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仮想卓


からん、からん。

喫茶Reposerの扉が開くと、軽いベルの音に混じって蝉の声が店内に飛び込んできた。
入店してきた人物に「いらっしゃいませ」と声を掛けたのは、店主の水野光一である。
青年は視界に入った人物が叔父の備前友春だった事を認識すると、柔らかな笑みを浮かべた。

「お帰りなさい」
「ああ、ただいま」

残暑厳しい九月の街中が暑かったことは想像に容易く、買い物袋を下げて帰って来た備前は伝う汗を拭いながら店の奥へと進む。
通りすがりに、昼下がりの一時を過ごすご近所のマダム達と挨拶を交わすのも忘れない。
過ぎるほど整っている顔立ちの備前は越してきた時から結構な有名人で、その彼が甥と喫茶店を始めたとあれば評判にならない訳がない。
あっと言う間にご近所の奥様方の憩いの場となるのは、ある意味必然かも知れなかった。
僅かばかりのテーブル席を抜けた向こうはカウンター席で、そこには大柄な男が座っている。
休日なのか休憩なのかはわかりかねるが、存外ラフな格好をしている男は水野が珈琲を淹れるのを期待いっぱいの眼差して見ていたが、備前が帰って来たと聞き後ろを振り返った。

「久しぶりだな、鶴崎。いらっしゃい」
「ああ、お邪魔してる」

ひらひらと手を振ると、また水野の手元に視線を戻した。
長く不安に苛まれていた鶴崎は、最近漸く解放されたらしい。いつぞやの様な切羽詰まった顔は鳴りを潜め、今はまた、人懐っこい笑みを浮かべるようになっていた。
その代わり、仕事に打ち込めるようになったのか忙しそうで、以前ほど頻繁には店に現れなくなった訳だが。
挨拶を交わし終え、エプロンを掛けた備前がカウンターの奥で水野と並ぶ。
買ってきたものを片付け水を一杯だけ煽ると、仕事をし始めた。

一頻り片付けを終える頃、備前は思い出したように一通の封筒を取り出した。

「そうだ光一、お前宛てに手紙が来ていたぞ」
「……僕宛て?」
「手が空いたら渡そうと思っていたんだが、忘れるところだった」

悪いな、と苦笑した備前に笑みを返し、水野は封筒をしげしげと眺めた。
品のよい和紙の封筒。裏面に書かれた住所には覚えがなく、「杉山奈緒美」とある差出人の名前にも心当たりがない。

「誰だろう」
「心当たりがないのか?」
「うん」
「なんだなんだ?不審な手紙なのか?」
「いや、不審かどうかはわからないけど」

うーん、と透かすように眺め回す水野に、備前は言う。

「まあ、休憩ついでに見てみたらどうだ?鶴崎も。不審だなんだと、あまり光一に言ってやるな」
「悪い悪い、ついな」

はは、っと笑った鶴崎だが、どうにも興味がある様子である。
エプロンを外して水野はカウンターに座った。興味津々な鶴崎の隣で、手にした封筒を開けていく。
夏草の透かしの入った便箋には、青いインクの万年筆で書かれた文字が並んでいる。
やわらかな女性の字だとわかるそれはかなりの達筆で、全体的な品のよさを水野に感じさせた。
そのまま、文面を追っていく。

「拝啓
 突然のお手紙を差し上げる失礼をお許し下さい。
 私は、貴方様の祖父君と交友のございました、杉山早苗の孫で杉山奈緒美と申します。
 この度、お手紙を差し上げましたのは、祖母の残した書類を整理しておりましたところ、祖父君のご遺品を当家にてお預りしていることが判明しました。
 素人目な がらもとても価値のあるものに見受けられましたので、私の判断だけではどうすることもできず、こうして筆をとった次第です。
 このご遺品は、当時の貴方様の祖父君、私の祖母である杉山早苗、そして他のご友人の方々と共同所有をしていたもののようで、一時的に当家で保管をさせていただいていたようなのです。
 ご遺品は、とても古い時代の木製のレリーフで、素朴ながらも、時代を経てきた味わいのあるものです。日本のものではなく、どこか外国のもののようなのですが、知人の話では、おそらくは数百年は経っているということでした。
 保存状態は大変良く、当時の製作者の息吹が感じられるようです。
 このようなせっかくの品ですので、このまま時に埋もらせるのはもったいなく思い、70年近く経ったいまですが、再びこの件にて所縁の方にお集まりいただき、 みなさまとご相談をさせていただきたいのですが、いかがなものでしょうか?
 ご多忙のところお手をわずらわせて誠に恐縮ですが、ご連絡をお待ちしております。

 かしこ  

 杉山奈緒美 」

読み終え、それから、はてと首をかしげた。
賑わっていた店内はいつの間にか鶴崎だけになり、少しばかりの静けさがやって来ていた。
談笑していたマダム達が帰る頃合いには、きちんと挨拶もしたが、文面に集中しすぎてしまったようである。
どうやら差出人は困っているらしいが、さて、どうしたものか。
考えようとして、やめた。聞いてみるのが一番である。

「……友春さん」
「なんだ?」

此処には自分達の他には鶴崎だけだ。彼なら良いだろうかと、水野は口を開く。
カウンターの向こうでグラスを拭きながら水野を見ていた備前は、呼ばれてほんの少し伺うような視線を投げる。

「どうも、水野のお祖父様関連の話みたいなんだけど」
「……ちょっと見せてくれ」

(まずかったかな。あまり良い反応じゃない)

備前の顔が少し強張るのを見て、水野は少しばかり後悔をする。
神妙な面持ちで手紙を受け取った備前が手紙を読み終えるまで待って、水野はまた口を開いた。

「……どう思う?」
「……お前はどうしたいんだ?」
「困ってるみたいだし行くべきかなとは思うんだよね。水野のお祖父様がどんな人かあまり覚えてないけど、遺品がお世話になってるなら僕だけでも挨拶には行かなきゃ」
「……」
「なあ。水野の家って色々ややこしかったんだろう?きみが此処に居ることを何処から知ったのか知らんが、大丈夫なのかそれ」

どうやら、ニコニコしている場合ではないと察した鶴崎は珈琲を傾けながら真面目な顔で問うた。
流石に手紙を覗く訳にもいかずに大人しく待っていたのだが、ここ一年の間に起こる色々な出来事を思い起こさせるようで存外不安げだ。
その、水野に向けた筈だった鶴崎の言葉は備前に受け取られたようで、手紙を片手に眉根を寄せて彼は答える。

「大丈夫か以前に、俺としては光一を関わらせたくない。一人で行くなら反対だ」
「えー。じゃあ友春さん一緒に来る?」
「友春が行くなら俺も行くぞ」
「……鶴崎が来るのは遠慮願う。お前が来ると、何かあった時にまたお前が気を病みそうだ」
「それなら尚更、付いてくぞ。きみらに何かあってみろ、その方がきつい」

迷いや不安からは解消されたとは言え、鶴崎は自分の周りの人間への危機には敏感に反応する。
守りたいが為に首を突っ込むのは安易に想像できるし、自分が同行するなら間違いなく付いてくるだろうことも備前には手に取るようにわかった。
鶴崎はそういう男だ。
だが、水野を独りで行かせる訳にはいかない。
落としどころを探して唸っている時、鶴崎はにこり、と笑った。

「よし、それじゃあ人を紹介しよう」
「……鶴崎、お前人を巻き込むのはどうとか言ってなかったか?」
「そうだよ、僕の個人的な話に知らない人を巻き込むのは迷惑だよ」
「しかし、光一は手紙の主の元を訪ねたいし、友春は行かせたくないんだろう?同行もできないなら、これが一番良い手だと思うけどな」
「…………お前が付いてこなければ落としどころにするんだが?」
「そりゃ無理な話だ」

きっぱりと言い切ると、変わらず笑顔のまま鶴崎は続ける。

「心配するな。やや気は短いが良い奴だぞ?荒事も得意だし用心棒になるだろうさ。なにせ、俺が一番信頼を置いてる後輩だから、大丈夫だ」

言うが早いか立ち上がり、携帯電話を取り出しながら店の外へと向かっていく。

「いや、だから、ちょっと待て鶴崎」
「……電話掛けに行っちゃった。良いのかなぁ、仲良くできるかな」
「気にするところはそこなのか?……まあ、でも水野の事情を知らない人物なら良いのかもな。鶴崎が信頼していると言うなら、大丈夫なんだろうが」
「と言うかね、友春さんも心配し過ぎだよ。そんなにそうそう何かに巻き込まれるなんて」
「どの口で無いと言うんだ、お前は。まして水野の家絡みだ。何かあるだろう」

ぴしゃりと言い放つ備前の言い分は最もで、春先に遭った事故だけではない。
備前は、水野が何かにつけて不思議な体験を呼び寄せるのか、定期的に巻き込まれているのを保護者として知っていた。
暫くは無かったと思ったが、どうやらまた最近巻き込まれ始めているようであると感づいている。
そもそも。水野家がそういう血筋なり力があるなりするのでは無いかと疑っている節もあるくらいだ。

「友春さんは、水野の家のことあまりよく思ってないよね」
「まあ……よく思える要素が無いからな」

はあ、と、溜め息をついて備前は目を閉じた。
鶴崎が紹介する人物がどんな人間なのか、見極めねばならない。
何かに巻き込むかも知れないと言う小さな不安も芽生え、少しばかり落ち着かない心境だ。
水野には、そんな叔父の様子が不機嫌そうに映り心配したが、何か言うと薮蛇になるだろうと考え直し黙って備前が落ち着くのを待つ事にした。
エアコンの風が、妙に冷たく感じ始めた時である。
からん、からんと入店を知らせるベルの音が響いた。

「「いらっしゃいませ」」

同時に反応して扉を見やると、にこやかに歩みを進める鶴崎の後ろに二人付いてきていた。

「いやぁ、紹介しようと思ったら丁度来ていたらしくてな」

電話を掛けたら姿が見えたから、と彼がつれてきたのは早長と山国であった。
二人ともラフな格好をしているところを見ると休日のようだが、早長よりは山国が怪訝な顔をし「……紹介?」と呟いた。
思わぬ人物の登場に、水野の顔はぱあっと明るくなる。

「あれ、涼太くんと広樹くんじゃないか。永人さんと知り合いだったのかい?」
「俺はこの人の後輩です」
「……俺は別に、知り合いと言うわけでは」
「そうそう、頼りになる後輩は早長のことなんだ。山国先生は、顔は知ってるだろう?先日名刺交換したじゃないか」

鶴崎から見れば子供ぐらいのサイズに相当する山国は、げんなりとした表情を隠しもせず肩を竦めた。
仕事でならいざ知らず、プライベートで突然遭遇した鶴崎の人懐っこい態度は、どうにも気圧されてしまうのである。

「……おい、早長。あんたの先輩だろ、どうにかしろ」
「無理だな、諦めろ」

助けを求めても、早長は素っ気なく返して終わった。

「なんだよ、冷たいなー。いやしかし、きみらが知り合いだったのも驚いた。もしかして、医療関係者の友人って山国先生のことかい?」
「そうです」
「そうかそうか、間接的に俺も前からお世話になってた訳だな。改めて、その節は有難う山国先生。いつぞやはうちの早長が便利に使って悪かったな」
「…………、いや、その……構わないが、先生は、よしてくれ」
「え?何故だい?」
「鶴崎さん、取り敢えずその辺で勘弁してやってください。それで?紹介と言うのは?」

笑いを噛み殺したような曖昧な顔で早長が仲介に入ると、そのままなし崩しにカウンターに並んで座る。
左から、山国、早長、鶴崎と並ぶその様がまるでマトリョーシカのようだなぁと会話が終わるのを待っていた水野はぼんやり思う。
頼みごとをしようか、と言うのに余計なことを考えてしまったが、詰まるように感じた空気が少し軽くなった気がして深呼吸した。
それでも水野が浮かべるのは困り顔がせいぜいだったが、隣に立っている備前はやや思案した後、小さく頷いた。
全く知らない他人であるなら、見極めようと思ったが。
鶴崎が連れてきたこの二人なら、仮に不可思議な事に巻き込まれたとしても大丈夫かも知れないと思えたからだ。
それになにより、だ。見極めずとも、この二人なら備前も人となりは把握している。

「光一。彼らが来てくれるなら、構わないぞ」
「え、嘘。いいの?」
「引き受けてくれるならな。駄目なら先方に断りの連絡を入れること」
「ああ、うん、わかったよ」

一先ずエプロンをかけ直して、来店した二人に水とメニューを差し出しながら水野は言った。

「紹介については僕から話すね」
「はい」

応えて頷いたのは早長である。
山国はじっと見るに留まっていた。

「実はさ、僕のお祖父様の遺品を預かってくださってる方が居るらしくて、ご挨拶に行きたくてね。僕一人だと友春さんが駄目だって言うから、同行者を探しているんだ」
「水野さんの実家って、なんだかややこしいとか言うやつでしょう?俺や山国みたいな部外者が同行しても良いんですか?」
「それはまた先方に聞いてみるよ。永人さんが紹介するって言ったのは涼太くんの事だったみたいなんだけど、広樹くんも来てくれたら心強いなと思うんだ。……どうかな?」

おずおずと話した水野の隣では、備前が澄ました顔で立っている。
水野の話す様子を見乍ら、隣に立つ備前も伺っていた山国は、この美丈夫が水野に対して過保護ぎみなことを知っている。
危険が及ぼうものなら、流石に取り乱すだろう。
実際、春先に病院で見かけた時の鬼気迫る表情は、元が綺麗なだけに恐ろしさも感じたほどだ。
初めて見たのは高校生の頃だったが、今でも保護者ぶりは健在なんだなと、改めて思う。

(早長を紹介しようとしたってことは、ボディーガードとしてなんだろうな)

山国が考えを巡らせる時、丁度早長も似たような結論に辿り着いていた。

(要するにボディーガードが欲しい訳だな。……しかし、何故みんな俺に荒事を押し付けようとするのか)

思考する時間は山国の方が長かったが、答えは大体同じぐらいに二人は承諾の返事を返す。
山国は諦めたように、早長はどこか悟った様子であったが、特に何か言われる事は無い。
承諾を得られて喜んだ水野が満面の笑みで、礼を言った。

「本当かい?有難う二人とも!」
「……ああ、ただ、日程によるなとは」
「広樹くんはお医者さんだもんね。決まったらすぐ連絡するよ」
「なるべく早く頼む」
「了解したよ。涼太くんは、お休みはいつでも取れるのかな」
「鶴崎さんがなんとかするので大丈夫です」

ですよね?と真顔で問われれば、鶴崎も嫌とは言えない。事実なんとか出来るので、二つ返事で了解した。

「迷惑を掛けるが、光一を宜しく頼む」

備前が改まって言えば、早長と山国は背筋を正し小さく頭を下げた。





それから、数日後。
杉山奈緒美と連絡を取り、日程を決めた彼等は杉山屋敷へと訪れる事となる。
其処で何が起こるのかは、まだ誰も知るところではない。





・あとがき・

続かない(重要)
繁忙期がしんどすぎて、現実逃避に書いてました(笑)

動画にする場合は、毎度恒例のKP代理は鶴丸さん。SKPが必要であるなら鶯丸さんを予定していました。
水野さん家には色々あったり、備前さんが結構過保護な保護者であったり、山国や早長と顔見知りであったりと言うのはこのあたりから入れる予定だったなーと言うのが書けたので満足。
鶴崎と山国が知り合いなのは、山国の上司が不思議体験をしていて、その情報収集兼取材に鶴崎が来ていた設定だからです。
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