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いつから散ってしまったのだろう。
私は里で一番大きな木を見上げた。豊かに多い茂っていた葉はいつのまにか落ち、身を隠すこともままならないほどに哀れな様相を呈していた。
着物の裾を捲ってするりと木に登り、中腹で腰掛ける。小高い山の木からぼんやりと里を見下ろすと、里の皆があくせく働いている様子が小さく見えた。それを見て、ようやく私はほっとする。
「〇〇」
ぱ、と真下に目をやると、陣内先輩が立っていた。
「何を怠けている。降りてこい」
「はい」
形だけは従順に、私は首をこきりと鳴らしてから飛び降りた。陣内先輩が眉を顰める。
「お前、女なら少しは気をつけて行動しろ。怪我したらどうする」
「心配してくださるんですね。」
私は彼をにやりと見上げた。たちまち言うんじゃなかったと彼の表情が後悔へと変わるのを見て、私は笑う。笑うと共に、ほどけるような安堵を覚える。
「仕事でしょうか」
「……ああ!早く来い。」
踵を返す彼の背中についていく。ついていきながらまた里に目を落とす。里の女衆がひしこら働いていた。あの中に、私はいない。
山本陣内先輩との出会いは、数年前まで遡る。私が敬愛する父と生き別れたことをきっかけに、拾っていただいた。代々忍びの家系だ。私にも他に兄弟がいたならば、その血筋は今後も確かなものであっただろう。しかし、幼い頃、母は私一人を産んで、先に私たちの元からいなくなってしまわれた。それから父は、私を男手一つで育て上げた。父は体が弱かった。忍者よりも薬師をしている方が性に合っていた。私は、父の代わりに家事をし、薪を割り、畑に出て、また買い物をし、家に尽くした。
時折父は私に忍術を教えたが、どれも古いもので、おままごとのようなものだった。父はどこか継いできたものを残せない罪悪感に駆られていたのだろうが、幼い私にとってはどうでも良かった。私は父に愛されていた。私にとって忍びとは、その延長線でしかなかった。
戦が増えると、病が蔓延る。
薬師の父はてんてこ舞いで、私と二人であちこちに赴き、弱い体をすり減らした。
時間の問題だったのが、いつかくるその時を早めてしまった。父は、ぱたりと糸が切れたように動けなくなった。
精をつけるため、必死に心をすり減らしながら働いて得た食事を父に渡し、私は悟った。このままでは、私たちはもう長くはないのだと。
その時、我が家の戸を叩いてきた音は、天竺からの風であった。我が家の忍びの家系を聞きつけて、戦力になるものをとタソガレドキ忍軍が探しに来ていたのだ。生きるとはこの道と見つけたり。男でもないのにその手を離さなかった私は何処から見ても厄介以外の何者でもなかっただろう。しかし、私の古臭い忍術を見て、一応は使ってみていいかと思ったらしい。私は、忍びとして生きることとなった。
そのとき遣わされた天竺からの使者が、山本陣内先輩だった。
父は私の給料で療養しつつ暮らしているらしい。待遇には感謝してもしきれないが、私の存在はこの里では秘密とされている。おそらく、タソガレドキ忍軍ではくノ一を正式に忍者として採用していないのだ。その訳は彼らを見ていれば嫌でもわかる。彼らにとって女衆は弱い者であり、守るべき者であり、また一方で精神の砦であった。
タソガレドキ忍軍の一員にも、女衆にもなれない私は浮草のようだ。まさしく影のようで、しかし今更家には帰れない。ここで働けなくなれば、また死の淵の生活に逆戻りだ。醜くもしがみつくしかなかった。
陣内先輩は私を見つけてしまったばっかりに、私のお世話係になってしまった。可笑しいことに、彼は今でも私を女として扱ってくれる。
私は、彼に見つけてもらった時、やっと自分の存在を確かめることができる。
「〇〇、任せたよ」
組頭に礼をする。ここは本当にいいところだ。仕事さえしていれば私を駒として正当に扱ってくれる。
特に組頭は優しいお方で、私が女で他と距離を測りかねているのを見破って、簡単な仕事なら個別に声をかけてくださる。協力はしなければいけないが、だからといって私も異質な存在を全員に認めてもらおうなどとは思えない。割り切ったその扱いが嬉しかった。
私の出世をよく思わない方もいるようだが、性格だって互いに知らないのだ。仕方ないことだと思った。
「陣内先輩、宜しくお願いします」
「……」
「陣内先輩?」
「……お!?あ、ああ、〇〇か」
私は眉を顰めて彼を見つめた。彼は居心地悪そうに目を背ける。
「どうかされましたか、お顔色悪いですよ」
「何でもない。お前は自分の心配をしなさい」
私はますます嫌な気持ちになる。いつも心配ばかりしているあなたなのだから、こんな時くらい私に心配させて欲しかった。先輩、そういって懐から紙を取り出す。
「……なんだ」
「おまじないです。この前、声をかけた商人が教えてくれました。心安くいるおまじない。」
「どうした、かわいらしいことをするもんだな」
「ええ、ええ。女の子ですからね。だから効きますよ。女の呪いは強いですから」
げ、と顔を歪める彼に私はようやくほっとする。思わず笑いながら押し付けた。
「今度の作戦、要は先輩ですからね。大丈夫だと思っていますが、どうか。」
「…心配かけたな」
私の頭を軽く叩いて彼は行ってしまう。私ははぁ、とため息をついた。
「あいつ、どうしたの」
「雑渡先輩」
私は頭に顎を乗せてきた彼にぎょっとする。
「雑渡先輩、近いですよ。…なんだか顔色悪かったので、おまじないしてあげました。」
「へぇ、効くの?」
「さあ。何事も最後は神頼みですから、できるだけ、大丈夫と思える布石を敷いておくのは悪いことではないと思いますけど…」
「確かにね」
彼はニヤニヤ笑った。私も大概背が伸びたが、彼には敵わない。
「私にはないの」
「お渡ししましょう」
さっともう一枚取り出すと、目を瞬かせてから彼は吹き出した。
決行は今夜だった。
いつから知ってしまったのだろう。
背後でぱちぱちと弾ける音は火種の音だ。膝元で苦しい息をする彼を私は眺めることしかできない。私は、この呼吸は死の合図だと言うことを理解していた。
「死なないで…死なないでください……」
こんなはずではなかった。私の計画のところまでは少なくとも上上であった。
忍びとして生きていれば死の確率は高くなる。だからこれは仕方のないことなのだ。彼は立派に役目を務め上げた。そう頭の中で誰かが言い訳を宣う。私は必死に、それに首を垂れようと、する。
その時彼の胸元に私が渡したおまじないの紙が挟まっているのを、見つけた。
怒りの念が舞い上がる。彼の死は、意義あることだから仕方がないのだろうか、否、否!
「開けた!」
その声に私は顔を上げる。火が回って壊れていた門に抜け道ができていた。
「雑渡先輩、まだ、まだ早いです、昆奈門が悲しみます!」
必死に膝の上に頭を乗せ横にしていた大男を背負うが、彼が血を吐くのをまともに頭の上に受けた。
「貸せ!」
「お願いします!」
怒鳴りつけるように陣内先輩に雑渡先輩を渡して、走り抜ける。血が目元まで垂れて見にくいが、どうせ走っているうちに乾くだろう、いや、乾く前に、早く里に連れて帰らなければならなかった。
走りながら忍び装束を裏返して着る。これで私が目立てばいい。案の定、後ろから足音が聞こえ始めていた。
「〇〇!何をしている!」
怒気を孕んだ陣内先輩の声に一瞬怯える。しかし、先輩もわかっているはずだ。
『先輩、すぐ追います。』
矢羽音で返すと、馬鹿なことをするなと怒鳴られた。こんなに冷静でない先輩は初めて見た。私も負けじと返す。
『そんなに頼りないですか』
『違う!お前まで負傷したらどうするつもりだ!お前はまだ何にでもなれる、俺たちと違って忍びをやめることもできる!』
俺。わはは、場違いな言葉に泣いて笑ってしまった。
そんなに必死になってもまだ、女の子の私を心配してくれるのか。それでも。
『私はタソガレドキ忍軍の忍びです。だから、帰ります。どんな形になっても。』
私は振り返り苦無を両手で持って、打たれた手裏剣を弾いた。
走れ、と叫ぶ彼を無視して応戦し、そのまま反対方向へ誘導する。
そのまま走って走って、私は崖から飛び降りた。暗闇に私の影が溶ける。ひゅ、と風を射る音がする。矢が射られた。空中で体勢を崩す。
彼の天竺から外れたのだ。いよいよ私は輪郭を失った。行く先は地獄でも、想いだけでも彼の元に帰れたら良い。
ぼんやりと目を開ける。虫の音がひしめいていた。
真っ暗闇の中、チロチロと耳元で水の音がする。
あの世にしては現実味がある。どうやら、生きているらしい。
「矢に毒は塗っていなかったのか…」
横たわったまま私は空を見上げる。ほとんど記憶はないが、上手く着水ができたようだ。下流に滝が無くて助かった。
よろよろと足を引きずって帰ると、葬式が始まっており、私は死んだことになっていた。
経をあげられているのは、私、と、もう一人。
足から崩れ落ちる。間に合わなかったのか。
昆奈門はまだ幼いのに、立派に線香をあげていた。
私は、ぼろぼろの着の身のまま、細く空へたなびく煙をじっと陰から眺めていた。
葬式が終わる前に、荷物を抱えて出て行こうと寝起きしていた部屋へ忍び込む。
薬師の父のもとに行けば、少しは薬を分けてもらえるかもしれない。死んだ私はもう忍びにはなれないが、また、死の淵の昔の生活に逆戻りだが、当然の報いだと思った。葬式をあげてもらえるだけ、ありがたいというものだ。
彼の言葉がふと思い出される。何にでもなれる。
「……もし、私の未来を選べるなら。私は、まだ、天竺に居たかった…」
その時、鋭い光が背後から差した。
は、っと体を捻る。
体の痛みにうまく動きがついてこず、半身を翻すのがやっとだった。
押し倒された私の横に刀が刺さっている。顔が陰になって見えないが、大きな獣のようだった。
「昆奈門」
「〇〇さんが、そのような思い違いをしていたとは驚きました。」
刀を抜いて、腰に差す。私は上半身だけ起き上がらせた。
「ここは地獄だ。人を欺いて、壊して、食い千切る。弱った狼は群れに殺される。だから父は死んだのです。そこに善も悪もない。ただ、私は、あなたが父におまじないをしてくれたことも、山本さんが、何度も死の淵の父と共に戦ってきたことも、覚えている。」
畜生では無いのでね。そう言って、彼は引き下がった。そのまま、私と間隔を空けて、正座し、平伏した。
「……〇〇さん、よく帰ってきてくれました。そして、最期の父と会わせてくれてありがとうございました。」
体が震える。私の輪郭がはっきりしてくる。それに反して、目の前がぼやけていく。
「…ごめん……ごめんなさい……昆奈門……」
「昆奈門、葬式はまだ途中……」
組頭が部屋に入ってきて、私を眼中に捉える。
組頭が音にならない声を漏らす。そのまま、陳内、陳内と駆けていき、戻ってきたかと思うと何人ものタソガレドキ忍軍がついてきていた。信じられないものを見る目で皆立ち尽くす中、陣内先輩がよろよろと私のもとに歩み出す。
「……心配してくださっていたんですね。」
泣き笑いでそう呟くと、先輩は、当たり前だ、そう枯れたような声で呻いて、私のもとにようやく辿り着いて、抱きしめてくれた。
いつから散ってしまったのだろう。
私は里で一番大きな木を遥か遠くから見上げた。鮮やかな花弁は消え去り、青々とした葉が茂っていた。もうじき、夏が来る。
「〇〇ねえさまア」
ぱ、と、背後を振り返ると、えっちらおっちら妹分が洗濯物を持って歩いてくる。私は駆け寄り、その着物を丸ごと請け負った。あなた顔が隠れていたよと言うと、体が小さいものですから、と、照れくさそうに笑う。
それに笑い返して、着物を持っていない片手で彼女の頭をぐりぐり撫でた。そうして、私はほっと息をつく。
「山本のねえさま、今日はとっても嬉しそう。旦那さま、本日お帰りですか?」
私は、さあね、私も知らないわ、と返した。
あたたかな風が歩みゆく私たちの側を吹き抜けていく。しかし、その中には、花びらの姿は、もうない。
今は遠い、遠い、昔の話である。
私は里で一番大きな木を見上げた。豊かに多い茂っていた葉はいつのまにか落ち、身を隠すこともままならないほどに哀れな様相を呈していた。
着物の裾を捲ってするりと木に登り、中腹で腰掛ける。小高い山の木からぼんやりと里を見下ろすと、里の皆があくせく働いている様子が小さく見えた。それを見て、ようやく私はほっとする。
「〇〇」
ぱ、と真下に目をやると、陣内先輩が立っていた。
「何を怠けている。降りてこい」
「はい」
形だけは従順に、私は首をこきりと鳴らしてから飛び降りた。陣内先輩が眉を顰める。
「お前、女なら少しは気をつけて行動しろ。怪我したらどうする」
「心配してくださるんですね。」
私は彼をにやりと見上げた。たちまち言うんじゃなかったと彼の表情が後悔へと変わるのを見て、私は笑う。笑うと共に、ほどけるような安堵を覚える。
「仕事でしょうか」
「……ああ!早く来い。」
踵を返す彼の背中についていく。ついていきながらまた里に目を落とす。里の女衆がひしこら働いていた。あの中に、私はいない。
山本陣内先輩との出会いは、数年前まで遡る。私が敬愛する父と生き別れたことをきっかけに、拾っていただいた。代々忍びの家系だ。私にも他に兄弟がいたならば、その血筋は今後も確かなものであっただろう。しかし、幼い頃、母は私一人を産んで、先に私たちの元からいなくなってしまわれた。それから父は、私を男手一つで育て上げた。父は体が弱かった。忍者よりも薬師をしている方が性に合っていた。私は、父の代わりに家事をし、薪を割り、畑に出て、また買い物をし、家に尽くした。
時折父は私に忍術を教えたが、どれも古いもので、おままごとのようなものだった。父はどこか継いできたものを残せない罪悪感に駆られていたのだろうが、幼い私にとってはどうでも良かった。私は父に愛されていた。私にとって忍びとは、その延長線でしかなかった。
戦が増えると、病が蔓延る。
薬師の父はてんてこ舞いで、私と二人であちこちに赴き、弱い体をすり減らした。
時間の問題だったのが、いつかくるその時を早めてしまった。父は、ぱたりと糸が切れたように動けなくなった。
精をつけるため、必死に心をすり減らしながら働いて得た食事を父に渡し、私は悟った。このままでは、私たちはもう長くはないのだと。
その時、我が家の戸を叩いてきた音は、天竺からの風であった。我が家の忍びの家系を聞きつけて、戦力になるものをとタソガレドキ忍軍が探しに来ていたのだ。生きるとはこの道と見つけたり。男でもないのにその手を離さなかった私は何処から見ても厄介以外の何者でもなかっただろう。しかし、私の古臭い忍術を見て、一応は使ってみていいかと思ったらしい。私は、忍びとして生きることとなった。
そのとき遣わされた天竺からの使者が、山本陣内先輩だった。
父は私の給料で療養しつつ暮らしているらしい。待遇には感謝してもしきれないが、私の存在はこの里では秘密とされている。おそらく、タソガレドキ忍軍ではくノ一を正式に忍者として採用していないのだ。その訳は彼らを見ていれば嫌でもわかる。彼らにとって女衆は弱い者であり、守るべき者であり、また一方で精神の砦であった。
タソガレドキ忍軍の一員にも、女衆にもなれない私は浮草のようだ。まさしく影のようで、しかし今更家には帰れない。ここで働けなくなれば、また死の淵の生活に逆戻りだ。醜くもしがみつくしかなかった。
陣内先輩は私を見つけてしまったばっかりに、私のお世話係になってしまった。可笑しいことに、彼は今でも私を女として扱ってくれる。
私は、彼に見つけてもらった時、やっと自分の存在を確かめることができる。
「〇〇、任せたよ」
組頭に礼をする。ここは本当にいいところだ。仕事さえしていれば私を駒として正当に扱ってくれる。
特に組頭は優しいお方で、私が女で他と距離を測りかねているのを見破って、簡単な仕事なら個別に声をかけてくださる。協力はしなければいけないが、だからといって私も異質な存在を全員に認めてもらおうなどとは思えない。割り切ったその扱いが嬉しかった。
私の出世をよく思わない方もいるようだが、性格だって互いに知らないのだ。仕方ないことだと思った。
「陣内先輩、宜しくお願いします」
「……」
「陣内先輩?」
「……お!?あ、ああ、〇〇か」
私は眉を顰めて彼を見つめた。彼は居心地悪そうに目を背ける。
「どうかされましたか、お顔色悪いですよ」
「何でもない。お前は自分の心配をしなさい」
私はますます嫌な気持ちになる。いつも心配ばかりしているあなたなのだから、こんな時くらい私に心配させて欲しかった。先輩、そういって懐から紙を取り出す。
「……なんだ」
「おまじないです。この前、声をかけた商人が教えてくれました。心安くいるおまじない。」
「どうした、かわいらしいことをするもんだな」
「ええ、ええ。女の子ですからね。だから効きますよ。女の呪いは強いですから」
げ、と顔を歪める彼に私はようやくほっとする。思わず笑いながら押し付けた。
「今度の作戦、要は先輩ですからね。大丈夫だと思っていますが、どうか。」
「…心配かけたな」
私の頭を軽く叩いて彼は行ってしまう。私ははぁ、とため息をついた。
「あいつ、どうしたの」
「雑渡先輩」
私は頭に顎を乗せてきた彼にぎょっとする。
「雑渡先輩、近いですよ。…なんだか顔色悪かったので、おまじないしてあげました。」
「へぇ、効くの?」
「さあ。何事も最後は神頼みですから、できるだけ、大丈夫と思える布石を敷いておくのは悪いことではないと思いますけど…」
「確かにね」
彼はニヤニヤ笑った。私も大概背が伸びたが、彼には敵わない。
「私にはないの」
「お渡ししましょう」
さっともう一枚取り出すと、目を瞬かせてから彼は吹き出した。
決行は今夜だった。
いつから知ってしまったのだろう。
背後でぱちぱちと弾ける音は火種の音だ。膝元で苦しい息をする彼を私は眺めることしかできない。私は、この呼吸は死の合図だと言うことを理解していた。
「死なないで…死なないでください……」
こんなはずではなかった。私の計画のところまでは少なくとも上上であった。
忍びとして生きていれば死の確率は高くなる。だからこれは仕方のないことなのだ。彼は立派に役目を務め上げた。そう頭の中で誰かが言い訳を宣う。私は必死に、それに首を垂れようと、する。
その時彼の胸元に私が渡したおまじないの紙が挟まっているのを、見つけた。
怒りの念が舞い上がる。彼の死は、意義あることだから仕方がないのだろうか、否、否!
「開けた!」
その声に私は顔を上げる。火が回って壊れていた門に抜け道ができていた。
「雑渡先輩、まだ、まだ早いです、昆奈門が悲しみます!」
必死に膝の上に頭を乗せ横にしていた大男を背負うが、彼が血を吐くのをまともに頭の上に受けた。
「貸せ!」
「お願いします!」
怒鳴りつけるように陣内先輩に雑渡先輩を渡して、走り抜ける。血が目元まで垂れて見にくいが、どうせ走っているうちに乾くだろう、いや、乾く前に、早く里に連れて帰らなければならなかった。
走りながら忍び装束を裏返して着る。これで私が目立てばいい。案の定、後ろから足音が聞こえ始めていた。
「〇〇!何をしている!」
怒気を孕んだ陣内先輩の声に一瞬怯える。しかし、先輩もわかっているはずだ。
『先輩、すぐ追います。』
矢羽音で返すと、馬鹿なことをするなと怒鳴られた。こんなに冷静でない先輩は初めて見た。私も負けじと返す。
『そんなに頼りないですか』
『違う!お前まで負傷したらどうするつもりだ!お前はまだ何にでもなれる、俺たちと違って忍びをやめることもできる!』
俺。わはは、場違いな言葉に泣いて笑ってしまった。
そんなに必死になってもまだ、女の子の私を心配してくれるのか。それでも。
『私はタソガレドキ忍軍の忍びです。だから、帰ります。どんな形になっても。』
私は振り返り苦無を両手で持って、打たれた手裏剣を弾いた。
走れ、と叫ぶ彼を無視して応戦し、そのまま反対方向へ誘導する。
そのまま走って走って、私は崖から飛び降りた。暗闇に私の影が溶ける。ひゅ、と風を射る音がする。矢が射られた。空中で体勢を崩す。
彼の天竺から外れたのだ。いよいよ私は輪郭を失った。行く先は地獄でも、想いだけでも彼の元に帰れたら良い。
ぼんやりと目を開ける。虫の音がひしめいていた。
真っ暗闇の中、チロチロと耳元で水の音がする。
あの世にしては現実味がある。どうやら、生きているらしい。
「矢に毒は塗っていなかったのか…」
横たわったまま私は空を見上げる。ほとんど記憶はないが、上手く着水ができたようだ。下流に滝が無くて助かった。
よろよろと足を引きずって帰ると、葬式が始まっており、私は死んだことになっていた。
経をあげられているのは、私、と、もう一人。
足から崩れ落ちる。間に合わなかったのか。
昆奈門はまだ幼いのに、立派に線香をあげていた。
私は、ぼろぼろの着の身のまま、細く空へたなびく煙をじっと陰から眺めていた。
葬式が終わる前に、荷物を抱えて出て行こうと寝起きしていた部屋へ忍び込む。
薬師の父のもとに行けば、少しは薬を分けてもらえるかもしれない。死んだ私はもう忍びにはなれないが、また、死の淵の昔の生活に逆戻りだが、当然の報いだと思った。葬式をあげてもらえるだけ、ありがたいというものだ。
彼の言葉がふと思い出される。何にでもなれる。
「……もし、私の未来を選べるなら。私は、まだ、天竺に居たかった…」
その時、鋭い光が背後から差した。
は、っと体を捻る。
体の痛みにうまく動きがついてこず、半身を翻すのがやっとだった。
押し倒された私の横に刀が刺さっている。顔が陰になって見えないが、大きな獣のようだった。
「昆奈門」
「〇〇さんが、そのような思い違いをしていたとは驚きました。」
刀を抜いて、腰に差す。私は上半身だけ起き上がらせた。
「ここは地獄だ。人を欺いて、壊して、食い千切る。弱った狼は群れに殺される。だから父は死んだのです。そこに善も悪もない。ただ、私は、あなたが父におまじないをしてくれたことも、山本さんが、何度も死の淵の父と共に戦ってきたことも、覚えている。」
畜生では無いのでね。そう言って、彼は引き下がった。そのまま、私と間隔を空けて、正座し、平伏した。
「……〇〇さん、よく帰ってきてくれました。そして、最期の父と会わせてくれてありがとうございました。」
体が震える。私の輪郭がはっきりしてくる。それに反して、目の前がぼやけていく。
「…ごめん……ごめんなさい……昆奈門……」
「昆奈門、葬式はまだ途中……」
組頭が部屋に入ってきて、私を眼中に捉える。
組頭が音にならない声を漏らす。そのまま、陳内、陳内と駆けていき、戻ってきたかと思うと何人ものタソガレドキ忍軍がついてきていた。信じられないものを見る目で皆立ち尽くす中、陣内先輩がよろよろと私のもとに歩み出す。
「……心配してくださっていたんですね。」
泣き笑いでそう呟くと、先輩は、当たり前だ、そう枯れたような声で呻いて、私のもとにようやく辿り着いて、抱きしめてくれた。
いつから散ってしまったのだろう。
私は里で一番大きな木を遥か遠くから見上げた。鮮やかな花弁は消え去り、青々とした葉が茂っていた。もうじき、夏が来る。
「〇〇ねえさまア」
ぱ、と、背後を振り返ると、えっちらおっちら妹分が洗濯物を持って歩いてくる。私は駆け寄り、その着物を丸ごと請け負った。あなた顔が隠れていたよと言うと、体が小さいものですから、と、照れくさそうに笑う。
それに笑い返して、着物を持っていない片手で彼女の頭をぐりぐり撫でた。そうして、私はほっと息をつく。
「山本のねえさま、今日はとっても嬉しそう。旦那さま、本日お帰りですか?」
私は、さあね、私も知らないわ、と返した。
あたたかな風が歩みゆく私たちの側を吹き抜けていく。しかし、その中には、花びらの姿は、もうない。
今は遠い、遠い、昔の話である。
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