セルフ三次創作
「…… メール? 」
春先だったと思う。
仕事がひと段落つき、 何気なく携帯電話のディスプレイを見た時に初めて通知が来ている事に気付いた。
差出人は、 早長涼太。 高校時代からの友人だ。
早長はこうして時々連絡を寄越すが、 今回のはいつも以上に簡潔で、 いつも以上に理由がわからなかった。
素っ気ない文面と一緒に添付されていた画像ファイルを開きながら、 内容を呟く。
「これが何の本だかわかるか? なんて、 自分で調べた方が早いだろうに」
画像を見やれば、 医学書の類と末期癌患者との付き合い方と言った書物らしいのが読み取れる。 非常に偏りのある内容に思えたが、 調べるにしても簡単な部類だろう。
本人の性格を考えるなら、 自分で調べた方が早いと言いそうなものだが。 山国はそんなことを思いながら首を傾げた。
「俺に聞く方が効率が良いと思ったのか、 それ程時間が無かったのかどっちかだったんだろうか」
一瞬考えて、 多分だが、 効率が良いと思ったんだろうと思い至って納得をした。
時間としてはかなり前に送信された物のようだったが、 返事をしないよりはマシかと、 一先ず電話をしてみることにする。
電話帳から早長の名前を探し当て、 ボタンを押した。
コール音が、 一回、 二回と増えて行くが、 出る気配は無い。
仕方なく確認が遅くなった旨と共に、 画像の本が何かを分かる範囲で添えてメールを送信した。
それから数日後に、 また早長からメールが入っていた。 今回も簡潔ではあるが、 何故あのメールが送られてきたかはわかった。
どうやらやはり何か立て込んでいて、 その“立て込んでいた事”に関連していたのが例の画像の本らしい。
もう解決はしたと言うので「良かったな」 と返した。
それから更に、 数か月。 季節は夏に移っていた。
じりじりと肌を焼く強い日差しと、 それらを反射するビル群。 アスファルトは熱さを増し、 湯気でも立ち上っているかのようだ。 時折吹く生温い風を受けて、 山国は僅かに眉を潜めた。
(都会の夏は、 どうしてこう暑いのか……)
山国は元々こちらに住んでいて、 地元と言うならこの街だ。
……なのだが。
彼にとって「夏」と言えば、 山々に囲まれた緑豊かな土地での思い出が強い。
例えば、 青々と茂った木々の木漏れ日。 例えば、 清流での水遊び。
祖父の家で本を読んでいれば、 風鈴の音と遠くで聞こえる蝉の声が聞こえてくる。
賑やかな祭囃子や、 屋台や、 それから、 ……それから。
暑い事は暑かったが、 それを忘れる程の、 楽しい思い出が蘇る。
『……どうか、 いつも笑っていてくれ』
足を止めた。 雑踏の中で、 そんな言葉が聞こえた気がして、 胸が苦しくなる。
幼馴染で親友だった男との別れが、 今の山国の中には強く残る夏の思い出だ。
「楽しい思い出も沢山あるんだけどな……」
再び歩き出すと、 今度は何も考えずに目的地へと向かう。
向かっていたのは、 駅前の大型書店だ。
ビルがまるまる一棟本屋と言うもので、 売り場面積は勿論蔵書数もこの辺りでは一番だろう。
自動ドアが開いて踏み込んだ店内は、 静かで、 涼やかな空気に満ちている。
入り口に積まれている話題の書籍のランキングコーナーと雑誌の積まれた棚を通り抜け、 暫くは此処で時間を潰そうと歩き出した。
そもそも何故こんな日に外に出たかと言うと、 ここにも早長涼太が関係してくる。
先のメールでの一件で「迷惑を掛けたから、 侘びの代わりに何か奢る」 と呼び出されたのが今日だった。
勿論休みは合わせて貰ったし、 何処の店に行き何を奢ってもらうのかの決定権は山国にある。
その待ち合わせの場所として指定したのが、 この本屋と言う訳だった。
(本屋に来るのも久しぶりだし、 出来たら専門書が見たいんだがな……)
ちらり、 と携帯電話のディスプレイを見た。 待ち合わせまでにはまだ時間がある。
「よし」
充分だ、 と頷いて書店の奥へと向かっていく。
目的の場所で暫く吟味をし気が済むと、 気が向くままふらふらと店内を眺めて行く。
料理の本や、 ファッション誌、 趣味の本のコーナーや、 小説。 資格取得の為の参考書や、 漫画等々。 いろんな本を眺めながら、 足はどんどん奥へと向かう。
やがて辿りついたのは、 写真が大きく出たような本たちの棚だった。
表紙がよく見えるように並べられた本たちの上を、 視線で撫でて行く。
まるで写真展にでも来た気分で、 少しだけ気持ちが高揚した。 色鮮やかなそれらの本を眺めていた時だ。
「……あ」
足を止めた。
残念ながらその本は表紙では無く背を向けられており、 棚の片隅に置かれていた物だった。
だけれど山国の花緑青の瞳は確かにそれを捉え、 つんのめる様にしながらもなんとか足を止めるに至ったのは訳がある。
「チカの、 本だ」
思わず手に取った本には確かに、 写真家として三月宗近の名前が記載されている。
堅い背表紙に指を掛け、 棚から引き抜くと恐る恐るページを捲った。
飛び込んでくるのは山国も知っている景色もあったが、 それらはとても美しく煌めいていて、 山国の胸を打つ。
亡き親友の見ていた世界に触れて、 目頭が熱くなった。
「……ああ、 成程な。 こんな風に見えていたんだな」
ぐす、 と鼻を啜った。
このままでは本を汚してしまうかも知れない。 涙が零れたりしても困るなと思い、 丁重に本を閉じると大事に抱えた。 ついぞ見る事が叶わなかった本に此処で出会えたのだ。 逃す手はない。
早速レジに向かおうかと歩き出した背中に、 声が掛かった。
「……山国!」
振り返るまでも無く、 肩を掴まれ足が止まる。
ちら、 と遠慮がちに見やると、 声音の通り、 早長涼太は訝し気な顔で山国を見ていた。
「何を夢中で見ていたのか知らんが、 電話したんだから出てくれても良いだろう」
「ああ、 すまなかった。 探していた本を見つけたから、 つい。 ……しかし、 聞いてたより早かったが仕事はもう終わったのか? 」
「……なんだ、 思ったよりもずっと本に夢中だったんだな。 時間なんてとっくに過ぎてるぞ」
ほら、 と山国を掴んでいた手を離し、 そのまま付けていた時計を差し出す。
まだまだ余裕だと思っていた時間は待ち合わせの時刻を三十分程過ぎており、 続けて確認した自身の携帯電話にはメールと電話がそれぞれ二件ずつ程来ていた。
「お前が時間に遅れる筈はないと思ったが……。 まあ、 なんにせよ何かあった訳では無くて良かった」
「ああ……悪い、 心配も掛けたんだな。 そんなに時間を過ぎていたとは思わなかった」
「別に、 見つけたからそれで良い。 ところで、 何にそんなに夢中になっていたんだ?」
早長が覗き込むので、 素直に手にしていた本を差し出す。
受け取った早長がそれをしげしげと眺め、 それから本を開いて数ページ捲った。
「三月宗近。 新進気鋭の風景写真専門のカメラマンだろう? お前もこういうものに興味があったんだな」
眺めながら言った早長の言葉に、 山国は目を丸くする。
「知ってるのか?」
「まあな。 うちの編集長と先輩がお気に入りか何からしくて、 話を聞いた事があるが」
本を閉じ返した早長は、 今度は山国の顔をまじまじと見て首を傾げた。
「……なんでお前が嬉しそうなんだ?」
「いや、 その……幼馴染でな。 そんなに有名なんだなと思ったら、 我が事のように誇らしくなったと言うか、 なんというか」
「あー……成程」
数度瞬いて、 それから早長は僅かに口を噤む。
ほんの一瞬だけ目を閉じた後、 いつもと同じ少し醒めた目をして言った。
「まあ、 なんだ。 取りあえずそれ、 買うんだろう? 入り口で待ってるから、 会計して来い」
「そうだな。それじゃあ、 行って来る」
「ああ」
ひらひらと手を振って送り出した後、 早長は小さく息を吐く。
彼が知っている三月宗近に関する知識は、 他にまだあった。
最初の写真集を出版してからすぐ事故に遭い、 そのまま亡くなったと聞いている。
情報源となった彼の職場の上司たちが、 それで嘆いていたのをよく覚えているからだ。
幼馴染と言うのだから、 山国がそのことを知らない筈も無い。
余計な事を言って重たい空気にするのも気が引けて、 黙っていた。
「……予算、 もう少し多めにしておくか」
元気づけるだとかそういう意味合いでは無いのだが。
ただ、 そう。 折角何か奢ると呼び出したのだから、 何処のどんな店の何を指定されても快く承諾出来るようにはしておこう。 そんな言い訳を自分の中でしつつ、 歩き出す。
「取りあえずはまあ、 水野さんのところで珈琲でも飲みつつ、 この後の事を相談だな」
そう呟いて、 その場を後にした。
・あとがき
この時点で、三月の三回忌まで終わっているのですが。
それでも、夏が来れば思い出したりもする訳で。
春先だったと思う。
仕事がひと段落つき、 何気なく携帯電話のディスプレイを見た時に初めて通知が来ている事に気付いた。
差出人は、 早長涼太。 高校時代からの友人だ。
早長はこうして時々連絡を寄越すが、 今回のはいつも以上に簡潔で、 いつも以上に理由がわからなかった。
素っ気ない文面と一緒に添付されていた画像ファイルを開きながら、 内容を呟く。
「これが何の本だかわかるか? なんて、 自分で調べた方が早いだろうに」
画像を見やれば、 医学書の類と末期癌患者との付き合い方と言った書物らしいのが読み取れる。 非常に偏りのある内容に思えたが、 調べるにしても簡単な部類だろう。
本人の性格を考えるなら、 自分で調べた方が早いと言いそうなものだが。 山国はそんなことを思いながら首を傾げた。
「俺に聞く方が効率が良いと思ったのか、 それ程時間が無かったのかどっちかだったんだろうか」
一瞬考えて、 多分だが、 効率が良いと思ったんだろうと思い至って納得をした。
時間としてはかなり前に送信された物のようだったが、 返事をしないよりはマシかと、 一先ず電話をしてみることにする。
電話帳から早長の名前を探し当て、 ボタンを押した。
コール音が、 一回、 二回と増えて行くが、 出る気配は無い。
仕方なく確認が遅くなった旨と共に、 画像の本が何かを分かる範囲で添えてメールを送信した。
それから数日後に、 また早長からメールが入っていた。 今回も簡潔ではあるが、 何故あのメールが送られてきたかはわかった。
どうやらやはり何か立て込んでいて、 その“立て込んでいた事”に関連していたのが例の画像の本らしい。
もう解決はしたと言うので「良かったな」 と返した。
それから更に、 数か月。 季節は夏に移っていた。
じりじりと肌を焼く強い日差しと、 それらを反射するビル群。 アスファルトは熱さを増し、 湯気でも立ち上っているかのようだ。 時折吹く生温い風を受けて、 山国は僅かに眉を潜めた。
(都会の夏は、 どうしてこう暑いのか……)
山国は元々こちらに住んでいて、 地元と言うならこの街だ。
……なのだが。
彼にとって「夏」と言えば、 山々に囲まれた緑豊かな土地での思い出が強い。
例えば、 青々と茂った木々の木漏れ日。 例えば、 清流での水遊び。
祖父の家で本を読んでいれば、 風鈴の音と遠くで聞こえる蝉の声が聞こえてくる。
賑やかな祭囃子や、 屋台や、 それから、 ……それから。
暑い事は暑かったが、 それを忘れる程の、 楽しい思い出が蘇る。
『……どうか、 いつも笑っていてくれ』
足を止めた。 雑踏の中で、 そんな言葉が聞こえた気がして、 胸が苦しくなる。
幼馴染で親友だった男との別れが、 今の山国の中には強く残る夏の思い出だ。
「楽しい思い出も沢山あるんだけどな……」
再び歩き出すと、 今度は何も考えずに目的地へと向かう。
向かっていたのは、 駅前の大型書店だ。
ビルがまるまる一棟本屋と言うもので、 売り場面積は勿論蔵書数もこの辺りでは一番だろう。
自動ドアが開いて踏み込んだ店内は、 静かで、 涼やかな空気に満ちている。
入り口に積まれている話題の書籍のランキングコーナーと雑誌の積まれた棚を通り抜け、 暫くは此処で時間を潰そうと歩き出した。
そもそも何故こんな日に外に出たかと言うと、 ここにも早長涼太が関係してくる。
先のメールでの一件で「迷惑を掛けたから、 侘びの代わりに何か奢る」 と呼び出されたのが今日だった。
勿論休みは合わせて貰ったし、 何処の店に行き何を奢ってもらうのかの決定権は山国にある。
その待ち合わせの場所として指定したのが、 この本屋と言う訳だった。
(本屋に来るのも久しぶりだし、 出来たら専門書が見たいんだがな……)
ちらり、 と携帯電話のディスプレイを見た。 待ち合わせまでにはまだ時間がある。
「よし」
充分だ、 と頷いて書店の奥へと向かっていく。
目的の場所で暫く吟味をし気が済むと、 気が向くままふらふらと店内を眺めて行く。
料理の本や、 ファッション誌、 趣味の本のコーナーや、 小説。 資格取得の為の参考書や、 漫画等々。 いろんな本を眺めながら、 足はどんどん奥へと向かう。
やがて辿りついたのは、 写真が大きく出たような本たちの棚だった。
表紙がよく見えるように並べられた本たちの上を、 視線で撫でて行く。
まるで写真展にでも来た気分で、 少しだけ気持ちが高揚した。 色鮮やかなそれらの本を眺めていた時だ。
「……あ」
足を止めた。
残念ながらその本は表紙では無く背を向けられており、 棚の片隅に置かれていた物だった。
だけれど山国の花緑青の瞳は確かにそれを捉え、 つんのめる様にしながらもなんとか足を止めるに至ったのは訳がある。
「チカの、 本だ」
思わず手に取った本には確かに、 写真家として三月宗近の名前が記載されている。
堅い背表紙に指を掛け、 棚から引き抜くと恐る恐るページを捲った。
飛び込んでくるのは山国も知っている景色もあったが、 それらはとても美しく煌めいていて、 山国の胸を打つ。
亡き親友の見ていた世界に触れて、 目頭が熱くなった。
「……ああ、 成程な。 こんな風に見えていたんだな」
ぐす、 と鼻を啜った。
このままでは本を汚してしまうかも知れない。 涙が零れたりしても困るなと思い、 丁重に本を閉じると大事に抱えた。 ついぞ見る事が叶わなかった本に此処で出会えたのだ。 逃す手はない。
早速レジに向かおうかと歩き出した背中に、 声が掛かった。
「……山国!」
振り返るまでも無く、 肩を掴まれ足が止まる。
ちら、 と遠慮がちに見やると、 声音の通り、 早長涼太は訝し気な顔で山国を見ていた。
「何を夢中で見ていたのか知らんが、 電話したんだから出てくれても良いだろう」
「ああ、 すまなかった。 探していた本を見つけたから、 つい。 ……しかし、 聞いてたより早かったが仕事はもう終わったのか? 」
「……なんだ、 思ったよりもずっと本に夢中だったんだな。 時間なんてとっくに過ぎてるぞ」
ほら、 と山国を掴んでいた手を離し、 そのまま付けていた時計を差し出す。
まだまだ余裕だと思っていた時間は待ち合わせの時刻を三十分程過ぎており、 続けて確認した自身の携帯電話にはメールと電話がそれぞれ二件ずつ程来ていた。
「お前が時間に遅れる筈はないと思ったが……。 まあ、 なんにせよ何かあった訳では無くて良かった」
「ああ……悪い、 心配も掛けたんだな。 そんなに時間を過ぎていたとは思わなかった」
「別に、 見つけたからそれで良い。 ところで、 何にそんなに夢中になっていたんだ?」
早長が覗き込むので、 素直に手にしていた本を差し出す。
受け取った早長がそれをしげしげと眺め、 それから本を開いて数ページ捲った。
「三月宗近。 新進気鋭の風景写真専門のカメラマンだろう? お前もこういうものに興味があったんだな」
眺めながら言った早長の言葉に、 山国は目を丸くする。
「知ってるのか?」
「まあな。 うちの編集長と先輩がお気に入りか何からしくて、 話を聞いた事があるが」
本を閉じ返した早長は、 今度は山国の顔をまじまじと見て首を傾げた。
「……なんでお前が嬉しそうなんだ?」
「いや、 その……幼馴染でな。 そんなに有名なんだなと思ったら、 我が事のように誇らしくなったと言うか、 なんというか」
「あー……成程」
数度瞬いて、 それから早長は僅かに口を噤む。
ほんの一瞬だけ目を閉じた後、 いつもと同じ少し醒めた目をして言った。
「まあ、 なんだ。 取りあえずそれ、 買うんだろう? 入り口で待ってるから、 会計して来い」
「そうだな。それじゃあ、 行って来る」
「ああ」
ひらひらと手を振って送り出した後、 早長は小さく息を吐く。
彼が知っている三月宗近に関する知識は、 他にまだあった。
最初の写真集を出版してからすぐ事故に遭い、 そのまま亡くなったと聞いている。
情報源となった彼の職場の上司たちが、 それで嘆いていたのをよく覚えているからだ。
幼馴染と言うのだから、 山国がそのことを知らない筈も無い。
余計な事を言って重たい空気にするのも気が引けて、 黙っていた。
「……予算、 もう少し多めにしておくか」
元気づけるだとかそういう意味合いでは無いのだが。
ただ、 そう。 折角何か奢ると呼び出したのだから、 何処のどんな店の何を指定されても快く承諾出来るようにはしておこう。 そんな言い訳を自分の中でしつつ、 歩き出す。
「取りあえずはまあ、 水野さんのところで珈琲でも飲みつつ、 この後の事を相談だな」
そう呟いて、 その場を後にした。
・あとがき
この時点で、三月の三回忌まで終わっているのですが。
それでも、夏が来れば思い出したりもする訳で。