セルフ三次創作
「店が閉まっていたから心配したら、事故ってどういう事だ!!!!」
そんな泣きたいのか怒っているのか分からない様子で鶴崎が発した言葉を右から左に聞き流し、備前は淹れたばかりの紅茶を差し出した。
彼はそのまま、テーブルを挟んだ向かいに腰を下ろす。その備前の隣には、肩を竦め苦笑した水野が座っていた。
時刻は半日ほど前に遡る。
“暫く休業致します”
素っ気無い張り紙が喫茶Reposerの扉に貼り付けられているのを見るなり、鶴崎は落胆した。
彼自身も色々あってかなりの時間を掛けて悩んだ結果、珍しく弱音を吐きに来ようとした矢先に……これだ。
(なんだ?一体どういう事だ?休むなんて言っていただろうか……いや、聞いてない)
冷静に考えれば、備前が経営している店を休業する旨をわざわざ鶴崎に伝える義理も義務も無い事なんて周知の事実ではあるのだ。
だが、残念ながら鶴崎は現在進行形で冷静とは無縁なのである。
備前友春に会えない。それが今の鶴崎には大変ショックな事であった。
元より弱りかけていた心内に、不安と言う名の波が押し寄せてくる。
震える手で携帯電話を取り出しコールしてみたが、いつまで経っても備前は電話に出ない。
(もしかして、……何かに巻き込まれたのでは)
不安はあっと言う間に鶴崎の精神を飲み込んでいく。
叫び出したい程の恐怖を紛らわせるように、携帯電話の電池が切れるまでコールを続けた。
やがてそれも終わると、店の前に項垂れる。
幸い、人通りが多い場所では無い。
大柄な彼が店の前に座り込み、動く様子が無い事を心配する様な人物は居なかった。
日が暮れる。日中は少し暖かくなって来たとは言え、春先だ。
夜がやってくると、足元から冷気が這いあがってくる。
日付は変わってしまったろうが、不安に押しつぶされた鶴崎は其処から一歩も動けない。
そのまま、朝を迎えようとしていた……そんな時。
「……鶴崎か?何をしているんだ、店の前で」
呆れた様な声音でそう言ったのは、備前友春である。
聞き慣れた、……聞きたかった声にがばりと顔を上げ、差し出された手を縋りつくように握りしめた。
「な、と、友春……無事だったのか?」
「……無事?まあ、無事と言うか、ちょっと立て込んでいたが。大丈夫か?こんな遅い時間にどうした」
問われて、はっとする。
やっと、自分が非常識な時間に非常識な事をしていたと思い至り、鶴崎は明らかに狼狽した。
そんな鶴崎の様子を見やると、備前はほんの少し溜息を吐く。
「……。……うちに来るか?光一もまだ起きているし、少し話をしよう」
「ああ、……悪い。ちょっと気が動転してしまって、動けないで居た。……ごめんな」
「良いさ。別に謝るようなことでも無い」
備前と水野が住んでいる家は、Reposerの裏手に在る。
歩いて行く、と言う程距離も無いが、その道中でふと鶴崎は口を開いた。
「ところで、どうして急に休業なんて。電話しても出ないし、何故だ?」
「ああ、そうか。そうだな」
備前は顎に手を掛け一瞬考える素振りをしたが、一つ頷くとちらりと視線を鶴崎にやった。
「家に着いたら話そう」
「……?」
程無くして到着した一軒家では、水野が扉前に出てきていた。
「あれ?お店の前に居た人って、永人さんだったんだ」
「……そう言えば、なんで店の方に?此処からじゃ見えないだろう」
「近所の人が、店の前にずっと誰かが居ると教えてくれたので見に行った。良かったな。特徴を聞いてお前ではないかと思った俺に感謝するべきだぞ?」
「……は、え??」
「それでも教えて貰ったのは大分前だったけどね……」
「しょうがないだろう。検査入院から帰って来たばかりなんだ、光一の方が心配に決まっている」
家の中に通される際に、そんな会話をする。
勝手知ったるなんとやら。……とまではいかないが、時折備前の家に訪れる鶴崎は迷うことなくリビングに進むと、勧められるまま椅子に掛ける。
備前と水野の家は、こじんまりとしては居るが二階建ての一軒家だった。
リビングも左程広い訳では無いが、綺麗に整頓されている様子はまるでモデルルームか何かのようである。
その代わり、キッチンだけは物が多い印象を受けた。
ここだけが唯一生活感を感じる場所で、住人二人の拘りが此処にだけ詰め込まれているのがよく分かった。
一番の拘りはカウンターキッチンだ。
小さなテーブルが置かれており、そこで食事が出来るようになっている。
鶴崎が勧められた椅子も此処の物で、斜め向かいには水野が座っていた。
「外は寒かったろう。紅茶でも淹れてやるから少し待っていてくれ。光一も飲むだろう?」
「うん、貰うよ。有難う、友春さん」
「いい、ついでだ」
ひらひらと手を振り、戸棚を開ける。
湯を沸かし、適当な茶葉と取り出し、店でするのと何一つ変わらない動作で準備をする。
備前を目で追っていた鶴崎は僅かに瞬くと、今度は視線を水野に移す。
外傷は特に無いようだ。だが検査入院と言うのが引っかかって、不躾ではあるがじろじろと見てしまう。
それに臆さずに、水野はいつもと変わらない穏やかな表情を鶴崎に向けていた。
「……ところで、だ。検査入院ってどうしたんだ、光一。どこか具合でも悪いのか?」
問われて水野は、表情を苦笑に変えて頬を掻く。
少しばかり考えた後で、口を開いた。
「あれ、永人さんは知らない?先日、電車の事故があったでしょう?ホームに人が飛び込んだって言う」
「……電車の事故?」
「それに僕も巻き込まれてしまって」
「……は?」
「不思議な事故でさ。行方不明になってた女の子と一緒に発見されたんだけど、発見のされ方もちょっと可笑しかったからそれで」
鶴崎がどうやらいつもと雰囲気が違うのは水野にも容易に分かる事であった。
だからこそ努めて明るく言ったのだが、鶴崎はさあっと顔を青ざめさせ、それから僅かに体を震えさせる。
(ああ、これはまずい)
頭の中で、少しだけ冷静な自分が言う。
だけれど、それよりも大きな声が木霊した。
(ああ、もしかして。自分の所為ではないのか?)
そんな言葉が、鶴崎の中に響いていく。
気付けば彼は、自分でも信じられない気分の高まりから、大きな声を発していた。
「店が閉まっていたから心配したら、事故ってどういう事だ!!!!」
泣き出しそうな、怒っているような、そんな調子の言葉が部屋に響いた。
その声に水野は肩を竦め、紅茶の入ったカップを持って来た備前は何食わぬ顔で向かいに腰を下ろした、と言う訳だった。
「……鶴崎」
静かに名を呼ぶと、備前は続ける。
「落ち着け、どうした」
またはっとする鶴崎を見やり、それから自分用に持って来たカップに口を付ける。
「光一だって巻き込まれたくて巻き込まれた訳じゃない。その事故現場から発見されて、体に異常が無いかどうかの検査入院だったんだ。心配は有り難いが、時間も時間だしそう叫ぶな」
「僕もごめんね、永人さん。そんなに怒ると思ってなくて」
依然として肩を竦めたまま申し訳なさそうに言った水野の言葉を聞き、鶴崎は少し俯いた。
「いや……、いや、済まない。きみが悪い訳じゃないんだ。俺が悪い」
悪い、ごめんな、と繰り返す鶴崎に、備前は分かりやすく呆れたように溜息を吐く。
「鶴崎、お前も何かあったんだな?」
「……」
「何をそう思い詰めている」
ことり、とカップを置く音がする。
静まり返った部屋にすぐさま解けて消えてしまうと、誰も口を開かない。
重苦しい空気をもろともせずにまた紅茶を啜るのは備前だけで、鶴崎は顔を上げず水野は苦笑を貼り付けたままだ。
「俺の、所為だと、思って」
絞り出す様な声は鶴崎からで、備前はそれを静かに聞いている。
まるで懺悔でも聞いているかのようだ。
水野は一瞬、自分は居てもいいのかと隣に座る叔父に目配せしたが、一つ頷かれて終わった。
「あの美術館の一件もそうだ。先日だって、友人を巻き込んだ。俺は、誰も、巻き込みたくないのに」
途切れ途切れに続く言葉は、苦しさを孕んでいるのが容易に分かる。
それ程、辛そうな声であった。それでも、心内を吐露する為に紡がれる言葉に耳を傾けながら、備前は静かに紅茶を啜る。
水野は、鶴崎がテーブルの上に組み合わせた手が震えているのを見やり、僅かに目を伏せた。
「誰も巻き込まないように、独りで動く方が良いのかと、思って。だけど、やっぱりきみに会いたかった」
「……」
「どうしたら良いと思う、友春。俺はきみを守りたい」
「……そうだな、取り敢えずは」
ううう、と弱っていく鶴崎の様子を見やりつつ口を開いた備前は、手にしていたカップを再びテーブルに置き、言った。
「折角俺が淹れてやったんだから、その紅茶を飲み干してからもう一度話せ」
「……。……友春さん?」
「なんだ」
「永人さん、今、とても辛い事を話してくれたと思うんだけど」
困り顔の水野を見、少しだけ顔を上げて驚いた様子の鶴崎を見て、備前は首を傾げる。
「追い詰められているのはよく分かったが、要領を得ない。それを飲んで、少し落ち着け。それからもう一度、初めから話して貰わないと流石にわからん」
「……きみな」
「光一も。折角淹れたんだから飲んでくれ」
さあさあ、と本気なのか何なのかイマイチ分からないが、備前に勧められるままにカップに二人が口を付ける。
少し冷めてしまったが、それでも香りがよく落ち着くような味わいだと言うのはよく分かった。
落ち着ける為に淹れた物なのだろうか、と今さらながらに鶴崎が思い至り遠慮がちに視線を送れば、備前は初めてにこりと笑った。
「さて、少しは落ち着いたか?」
今度肩を竦めるのは鶴崎の方で、申し訳なさそうに笑って頷いた。
「ああ、……悪い。光一も、なんかごめんな」
「いえ、それは良いです。でも、永人さんがそんなに追い込まれてるのは心配ですね」
「……自覚はあるんだ。恥ずかしながら」
「だろうな」
「それで、その。僕もこの話聞いていて良いんですか?」
おずおずと尋ねれば、備前はまた一度頷く。
だが、当の鶴崎は顔色の悪いままで言葉を濁すのが精いっぱいである。
「……いや、あの……」
「お前、他人を巻き込むのが嫌だと言いつつしっかり光一を巻き込んでいるぞ」
「……そ、そうだな……すまない、光一」
「いえ、良いんですけど。永人さん、あまり僕の前でそう言う感じになる事ないので良いのかなぁと」
困り顔ではあるが、笑顔は崩さない。場を和ますように努めようとした水野の思いが分からない程、鶴崎も混乱してはいない。
だがどうすれば良いのか判断がつきかねた結果、遂に頭を抱えてテーブルに突っ伏した。
「……なんだ、存外重傷なんだな」
「友春さん、駄目だよそんな追い打ち掛けたら」
「いや、すまん。付き合いも長いが、あまり見ない状態なんで珍しくてな」
呻くばかりの鶴崎の頭にぽんぽんと触れると、備前は小さく息を吐いた。
「まあいい。流石に話しにくいだろうな。光一、お前は休め。鶴崎の事は任せろ」
「え?ああ、うん。わかった。じゃあ先に休むね」
「ああ。お休み」
ひらひらと手を振って光一が退室したのを見届けると、改めて鶴崎の頭にぽんぽんと触れた。
「ほら、光一はもう居ないぞ。それで一体どうしたんだ」
「……いや、話す。話すが、もうちょっと待ってくれ」
自分の頭をぽんぽんと叩く備前の手を掴んでは見たが、鶴崎は顔を上げることが叶わない。
幾分冷静になったのが災いして、今度は猛烈に反省しているところらしかった。
「時間が掛かるなら、もうそのまま寝てしまったらどうだ。随分思い詰めているようだが、休んでいるのか?」
「……思い詰めている、ああ、うん。そうだな、全くその通りだ」
はは、と小さく笑ってやっと上げられた顔には苦笑が張り付き、誤魔化そうかと言うのが見て取れた。
じぃっとその顔を見、それからぺしりと額を叩く。
「もう一度聞くぞ、鶴崎。何があった?洗いざらい喋れ」
額を叩いた後、今度は頬杖をついたままで言った備前はやや怒っている様子である。
逡巡の後、鶴崎は手を離すと背筋を正した。
「纏まらないかも知れないが」
「……」
「聞いてくれ。その為に、きみに、会いたかったんだ」
ぽつりぽつりと語り始めたのは、とある屋敷での出来事だ。
友人である探偵に依頼をしたが為に巻き込んでしまった事。
それに対して、後悔をしている事。
独りで動いた方が良いと思っている事。
「……自分が大事だと思ってる人を巻き込んで、情けないよな……。悪いことしてるなって、思ってしまって」
「それで、独りで動くべきだと?」
「情報があれば回避できるかも知れない。守れるかも知れない。友春だって、光一だって、俺が近くに居るからおかしな事件に巻き込まれているんじゃないかと思うし」
「鶴崎」
「なんだよ」
「お前の言い分はわかった。一頻り聞いたから、俺からも一言いいか?」
「え?ああ」
話す内に段々と視線が下がってテーブルばかりを見ていた鶴崎は、備前が自分に投げかける視線を重圧に感じていた。
自分のこの考えを打ち明ける事で備前が怒るだろうと言うのは想像に容易かったし、事実怒られようと思って会いたかったのはある。
だが、目の当たりにしようかと言うこの瞬間になって、初めて現実として受け入れるには少しばかり自分が弱り過ぎている事を自覚したのだ。
己の情けなさにまた落ち込んだが、此処まで伝えられたのだ。
幼馴染が怒る事を分かっていて、それでも言葉にしたのだから、その怒りはきちんと受け止めねばならない。
恐る恐る顔を上げ見やってみたその顔はなんの表情も乗せておらず、彫刻か何かと見間違う程である。
ただ、冷たいばかりの視線は、目線を合わせた時に少し色がついた。
「存外馬鹿だな、お前は」
初めて見ると言っても差し支えない表情だった。
明確に、分かりやすく、備前が怒っている。
冷ややかな声とは対照的に、その視線には怒気がはっきりと感じ取れた。
「そもそも、何故そんなに自分の所為だと思い詰めている?お前が悪いだなんて、誰がそんな事を言った。俺か?それともその探偵か?違うだろう?」
「……い、いや、そうだが」
「そうだが、なんだ?勝手に自分の所為だと思い込むな。ましてそれで居なくなろうとするな」
「……」
「お前も、そうやって勝手に居なくなろうとしないでくれ」
訪れた沈黙は重く、息苦しかった。
時間にして数分も無かった筈なのに、時計の針が進む音がいやに遅く感じる。
だが、その沈黙を破ったのは備前だ。
はあ、と、溜息を吐き出すと、頬杖をついて鶴崎をみやる。
「責任感が強いのは結構な事だな。友人を守ろうとする心意気は素晴らしい。だがな、それでお前が居なくなって、大事にしている人物達は喜ぶとでも思うのか?」
「……そう、だな」
「まあ、店に来た時はそれでも多少は今よりマシだったんだろう。察するに、店が休業で俺も電話に出ないから不安になった。違うか?」
「……う」
「鶴崎。心配してくれるのは有り難いが、自分の事も大事にしてくれ」
少しだけ震えた声で備前が言って、それで終わりだった。
立ち上がると、踵を返す。
「お、おい友春」
「寝る。客間の位置はわかるだろう?布団は出しておいてやるから、落ち着いたらお前も休め」
「……ああ、有難う」
「好き勝手言ったが、謝らないからな。お前だって、俺が怒ると分かっていてそれでも言いに来たんだろう。あいこだ」
言いたい事だけ言ってさっさと姿を消した備前を見送り、鶴崎は深いため息を吐く。
「……ああ、その通りだよ。馬鹿だな俺」
ちら、とカップを見れば、情けない顔をした自分が映る。
少し残った紅茶はすっかり冷えてしまったが、それを飲み干して鶴崎は笑った。
すっかり取り乱してしまったが、明日また改めて謝ろうと心に決める。
「怒られに来たって分かってるのに、ちゃんと話を聞いて怒ってくれるんだもんな。やっぱり親友だよ、お前さんは」
忘れないでいられて本当に良かった、と独りごちてテーブルに突っ伏す。
安心したら眠くなってきて、そのまま少しだけ目を閉じた。
これからどうするべきだろうかと悩むのは、また明日から。
今はただ、久方ぶりに得た安心感が染みわたっていくのを感じながら一時の眠りに身を委ねるばかりである。
・あとがき・
翌朝、起きてきた備前がテーブルに突っ伏して寝ている鶴崎に対してまた怒るまでがセット(笑)
水野さんはそれを見ながら、三人分の朝食を用意してくれると思います。
そんな泣きたいのか怒っているのか分からない様子で鶴崎が発した言葉を右から左に聞き流し、備前は淹れたばかりの紅茶を差し出した。
彼はそのまま、テーブルを挟んだ向かいに腰を下ろす。その備前の隣には、肩を竦め苦笑した水野が座っていた。
時刻は半日ほど前に遡る。
“暫く休業致します”
素っ気無い張り紙が喫茶Reposerの扉に貼り付けられているのを見るなり、鶴崎は落胆した。
彼自身も色々あってかなりの時間を掛けて悩んだ結果、珍しく弱音を吐きに来ようとした矢先に……これだ。
(なんだ?一体どういう事だ?休むなんて言っていただろうか……いや、聞いてない)
冷静に考えれば、備前が経営している店を休業する旨をわざわざ鶴崎に伝える義理も義務も無い事なんて周知の事実ではあるのだ。
だが、残念ながら鶴崎は現在進行形で冷静とは無縁なのである。
備前友春に会えない。それが今の鶴崎には大変ショックな事であった。
元より弱りかけていた心内に、不安と言う名の波が押し寄せてくる。
震える手で携帯電話を取り出しコールしてみたが、いつまで経っても備前は電話に出ない。
(もしかして、……何かに巻き込まれたのでは)
不安はあっと言う間に鶴崎の精神を飲み込んでいく。
叫び出したい程の恐怖を紛らわせるように、携帯電話の電池が切れるまでコールを続けた。
やがてそれも終わると、店の前に項垂れる。
幸い、人通りが多い場所では無い。
大柄な彼が店の前に座り込み、動く様子が無い事を心配する様な人物は居なかった。
日が暮れる。日中は少し暖かくなって来たとは言え、春先だ。
夜がやってくると、足元から冷気が這いあがってくる。
日付は変わってしまったろうが、不安に押しつぶされた鶴崎は其処から一歩も動けない。
そのまま、朝を迎えようとしていた……そんな時。
「……鶴崎か?何をしているんだ、店の前で」
呆れた様な声音でそう言ったのは、備前友春である。
聞き慣れた、……聞きたかった声にがばりと顔を上げ、差し出された手を縋りつくように握りしめた。
「な、と、友春……無事だったのか?」
「……無事?まあ、無事と言うか、ちょっと立て込んでいたが。大丈夫か?こんな遅い時間にどうした」
問われて、はっとする。
やっと、自分が非常識な時間に非常識な事をしていたと思い至り、鶴崎は明らかに狼狽した。
そんな鶴崎の様子を見やると、備前はほんの少し溜息を吐く。
「……。……うちに来るか?光一もまだ起きているし、少し話をしよう」
「ああ、……悪い。ちょっと気が動転してしまって、動けないで居た。……ごめんな」
「良いさ。別に謝るようなことでも無い」
備前と水野が住んでいる家は、Reposerの裏手に在る。
歩いて行く、と言う程距離も無いが、その道中でふと鶴崎は口を開いた。
「ところで、どうして急に休業なんて。電話しても出ないし、何故だ?」
「ああ、そうか。そうだな」
備前は顎に手を掛け一瞬考える素振りをしたが、一つ頷くとちらりと視線を鶴崎にやった。
「家に着いたら話そう」
「……?」
程無くして到着した一軒家では、水野が扉前に出てきていた。
「あれ?お店の前に居た人って、永人さんだったんだ」
「……そう言えば、なんで店の方に?此処からじゃ見えないだろう」
「近所の人が、店の前にずっと誰かが居ると教えてくれたので見に行った。良かったな。特徴を聞いてお前ではないかと思った俺に感謝するべきだぞ?」
「……は、え??」
「それでも教えて貰ったのは大分前だったけどね……」
「しょうがないだろう。検査入院から帰って来たばかりなんだ、光一の方が心配に決まっている」
家の中に通される際に、そんな会話をする。
勝手知ったるなんとやら。……とまではいかないが、時折備前の家に訪れる鶴崎は迷うことなくリビングに進むと、勧められるまま椅子に掛ける。
備前と水野の家は、こじんまりとしては居るが二階建ての一軒家だった。
リビングも左程広い訳では無いが、綺麗に整頓されている様子はまるでモデルルームか何かのようである。
その代わり、キッチンだけは物が多い印象を受けた。
ここだけが唯一生活感を感じる場所で、住人二人の拘りが此処にだけ詰め込まれているのがよく分かった。
一番の拘りはカウンターキッチンだ。
小さなテーブルが置かれており、そこで食事が出来るようになっている。
鶴崎が勧められた椅子も此処の物で、斜め向かいには水野が座っていた。
「外は寒かったろう。紅茶でも淹れてやるから少し待っていてくれ。光一も飲むだろう?」
「うん、貰うよ。有難う、友春さん」
「いい、ついでだ」
ひらひらと手を振り、戸棚を開ける。
湯を沸かし、適当な茶葉と取り出し、店でするのと何一つ変わらない動作で準備をする。
備前を目で追っていた鶴崎は僅かに瞬くと、今度は視線を水野に移す。
外傷は特に無いようだ。だが検査入院と言うのが引っかかって、不躾ではあるがじろじろと見てしまう。
それに臆さずに、水野はいつもと変わらない穏やかな表情を鶴崎に向けていた。
「……ところで、だ。検査入院ってどうしたんだ、光一。どこか具合でも悪いのか?」
問われて水野は、表情を苦笑に変えて頬を掻く。
少しばかり考えた後で、口を開いた。
「あれ、永人さんは知らない?先日、電車の事故があったでしょう?ホームに人が飛び込んだって言う」
「……電車の事故?」
「それに僕も巻き込まれてしまって」
「……は?」
「不思議な事故でさ。行方不明になってた女の子と一緒に発見されたんだけど、発見のされ方もちょっと可笑しかったからそれで」
鶴崎がどうやらいつもと雰囲気が違うのは水野にも容易に分かる事であった。
だからこそ努めて明るく言ったのだが、鶴崎はさあっと顔を青ざめさせ、それから僅かに体を震えさせる。
(ああ、これはまずい)
頭の中で、少しだけ冷静な自分が言う。
だけれど、それよりも大きな声が木霊した。
(ああ、もしかして。自分の所為ではないのか?)
そんな言葉が、鶴崎の中に響いていく。
気付けば彼は、自分でも信じられない気分の高まりから、大きな声を発していた。
「店が閉まっていたから心配したら、事故ってどういう事だ!!!!」
泣き出しそうな、怒っているような、そんな調子の言葉が部屋に響いた。
その声に水野は肩を竦め、紅茶の入ったカップを持って来た備前は何食わぬ顔で向かいに腰を下ろした、と言う訳だった。
「……鶴崎」
静かに名を呼ぶと、備前は続ける。
「落ち着け、どうした」
またはっとする鶴崎を見やり、それから自分用に持って来たカップに口を付ける。
「光一だって巻き込まれたくて巻き込まれた訳じゃない。その事故現場から発見されて、体に異常が無いかどうかの検査入院だったんだ。心配は有り難いが、時間も時間だしそう叫ぶな」
「僕もごめんね、永人さん。そんなに怒ると思ってなくて」
依然として肩を竦めたまま申し訳なさそうに言った水野の言葉を聞き、鶴崎は少し俯いた。
「いや……、いや、済まない。きみが悪い訳じゃないんだ。俺が悪い」
悪い、ごめんな、と繰り返す鶴崎に、備前は分かりやすく呆れたように溜息を吐く。
「鶴崎、お前も何かあったんだな?」
「……」
「何をそう思い詰めている」
ことり、とカップを置く音がする。
静まり返った部屋にすぐさま解けて消えてしまうと、誰も口を開かない。
重苦しい空気をもろともせずにまた紅茶を啜るのは備前だけで、鶴崎は顔を上げず水野は苦笑を貼り付けたままだ。
「俺の、所為だと、思って」
絞り出す様な声は鶴崎からで、備前はそれを静かに聞いている。
まるで懺悔でも聞いているかのようだ。
水野は一瞬、自分は居てもいいのかと隣に座る叔父に目配せしたが、一つ頷かれて終わった。
「あの美術館の一件もそうだ。先日だって、友人を巻き込んだ。俺は、誰も、巻き込みたくないのに」
途切れ途切れに続く言葉は、苦しさを孕んでいるのが容易に分かる。
それ程、辛そうな声であった。それでも、心内を吐露する為に紡がれる言葉に耳を傾けながら、備前は静かに紅茶を啜る。
水野は、鶴崎がテーブルの上に組み合わせた手が震えているのを見やり、僅かに目を伏せた。
「誰も巻き込まないように、独りで動く方が良いのかと、思って。だけど、やっぱりきみに会いたかった」
「……」
「どうしたら良いと思う、友春。俺はきみを守りたい」
「……そうだな、取り敢えずは」
ううう、と弱っていく鶴崎の様子を見やりつつ口を開いた備前は、手にしていたカップを再びテーブルに置き、言った。
「折角俺が淹れてやったんだから、その紅茶を飲み干してからもう一度話せ」
「……。……友春さん?」
「なんだ」
「永人さん、今、とても辛い事を話してくれたと思うんだけど」
困り顔の水野を見、少しだけ顔を上げて驚いた様子の鶴崎を見て、備前は首を傾げる。
「追い詰められているのはよく分かったが、要領を得ない。それを飲んで、少し落ち着け。それからもう一度、初めから話して貰わないと流石にわからん」
「……きみな」
「光一も。折角淹れたんだから飲んでくれ」
さあさあ、と本気なのか何なのかイマイチ分からないが、備前に勧められるままにカップに二人が口を付ける。
少し冷めてしまったが、それでも香りがよく落ち着くような味わいだと言うのはよく分かった。
落ち着ける為に淹れた物なのだろうか、と今さらながらに鶴崎が思い至り遠慮がちに視線を送れば、備前は初めてにこりと笑った。
「さて、少しは落ち着いたか?」
今度肩を竦めるのは鶴崎の方で、申し訳なさそうに笑って頷いた。
「ああ、……悪い。光一も、なんかごめんな」
「いえ、それは良いです。でも、永人さんがそんなに追い込まれてるのは心配ですね」
「……自覚はあるんだ。恥ずかしながら」
「だろうな」
「それで、その。僕もこの話聞いていて良いんですか?」
おずおずと尋ねれば、備前はまた一度頷く。
だが、当の鶴崎は顔色の悪いままで言葉を濁すのが精いっぱいである。
「……いや、あの……」
「お前、他人を巻き込むのが嫌だと言いつつしっかり光一を巻き込んでいるぞ」
「……そ、そうだな……すまない、光一」
「いえ、良いんですけど。永人さん、あまり僕の前でそう言う感じになる事ないので良いのかなぁと」
困り顔ではあるが、笑顔は崩さない。場を和ますように努めようとした水野の思いが分からない程、鶴崎も混乱してはいない。
だがどうすれば良いのか判断がつきかねた結果、遂に頭を抱えてテーブルに突っ伏した。
「……なんだ、存外重傷なんだな」
「友春さん、駄目だよそんな追い打ち掛けたら」
「いや、すまん。付き合いも長いが、あまり見ない状態なんで珍しくてな」
呻くばかりの鶴崎の頭にぽんぽんと触れると、備前は小さく息を吐いた。
「まあいい。流石に話しにくいだろうな。光一、お前は休め。鶴崎の事は任せろ」
「え?ああ、うん。わかった。じゃあ先に休むね」
「ああ。お休み」
ひらひらと手を振って光一が退室したのを見届けると、改めて鶴崎の頭にぽんぽんと触れた。
「ほら、光一はもう居ないぞ。それで一体どうしたんだ」
「……いや、話す。話すが、もうちょっと待ってくれ」
自分の頭をぽんぽんと叩く備前の手を掴んでは見たが、鶴崎は顔を上げることが叶わない。
幾分冷静になったのが災いして、今度は猛烈に反省しているところらしかった。
「時間が掛かるなら、もうそのまま寝てしまったらどうだ。随分思い詰めているようだが、休んでいるのか?」
「……思い詰めている、ああ、うん。そうだな、全くその通りだ」
はは、と小さく笑ってやっと上げられた顔には苦笑が張り付き、誤魔化そうかと言うのが見て取れた。
じぃっとその顔を見、それからぺしりと額を叩く。
「もう一度聞くぞ、鶴崎。何があった?洗いざらい喋れ」
額を叩いた後、今度は頬杖をついたままで言った備前はやや怒っている様子である。
逡巡の後、鶴崎は手を離すと背筋を正した。
「纏まらないかも知れないが」
「……」
「聞いてくれ。その為に、きみに、会いたかったんだ」
ぽつりぽつりと語り始めたのは、とある屋敷での出来事だ。
友人である探偵に依頼をしたが為に巻き込んでしまった事。
それに対して、後悔をしている事。
独りで動いた方が良いと思っている事。
「……自分が大事だと思ってる人を巻き込んで、情けないよな……。悪いことしてるなって、思ってしまって」
「それで、独りで動くべきだと?」
「情報があれば回避できるかも知れない。守れるかも知れない。友春だって、光一だって、俺が近くに居るからおかしな事件に巻き込まれているんじゃないかと思うし」
「鶴崎」
「なんだよ」
「お前の言い分はわかった。一頻り聞いたから、俺からも一言いいか?」
「え?ああ」
話す内に段々と視線が下がってテーブルばかりを見ていた鶴崎は、備前が自分に投げかける視線を重圧に感じていた。
自分のこの考えを打ち明ける事で備前が怒るだろうと言うのは想像に容易かったし、事実怒られようと思って会いたかったのはある。
だが、目の当たりにしようかと言うこの瞬間になって、初めて現実として受け入れるには少しばかり自分が弱り過ぎている事を自覚したのだ。
己の情けなさにまた落ち込んだが、此処まで伝えられたのだ。
幼馴染が怒る事を分かっていて、それでも言葉にしたのだから、その怒りはきちんと受け止めねばならない。
恐る恐る顔を上げ見やってみたその顔はなんの表情も乗せておらず、彫刻か何かと見間違う程である。
ただ、冷たいばかりの視線は、目線を合わせた時に少し色がついた。
「存外馬鹿だな、お前は」
初めて見ると言っても差し支えない表情だった。
明確に、分かりやすく、備前が怒っている。
冷ややかな声とは対照的に、その視線には怒気がはっきりと感じ取れた。
「そもそも、何故そんなに自分の所為だと思い詰めている?お前が悪いだなんて、誰がそんな事を言った。俺か?それともその探偵か?違うだろう?」
「……い、いや、そうだが」
「そうだが、なんだ?勝手に自分の所為だと思い込むな。ましてそれで居なくなろうとするな」
「……」
「お前も、そうやって勝手に居なくなろうとしないでくれ」
訪れた沈黙は重く、息苦しかった。
時間にして数分も無かった筈なのに、時計の針が進む音がいやに遅く感じる。
だが、その沈黙を破ったのは備前だ。
はあ、と、溜息を吐き出すと、頬杖をついて鶴崎をみやる。
「責任感が強いのは結構な事だな。友人を守ろうとする心意気は素晴らしい。だがな、それでお前が居なくなって、大事にしている人物達は喜ぶとでも思うのか?」
「……そう、だな」
「まあ、店に来た時はそれでも多少は今よりマシだったんだろう。察するに、店が休業で俺も電話に出ないから不安になった。違うか?」
「……う」
「鶴崎。心配してくれるのは有り難いが、自分の事も大事にしてくれ」
少しだけ震えた声で備前が言って、それで終わりだった。
立ち上がると、踵を返す。
「お、おい友春」
「寝る。客間の位置はわかるだろう?布団は出しておいてやるから、落ち着いたらお前も休め」
「……ああ、有難う」
「好き勝手言ったが、謝らないからな。お前だって、俺が怒ると分かっていてそれでも言いに来たんだろう。あいこだ」
言いたい事だけ言ってさっさと姿を消した備前を見送り、鶴崎は深いため息を吐く。
「……ああ、その通りだよ。馬鹿だな俺」
ちら、とカップを見れば、情けない顔をした自分が映る。
少し残った紅茶はすっかり冷えてしまったが、それを飲み干して鶴崎は笑った。
すっかり取り乱してしまったが、明日また改めて謝ろうと心に決める。
「怒られに来たって分かってるのに、ちゃんと話を聞いて怒ってくれるんだもんな。やっぱり親友だよ、お前さんは」
忘れないでいられて本当に良かった、と独りごちてテーブルに突っ伏す。
安心したら眠くなってきて、そのまま少しだけ目を閉じた。
これからどうするべきだろうかと悩むのは、また明日から。
今はただ、久方ぶりに得た安心感が染みわたっていくのを感じながら一時の眠りに身を委ねるばかりである。
・あとがき・
翌朝、起きてきた備前がテーブルに突っ伏して寝ている鶴崎に対してまた怒るまでがセット(笑)
水野さんはそれを見ながら、三人分の朝食を用意してくれると思います。