のせいだと思ってるんだ。…兄が死ねば、私は当主にならざるを得ない。たとえ偽っても。だから、兄は自分が死ねばいいと思っている。」
ひゅっと喉の奥が鳴った。あんなに元気で明るい先輩が、どうして。
「毒に耐性があると言ったでしょう。兄が当主となれば毒味役は私がすることになっている。だが、私が本当の当主になれば、まずは毒味で死ぬ心配はない。」
まぁそれ以外にも死ぬ要因など幾つもあるけれど…。先輩は苦く笑った。
「でもこの学園では、生徒は教師によって平等に守られている。ここ以上に安心できる場所はなかった。実家よりもね。…私のままで、身分を気にせず、兄と共にいられた。だから、ここにいたかった。……兄は、学園にいるうちに、私と危険な忍務をしたがった。」
先輩は、仕方がない、本当に愛おしいものを見るような目をした。
「兄も、私を一人にしたくなかったんだ。」
私はもう何も言えなかった。先輩が受け止めている現実を、どうこう言うことはできなかった。
「どうしてそこまで教えてくださったのですか?」
「ん?違うよ。この話の中から真実を見つけるのはあなた自身だ。」
え、え、私は口をぽっかり開けた。
先輩は、吹き出すように笑った。
「ああ、面白い。ね、あなたが間違っているか、わかる人間はいない。少なくとも、こどもにはわからない。でも、あなたも、あなた自身でいられるのが今なのだったら……後悔しないようにね。」
後悔しないように、その言葉が耳に通り、私はやっと現実に戻る。かさかさと虫の音が聞こえた。先輩の顔がはっと明るくなる。
「私に、先輩の様な覚悟は、ないです」
「いいんだ、でも私は知ってるよ。あなたは、大事なもののために力を振り絞れる人間だ。…新野先生を、灰水之進を、善法寺伊作を、保健委員会を、宜しくね。」
ぐ、と何も言えなくなる。私には、そんな力はないのに。先輩は、今更気づいたとでも言う様に、わざとらしく、月が雲の間から出てきてしまったね。と呟いた。
「もう眠ろうか」
「えっ?!」
「ん?浴衣を持ってきたと言うことは、一緒に眠るんだろう?」
「あ、えっと、」
先輩は首を傾げる。私は目をうろうろさせた。
「……もし、嫌なら…」
「嫌じゃないです!……でも、失礼かなって、」
「……いや、あなたが嫌じゃなければ。夢だったんだ、妹と寝るの。」
好きな先輩にそう言われて、拒む後輩がどこにいるのか。衝立の向こうで急いで着替えて先輩の布団に突入した。
先輩は非日常に緊張し浮き足立つ私に、からからと珍しく笑った。
「……そうだ、子守唄がわりに、お話をしてあげよう。五年生になったら、くのたまは課外実習があるんだ。」
「何をするんですか?」
「対人での実習。くのたまの髪にさしている花を奪う。多く奪えたものが勝ち。武器はなんでも使っていい。罠も仕掛けていい。ただし先生は手出し無用。チームになるものもあれば、孤軍奮闘するものもいる。共通しているのは、だれからも一本も奪えないくのたまは、学園を辞めている。」
私は身を震わせた。先輩は、歌うように唇に音を乗せる。
「通称、花あつめ」