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私が心底惚れている尾浜勘右衛門は、酷く軽薄な人間である。
大体、興味がないのだ。彼の周りには彼が選び抜いた大好きな人間が集められており、彼はそれらの人間をそれは大層大事に楽しそうに扱うから、人は誤解してしまう。自分も同じように大切にしてもらえるのではないかと。
結構な誤解だ。彼は興味がないものについてはとことん視線が乾いている。それなのに、人当たりだけはいいのだから人が蔑ろにしない。彼の周りは、そうやって日夜御人形遊びを繰り返している。
私がそう言うと、友人は「大好きな幼馴染が遠くに行ってしまったからって、そう僻むものではないよ」と半眼で私を見下ろした。
「だって!それじゃあ私への態度は何?」
私は机にべたりと張り付いたまま友人を見上げた。友人はふむ、と手で顎をこする。
「呆れ、諦観、揶揄い」
「まともなのがいっこもない!」
きぃぃと猿のように悲鳴をあげながら顔を机に擦り付けていると、友人が私の頭に手刀を落とした。
「じゃあさっさとやめればいいのよ。手紙を書くなんてさ。ちいちゃいころから癖にでもなってるんでしょうけど、あんたが言う通り、尾浜くんが軽い人間ならね、あんたも大概重すぎるのよ。」
私は、ず、と鼻を鳴らして、無言で首を振った。
尾浜勘右衛門と私は同じ村の出身である。
同い年であったにも関わらず、彼は私より格段に要領が良くて、可愛くて、賢く、強かであった。
彼が努力の人であることを知っている。私は、そんな彼に憧れていつも後ろにつきまとってばかりいた。しかし、ちょろちょろちょろちょろ、金魚のあれみたいについて回る私を放って、彼はいつしか忍術学園に入学することとなった。その時の私の絶望たるや。齢九つにして私は産まれたての赤子のようにくしゃくしゃに泣いた。私を置いていくな。重たすぎる私に辟易したのか、彼ははいはいと私の頭をなでた。
「じゃあさ、〇〇、俺に手紙を書いてよ。」
私は泣き腫らした不細工な顔のまま、彼を見上げた。
「村のことでもいい、自分のことでもいい、なんでもいい。〇〇が俺に伝えたいことを書いてくれよ。」
今思えば、彼の優しさだったのだろう。私の手を振り払うことだってできたのに、彼は、私と彼の架け橋を残してくれた。
しかし、馬鹿だった私は、その言葉に、彼も私を憎からず思っているのかもしれないと、たちまち機嫌を良くして、ころっと心を入れ替え、集団生活では不便だろうと彼の着物に名前を縫ったりなんかした。
彼が出立してからすぐ私は手紙を書いた。
彼が知りたがるだろうから、彼の母上、父上、村のことを。私は元気です、あなたは元気でしょうかと言うことを。それから、取り留めのないこと、例えば、私は雷が鳴るのはお天道様が怒っているからではなく、喜んで大騒ぎしているからではないのかと考えているのですが、あなたはどう思うでしょうかなどと言うことを。
うきうきで何通も出し、一年ほど待っていれば馬鹿でもわかる。
彼は、『俺に手紙を書いてよ』と言った。
決して、『俺も手紙を返すからさ』とは、言わなかったのだ。
もう大騒ぎである。騙された!とも思った。
わんわん泣く煩い女の出来上がりである。しかも齢は十になっていたので声量もやかましかった。
親は辟易して、ついにはお前もちょっとは気品というものを学んでこいと忍術学園に入ることを許可してくれた。こうして私は、十が十一になる前に、くのたま編入生として忍術学園の門を潜ったのである。
友人は、膨れる私を横に、机に伏せていた手紙をするっと上手に引き抜いた。
「あ!」
「まあまあ。さっすが、九つから手紙を書き続けてきただけあるわね、上手なお手蹟ですこと。」
「返してよ!」
「エー、今日はカラスウリの花を見ました。夜に咲くなんて知らなかったのでとても得した気分になりました。忍術学園の門のそばに咲いています。忍務でお忙しいでしょうが、少しでも気持ちが休まりますように。へえ!殊勝なこと書いてるじゃない」
私はやっとのことで奪い返したが、もう読み切られた後であった。私はその紙をくしゃくしゃと丸めて部屋の隅に投げる。
「ああ!勿体無い」
「どうせ授業で使った紙の裏紙よ。それに、どうせ、見てもいないんだから、」
私はそう言って、なぜか声が途切れて、続けられなかった。
「…見ていないって、どうして言えるの」
友人が静かに私に声をかける。
「…私がくのたまに編入するって、手紙を書いたの。でも、何にも言わないし、訪ねてもこないの。あんたも一緒にいたと思うけど、たまたますれ違った時に、『〇〇何でいるの?よく来たねこんなとこまで』だって。もし、万が一に読んでいたとしても、すぐ忘れてしまうんなら見てないのと一緒だよ」
友人は私の頭に手を置いた。優しくするな、と暴れると、友人は笑った。それでもあんたは手紙を書きたいんでしょ?と言われると、それは、まぁ、十年ほどの恋心を抱えて来た重い人間なもので。こんなとこまでついてきたのかとからから笑った勘右衛門のことが思い出される。細いつながりでも縋っていたいのだ。頷かざるを得ない。
学級委員長委員会ってよく目立つ。何かしら学園長先生の思いつきで開催される行事には審判で出たり、学生代表をしたり。
彼の周りの級友や、後輩を見ていると、村を出て大正解だったのだと思わされる。彼の世界は今や広く、どんどん私から遠く離れている。そんな姿を見ていると、幼い頃彼にとやかく付き纏っていた日々がひどく朧げに感じられた。
正直、迷っていた。迷う分、幼い頃には馬鹿みたいにほいほい出せていた手紙も、伝えたい言葉も、上手く書けなくなっていった。送れる手紙が、二通から一通に、三通から一通に。書き損じが増えていくたびに、伝えられない思いは文箱にぎゅうぎゅうに詰められていった。
さっきの花だってそうだ。同じ忍術学園で過ごして、彼の生活を、苦労を、肌に感じるたびに、こんな手紙で時間を取ることが申し訳なくなってくる。もしも本当に、見ていなかったとしても、見る可能性が少しでもあるのなら、有益な情報を伝えたいし、見てよかったと思えるような、陽だまりのような言葉だけ伝えていたい。
重すぎるのも大概に、けれど私こそ軽薄な人間だ。自身の言葉を塗り固めて、これ以上、彼が疎く思う存在にならないように。彼から、遠く離れませんようにと。
くのたま五年ともなると、流石に品性を無視して通れはしない。真面目に忍術の勉学にも励む。私は幸せ者で、両親に忍びになることを許してもらえていた。家によっては喧嘩別れした者も珍しくない。まぁ、共通して私達の生活の中心は、真面目なものになっていった。
同じ授業料を払うのなら、経験は多く積める方がいい。私はその他のくのたまと同じ考えで、学園長先生の庵に何の躊躇いもなく向かった。
「学園長先生、ご用件は何でしょう?」
早々に訊ねると、おお、と盆栽を切っていた手を止め、まあ上がりなさい、と促された。部屋の中には文机と、真白い綺麗な紙がある。
「鉢屋三郎」
「はっ」
天井からするりと降りてくる彼に一瞬びくついたが、気配は察知していた。私は一瞥を投げて、学園長先生に向き直る。
「二人に忍務を命ずる。手紙を書き、暗号をマイタケ城に持っていって参れ。」
「こちらの紙は使ってよろしいのですか?」
「無論、そうじゃ、〇〇、お主は字が綺麗とのことじゃな、楓さんと如月さんにも文を書いてもらえるか」
楓さんと如月さんは学園長先生の元ガールフレンドである。絶対こっちのがメインだろ。しかし私はにこやかに「かしこまりました」とうなずいた。
「鉢屋くん、書け次第渡すね。いつ頃出立しそう?」
「〇〇が仕上げ次第で構わない。学園長先生も〇〇を巻き込まないでほしいな…」
「鉢屋くんは委員会で大変だもんね。いつもありがとう。でも、私はちょっとだけ楽しんでるよ。終わったら持っていくね」
鉢屋くんは、食堂に向かう廊下の上で少し気まずそうにそっぽを向いた。
「…すまない、実は…学園長先生に〇〇の手紙を見せてしまったのは私たちなんだ。それから興味を持たれたようで…」
「え?!?!」
私は目を白黒させる。どういうことだ、私は勘右衛門にしか手紙を書いていない。勘右衛門が見せたのか、いや、それより、
「か、勘右衛門、何か言ってた?!」
「えっ」
「私の手紙について!」
面白いとか、楽しみにしてるとか、と続けようとしたが、もし違っていた時致命傷では済まされない。必死に耐えて鉢屋くんの言葉を待った。鉢屋くんは困ったように軽く両手を挙げた。
「たまたまなんだ。あいつの懐から落ちた手紙を後輩が拾って、よくわからないまま開いてしまって。恋文か何かと大騒ぎしているうちに学園長先生に見つかった。ゆっくり話す暇もなかったよ。だが安心してくれ、内容は見ていない。」
「こここ恋文!?」
今度は白黒どころではなく完全に白目を剥きそうになる。泡を吹きそうだ。その時、ふと嫌な気持ちがよぎって我に返る。さあっと青ざめた私に鉢屋くんは怪訝な顔をした。というか、その顔お面なのに本当によくできてますね…。
私はごくりと生唾を飲んだ。
まさか、まさかだけど。勘右衛門、私から手紙をもらって迷惑してるのではないだろうか。
「あ、ありうる…華の十四歳、周囲が放っておくはずもなく…」
「お、おい、〇〇?」
「あわや恋文と騒がれその火を打ち消すことも叶わず、せめてもの抵抗に私に一瞥もなし…な、なるほど…」
「〇〇〜?……だめか。じゃあな、私はいくぞ。」
彼の背中を尻目に、私の中で点と点が繋がり極太い縄となった。半泣きになりながら脳内で縄跳びをする。
これ以上ないくらい疎まれる存在になっていたのか。私が入学してから極端に私に対して塩対応になった彼の気持ちがわかった。その塩を振られた青菜になった気持ちでしおしお廊下を歩く。ちょっと…好きな人に…うざがられていると思うだけで…生きていけない。
勘右衛門に手紙を書くのをやめよう、涙ぐんだ気持ちでそう決意した。
手紙を書いて、学級委員長委員会が行われている部屋に向かうと、人影は3人分しかいなかった。勘右衛門だけ、留守にしている。思いがけず安心して、宜しくね、と手紙を渡す。
「確かに受け取った。ありがとうな。ちなみに勘右衛門に手紙は置いていかないのか?」
からかってやろうと思ったのか、頬杖をついた鉢屋くんがにやにやして私に問いかけた。私は一年生に饅頭を配ってから、やわら向き直った。
「あ〜…お恥ずかしい…手紙書くのやめようと思いまして。」
頬杖から頬がずるりと落ちた。彼が面を押さえて、目を見開く。
「え?まさかこの前の、」
「違う違う!気を悪くしたとかじゃなくて、あっこれ鉢屋くんにもあげるね、くのたまで作ったお菓子。…あの〜、流石にこの歳になってまでお手紙は、勘右衛門も嫌だろうなって、やっと気づいたから。あっ、誤解しないでね!恋文なんかじゃないんだよ、私のただの日記帳みたいなものだから。それに勘右衛門が付き合ってくれてたの。」
べらべら喋る私にはぁ、へぇ、そう、と鉢屋くんがどんどん半眼になっていく。そして饅頭には手をつけない。
「…毒饅頭じゃないよ」
「どうだか。くのたまはこういうとこ信用してないんだ、私は。」
ちょっと嫌な気持ちになったので彼の饅頭を奪って、半分に割った。そのまま私の口に放り込む。庄左ヱ門と彦四郎が饅頭を齧ったまま凝視していた。
「…うん。結構上手くできたと思ってるから、食べてよ。いらなかったら私の目につかないところに捨ててね。お願い。」
鉢屋くんは後輩二人にひらひら手をやってそのまま食べていいよと促した。そして半分に割られた饅頭を食べつつ私の目を見る。
「あいつは怠惰だがこれでもこの委員会は忙しいからな。庇う気持ちはこれっぽっちも無いが、まぁ勘弁してやってほしい。それで、〇〇の手紙を止める権利は、私にも、勘右衛門にも無い。好きにすればいい。ただ、後悔するなよ。あいつはあれでも人気者だからな。」
わかってるよ、そんなの。私は薄ら笑いを浮かべた。私が断ち切るのは手紙だけじゃ無い、彼との細く繋がる縁だ。それでも、彼に疎まれてまで鬱陶しくまとわりつけるほど私もタフじゃ無かった。
あっ、と私は思い出して懐に手をやる。
「紙、一枚余っちゃって。上等な紙だから返した方がいいかな、」
「いらんいらん。こういうのはな、駄賃だと思って貰っておけ。」
ふぅんと私は頷く。なるほど、だから勘右衛門はこの委員会に居続けるのか。私は残り一個の饅頭を割って後輩二人に渡した。
「じゃあ、お手紙宜しくお願いします。」
部屋を出て、紙を空に透かせる。墨のにじみも良く、今までで一番綺麗に書けた。何を書いてやろうか。私は目を細める。
部屋で粗末な紙にああでもないこうでもないと下書きをして、とうとう私は紙に書くものを決めた。
同室の友人がいない隙に部屋を陣取り、すらすら書いていく。
宛名は尾浜勘右衛門様、差出人は無し。初めて、恋文というものを書いた。
伝えたかった気持ちを相手の都合を一回も考えず、書く。相手がいない手紙を書くのは初めてで、濁流のように言葉が溢れたから、何回も下書きして、選び抜いた正直な気持ちを書いた。
綺麗な紙に想いを書くと、私の恋心は素敵なものだったように思われる。あぁ、堂々たる無駄遣いだ、思わず微笑んだ。
友人が入ってくる。彼女は神妙な顔をした。私は見てよ、とひらひら手紙をちらつかせる。
「ついに送るのね」
「いいえ、送りません。」
友人は私の顔を見た。私は頬杖をついてそっぽを向く。
「今までの書き損じと一緒に、小松田さんに焼いてもらおうと思って。これで最後にする。」
「重いわね」
「重いでしょう!だから、お焚き上げ。」
「怨霊?」
「生霊よ!」
手を下げて、うらめしや、と言うと、彼女はため息をついた。
「手紙を送らなくたって、縁は切れないでしょ」
「手紙でも送らないと、お話もできなかったよ。……楽しかった!最近は勘右衛門が何を考えてるのか、どう思うのか、もうわかんなくなっちゃってたから、すっごく文に気を遣って、当たり障りないことばっかり書いて。久しぶりに、私、書きたいことだけ書いたよ。」
「もったいないね」
そう、言わないでよ。私は笑う。笑うのに、鼻が痛いから上を向く。本当に、重すぎる。呪われでもしているのか。
「小松田さん!」
声をかけると、彼ははあい、と間延びした声で振り返った。手には無数の紙束だ。
「今からゴミ処理ですか?」
「そうそう。結構溜まっちゃったから焼いて小さくしてから埋めようと思って」
私はお願いです、と紙を差し出した。
「これも一緒に捨ててもらえませんか?」
「えっ、いいけど…」
私はありがとうございます、と頭を下げた。
「あ、〇〇」
ぎくりと振り返ると勘右衛門だ。よりによってこんな時に。瞬時に小松田さんの紙束に挟み、急いでぎくしゃく笑って勘右衛門、久しぶりと手を振る。
「なんだなんだ、ぎこちないな。なんか隠し事でもあるのか?」
「ななないないないない」
「ま、知ってるんだけどね。これ、ありがとな。三郎がやった"おつかい"、俺にも回ってきてさ。上手くいったよ。」
「よかった。それでは!」
爽やかに手を挙げて去ろうとすると勘右衛門が目を丸くした。
「おいおい、どうしたんだよ〇〇、俺に何か言いたいことがあるんじゃなかったのか?」
「はい?」
「三郎が『一回よく話せ』って…」
素でヒュッと息を呑んだ。私は内心歯軋りする。鉢屋三郎、今度会った時覚えていろ…私の目が黒いうちは許さない…
「あ〜、もしかして、これじゃない?〇〇ちゃん」
小松田さんが片手で私が挟んだところをモゾモゾ漁り始める。あった!とまで言う。
「はい、ないですよ〜ないないしましょうね〜」
「ええ?」
「何?どう言うこと?〇〇?」
「とにかく勘右衛門には何も言うことないから、大丈夫だから、」
勘右衛門が怪訝な顔で歩み寄る、その時、もつれ込んでいた私と小松田さんが体勢を崩した。
「っ、」
勘右衛門が倒れかけた私の背中を抑える、その瞬間勘右衛門の手にあった文がひらひら落ちてしまう。
「わわわっ!」
対照的に小松田さんはひっくり返って、紙が辺りに散らばった。その中に舞い落ちた勘右衛門の文が混ざり、風が吹いて、有り体に言うと、悲惨な状況となった。
私と勘右衛門は声にならない悲鳴をあげる。いや、超音波くらいでなら聞こえていたかもしれない。
私は瞬時にしゃがみ込み、文を探す。絶対に勘右衛門に書き損じ、特に私の気の狂った恋文を見られてはならない。勘右衛門も続けてしゃがんで探し始める。
私は滑り込むように手を伸ばして勘右衛門の文を探し当てた。おそらく私の筆跡が残っているし、使用済みのこれであっているだろう。
「勘右衛門!見つけた見つけた!これ!はい!もう終わり!もう見ない!」
「……」
勘右衛門が私を見下ろして半眼になる。私は冷や汗ダラダラと歪に笑った。小松田さんがやっとこさいたた、起き上がって、わあ〜〜と驚く。
「ん?あれ?〇〇ちゃん、尾浜勘右衛門くんの手紙混ざってるよ?いいの?」
「ウォォォォォォォォォォォォ」
よりにもよって綺麗な紙を引き当てた小松田さんに怒りの念すら湧く。迂闊だった。そもそも小松田さんに頼らず、自身で埋めるなりなんなりすべきだったのだ。小松田さんから奪い取るように手紙を抜き取る、と、勘右衛門がその手紙をさらに抜き取った。
「え?!ちょ、やめて、」
「俺への手紙なんだから俺のものだろ?」
「違う書き損じだからというか正式に送ってないのであなたのものではない!何を言っている!」
勘右衛門が手紙を開いた瞬間手紙に手刀を突きつけ破った。勘右衛門が怯んだ瞬間に勘右衛門の手から抜き取ろうと身を寄せると、難なくかわされ羽交い締めにされる。無念!
「落ち着けー、さてと、……」
背後で静かになった勘右衛門に、とうとう私は泣いてしまった。伝えるつもりは毛頭なかったのに。馬鹿みたいに独りよがりな気持ちだけ書き連ねた恋文だ。笑われても引かれてもどっちに転んでも地獄。顔なんか見上げられず顔を覆った。
「わぁ、これもこれも、〇〇ちゃんの字?綺麗だね」
小松田さんはのんびりと他の書き損じも拾い上げて朗らかに笑う。脱力すると、なぜか私を羽交締めにする力が強くなった。く、くるし、と声を漏らすと、する、と手が落ちて、腰元にがっちりと手が回される。
何刻も経ったような苦しい時間が流れて、勘右衛門は手紙を畳んだ。
「小松田さん、この紙全部俺が処理しとくんでください」
「え?でもごみだよ?」
「ごみなんかじゃない」
小松田さんは怪訝な顔をしたけれど、じゃあ任せたよ、とおざなりに紙をかき集めて勘右衛門に渡し、去っていった。
私はメソ…メソ…と俯いており、一方で勘右衛門から逃げられないまま捕まえられていた。
「〇〇、」
勘右衛門が私の耳元に顔を下ろす。
「ごめん、気持ち悪くて、もう二度と書いたりしないから、許してください……」
顔を覆って言うと、私を抱きしめる手の力が強くなった。
「俺さあ、〇〇に兄貴分みたく思われちゃってるのかと思ってたの。だから、俺の後追って来たり言いつけ守ってめんどくさくっても手紙書いてくれてるのかと、思ってた。」
でも、違ったね。勘右衛門が耳元で笑う音がする。良かった、とも言った。私は彼の吐息混じりの笑い声など初めて聞いたし、彼が何を思って、どんな顔をしているのか、こんなに近いのに何もわからない。
彼が私に体重をかけて、ぎゅっと前のめりになる。私はたたらをふんで、一、二歩前に出た。
幸福そうに、ふふ、ふふ、とくすくす笑う彼に、私は頭が混乱して何も言えない。彼は言った。
「俺、安心したよ。お前の思ってたこと、伝えたいこと、やっとわかった。嬉しいよ。」
嬉しい。私は目を見開いた。その瞬間にぼろっと涙が溢れ出る。
ずるいよ、と言ったら、ごめんね、俺も十年ものの臆病だからさ、と、頭の上に顎を置かれた。
大体、興味がないのだ。彼の周りには彼が選び抜いた大好きな人間が集められており、彼はそれらの人間をそれは大層大事に楽しそうに扱うから、人は誤解してしまう。自分も同じように大切にしてもらえるのではないかと。
結構な誤解だ。彼は興味がないものについてはとことん視線が乾いている。それなのに、人当たりだけはいいのだから人が蔑ろにしない。彼の周りは、そうやって日夜御人形遊びを繰り返している。
私がそう言うと、友人は「大好きな幼馴染が遠くに行ってしまったからって、そう僻むものではないよ」と半眼で私を見下ろした。
「だって!それじゃあ私への態度は何?」
私は机にべたりと張り付いたまま友人を見上げた。友人はふむ、と手で顎をこする。
「呆れ、諦観、揶揄い」
「まともなのがいっこもない!」
きぃぃと猿のように悲鳴をあげながら顔を机に擦り付けていると、友人が私の頭に手刀を落とした。
「じゃあさっさとやめればいいのよ。手紙を書くなんてさ。ちいちゃいころから癖にでもなってるんでしょうけど、あんたが言う通り、尾浜くんが軽い人間ならね、あんたも大概重すぎるのよ。」
私は、ず、と鼻を鳴らして、無言で首を振った。
尾浜勘右衛門と私は同じ村の出身である。
同い年であったにも関わらず、彼は私より格段に要領が良くて、可愛くて、賢く、強かであった。
彼が努力の人であることを知っている。私は、そんな彼に憧れていつも後ろにつきまとってばかりいた。しかし、ちょろちょろちょろちょろ、金魚のあれみたいについて回る私を放って、彼はいつしか忍術学園に入学することとなった。その時の私の絶望たるや。齢九つにして私は産まれたての赤子のようにくしゃくしゃに泣いた。私を置いていくな。重たすぎる私に辟易したのか、彼ははいはいと私の頭をなでた。
「じゃあさ、〇〇、俺に手紙を書いてよ。」
私は泣き腫らした不細工な顔のまま、彼を見上げた。
「村のことでもいい、自分のことでもいい、なんでもいい。〇〇が俺に伝えたいことを書いてくれよ。」
今思えば、彼の優しさだったのだろう。私の手を振り払うことだってできたのに、彼は、私と彼の架け橋を残してくれた。
しかし、馬鹿だった私は、その言葉に、彼も私を憎からず思っているのかもしれないと、たちまち機嫌を良くして、ころっと心を入れ替え、集団生活では不便だろうと彼の着物に名前を縫ったりなんかした。
彼が出立してからすぐ私は手紙を書いた。
彼が知りたがるだろうから、彼の母上、父上、村のことを。私は元気です、あなたは元気でしょうかと言うことを。それから、取り留めのないこと、例えば、私は雷が鳴るのはお天道様が怒っているからではなく、喜んで大騒ぎしているからではないのかと考えているのですが、あなたはどう思うでしょうかなどと言うことを。
うきうきで何通も出し、一年ほど待っていれば馬鹿でもわかる。
彼は、『俺に手紙を書いてよ』と言った。
決して、『俺も手紙を返すからさ』とは、言わなかったのだ。
もう大騒ぎである。騙された!とも思った。
わんわん泣く煩い女の出来上がりである。しかも齢は十になっていたので声量もやかましかった。
親は辟易して、ついにはお前もちょっとは気品というものを学んでこいと忍術学園に入ることを許可してくれた。こうして私は、十が十一になる前に、くのたま編入生として忍術学園の門を潜ったのである。
友人は、膨れる私を横に、机に伏せていた手紙をするっと上手に引き抜いた。
「あ!」
「まあまあ。さっすが、九つから手紙を書き続けてきただけあるわね、上手なお手蹟ですこと。」
「返してよ!」
「エー、今日はカラスウリの花を見ました。夜に咲くなんて知らなかったのでとても得した気分になりました。忍術学園の門のそばに咲いています。忍務でお忙しいでしょうが、少しでも気持ちが休まりますように。へえ!殊勝なこと書いてるじゃない」
私はやっとのことで奪い返したが、もう読み切られた後であった。私はその紙をくしゃくしゃと丸めて部屋の隅に投げる。
「ああ!勿体無い」
「どうせ授業で使った紙の裏紙よ。それに、どうせ、見てもいないんだから、」
私はそう言って、なぜか声が途切れて、続けられなかった。
「…見ていないって、どうして言えるの」
友人が静かに私に声をかける。
「…私がくのたまに編入するって、手紙を書いたの。でも、何にも言わないし、訪ねてもこないの。あんたも一緒にいたと思うけど、たまたますれ違った時に、『〇〇何でいるの?よく来たねこんなとこまで』だって。もし、万が一に読んでいたとしても、すぐ忘れてしまうんなら見てないのと一緒だよ」
友人は私の頭に手を置いた。優しくするな、と暴れると、友人は笑った。それでもあんたは手紙を書きたいんでしょ?と言われると、それは、まぁ、十年ほどの恋心を抱えて来た重い人間なもので。こんなとこまでついてきたのかとからから笑った勘右衛門のことが思い出される。細いつながりでも縋っていたいのだ。頷かざるを得ない。
学級委員長委員会ってよく目立つ。何かしら学園長先生の思いつきで開催される行事には審判で出たり、学生代表をしたり。
彼の周りの級友や、後輩を見ていると、村を出て大正解だったのだと思わされる。彼の世界は今や広く、どんどん私から遠く離れている。そんな姿を見ていると、幼い頃彼にとやかく付き纏っていた日々がひどく朧げに感じられた。
正直、迷っていた。迷う分、幼い頃には馬鹿みたいにほいほい出せていた手紙も、伝えたい言葉も、上手く書けなくなっていった。送れる手紙が、二通から一通に、三通から一通に。書き損じが増えていくたびに、伝えられない思いは文箱にぎゅうぎゅうに詰められていった。
さっきの花だってそうだ。同じ忍術学園で過ごして、彼の生活を、苦労を、肌に感じるたびに、こんな手紙で時間を取ることが申し訳なくなってくる。もしも本当に、見ていなかったとしても、見る可能性が少しでもあるのなら、有益な情報を伝えたいし、見てよかったと思えるような、陽だまりのような言葉だけ伝えていたい。
重すぎるのも大概に、けれど私こそ軽薄な人間だ。自身の言葉を塗り固めて、これ以上、彼が疎く思う存在にならないように。彼から、遠く離れませんようにと。
くのたま五年ともなると、流石に品性を無視して通れはしない。真面目に忍術の勉学にも励む。私は幸せ者で、両親に忍びになることを許してもらえていた。家によっては喧嘩別れした者も珍しくない。まぁ、共通して私達の生活の中心は、真面目なものになっていった。
同じ授業料を払うのなら、経験は多く積める方がいい。私はその他のくのたまと同じ考えで、学園長先生の庵に何の躊躇いもなく向かった。
「学園長先生、ご用件は何でしょう?」
早々に訊ねると、おお、と盆栽を切っていた手を止め、まあ上がりなさい、と促された。部屋の中には文机と、真白い綺麗な紙がある。
「鉢屋三郎」
「はっ」
天井からするりと降りてくる彼に一瞬びくついたが、気配は察知していた。私は一瞥を投げて、学園長先生に向き直る。
「二人に忍務を命ずる。手紙を書き、暗号をマイタケ城に持っていって参れ。」
「こちらの紙は使ってよろしいのですか?」
「無論、そうじゃ、〇〇、お主は字が綺麗とのことじゃな、楓さんと如月さんにも文を書いてもらえるか」
楓さんと如月さんは学園長先生の元ガールフレンドである。絶対こっちのがメインだろ。しかし私はにこやかに「かしこまりました」とうなずいた。
「鉢屋くん、書け次第渡すね。いつ頃出立しそう?」
「〇〇が仕上げ次第で構わない。学園長先生も〇〇を巻き込まないでほしいな…」
「鉢屋くんは委員会で大変だもんね。いつもありがとう。でも、私はちょっとだけ楽しんでるよ。終わったら持っていくね」
鉢屋くんは、食堂に向かう廊下の上で少し気まずそうにそっぽを向いた。
「…すまない、実は…学園長先生に〇〇の手紙を見せてしまったのは私たちなんだ。それから興味を持たれたようで…」
「え?!?!」
私は目を白黒させる。どういうことだ、私は勘右衛門にしか手紙を書いていない。勘右衛門が見せたのか、いや、それより、
「か、勘右衛門、何か言ってた?!」
「えっ」
「私の手紙について!」
面白いとか、楽しみにしてるとか、と続けようとしたが、もし違っていた時致命傷では済まされない。必死に耐えて鉢屋くんの言葉を待った。鉢屋くんは困ったように軽く両手を挙げた。
「たまたまなんだ。あいつの懐から落ちた手紙を後輩が拾って、よくわからないまま開いてしまって。恋文か何かと大騒ぎしているうちに学園長先生に見つかった。ゆっくり話す暇もなかったよ。だが安心してくれ、内容は見ていない。」
「こここ恋文!?」
今度は白黒どころではなく完全に白目を剥きそうになる。泡を吹きそうだ。その時、ふと嫌な気持ちがよぎって我に返る。さあっと青ざめた私に鉢屋くんは怪訝な顔をした。というか、その顔お面なのに本当によくできてますね…。
私はごくりと生唾を飲んだ。
まさか、まさかだけど。勘右衛門、私から手紙をもらって迷惑してるのではないだろうか。
「あ、ありうる…華の十四歳、周囲が放っておくはずもなく…」
「お、おい、〇〇?」
「あわや恋文と騒がれその火を打ち消すことも叶わず、せめてもの抵抗に私に一瞥もなし…な、なるほど…」
「〇〇〜?……だめか。じゃあな、私はいくぞ。」
彼の背中を尻目に、私の中で点と点が繋がり極太い縄となった。半泣きになりながら脳内で縄跳びをする。
これ以上ないくらい疎まれる存在になっていたのか。私が入学してから極端に私に対して塩対応になった彼の気持ちがわかった。その塩を振られた青菜になった気持ちでしおしお廊下を歩く。ちょっと…好きな人に…うざがられていると思うだけで…生きていけない。
勘右衛門に手紙を書くのをやめよう、涙ぐんだ気持ちでそう決意した。
手紙を書いて、学級委員長委員会が行われている部屋に向かうと、人影は3人分しかいなかった。勘右衛門だけ、留守にしている。思いがけず安心して、宜しくね、と手紙を渡す。
「確かに受け取った。ありがとうな。ちなみに勘右衛門に手紙は置いていかないのか?」
からかってやろうと思ったのか、頬杖をついた鉢屋くんがにやにやして私に問いかけた。私は一年生に饅頭を配ってから、やわら向き直った。
「あ〜…お恥ずかしい…手紙書くのやめようと思いまして。」
頬杖から頬がずるりと落ちた。彼が面を押さえて、目を見開く。
「え?まさかこの前の、」
「違う違う!気を悪くしたとかじゃなくて、あっこれ鉢屋くんにもあげるね、くのたまで作ったお菓子。…あの〜、流石にこの歳になってまでお手紙は、勘右衛門も嫌だろうなって、やっと気づいたから。あっ、誤解しないでね!恋文なんかじゃないんだよ、私のただの日記帳みたいなものだから。それに勘右衛門が付き合ってくれてたの。」
べらべら喋る私にはぁ、へぇ、そう、と鉢屋くんがどんどん半眼になっていく。そして饅頭には手をつけない。
「…毒饅頭じゃないよ」
「どうだか。くのたまはこういうとこ信用してないんだ、私は。」
ちょっと嫌な気持ちになったので彼の饅頭を奪って、半分に割った。そのまま私の口に放り込む。庄左ヱ門と彦四郎が饅頭を齧ったまま凝視していた。
「…うん。結構上手くできたと思ってるから、食べてよ。いらなかったら私の目につかないところに捨ててね。お願い。」
鉢屋くんは後輩二人にひらひら手をやってそのまま食べていいよと促した。そして半分に割られた饅頭を食べつつ私の目を見る。
「あいつは怠惰だがこれでもこの委員会は忙しいからな。庇う気持ちはこれっぽっちも無いが、まぁ勘弁してやってほしい。それで、〇〇の手紙を止める権利は、私にも、勘右衛門にも無い。好きにすればいい。ただ、後悔するなよ。あいつはあれでも人気者だからな。」
わかってるよ、そんなの。私は薄ら笑いを浮かべた。私が断ち切るのは手紙だけじゃ無い、彼との細く繋がる縁だ。それでも、彼に疎まれてまで鬱陶しくまとわりつけるほど私もタフじゃ無かった。
あっ、と私は思い出して懐に手をやる。
「紙、一枚余っちゃって。上等な紙だから返した方がいいかな、」
「いらんいらん。こういうのはな、駄賃だと思って貰っておけ。」
ふぅんと私は頷く。なるほど、だから勘右衛門はこの委員会に居続けるのか。私は残り一個の饅頭を割って後輩二人に渡した。
「じゃあ、お手紙宜しくお願いします。」
部屋を出て、紙を空に透かせる。墨のにじみも良く、今までで一番綺麗に書けた。何を書いてやろうか。私は目を細める。
部屋で粗末な紙にああでもないこうでもないと下書きをして、とうとう私は紙に書くものを決めた。
同室の友人がいない隙に部屋を陣取り、すらすら書いていく。
宛名は尾浜勘右衛門様、差出人は無し。初めて、恋文というものを書いた。
伝えたかった気持ちを相手の都合を一回も考えず、書く。相手がいない手紙を書くのは初めてで、濁流のように言葉が溢れたから、何回も下書きして、選び抜いた正直な気持ちを書いた。
綺麗な紙に想いを書くと、私の恋心は素敵なものだったように思われる。あぁ、堂々たる無駄遣いだ、思わず微笑んだ。
友人が入ってくる。彼女は神妙な顔をした。私は見てよ、とひらひら手紙をちらつかせる。
「ついに送るのね」
「いいえ、送りません。」
友人は私の顔を見た。私は頬杖をついてそっぽを向く。
「今までの書き損じと一緒に、小松田さんに焼いてもらおうと思って。これで最後にする。」
「重いわね」
「重いでしょう!だから、お焚き上げ。」
「怨霊?」
「生霊よ!」
手を下げて、うらめしや、と言うと、彼女はため息をついた。
「手紙を送らなくたって、縁は切れないでしょ」
「手紙でも送らないと、お話もできなかったよ。……楽しかった!最近は勘右衛門が何を考えてるのか、どう思うのか、もうわかんなくなっちゃってたから、すっごく文に気を遣って、当たり障りないことばっかり書いて。久しぶりに、私、書きたいことだけ書いたよ。」
「もったいないね」
そう、言わないでよ。私は笑う。笑うのに、鼻が痛いから上を向く。本当に、重すぎる。呪われでもしているのか。
「小松田さん!」
声をかけると、彼ははあい、と間延びした声で振り返った。手には無数の紙束だ。
「今からゴミ処理ですか?」
「そうそう。結構溜まっちゃったから焼いて小さくしてから埋めようと思って」
私はお願いです、と紙を差し出した。
「これも一緒に捨ててもらえませんか?」
「えっ、いいけど…」
私はありがとうございます、と頭を下げた。
「あ、〇〇」
ぎくりと振り返ると勘右衛門だ。よりによってこんな時に。瞬時に小松田さんの紙束に挟み、急いでぎくしゃく笑って勘右衛門、久しぶりと手を振る。
「なんだなんだ、ぎこちないな。なんか隠し事でもあるのか?」
「ななないないないない」
「ま、知ってるんだけどね。これ、ありがとな。三郎がやった"おつかい"、俺にも回ってきてさ。上手くいったよ。」
「よかった。それでは!」
爽やかに手を挙げて去ろうとすると勘右衛門が目を丸くした。
「おいおい、どうしたんだよ〇〇、俺に何か言いたいことがあるんじゃなかったのか?」
「はい?」
「三郎が『一回よく話せ』って…」
素でヒュッと息を呑んだ。私は内心歯軋りする。鉢屋三郎、今度会った時覚えていろ…私の目が黒いうちは許さない…
「あ〜、もしかして、これじゃない?〇〇ちゃん」
小松田さんが片手で私が挟んだところをモゾモゾ漁り始める。あった!とまで言う。
「はい、ないですよ〜ないないしましょうね〜」
「ええ?」
「何?どう言うこと?〇〇?」
「とにかく勘右衛門には何も言うことないから、大丈夫だから、」
勘右衛門が怪訝な顔で歩み寄る、その時、もつれ込んでいた私と小松田さんが体勢を崩した。
「っ、」
勘右衛門が倒れかけた私の背中を抑える、その瞬間勘右衛門の手にあった文がひらひら落ちてしまう。
「わわわっ!」
対照的に小松田さんはひっくり返って、紙が辺りに散らばった。その中に舞い落ちた勘右衛門の文が混ざり、風が吹いて、有り体に言うと、悲惨な状況となった。
私と勘右衛門は声にならない悲鳴をあげる。いや、超音波くらいでなら聞こえていたかもしれない。
私は瞬時にしゃがみ込み、文を探す。絶対に勘右衛門に書き損じ、特に私の気の狂った恋文を見られてはならない。勘右衛門も続けてしゃがんで探し始める。
私は滑り込むように手を伸ばして勘右衛門の文を探し当てた。おそらく私の筆跡が残っているし、使用済みのこれであっているだろう。
「勘右衛門!見つけた見つけた!これ!はい!もう終わり!もう見ない!」
「……」
勘右衛門が私を見下ろして半眼になる。私は冷や汗ダラダラと歪に笑った。小松田さんがやっとこさいたた、起き上がって、わあ〜〜と驚く。
「ん?あれ?〇〇ちゃん、尾浜勘右衛門くんの手紙混ざってるよ?いいの?」
「ウォォォォォォォォォォォォ」
よりにもよって綺麗な紙を引き当てた小松田さんに怒りの念すら湧く。迂闊だった。そもそも小松田さんに頼らず、自身で埋めるなりなんなりすべきだったのだ。小松田さんから奪い取るように手紙を抜き取る、と、勘右衛門がその手紙をさらに抜き取った。
「え?!ちょ、やめて、」
「俺への手紙なんだから俺のものだろ?」
「違う書き損じだからというか正式に送ってないのであなたのものではない!何を言っている!」
勘右衛門が手紙を開いた瞬間手紙に手刀を突きつけ破った。勘右衛門が怯んだ瞬間に勘右衛門の手から抜き取ろうと身を寄せると、難なくかわされ羽交い締めにされる。無念!
「落ち着けー、さてと、……」
背後で静かになった勘右衛門に、とうとう私は泣いてしまった。伝えるつもりは毛頭なかったのに。馬鹿みたいに独りよがりな気持ちだけ書き連ねた恋文だ。笑われても引かれてもどっちに転んでも地獄。顔なんか見上げられず顔を覆った。
「わぁ、これもこれも、〇〇ちゃんの字?綺麗だね」
小松田さんはのんびりと他の書き損じも拾い上げて朗らかに笑う。脱力すると、なぜか私を羽交締めにする力が強くなった。く、くるし、と声を漏らすと、する、と手が落ちて、腰元にがっちりと手が回される。
何刻も経ったような苦しい時間が流れて、勘右衛門は手紙を畳んだ。
「小松田さん、この紙全部俺が処理しとくんでください」
「え?でもごみだよ?」
「ごみなんかじゃない」
小松田さんは怪訝な顔をしたけれど、じゃあ任せたよ、とおざなりに紙をかき集めて勘右衛門に渡し、去っていった。
私はメソ…メソ…と俯いており、一方で勘右衛門から逃げられないまま捕まえられていた。
「〇〇、」
勘右衛門が私の耳元に顔を下ろす。
「ごめん、気持ち悪くて、もう二度と書いたりしないから、許してください……」
顔を覆って言うと、私を抱きしめる手の力が強くなった。
「俺さあ、〇〇に兄貴分みたく思われちゃってるのかと思ってたの。だから、俺の後追って来たり言いつけ守ってめんどくさくっても手紙書いてくれてるのかと、思ってた。」
でも、違ったね。勘右衛門が耳元で笑う音がする。良かった、とも言った。私は彼の吐息混じりの笑い声など初めて聞いたし、彼が何を思って、どんな顔をしているのか、こんなに近いのに何もわからない。
彼が私に体重をかけて、ぎゅっと前のめりになる。私はたたらをふんで、一、二歩前に出た。
幸福そうに、ふふ、ふふ、とくすくす笑う彼に、私は頭が混乱して何も言えない。彼は言った。
「俺、安心したよ。お前の思ってたこと、伝えたいこと、やっとわかった。嬉しいよ。」
嬉しい。私は目を見開いた。その瞬間にぼろっと涙が溢れ出る。
ずるいよ、と言ったら、ごめんね、俺も十年ものの臆病だからさ、と、頭の上に顎を置かれた。