short
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
まだ仲直りしないの?そう揶揄う姉に、私は控えめな笑顔を返した。
文次郎が直近で郷里に戻ってきたのはもう一年も前の話になる。いわゆる幼馴染というものが、世間一般ではどこまでの仲を指すのかは知らないが、少なくともその一年前までは、私は彼のことが目に入れても痛くないほど大好きだった。
彼は元来やんちゃな質で、二つ年上の私にも粗野な口を利き、ちょっかいをかけては逃げてけらけら笑っていた。一方で怒られると途端にしぼみ、わかりやすく〇〇姉さんと言っては私の機嫌をとった。悪く言えば手のかかる、しかし私からすると可愛くて仕方ない弟のような子供だった。周りからするとあなたも子供よと笑われるが、それでも幼い時分の歳の差は、一つで十分大きいものだ。彼が何か欲しいと言えばなんでもあげたし、怪我をすればすぐさま飛んで手当てをした。甲斐甲斐しすぎて彼の両親にあなたは文次郎の御付きじゃないのだからそれ以上は申し訳ないと言われるほどだった。
そこまで言われると手出しはできず、人生の潤いを無くした私が鬱々と部屋で針仕事をしていると、戸がぱんと開かれて庭から泥だらけの裸足で駆け上がってきた文次郎が抱きついてきて、丸い頭をぐりぐりと押し付けてきた。同じく部屋で布を選んでいた母と文次郎のお母様が全く同じ様相で頭を抱えていたのも記憶している。
とにかく、可愛くて大好きな子なのだ。彼が忍術学園に入ると決まった時、私は喜んで彼の支度を手伝った。元々誰かの世話をしたい性分だ。服の替えと、学園との行き来だけでもくたびれるだろうから草履の替えと……。色々と準備を手伝っていると、文次郎のお母様からあらあらと心配そうに見られた。
「無理しなくていいのよ、文次郎と遊んできなさい。」
「いいえ、他に何かご入用ありますか?」
お母様は大きいお腹を抱えて少し微笑んだ。もう少しで生まれるその命を抱えて、体を動かしにくいのは明白だった。
「……本当に〇〇ちゃんは優しい子ね。あなたが娘になってくれたらどれだけいいことか。」
「娘でなくとも私はお手伝いしますよ。だって文次郎のことが大好きなんですから!」
そう言うとお母様は嬉しそうに笑って、私の頭を撫でてくれた。
「やい、大女!」
いつの間にか縁側近くにいた文次郎が私を呼ぶ。はあい、と返すと、もっと怒れと彼の方がぷりぷり騒ぎ出す。くすくす笑って手にしていたものを置いて縁側に降りた。肌寒い春のことだった。
私は愚かにも、時の流れというものを理解していなかったらしい。彼は学園内で寝起きして勉強するのだ。彼がいない生活は、実際に肌で感じると、から風が吹くほどに寂しかった。
手紙を書いて送るが、年頃の男の子らしく返事はほぼない。聞くと彼の両親だけには返しているとのことで、少しほっとするとともに悲しい気持ちになった。しかし、彼が元気であること、それ以上に何を求めようか。私が彼を可愛がるのは、懐いて欲しいからではない、彼のことが好きだからだ。彼が息災であれば、私も頑張れると思った。
歳の離れた姉が嫁に行き、私は目が覚めたような気持ちになった。嫁入りは準備は大変だったけれど式が始まってしまえばあっけなく、私の心にまたから風が吹いた。
姉さんは餞別といって紅をくれた。私にはまだ早いと赤らんだが遅いくらいよと言われて呆然とした。確かに、同じ歳の周りの女の子たちは皆いつの間にかお淑やかに、年相応に振る舞っている。こんなお節介婆のような枯れた女などはいなかった。
帰省する文次郎も次第に大人びて行き、この前なんか隈をこさえていたから胸が痛くなった。彼の少年時代は確かにあったのだ、だが、今彼は私の知らない世界で少年から大人になっていく。その流れを止めることは許されない。
いつまで経っても農作業の着の身のまま、顔に泥をつけている女では立つ瀬がない。私と一番近い歳の姉さんにねだって買い物なんかして、少しずつ周囲を整えていった。
「前から頼もしかったけど、〇〇ちゃん、益々大人の女性になったわね。」
文次郎のお母様に微笑まれて私は曖昧に笑った。白粉だってまだうまくつけられない。でも必死に努力したおかげで、少しは綺麗になったと思う。文次郎などは広い世界にいるが、私の世界はこの村、これっぽっちだ。いつも私が引っ張っていた彼に置いていかれるのは寂しくてたまらなかった。私のはりぼての殻が大きくなっていく音を、聞いていないわけではなかったけれど、ただ、焦っていた。
そして、件の一年前。彼が帰ってくるであろう日に、私はちょうど街に出かけていた。母に頼まれた買い出しから帰ってきて、帰路の道すがら彼の家の前を通る。すると、彼のお母様が心配そうな顔つきで家の前をうろうろしていた。
「どうなさったんですか?」
「あら、〇〇ちゃん。文次郎がね、帰ってこないのよ。もう着いていい頃なのに……。今までこんなことなかったから心配で……」
私は荷物を取り落としそうになる。彼の家にはお母様以外誰もおらず、ちょうど出払っているという。急遽母に話して食材を持ってきて食事を皆で囲んだ。
大丈夫ですよ、そう声をかけつつ、私も不安で仕方なかった。私が彼とともにあれば、こんな思いしなくて済むのに。どうか無事であれと最悪の想像をかき消して戸の向こうを眺めていた。
動きがあったのは明朝で、彼は揚々と日の出とともに帰ってきた。きょとんとした顔でなぜ私がいるのか尋ねてきた彼を座らせ、心配したというと、私に向かって何か差し出した。花だった。しかも、あまり野には咲いていないような、貴重な。
「女は、花が好きだというから」
そう照れて言う彼を張り倒さなかっただけ私は偉いと思う。何をふざけている。そんなものを買ってくるより先に、あなたが帰ってきて欲しかった。あなたが危ない目にあっているかもしれない、その想像だけで何度も肝を潰した。
彼の前ではいつも年上の矜持で身綺麗にしていたのに、昨夜は緊張でよく眠れなくて散々だ。ぼろぼろのまま、私は、謝って、と口に出した。
「はあ?何を」
彼が途端に不機嫌になったのがわかる。それでも、私の方が不機嫌だった。
「心配したのよ。何かあったんじゃないかって。あなたのお母様だって、夜家の前に立ってあなたを待っていたんだから」
「……それは勝手な話だな。俺はそんなに弱い男に見えるか」
「そんなことを言っているのではありません。本当に不安だったんだから。」
はぁ、とため息をついて、彼は仕方ない、と宥めるような顔になった。
「そう感情的になるな。わかった、俺が悪かった。」
その時、私は深い刃物で刺されたように自分が深く傷ついたのを感じた。
目の前が暗くなる。彼のそぶり、一つ一つが、彼より弱いものを宥めるような言葉が、私と彼の間の境界線を引いていた。
もう、彼は私の知っていた可愛い弟ではないのだ。だからと言って今更何ができよう。私は、彼が過ごしてきたのと同じ時を追うことはできないのだ。
「仲直りも何も、ありませんが…」
姉の化粧をしていると、姉はまたくすくす笑う。
「実の母親よりも彼のお母様にべったりだったのに?寂しがっておられたわよ。」
「……また、会いに行っておきます。」
「まあ、私ももうお嫁に行きますから。次はあなたの番ね。父上のお話、考えておきなさいよ」
だめになったらしいぞと、どこから聞き及んだのか知らないが、父が控えめに文を取り出してきたのを思い出す。曰く縁談らしい。臆病な父のことだ、文次郎への愛情が切れたと踏んで早々にその心を切り替えさせようとしたのだろう。彼と父とは合わなそうだったから。
そもそも、私と彼はそのようなものだったのか、自覚する前に途絶えた想いは叩いても何も返ってこない。
あれから文を送っていない。彼も、なぜ私があそこまで怒ったのか、わからないし響いてもいないようだった。
「お手伝いありがとうね。あなたも準備があるでしょうし、少し休みなさい。」
姉の言葉に頷き、私は部屋を出る。明朝、虚な満月が漂っていた。
本番では、式の前の余興に私と村の男の子が踊る。縁起担ぎのようなもので、また踊った者は次に良縁に結ばれると言う、おまじないのような。前の踊り子は姉だった。私も等しく、時間を止めることはできなかった。
余興用の着物を着て最後の練習をしていると、準備が整ったらしく会場に呼ばれた。白粉をはたき直して廊下を歩いて進むと、呼びにきた男性が庭に目をやり立ち止まる。
「文次郎くん!おお、よく来てくれた!」
文次郎?でもまだ、休みは先のはずだ。なぜここに?私は合わせる顔もないまま俯いていた。
「……婚礼があるとお聞きしたので」
「ああ、ぜひ上がっていってくれ。皆喜ぶよ。」
「いえ、婚礼には参列しません」
まだ話が終わらないのか、私が顔を上げると、険しい文次郎の顔が見えた。私を、まっすぐ見つめていた。
「無礼、お許し願いたく候」
私の体がふわりと浮く。文次郎が私を抱き抱えていた。
「あ、おい!どう言うことだ?!」
「も、文次郎?」
彼はすでに走り出しており、私はされるがままだ。私の服についたじゃらじゃら鳴る装飾品を道すがら千切り、走り抜いた末、屋敷から遠く離れた丘に立って、彼は忌々しそうに私を見上げた。もうとっくに背を越されていたが、今だけは彼に腰を持ち上げられており、かつて私が彼と同じ時を過ごしていた頃、見下ろしていたような身長差になっていた。
「〇〇姉さん」
私はぎくりと体をこわばらせる。熱い眼差しに顔がほてった。
「そう言えば、あなたは俺の我儘を全部聞いてくれるんだろう。俺はそれが嫌だ。あなたと離れて、俺は、あなたの弟でいたくないと思うことができた。それなのに、なんで俺から離れてしまうんだ。置いていくな、俺だけのあなただろう。」
「待って待って、誤解してるよ、それに私重いでしょう、一度おろしなさい」
「……」
私はやっと下されて、落ち着いて息を吸い込んだ。文次郎は途方に暮れた顔をしていて、それがなんだか久しぶりに見たあどけなさで、思わず笑ってしまった。高価な装飾を全部千切ってしまって。笑いながら私もその高価な服の袖で彼の頬の汚れを拭う。
「私の姉の式だから、私は余興で踊るだけよ。」
「……それでも、相手は他の男だろう。」
「そりゃあ……」
「……まだ、怒っているのか」
思わず吹き出して彼の肩を叩いた。拗ねた表情、どれもあどけない。彼はムッとした。そして私の手を取る。
「……私はね、あなたのことが大切なんだよ。私を喜ばせるのは綺麗な花なんかじゃなくて、あなたが元気でいることなんだよ。それが理解してもらえなくて、すごく悲しかった。」
彼は一瞬表情を失ってから、ひどく気まずそうな顔をした。私は彼の頬に手を添える。
「でもね、お花をもってきて、喜ばせようとしてくれたのは、嬉しかった。もう枯れてしまったけど、大事に生けていたんだから。」
「……それなら、いい」
彼は私を細目で見下ろした。やっぱり、持ち上げられていないとこんなに視線が違う。それでも、前より寂しさは和らいでいた。
「俺も、あなたが大切だ。」
「うん……」
「……今はわからなくていい、だが、考えておいてくれ。母には話を通してある。」
「ん……ん?」
「……だから、好きだ、〇〇」
私はまともに照れてしまって呆気に取られた。
遠くから囃子が聞こえる。一所懸命白粉を叩いたのに、この熱さでは、姉の嫁入りに間に合いそうもない。
文次郎が直近で郷里に戻ってきたのはもう一年も前の話になる。いわゆる幼馴染というものが、世間一般ではどこまでの仲を指すのかは知らないが、少なくともその一年前までは、私は彼のことが目に入れても痛くないほど大好きだった。
彼は元来やんちゃな質で、二つ年上の私にも粗野な口を利き、ちょっかいをかけては逃げてけらけら笑っていた。一方で怒られると途端にしぼみ、わかりやすく〇〇姉さんと言っては私の機嫌をとった。悪く言えば手のかかる、しかし私からすると可愛くて仕方ない弟のような子供だった。周りからするとあなたも子供よと笑われるが、それでも幼い時分の歳の差は、一つで十分大きいものだ。彼が何か欲しいと言えばなんでもあげたし、怪我をすればすぐさま飛んで手当てをした。甲斐甲斐しすぎて彼の両親にあなたは文次郎の御付きじゃないのだからそれ以上は申し訳ないと言われるほどだった。
そこまで言われると手出しはできず、人生の潤いを無くした私が鬱々と部屋で針仕事をしていると、戸がぱんと開かれて庭から泥だらけの裸足で駆け上がってきた文次郎が抱きついてきて、丸い頭をぐりぐりと押し付けてきた。同じく部屋で布を選んでいた母と文次郎のお母様が全く同じ様相で頭を抱えていたのも記憶している。
とにかく、可愛くて大好きな子なのだ。彼が忍術学園に入ると決まった時、私は喜んで彼の支度を手伝った。元々誰かの世話をしたい性分だ。服の替えと、学園との行き来だけでもくたびれるだろうから草履の替えと……。色々と準備を手伝っていると、文次郎のお母様からあらあらと心配そうに見られた。
「無理しなくていいのよ、文次郎と遊んできなさい。」
「いいえ、他に何かご入用ありますか?」
お母様は大きいお腹を抱えて少し微笑んだ。もう少しで生まれるその命を抱えて、体を動かしにくいのは明白だった。
「……本当に〇〇ちゃんは優しい子ね。あなたが娘になってくれたらどれだけいいことか。」
「娘でなくとも私はお手伝いしますよ。だって文次郎のことが大好きなんですから!」
そう言うとお母様は嬉しそうに笑って、私の頭を撫でてくれた。
「やい、大女!」
いつの間にか縁側近くにいた文次郎が私を呼ぶ。はあい、と返すと、もっと怒れと彼の方がぷりぷり騒ぎ出す。くすくす笑って手にしていたものを置いて縁側に降りた。肌寒い春のことだった。
私は愚かにも、時の流れというものを理解していなかったらしい。彼は学園内で寝起きして勉強するのだ。彼がいない生活は、実際に肌で感じると、から風が吹くほどに寂しかった。
手紙を書いて送るが、年頃の男の子らしく返事はほぼない。聞くと彼の両親だけには返しているとのことで、少しほっとするとともに悲しい気持ちになった。しかし、彼が元気であること、それ以上に何を求めようか。私が彼を可愛がるのは、懐いて欲しいからではない、彼のことが好きだからだ。彼が息災であれば、私も頑張れると思った。
歳の離れた姉が嫁に行き、私は目が覚めたような気持ちになった。嫁入りは準備は大変だったけれど式が始まってしまえばあっけなく、私の心にまたから風が吹いた。
姉さんは餞別といって紅をくれた。私にはまだ早いと赤らんだが遅いくらいよと言われて呆然とした。確かに、同じ歳の周りの女の子たちは皆いつの間にかお淑やかに、年相応に振る舞っている。こんなお節介婆のような枯れた女などはいなかった。
帰省する文次郎も次第に大人びて行き、この前なんか隈をこさえていたから胸が痛くなった。彼の少年時代は確かにあったのだ、だが、今彼は私の知らない世界で少年から大人になっていく。その流れを止めることは許されない。
いつまで経っても農作業の着の身のまま、顔に泥をつけている女では立つ瀬がない。私と一番近い歳の姉さんにねだって買い物なんかして、少しずつ周囲を整えていった。
「前から頼もしかったけど、〇〇ちゃん、益々大人の女性になったわね。」
文次郎のお母様に微笑まれて私は曖昧に笑った。白粉だってまだうまくつけられない。でも必死に努力したおかげで、少しは綺麗になったと思う。文次郎などは広い世界にいるが、私の世界はこの村、これっぽっちだ。いつも私が引っ張っていた彼に置いていかれるのは寂しくてたまらなかった。私のはりぼての殻が大きくなっていく音を、聞いていないわけではなかったけれど、ただ、焦っていた。
そして、件の一年前。彼が帰ってくるであろう日に、私はちょうど街に出かけていた。母に頼まれた買い出しから帰ってきて、帰路の道すがら彼の家の前を通る。すると、彼のお母様が心配そうな顔つきで家の前をうろうろしていた。
「どうなさったんですか?」
「あら、〇〇ちゃん。文次郎がね、帰ってこないのよ。もう着いていい頃なのに……。今までこんなことなかったから心配で……」
私は荷物を取り落としそうになる。彼の家にはお母様以外誰もおらず、ちょうど出払っているという。急遽母に話して食材を持ってきて食事を皆で囲んだ。
大丈夫ですよ、そう声をかけつつ、私も不安で仕方なかった。私が彼とともにあれば、こんな思いしなくて済むのに。どうか無事であれと最悪の想像をかき消して戸の向こうを眺めていた。
動きがあったのは明朝で、彼は揚々と日の出とともに帰ってきた。きょとんとした顔でなぜ私がいるのか尋ねてきた彼を座らせ、心配したというと、私に向かって何か差し出した。花だった。しかも、あまり野には咲いていないような、貴重な。
「女は、花が好きだというから」
そう照れて言う彼を張り倒さなかっただけ私は偉いと思う。何をふざけている。そんなものを買ってくるより先に、あなたが帰ってきて欲しかった。あなたが危ない目にあっているかもしれない、その想像だけで何度も肝を潰した。
彼の前ではいつも年上の矜持で身綺麗にしていたのに、昨夜は緊張でよく眠れなくて散々だ。ぼろぼろのまま、私は、謝って、と口に出した。
「はあ?何を」
彼が途端に不機嫌になったのがわかる。それでも、私の方が不機嫌だった。
「心配したのよ。何かあったんじゃないかって。あなたのお母様だって、夜家の前に立ってあなたを待っていたんだから」
「……それは勝手な話だな。俺はそんなに弱い男に見えるか」
「そんなことを言っているのではありません。本当に不安だったんだから。」
はぁ、とため息をついて、彼は仕方ない、と宥めるような顔になった。
「そう感情的になるな。わかった、俺が悪かった。」
その時、私は深い刃物で刺されたように自分が深く傷ついたのを感じた。
目の前が暗くなる。彼のそぶり、一つ一つが、彼より弱いものを宥めるような言葉が、私と彼の間の境界線を引いていた。
もう、彼は私の知っていた可愛い弟ではないのだ。だからと言って今更何ができよう。私は、彼が過ごしてきたのと同じ時を追うことはできないのだ。
「仲直りも何も、ありませんが…」
姉の化粧をしていると、姉はまたくすくす笑う。
「実の母親よりも彼のお母様にべったりだったのに?寂しがっておられたわよ。」
「……また、会いに行っておきます。」
「まあ、私ももうお嫁に行きますから。次はあなたの番ね。父上のお話、考えておきなさいよ」
だめになったらしいぞと、どこから聞き及んだのか知らないが、父が控えめに文を取り出してきたのを思い出す。曰く縁談らしい。臆病な父のことだ、文次郎への愛情が切れたと踏んで早々にその心を切り替えさせようとしたのだろう。彼と父とは合わなそうだったから。
そもそも、私と彼はそのようなものだったのか、自覚する前に途絶えた想いは叩いても何も返ってこない。
あれから文を送っていない。彼も、なぜ私があそこまで怒ったのか、わからないし響いてもいないようだった。
「お手伝いありがとうね。あなたも準備があるでしょうし、少し休みなさい。」
姉の言葉に頷き、私は部屋を出る。明朝、虚な満月が漂っていた。
本番では、式の前の余興に私と村の男の子が踊る。縁起担ぎのようなもので、また踊った者は次に良縁に結ばれると言う、おまじないのような。前の踊り子は姉だった。私も等しく、時間を止めることはできなかった。
余興用の着物を着て最後の練習をしていると、準備が整ったらしく会場に呼ばれた。白粉をはたき直して廊下を歩いて進むと、呼びにきた男性が庭に目をやり立ち止まる。
「文次郎くん!おお、よく来てくれた!」
文次郎?でもまだ、休みは先のはずだ。なぜここに?私は合わせる顔もないまま俯いていた。
「……婚礼があるとお聞きしたので」
「ああ、ぜひ上がっていってくれ。皆喜ぶよ。」
「いえ、婚礼には参列しません」
まだ話が終わらないのか、私が顔を上げると、険しい文次郎の顔が見えた。私を、まっすぐ見つめていた。
「無礼、お許し願いたく候」
私の体がふわりと浮く。文次郎が私を抱き抱えていた。
「あ、おい!どう言うことだ?!」
「も、文次郎?」
彼はすでに走り出しており、私はされるがままだ。私の服についたじゃらじゃら鳴る装飾品を道すがら千切り、走り抜いた末、屋敷から遠く離れた丘に立って、彼は忌々しそうに私を見上げた。もうとっくに背を越されていたが、今だけは彼に腰を持ち上げられており、かつて私が彼と同じ時を過ごしていた頃、見下ろしていたような身長差になっていた。
「〇〇姉さん」
私はぎくりと体をこわばらせる。熱い眼差しに顔がほてった。
「そう言えば、あなたは俺の我儘を全部聞いてくれるんだろう。俺はそれが嫌だ。あなたと離れて、俺は、あなたの弟でいたくないと思うことができた。それなのに、なんで俺から離れてしまうんだ。置いていくな、俺だけのあなただろう。」
「待って待って、誤解してるよ、それに私重いでしょう、一度おろしなさい」
「……」
私はやっと下されて、落ち着いて息を吸い込んだ。文次郎は途方に暮れた顔をしていて、それがなんだか久しぶりに見たあどけなさで、思わず笑ってしまった。高価な装飾を全部千切ってしまって。笑いながら私もその高価な服の袖で彼の頬の汚れを拭う。
「私の姉の式だから、私は余興で踊るだけよ。」
「……それでも、相手は他の男だろう。」
「そりゃあ……」
「……まだ、怒っているのか」
思わず吹き出して彼の肩を叩いた。拗ねた表情、どれもあどけない。彼はムッとした。そして私の手を取る。
「……私はね、あなたのことが大切なんだよ。私を喜ばせるのは綺麗な花なんかじゃなくて、あなたが元気でいることなんだよ。それが理解してもらえなくて、すごく悲しかった。」
彼は一瞬表情を失ってから、ひどく気まずそうな顔をした。私は彼の頬に手を添える。
「でもね、お花をもってきて、喜ばせようとしてくれたのは、嬉しかった。もう枯れてしまったけど、大事に生けていたんだから。」
「……それなら、いい」
彼は私を細目で見下ろした。やっぱり、持ち上げられていないとこんなに視線が違う。それでも、前より寂しさは和らいでいた。
「俺も、あなたが大切だ。」
「うん……」
「……今はわからなくていい、だが、考えておいてくれ。母には話を通してある。」
「ん……ん?」
「……だから、好きだ、〇〇」
私はまともに照れてしまって呆気に取られた。
遠くから囃子が聞こえる。一所懸命白粉を叩いたのに、この熱さでは、姉の嫁入りに間に合いそうもない。